無効
そのとたん、この大広間の空間に、ルシュカのロイスさまの巨大な姿が浮かび上がった。
「なんだ、どうしたエヴィル。お前がワシを呼ぶなんて珍しいな」
にこにこしている。呼ばれたのが嬉しかったのかな? 周りのどよめきや驚きなんて歯牙にもかけていない。
「げぇ、鬼神のロイス……」
おっさんが怪しげな二つ名を呟いて絶句した。なんだその物騒な二つ名……。気のいいおじいちゃんじゃあなかったのか?
「この国からお前の国に行っている魔力、そろそろ切り上げてもいいか?」
旦那さまがロイスさまに言った。
ロイスさまがちょっと残念そうに答える。
「……まあ、しょうがあるまい。もともとはお前の国のものだしな。ワシもそこのセシルのお陰で百歳ほど若返ったから、もうしばらく働くことにするよ。息子にも言っておく。なんとかこっちは収めるから、頼むから龍はなしだぞ?」
「わかった。もしも戦争になりそうなときは、一応ロイに確認するよ。ああ、あと、このトゥールカ王が、魔力を止めたら他の国から攻められるのではと心配しているのだが」
「はあ? そんな命知らずがいるとは思えんが。まあ、では一言ワシから言っておくよ。でもワシが動いたことは覚えておけよ? そんでこの前の酒、もう少し送ってくれ」
「それはいいが飲み過ぎてセシルの手を煩わせるなよ?」
「ええー? 超級の聖女の魔術を独り占めとは酷いものよのう……」
とかなんとか言いながら、トゥールカ王には一瞥もくれずにロイスさまの姿が消えていった。
トゥールカ王が口をポカンと開けている。
あら、こういうの、初めてだった?
ああ、遠見自体が珍しかったか。すぐ忘れちゃうんだよね。ということは、まさか今もこの四人が同じようにしてここにいるとはわかっていないな?
「だ、そうだ。少なくともルシュカは攻めてこない。他の国ももし来たとしても私たちと龍がこの国を守る。君は安心して内政に専念すればいい」
旦那さまが王に言った。
「その『私たち』にちゃんとオレも入っているよな? 王、悪いがオレたち魔術師は、自分より魔力のある魔術師には逆らえない。立場とか恩とかいう話ではなくて、結果的に逆らえないんだ。絶対に勝てないからな。今までは立場上トゥールカ王に従っていたが、魔術師の王が姿を現してしまった今、もし二人が対立してしまったらオレは魔術師の王に従う。一龍では二龍に勝てない」
そう言っておっさんは、『月の王』に頷いた。
それを見た臣下の人たちの半分が膝を折る。
きっと魔術の使える人たちだろう。ちなみに他の人たちは唖然と立ち尽くしている。
王が苦々しい表情をした。
「なるほど。では、ナディア侯爵の爵位を剥奪する。貴族としての特権と領地を即刻返還してどこへなりとも消えるがいい」
そしておっさんを壇上から睨み付ける。
しかしおっさんは平気な顔だった。
「はいはい爵位はおっしゃる通りに返還しますよ。だがわが一族は、火龍のいるシュターフと共にある。館を渡せというなら明け渡すが、もし、その館に入ったシュターフ領主を名乗る人間がシュターフの領民や魔術師を迫害でもしたら、遠慮なく火龍が部下もろとも焼き払うからな?」
うん、本当に平気そうだ。むしろこの人を王宮から解き放っちゃってよかったのかな。貴族だろうが平民だろうが、火龍はこの「人」についている。
王よりもむしろ臣下の人たちが声にならない悲鳴をあげた。これでは誰もシュターフ領主になりたがらないかもしれない、とちょっと思った。
しかし王は意に介さないようだ。力強く宣言する。
「爵位と報酬があれば、引き受ける人間もいるだろう。余は王だ。三百年続いてきた歴史ある王家の王である。元臣下の魔術師ごときの脅迫には屈しない」
そして王は私の方を向いて、やれやれ仕方がないという感じで言った。
「『海の女神』セシル、そなたは余の王子と婚姻を結び、王族になる気はないか? 第三王子では不足なら、皇太子は残念ながら既婚であるが、第二王子ならそなたを喜んで迎えるであろう。王族であれば『黒の魔術師』とは別格だ。そこの身分の無い男より、王子と結婚してこの王宮で暮らす方がずっと魅力的ではないかな?」
猫なで声キモチワルイ。
そして次に「月の王」に顔を向けて語る。
「『月の王』、そなたも王族となり、余と共にこの国を治める気はないか? 余の姫を与えよう。余の一族は、それまで成されていなかった道を舗装し、開墾と農薬と肥料を教え収穫を増やし、ダムや堤防で治水を進め、法と税制を整備して誰もが等しく幸福になれる国を造ることに心血を注いできた。昔は魔術師が魔術でもって国を治めたのだろうが、余の一族は知識と技術をもって魔力のある者も無い者も、誰もが平等に生きる国になるように国を発展させてきたのだ。素晴らしい理想だとは思わんかね? しかしまだまだ理想の国になるまでの道のりは遠い。ともにこの誰にも完全に平等な国を創ろうではないか。そなたも我が一族として、余とともにこの国をよりよいものにしていく気はないか?」
言っていることは一見良さげなんだけどねえ……。その手段に人々から魔力を奪うということが含まれているのは不自然極まりない、と思うのは、私の魂がこの世界のものだからなのかしら?
