忠誠の相手
「その声は、ナディア侯爵か? 隠れていないで姿を現せ」
あら、おっさんばれちゃった。声だけで……まあわかるか。
「いやあ、私には自分で姿を現す魔力はないんですよ。ここにいるのも『月の王』と『海の女神』にお願いして連れてきてもらっている立場でしてね」
って、見えなくてもニヤニヤしていそうな口調なんですがそれは。
王の顔も若干イラッとしているよ。
「では『月の王』、侯爵の姿を見えるようにしてくれ」
ちょっと暗いからカーテンを開けてくれ、そんな軽い言い方だった。ピクリと旦那さまの眉間に力が入る。
「話す相手が見えぬのは不便であろう? それともそなた、侯爵を隠しておかねばならぬ理由でもあるのか? 余の命令が聞けぬような何があるというのだ? それとも出来ぬのかな? 余は王ぞ。待つことには慣れてはおらぬ」
王は壇上から「月の王」を眼光も鋭く見下ろしている。
なになに? 挑発? 命令を素直に聞くのも抵抗があるけど、聞かないならそれはそれでどうせ出来ないんだろうとか言われそうな雰囲気?
この場にいる臣下の人々がざわついた。
なんと危険な。龍を従える魔術師の王に向かって、そのような物言いをして龍が怒ったらどうするのか。高まる緊張。
しかし王は意に介さなかった。
「早くせよ。余は気が短い」
王はあくまで自分の立場が上だとの姿勢を崩さない。対して黙りこむ眉間にシワで威圧オーラ半端無い旦那さま。
どうする? ずっと黙っているわけにもいかないし、だからといって私が横やりを入れるのも……。
そう思ったとき、おっさんが機転をきかせてくれた。
「『月の王』、すまないがオレの姿を見えるようにしてくれないか」
おっとー、おっさんの希望ではシカタガナイ。そういうことにしよう?
「私の姿も一緒にお願いします」
あら、師匠はバレてないのにいいんですか?
結局、二人の姿が私たち二人の両脇に現れた。
突然出現した二人を見て臣下の人たちが驚いている。
「ふうん、これは怪しげな魔術だな。で、そなたは何者だ」
王がカイル師匠を見て誰何した。
師匠が胸を張る。
「私は古のアトラの国の、聖魔術師の流れをくむ魔術師カイルと申します」
臣下の人たちの間から息を呑む音がした。王の表情もおや、という感じになる。
「ほう、余も名前を聞いたことがあるぞ? たしか優秀な魔術師だと。なるほどそなたであったか。この『月の王』に余が決める前は、そなたに『黒の魔術師』の称号を贈ろうと考えていた時もあったのだよ。『月の王』は辞退するという。いつか『月の王』が引き受けるまでの間、そなたが『黒の魔術師』を引き継ぐのでもよいぞ? そなたはもっと多くの魔力は欲しくはないか?」
そういや師匠、王都に呼ばれていたねえ。どれだけ嫌な顔をするのかと思いきや、師匠はにっこり微笑んで答えた。
「申し訳ありません、王。私はすでにこちらの『月の王』に忠誠の誓いをたてております。この誓いは魔術をもって締結される不可逆な契約ですので、私はもう他の人にお仕えすることは出来ません。たとえ王であろうとも」
ええぇ……師匠、胸を張って言っちゃったよ!? 大丈夫なの?
私がハラハラしているのに、カイロスのおっさんも頬をポリポリしながら言い出した。
「あー、オレも実は、『月の王』に呪いをかけられていましてね。『月の王』と『海の女神』を裏切ると膝が壊れることになっているんですよ。だから、オレもこの二人には逆らえないんですよねえ」
って、おっさん、言葉遣い! そして今その呪いを持ち出す!?
王の表情が険しくなる。悔しい? 忌々しい? ……不愉快? そんな顔。
「そうか、では『月の王』、ナディア侯爵が可哀想であろう。呪いを解いてやるがよい」
あ、旦那さまちょっと不機嫌オーラが出てきたよ……。おっさんを可哀想と思っていないか単に命令されるのが不愉快なのか。
まあね、旦那さま、どうも生まれも育ちも高貴な血筋かそれに近いんだろうな、という印象はあったからね。命令されることに慣れていなさそうだよね。特に龍がついてからは多分誰よりも尊重されてきた人生だろう。
そしてトゥールカ王は、それを見抜いた上でそのポイントを攻めてきているよね。大勢の臣下の前で、王の命令を聞く臣下としての『月の王』の姿をできるだけ晒そうとしているのだろう。屈しろ、そんな意思を雰囲気からも感じる。
――ねえ、そろそろこの喧嘩を買うとどうなると思う?
――反逆罪に問われるでしょうね。罪人として全国に堂々と指名手配する口実を与えてしまいます。たとえ捕まえられはしなくても、指名手配して声高に糾弾して、国中に罪人であると国民に宣伝することができます。
――ってえことは、いっそ 今 王に成り代わっちまうか一旦引いて言うこと聞くかか。
――あちらはわざと怒らせようとしているみたいだから、策に乗るのはよくないかも。ここは一旦我慢……?
――もしやるなら徹底的に潰さねえとな? あっちも相当プライド高ぇからな。
――ちょっと。やるって何をさ。
――売られた喧嘩は買わねえとなあ?
