忠誠の指輪
王宮に来いと言ったって、ここはシュターフ。そしてこの国の一番速い移動手段は馬車。
「狙っていたのかもしれませんね。馬車を飛ばして行っても三日はかかります。その間に発表は国中に広まり、臣下として忠誠を誓っているシュターフ領主は王の発表に表だって異論を唱えられません。魔術師のトップが黙っているとなると、事実上この発表を認めたことになります」
師匠が苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「はあぁ? 確かにこの前忠誠は誓ったが、それはこの事情を知らなかったからな! 正直オレは今忠誠を誓えなんて言われても誓えねえなあ? 魔力を自分の都合のいいようにしている王なんざいらねえぞ。オレたちの魔力は返してもらわねえとな!」
おっさんが立ち上がって仁王立ちで言った。
「おいアルド、もし俺たち四人が王に拘束されて消息を絶ったら、シュターフ領主代理として発表しろ。『王家によって国の魔力が搾取され、周辺国へ売り渡されている』ってな!」
「は? え? なんですかそれは……」
アルドさんが目を白黒させている。そりゃあ突然そんなことを言われたらそうなるよね。
「今はそれだけ覚えておけばいいさ。逃げたきゃ逃げろ。でもオレになにかあった時は発表しろよ? ああ、文書にも残しておけ。オレは王への忠誠は、まあ真の忠誠は消えた。じゃあ、行け」
アルドさんが見るからに狼狽えた状態で部屋を追い出された。
そしておっさんは、いやシュターフ領主が旦那さまの方を向いた。
「お前、また王になれよ。国民の人気もある。オレも味方につく。『海の女神』も妻にしている。もともとお前の王位だったんだから奪い返せばいい。そもそもこの国は魔術師の国なんだから、今まで魔術師ではない王がいたのが不自然だったんだよ」
でもそう言われて旦那さまは。
あら、渋い顔……。
「私はもともと王になりたかった訳ではないんだよ。それでも昔は制度や決まり事のせいで王になったが、当時は国の制度やシステムに詳しい専門家が沢山いて、実質国を運営していたのは彼らだった。私を助けてくれる各分野の実力者が沢山いたんだ。だが今は、そんな彼らもいなければ国の制度や仕組みも全く違っている。今私が王になっても、今の王の真似しかできないだろう」
うん、こういうところに三百年という年月が壁になる。そして国全体についても魔力を戻したとして、昔のように魔力と魔術の国になる保証もないし、なるとしてもいつになるのかわからない。
「今の国民たちが慣れている、魔力の無いものたちのための制度や仕組みは維持されなければならない。そして魔力を戻すとしても急激な変化では混乱するかもしれないから、あの『黒の魔術師』の魔術も少しずつ解除するべきかもしれないとも。そうすれば、今の王のもとで穏やかな変化をしていけるだろう。と、思っていた」
「お前、今の王のままでいいのかよ」
おっさんが聞く。
「今の国の状態は特に悪いわけではない。混乱も戦争もない穏やかな治世といえるだろう。それをあえて壊して混乱させる必要もあるまい? 私はただ、魔力を国民に返してくれればそれでいい」
ただ風の無くなった世界にまた風を吹かせたい。太陽の無くなった世界にまたお日様を出したい。そういう気持ち。きっと。そうしたらきっと人々が喜ぶだろうから。
いいんじゃない? それで。
「お前もそれでいいのかよ……」
うん、いいんじゃないかな。今、国の王だけすげ替えても上手くいくとは思えないしね。私たちは今の国の制度に疎すぎる。何も知らないで王を名乗っても、きっと実質何も出来ないよ。
だが服従はしない!
私たちは傍観者。王を積極的に支える気はないが、でも邪魔をする気もない、ただの傍観者。
誰の命令も聞かない。ただ穏やかにひっそりと見守る人になる。
それはかつての旧時代の王族としての矜持。国民の期待とイメージを裏切りたくはないから。生身の人間としてではなく、今までどおり伝説の人として語られればそれでいい。今表舞台に躍り出て引っ掻き回して美化されたものを崩して、その結果嫌な気持ちにはなってほしくないのよ。私たちは今までのイメージを崩さぬようにひっそりしていればいいよ。
君臨すれども統治はしない。え? 君臨してない? まあ、でも、それでいいんじゃない?
あ、旦那さま、尻尾は振らなくていいですよ。
「……わかりました。それも一つの在り方でしょう。お二人の意思に私たちはどうこう言う権利はありません。でもお願いがあります」
理想に熱く語る私を、師匠がぶった切った。あれ?
