改めて放置されました
「……まあ、お前さんの気持ちはわかったから、また事情が変わってその気になったら言ってくれよ。オレは今んとこ結婚したい女が他にいるわけでも、って、おわっ!」
おっさんが1メートルくらい飛び退いて驚いた。
え、なに!? と思った時にはフワリと抱き締められていた。
ん? この感じは……シャドウさん?
「おい! お前! 約束と違うじゃねえか! お前は明日タルクを出る約束だったじゃねえか! なんでここに居るんだよ!」
おっさん、ちょっと顔赤いよ。
まあ、気持ちはわかる。聞かれていたかもしれないもんね。ていうか聞かれたね、コレ。確実に。
「睨むんじゃねえよ。オレが何言おうと勝手だろ? お前こそなんの権利があってオレを睨んでるんだよ」
おっさん開き直りましたー。
「権利といえば……私は夫ですから」
耳元で、記憶にあるデレた低い美声がした。やっぱりこの声好きだわ私。って。
えええええ!? しゃべった!
久しぶり、というか初日以来の声だー!
びっくりして振り返る。
するとそこには半透明なシャドウさんがいた。あれ? 半透明? いつもと違う!?
「会いたかった……! 一日離れるのがこんなに辛いとは……! ああ、やっぱりこうして腕の中に君がいないと心配でしょうがないよ! ちょっと目を離しただけでこんな事になっているし! でも君がはっきり断っているのを聞いて、私がどれ程嬉しかったか君にわかるかい!? ああもう愛しい……! 好き……!」
見えない尻尾を相変わらず全力で振りきりながらウットリと、しかし怒濤のように喋るこの人はだあれ!?
いやわかるけど。
見かけはシャドウさん、そして中身は……本人だな。最初より随分元気になったんだね。よかったよかった。
半透明の顔を全力で私の顔に擦り寄せているイケメン……ちょっと残念な感じがするよ?
まあそんな所が好きだけどね? ふふっ。
ふとおっさんの方を見たら、おっさんが顎を床まで落としていた。
うん、そうだよね。わかるよ。
私と目があって、意識が戻ったらしい。
「シエル……お前、結婚してたのかよ」
「あー、ソウナンデスヨネー。すみません、言わなくて。ちょっと説明しづらい状況だったもので……」
すごいしどろもどろだ。それはそれは後ろめたいぞ、このタイミング!
「で、その『シャドウさん』がお前の夫なんだな?」
「ん? そうなるの? よくわかんない」
「おい!」
だからー。こうなるから言えなかったんだよー。
本人とシャドウさんは同一人物なの?
今は「だんなさま」だけど、今までのシャドウさんは?
どうなの?
「なんだよ! わからないのかよ! 自分の夫だろうソレ!」
おっさんが思わず叫ぶ。
だって一回しか会ってないし……。
「はあっ?」
おっさん、そろそろ顎を床に打ち付けるのはやめた方が……。
そんな間もずーっと抱き締めたまま私の頭にスリスリしていた「だんなさま」が、スリスリをやめてニヤリとした気配がした。
「事実です。私は会ってすぐに結婚を申し込みました。そして彼女は受け入れてくれたのです」
ふふん。
ちょ、「だんなさま」大人げないよ!?
「私はその場で結婚の契約を交わしました。ですから彼女は正式に私の妻なのです。ご承知おきください」
そろそろカイロスさんの顎が心配になってきた。戻るのかな、それ。
カイロスさんは言葉もない様子で半透明のシャドウさんを見ている。
次に「だんなさま」はくるりと私のほうに向き直ると、しかしとてもとても悲しそうな、そして辛そうな顔をして言った。
「だけどね、とても残念なのだけれど、私は出来るだけ早く元に戻ることにしたのだよ。今のままでは少し不安があってね。だからね、しばらくは君の傍を離れなければならない。すまない。私はずっと君と一緒にいるために、今はもっと深く眠ることにしたんだ。できるだけ早く戻るから、それまで待っていてくれるかい?」
見えない耳を垂れさせて、ちょっと涙目だ。
なんでそんな不安そうなんだろう?
もしかして、シャドウさんを動かしていたのは負担だったのかもしれない。そんな気がした。
シャドウさんが隙あらば寝ていたのはそういうことだったの?
「昨日、思い付く限りの守護魔術を君にかけたから、君を傷つけることは誰にも出来ない。だから安心して。君には、私以外の人間には誰にもさわらせないからね! あ、あと、これキャッシュカード。もう銀行にも行けるよね? 盗難防止の魔術も掛けたから。だけど、無茶はしないでね。貴女も万能ではないんだよ。ああ、そうだこれも掛けておこう。あ、これも……」
と言って「だんなさま」は私にさらにいくつかの魔術をかけた。
お手てをヒラヒラさせては様々な魔術が降り注ぐ。
昨日から累計して、いくつかけているんだ?
数えきれないぞ!?
そんなによく思い付くな!?
そして、カイロスさんの方を向いて「約束は守る。明日タルクで姿をみせるようにしておく」
私の方には心から悲しそうな顔をして、「愛している。待ってて。必ず戻るから」
そしてギューギュー抱き締めて、私の額にキスをして。
そして。
ふいっと、消えた。
本当に「消えた」。
今まで意識しないところで「だんなさま」の気配を感じていたことに、この時気づいた。
彼と繋がっていた糸が、今は暗闇の中に繋がっていた。
私はまたしても、今度こそ、完全に。放置されたのだった。