目まぐるしくチャンネルで会話をする私たち。
旦那さまが静かにため息をついて、おっさんの膝の呪いを解いた。
シュン。
おっさんがびっくりして飛び上がる。
「っと! おい、詠唱も身ぶりも何もなしで一瞬かよ! カイルが何日かけても解けなかった呪いだぞ! なんだその技。怖いやつだな! でもありがとうよ。呪いを解いてくれて」
それを聞いて驚いている後ろの臣下の人たち。解呪だと? 一瞬だと? 詠唱もなしだと!?
動じないのは王ただ一人。
「ナディア侯爵、良かったな。これで『月の王』の呪縛はなくなった。改めて余に忠誠を誓うがよい」
王がおっさんにいいんだよという風に頷いてみせた。助けてやったんだから「月の王」を捨てて自分につけ、そういうことですね?
「……あー、すみません、王。『月の王』の呪いは無くなりましたが、実はこの」
と言っておっさんは私をちょろっと指を指した。はい? え、私?
「『海の女神』にも前に一生忠誠を誓うと言ってしまったことがありましてね。まさかコイツが『海の女神』だとは全然知らなかったんですがね! ですが元々の二十年来の膝の呪いを解いてもらった時に、い や あ 本当にうっかりなんですが確かに言ってしまったのを先日思い出しました。なので自分の言葉には責任を持たないといけません。申し訳ありません。いやもう、本当にうっかりしましたよ」
てへ、とでも言いたげな言い方なんですが。
ええ? それも今持ち出すの!? 私が忘れていたのに!? なんか私、喧嘩に巻き込まれてない?
「ほう、余は初めて聞いたぞ。そうなのか?」
って私に聞かないで。でもしょうがないので厳かに頷いた。嘘ではない。まさかこんなところで便利に使われるとは思わなかったけどね!
王が忌々しさを隠そうともせずに言う。
「ナディア侯爵は義理堅い男だな。しかし貴族としてこの国と余に仕えておきながら、他の者に忠誠を誓うとは許せん。ナディア侯爵は貴族位を剥奪して逮捕すべきだな?」
王が声を大にして並み居る臣下の人たちに問うた。
きっとこれは脅し。だが効果は抜群だ。
臣下の人たちから一斉に恐怖の感情が伝わってくる。
まさか龍つきの魔術師の長を逮捕すると言い出すとは!
これでは魔術師と国の全面対決になる。彼には火龍がついている。そして『海の女神』に忠誠を誓ったのが本当ならば、そこに水龍と風龍も味方するかもしれない。『海の女神』には『月の王』が味方するだろう。龍が五体そろったら。龍を全て敵にまわしたら。
この国に勝ち目はない。
それはこの国に生まれ育った人間の、常識的な判断であり正しい考えだった。
だが、王の考えは違ったらしい。
新しい環境に合わせることを良しとせず、長い年月を自分たちの住みやすいように周りを変えることに邁進してきた、一族。たとえ同じ境遇であっても、違う道を選択した人たちも多かっただろうに。この一族だけは頑なに。
なぜならきっと、もともとはその一族のものだったその思いを、初代「黒の魔術師」がうまく煽っていたのだ。彼の都合の良いように、情報操作や魔術でもって王を操る。利用していると思わせながら反対に利用していたのだろう。魔力の高い魔術師は長命だ。自分の人生の中で何代も入れ替わってゆく王は、彼にとってはただの使い捨ての洗脳しやすい駒だったのかもしれない。もはや彼に不可能はなかっただろう。王以上に。
しかしその結果この一族は、三百年超という長期政権を維持してきた。
その伝統とプライドは筋金入りだ。
幸か不幸かトゥールカと名前を変えてからのこの国に、龍が現れそして暴れた歴史はなかった。『月の王』は眠っていたし、セシルは行方知れずだった。その間龍たちは他の人間にはつかず、唯一人と関わりを持っていた火龍も特に暴れる理由もなく、そして近年は動けなかった。
トゥールカの歴史とは、人間の王が絶対的な権力で治める、龍のいない時代の歴史だった。人々はやがて魔力を失い、そして龍は伝説になった。
そして少しずつ、魔力の無い人たちが住みやすい国へと変わっていったのだ。
でも。この世界に生まれた人は、魔力を持って生まれてくる。
魔力を持っているものは、龍の怖さを本能的に知っている。圧倒的な存在。とてつもない魔力。
臣下の人たちは、今日ほど王宮に出仕したのを後悔した日はないだろう。
命(龍)と生活(王)の板挟みだ。
その場の全員が凍りついたとき、王が静かに言った。
「ただし『月の王』が余の魔術師として『黒の魔術師』に就任し、余に忠誠を誓うならば、ナディア侯爵も結果的に余に従うことになろう。それならば許そう」
おっさんが小さく舌打ちをした。
王はいなくなった初代「黒の魔術師」の代わりを求めている。最高に便利だった素晴らしい道具を再び手に入れたくて躍起になっている。
私は王が、なんとしてでも旦那さまを手中におさめたいのだと感じた。
――貴女もですよ。王は”二人を”手に入れたいのです。そしてどうやら、多少無理をしてでも手に入れる覚悟のようですね。





