契約書
そこは大広間だった。
とりあえず王のいる気配がした所に出現してみたら、どうやら大勢の臣下を前に何かを語っていたところだったようだ。
あら、なんか間が悪かった? ちゃんと確認しないといけなかったかしら。私もだけど旦那さまもそういうところ気にしないよね。
でもまあ証人は多い方がいいか、と考え直す。
突然出現した銀髪の男女に周りがざわつきはじめた。
銀髪が意味するところを、さすがにこの国の重鎮たちは知っているらしい。まああれだけ騒がれれば当然か。
誰何はされなかった。
「こんにちは、トゥールカ王」
私がにっこりと挨拶をした。ちなみに礼はしない。
ここで頭を下げてはいけない。
頭を下げたら、師匠の言うところの戯れ言に真実味を持たせてしまう。
「私たちをお呼びだそうなので参りましたが、どのようなご用件でしょうか?」
知ってはいるがすっとぼけるよ。だって認めないからね。
しかし王はさすがの役者で、全く動揺は見せずに威厳たっぷりに口を開いた。
「そなたたちは、たしかシュターフにいると聞いていたが、聞き間違いだったか」
いやいるけどね。でもこれ、答える必要あるのかしら。種明かし? しないよ。どうやってここにいるかは今問題ではないよね。わかる人にはわかる。それでいいじゃないか。実際、数人が驚愕している気配がする。
だけど他の魔力のある人たちはただただ驚いて、そしてちょっと圧倒されていた。なにしろ伝説の「月の王」だ。幼い頃から伝説を聞かされて育った人たちには、やはり感慨深いのだろう。
私はただにっこりしておこう。沈黙は金。
「王の御前で頭が高い。控えなさい」
そう言ったのは宰相か。あ、あの人、「進んだ世界」の人だ。魔力が全くない。
なるほど、側近は仲間で固めているんだね。秘密を共有する仲間ということか?
「頭を下げなさい!」
そう命令する宰相を、旦那さまが「アトラの王」然とした眼光で黙らせた。
この人ちょっと怒っている? 「王の威厳」をばんばん出し始めたよ。
…………ふーん? 真似するか。チャンネルを共有していると、けっこう見えるんだよね。
こうやって、こう。
なるほど、威圧の魔術みたいなもん。おお、圧がかかるかかる。
「うお、すげえな」って、おっさん、ビビらない。
「さすが私の主夫妻」って、師匠、今そういう場面じゃない。
いきなり威厳のオーラを出し始めた私たちに周りの人たちはじりじりと後ずさりしていった。畏怖の感情が流れてくる。
「……まあよい。呼んだのは私だ。よく来てくれた。本当は事前に二人だけで話したいと思っていたのだが、せっかくだ。ここで話そう。余はそなたたちに侯爵の貴族位と今は空いている「黒の魔術師」の称号を贈ろうと思う。王家専属の魔術師としてその力をいかんなく発揮して欲しい。如何かな?」
な? じゃないんだよ。地位とかそんなものを私たちが喜ぶと本気で思っているのか?
そんなもの、全くいらない。
旦那さまが口を開いた。口調がとっても冷たい。
「私は今の王家に歯向かう気はないが、仕えるつもりもない。お断りする。前の『黒の魔術師』は見つけたが、ほぼ廃人になっていた。魔術師を道具として使うような人間とは私は馴れ合わない」
トゥールカ王がため息をつきながら言った。
「あれは不幸な事態だった。あの家は初代の『黒の魔術師』が建てたものだが、彼が死んでからの半世紀もの間、彼の代わりに就任した魔術師たちがみなあの家の魔力に負けて理性を無くしてしまう。最初は良いのだが、だんだん精神を病んでしまうのだ。どうやら魔術師としての力量が関係しているらしい。どんなに高名な魔術師を呼んでも長持ちしない。しかし、余はそたなたちなら大丈夫だと思っておるのだよ?」
まあ、あのエネルギー量じゃあねえ。しかも冷たいんだよ、あそこ。
「そう思うからこそあの家を譲渡した。今までの魔術師たちは、あの家をたいそう気に入っておったぞ。あの家の魔力は魔術師たちにとってとても魅力的なようではないか。あの家に住んで余に力を貸してはくれぬか。そうでなければあの家は他のものに渡さなければならぬ」
いや私たちがあの魔力を独り占めして喜ぶとでも? 私たちもっと魔力を欲しいなんて、カケラも思っていないのよ?