農薬なんて教えなくても、緑の魔術の使える人が魔術をかければよいのでは? 治水をするなら水の魔術で結界を張ればいい話では? そんな魔術を使える人が、たくさんいればいいのでは? 法や税はわからないけれど、それでも余計なお世話が多くない? なぜ出来る事を通して助け合う、そういう世界を否定するの? なぜ声を奪ってから文字を教えるような、そんなことをするのかな?
無駄じゃない? そして不便じゃない? 使える魔術は使えばいいんじゃないのかな?
だいたい王族になりたいと思ったことなんて一瞬たりとも無いんだよ。
なんなんだ、この国の婚姻至上主義。
旦那さまの機嫌も急降下だ。不穏な空気をビシバシ感じるよ。
「私はもうこの『月の王』と結婚していますから、王子と結婚は出来ませんし、する気もありません。王族にもなりたいとも思いませんから、正式にお断りします」
声を張り上げる。
旦那さまなんて、答える気もないみたいだよ? 黙殺だよ。
「その結婚のことだが」
しかし私の答えを予測していたのか、余裕たっぷりで王が口を開いた。
「先日無効になった。余とこの国の議会は、魔術師による婚姻の契約を認めない法案を可決し即座に発効された。余が宣言するか、教会が正式に認めなければ婚姻は認められない。そなたたちの結婚は無効だ」
はあ!? なに言ってるの?
じゃあこの私と旦那さまの間に渡っている絆の糸は、どうしてまだ存在しているんですかね? くっきりはっきり繋がっているよ?
私の左手の魔法陣が光り始めた。旦那さまの胸も光り始める。って、旦那さま、そんなところに魔法陣があるの!? 知らなかったわ。
旦那さまが静かに怒っている。魔法陣を光らせているのはあなたね?
私は左手の甲の魔法陣を掲げながら言った。
「私たちの結婚の絆はこのように存在しています。いくら王や国や教会が無効を宣言したところで、この繋がっている結婚の絆は切ることはできません」
王は驚きを上手に隠したようだ。それとも魔法陣を見るのは初めてではないのかな?
「絆など普段は見えないものだろう。それに実際に結婚していても絆など無い夫婦もたくさんいるではないか。法的に、つまり正式にその結婚は無効になった。無効になったのだからそなたたちはもはや夫婦ではない。誰とでも自由に結婚できるのだぞ? 余の王子と結婚し、正式にわが一族にさえなれば、どんな贅沢も我が儘も許そう。好きなだけ好きなものを侍らすがいい。贅沢も我が儘も尊敬も羨望も、全てを手に入れるがいい。そして『月の王』も好きな我が姫と結婚して王族にさえなれば、地位も権力も思いのままだ。余が許そう。たとえばその隣にいる元妻を、側においても誰も文句を言わないぞ? 余の姫も、そして元の妻もどちらも手に入れるがいい!」
はあっはっはっは。
って。なんでそんな高らかに笑えるんだ?
ふざけるなよ?
私たち夫婦を何だと思っているんだ?
私たち、結婚したのは権力のためでも、魔力のためでも、ましてや王族になるためでもないんだよ。
王子や姫にだって失礼だろう。そんなモノみたいに与えられていいものではない。私にも失礼だろう。はっきり断っているのに、私の意思を無視するな。そしてなにより、異世界にまで追いかけてきてくれた旦那さまの気持ちに失礼だろう。勝手に「元妻」にした上で「妾」にしろと、こんな大勢の人たちの前でなぜ言えるのか。
なぜそれをさも良いことのように、さあ喜んで餌に食いつけと言わんばかりに言えるのか!
本当に、ふ ざ け る な よ ?
こちらが争わないように下手に出てやっているからって、私たちを愚弄するのは許せない。
王様? へえ、だからなに?