師匠が立ち上がり、突然かしこまって旦那さまの方に向く。
「私の忠誠の指輪を受け取ってください」
忠誠の? 指輪? なにそれ。
「生涯の忠誠を誓う証に自分の名前の入った指輪を渡すんだ。まあ形式的なものだがそれが指輪の持ち主に忠誠を誓った証になるんだよ」
おっさんが説明してくれた。へえ、そんなのがあるの。
「私の名前と忠誠を誓う文言が刻まれているこの指輪は私は生涯に一つしか作りません。それが我が家の伝統であり、大切な家訓でもあります。それを、貴方に。最高の魔術師を尊敬します。私は魔術師の王に仕えたい。私は生涯の主君を貴方と決めました。どうか受け取ってください」
カイル師匠がどこに持っていたのか金の指輪を手に乗せて差し出した。
旦那さまが立ち上がる。
「私はもう王ではないよ? そして王にはならないよ?」
「かまいません。王かどうかではなく、私は最高の魔術師である『月の王』にお仕えしたいのです」
「私はかつて王だった。その時のしきたりもあるから一度受け取った指輪は返せないよ。この私に人生を預けてもいいのかい?」
「はい。お預けします。実は前から考えていたのです。後悔はしません」
まっすぐ見つめての即答でした。師匠、「月の王」は一貫して尊敬していたみたいだしね。魔術至上主義だしね。頑固だしね。聖魔術師を自負しているしね。
「月の王」には指輪を差し出しても、「海の女神」には差し出さない、そこにはれっきとした線引きをする人だよね。うん。
「セシルさんは私の一番弟子として、もちろんこれからもよろしくお願いしますよ? あなたが私を師匠と呼ぶ限り、師匠としてできるだけの力になりましょう。ですが、私が主と仰ぐのは『月の王』以外にはいません」
あ、はい、これからもよろしくお願いします、師匠。もう一生呼ぶわ。今決めた。
「私の指輪をお受けください」
ずずいと師匠が前に出る。
「では受け取ろうか。撤回は出来ないよ?」
「はい、ありがとうございます」
師匠の顔が輝いた。そして宣誓する。
「わたくしカイル・エル・スロープは、一生の忠誠をエヴィル・ローさまに誓います。お受けとりください」
指輪を差し出す。
「受け取ろう。私はカイルの忠誠を受け入れる。カイルは私に嘘をつくなかれ。そして私を裏切ることなかれ」
旦那さまはそう言って指輪を受けとり、それを右手に握り。握り?
その右手がまばゆい光を発した。部屋の中を白く染める。その光はやがて旦那さまの中指に収束していき、最後に指輪の形に光ったあと、光が消えた。
旦那さまが右手を開く。そこには師匠の渡した金の指輪は無かった。
でも、旦那さまの中指から、カイル師匠へ絆の糸が出現していた。
「悪いね、人差し指には君の先祖のジルの指輪が嵌まっているんだ。だから君は中指に」
なるほど見えないけれど、指輪が嵌まっているんだね。
「いえ! いいえ、光栄です。ありがとうございます」
尊敬するご先祖さまと指輪が並んでむしろ嬉しそうだ。
「さてこれで私はトゥールカ王に忠誠を捧げることが出来なくなりました」
ニヤリ。
え? 計画的?
しかし師匠、本当に魔術を基準に世界が回っているな。権力が怖くないのか?
「まあ、カイルはそういう奴だから。でもだからこそ信用できるんだぞ?」
とこっそりおっさんが言った。
まあ、師匠、とってもまっすぐな人だよね……うん。
「さてそうしたら、この状況はまずいですね」
そしてカイル師匠が現実に立ち返った。切り替え早いな!
「早めに対処した方がいいでしょう。現王の戯れ言が広まらないうちに」
なんか師匠、トゥールカ王に対する敬意が突然減ってませんか? それともそれが素だった? 仮にも王さまだよ? 言葉に気を付けようよ。
「そうだね。では来いというのなら、今行けばいいんじゃないかな? ねえ、奥さん」
にっこりする旦那さま。
うん、そうだね!
「あちらの王もそれは想定していなかったでしょうね」
師匠がニヤニヤしている。
「だったらオレも連れてけよ! 証人になってやるぜ。こんな面白そうなもの見逃せるかよ」
うん、後半が本音だね? おっさん。
そして私たちは意識を王宮に飛ばしたのだった。
師匠とおっさんの意識も連れて。証人は多いほどいいよね!
ヒューン。
かくしておっさんと師匠の見守るなか、私たち夫婦はトゥールカ王の前に姿を現したのだった。