でもこの王は、ただあの家に入って狂喜乱舞する魔術師たちを見て、そういうものだと思っているだけなのかもしれない。あの家は魔術師の、猫にとってのマタタビのようなものだとでも思っているのか。
「私たちには別に家がありますから、あの家には入りませんし必要ありません。ご依頼の件についても先程主人がお断りしましたし、今もお返事に変わりはありません。あの家もいつでもお返しします」
すると王がニヤリとした後、芝居がかった身ぶりで言い出した。
「だが『月の王』はあの家を受け取った。あの家を受けとるのは『黒の魔術師』と決められているのだ。契約書もある。そなたたちがどう思おうともあの家を受け取った時点で『黒の魔術師』になることに承諾したとみなされる」
「それではお返しします。私たちはあの家を必要としていません」
と答えながら、急いでチャンネルを通して聞いてみる。なにせ書類を受け取ったのは旦那さまだ。
――ああ、王に渡された書類に魔術がかかっていたな。あの家と服従の等価交換の魔術だった。その気はなかったから、その場で解除した。そのことはその場で彼にも伝えたし、それでも受け取れということだったが。
ああ、解除したのねー。さすが最強の魔術師。でも書類は残っているのか。サインはしていないよね? と一応確認。アトラとトゥールカで、契約のルールが違う可能性がある。おそらくアトラでは、魔術で契約も結んでいたのだろう。だが今はトゥールカだ。魔術以外で契約を結ぶだろう。多分、私の知っている方法で。もしくはダブルか?
――名前は呪いに使われるから、サインなんてしないよ。
言葉とともに若干イライラした感情が漏れてくる。
「書類にサインはしていないはずですが」
しかし王はまるで宣言するように声を張った。
「サインはされているし、あの家を受け取った時点で魔術が発効して契約が結ばれるようになっているのだよ。そしてそのように書面にも書かれている」
あっダブルだった。念入りだな? しかもサインを偽造したな? 王が本物だと言い張れば、この国ではそれが通るんだろうきっと。念入りなのは魔術師相手だからか?
「サインはしていないし、その初代の『黒の魔術師』よりも『月の王』の魔力の方が上なので『月の王』がその契約の魔術はすでに解除したとお伝えしたはずです。魔術による契約は発効していません。今『月の王』はどんな契約にも縛られていません。私が保証します」
旦那さまの体はまっさらできれいよ~。
私の言葉に感心する人々。魔力が上の人間は、魔力が下の人間の魔術を破れる。魔力のある人間ならば、骨身に染みているであろう事実。
しかし魔力の無い王にはピンとこないらしい。
信頼していた初代「黒の魔術師」の魔術が破られたことは今まで無かったのだろう。そして想定もしていないのだろうか。言い張れば何とかなる事ではないのに。そして本当に魔術が破られたのかを確認できない王。
「魔術については確認して証明されなければならない。では後で確認しよう。ただし、書面に『黒の魔術師』として家とローブを受け取るとあるのは事実だ。そして『月の王』は受け取った。サインもある。これは承諾したということだろう。すでにそなたたちは余の魔術師である。余は……」
王が話している間、何が起こっていたかというと。
旦那さまがトゥールカ王の記憶をごりごり探ってその書類のある場所を特定していた。
王が話しながら契約書を思い浮かべたのが運のつきだ。いくら魔力が無くて読みにくいとしても、思い浮かべたものを「月の王」が察知するのは簡単だった。そして近くにいた人間を操って金庫を開けさせる。
金庫を開けるカラクリの解き方もさっさと探り出す手際のよさにちょっと引いたぞ……妙に慣れてないか?
しかも魔術師団か「黒の魔術師」がかけたらしい防御魔術も片手で埃を払うがごとく破ってましたが、なんだそれ。
ま、まあ結果的に金庫が開きました。なんか、厳重なはずの王家のセキュリティが紙のようだ……。
では、私の出番だね?
「ニンリル。契約書を持ってきて?」
『いいわよ~』
そしてふわりと吹く風にのって、その契約書が私の元へ飛んできたのだった。
どよめく人々。
王が疑い深そうに見ている。まあそりゃあ大事に金庫にしまってあったはずの書類がヒラヒラ飛んで来たとは、なかなか思えないかもしれないね。
私は王に書類を掲げて見せた。
訝しげに見ていた王が驚きの表情に変わる。
「イカロス、燃やせ」
おっさんの声だけが聞こえた次の瞬間、火の鳥イカロスがどこからともなく飛んできて、いきなり私の手に持っていた書類を私の手ごと燃やしてしまった。
あっつう! ちょっと! 危ないでしょうが!
『えー水の王なんだから大丈夫でしょ? うふふ、もう大袈裟なんだから!』
とか言いつつ嬉しそうにヒラヒラ飛んでいるんじゃないよ、もう。
そりゃまあとっさに防御はしたけどね! おいこら、わざとやったな? くっそう、こんな状況じゃなきゃ文句も思いきり言えたのに! あやうく威厳オーラを手放すところだったじゃないか。危ない危ない。
あら? 私の手がノーダメージなことに気づいた人たちがザワザワしているよ。よし、ここは全く平気な顔をしなければ!
だいじょうぶ大丈夫。アワテテナイヨ?





