ライバル
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体育館の扉を開いて入ってきたのは、同じ制服の女子高生二人組で、片方は仄華、もう片方は初めてみるツインテールの小柄な子だった。勇気は2人の姿を見つけて慌てて駆け寄る。
「仄華さん、来ないかと思いましたよ」
裏声で言ったその言葉には、どこか安堵が滲んでいた。仄華は隣にいた女子に促されて、目を反らしながら勇気に謝る。
「ごめんなさい。私、貴方と勝負出来る自信がまるでなくて……」
勇気はその言葉がよく分からず、癖で頭を掻いた。
「なに言ってるんですか、仄華さんは凄いじゃないですか。私はド素人だから、何処が凄いとか説明できないけど、《私》は貴方のダンスが好きですよ」
仄華は顔を上げて、その潤んだ瞳で此方をしっかりと見つめる。隣にいた女子生徒は仄華の肩を手のひらで軽く叩いて言った。
「ほら、仄っち、全然馬鹿になんてされてないじゃん。ただの思い込みだって」
仄華はうつむき、勇気に頭を下げる。
「そう、ね。ごめんなさい。会ったばっかりなのに、貴方のこと誤解して」
勇気はそれを慌ててやめさせた。
「そんな、止めてください! 私があそこで変な踊りを踊ったせいなんですよね? 謝るのは私の方ですよ! 」
それは彼の中で、彼女が来なかった理由になんとなく合点がいったからだ。
(あー! 誤魔化すために伝統を潰すなんてやっぱ駄目だよな! あれで馬鹿にしてると思われたんだよ! )
勿論、それがあっているかは神のみぞ知るというやつだが、とにかく、彼女の誤解は解けたらしい。仄華は袖で涙を拭って、そのままステージに上がる。
「26番、明智仄華です。宜しくお願い致します」
制服のままのダンサーに、ステージ前の審査員達は訝しげに目を細めた。しかし彼女が踊り出せば、そんな彼らの懐疑の目も瞬く間に尊敬のそれに変わる。
まずはゆっくりと頭上に上げられる右腕、左腕はそれに引きずられるように胸の前まで移動した。足は音もなくつま先立ちに代わり、右腕が円を描くように、今度は左手同様に胸の前まで上がる。そして、強い瞳で審査員席を見つめた瞬間、ふわり、とスカートを回転の風が吹き上げた。長い髪も、腕も、今度は寸分の狂いなく《型》を作り出す。それは前よりも彼女らしさを抑えた、教科書通りの動きだ。
勇気はそれを見て少し残念な気持ちになったが、審査員たちは一斉に拍手を仄華に向ける。
「いやぁ、素晴らしかったよ。やはり君のダンスは美しい! 」
変化に気がついていないのだろうか? それとも、他の参加者の質の問題か? 勇気は先ほど型を守らないことを反省したばかりなのに、審査員の反応を見て、彼女が型をガチガチに守っていることに怒りさえ覚えた。
(なんつーか、違うだろ! うまく言えないけど、あんなの、とにかく違うんだよ! )
会ったばかりでおかしな話かも知れないが、それは彼女のダンスに一瞬でも見入られた人間の強い意思である。勇気は息を吸って、ステージに上がった。
「27番、島津勇です。宜しくお願いします」
心は決まっている。型なんて守るものか。
勇気は仄華に前見せたよりも、更に型を崩して踊りを始めた。回転のまま、移動。回転の後には背を向けてそのまま踊って、回転で元の位置を超えて戻る。動きも滑らかにではなく、あからさまに無骨にした。それこそ、裏路地で悪ガキが踊るような奴である。
審査員は全員嫌な顔をした後、勇気が踊り終える前に怒鳴り散らした。
「おい、君はふざけているのか! ここは神聖な審査の場だぞ! アレンジなんて求めてない! 」
しかし、勇気は動きを止めて審査員にため息をつく。
「型を守るのがそんなに大事ですか? 型なんていうのは、美しいから守るんですよ? もっと美しいと思えるものがあるなら、変えたって全然構わないじゃないですか」
これは勿論、本来審査員に向けるものじゃない。審査員は怒りを堪えず叫んだ。
「君は何も分かってない! 伝統は伝統だから守るんだよ! それが分からないならさっさと帰れ! 」
勇気は素直にステージから降りようとする。言いたいことは言った、伝えたいことは伝えた、優勝なんて別にどうだっていいんだ。ただ、参加者たちはそうは思わなかったらしい。
「……ざけるな! ふざけるな! 」
小さな予選の、大したことない参加者、その一人が小さいながらも声を上げる。
「彼女の言うとおりじゃないか! 伝統だから守るなんておかしい! もっと美しい、楽しいものがあるなら、それに変えていったっていいはずだ! 」
そしてまた一人、声を上げた。
「そうだ! 今のは最高だったじゃないか! かっこ良かったし、美しかった! 」
声は段々と大きく、多くなり、会場を包む。参加者たちは声を揃えて言った。
「「アンコール! アンコール! 」」
勇気は審査員の罵声など気にせず、もう一度ステージに上がって、自分が出来る最高の踊りをもう一度披露する。
仄華はそれを口を開けたまま、見たことが無いような透き通った眼差しで見つめていた。
※
その後当然、勇気は失格とされるが、仄華は嬉しそうに微笑みながら、去ろうとしていた勇気の右手を両手で包む。
「ユウちゃん、ありがとう」
勇気は思わず赤面して答えた。
「ええと、別にお、私はなにも………」
仄華は首を振って勇気の目を見つめる。
「本当にありがとう。また、絶対にどこかで会いましょうね。私、ユウちゃんのこと、《ライバル》だって思うから」
勇気は照れ臭さから目をそらして答えた。
「……まぁ、別に好きに思って下さい」
すると、そんな折角のいいムードの中に部長が乱入する。
「勇ちゃん、今週末はそっちの奥の子とかと合宿になるからね。ちゃんと着替えとか用意するように! 」
勇気は愕然として悲鳴を上げた。
「はぁああ!? 予選終わったばっかりなのに!? 俺、じゃなかった、私の休日はゼロなの!? 」
部長は毅然とした態度で言う。
「当たり前でしょ。予選に受かったら休日も考えてたけど、落ちたんだから大人しく合宿に行きなさい」
これはもう駄目そうだ。
勇気は仕方なしに部長に聞く。
「分かりましたよ……それで、今度こそはちゃんとバレエですよね? バレエの予選に落ちたせいで行くことになる合宿ですもんね? 」
だがこれには仄華と一緒に来ていた子が部長を押し退けて勇気の前に移動し、答えた。
「違うぞぉ! ワルツなのだ! 」
勇気は喉を枯らす勢いで鳴き声を上げる。
「だからなんでだぁああああ!!! 」
勿論、部長には届かなかったが。
部長はぼそりと呟く。
「……勇ちゃん、合宿先は露天風呂で有名なのよ? 行かなくていいの? 」
勇気はその言葉で何かを察したように表情を真顔に変えた。
「行きます」
《つづく》
リクエスト主様の要望に沿うことが出来ないため。
これにて連載を終了させて頂きます。
読んでくださった方々、ブックマークして下さった方々、誠に申し訳ありません。