8.令嬢は夕食を狙撃する
回廊を歩いていたエリオット王子は、裏庭から内門の方へ雑木林を抜けていく若い男に気が付いた。そんな男はいくらでもいるけれども、たまたま彼の服装が廷臣に見えないので気が付いたのだ。
「おい、あいつ変じゃないか? どうみても王宮の使用人に見えないぞ」
言われたサイクスがもう内門に差し掛かっている男を眺めた。
「あれは……下町辺りの軽食堂のスタッフに見えるなあ」
「なんでそんなのが城にいるんだよ?」
サイクスのつぶやきにジョージが呆れた声を出したが、エリオットはサイクスのおかしな意見に、笑い飛ばせない“何か”を感じていた。
「なんだ……? なにか、おかしな物が……うっ!?」
ちょっと考えて“何か”の正体に気が付いたエリオットが駆けだす。
「地下牢に行くぞ!」
「えっ? どうしたんですか殿下!」
慌ててついてくる二人に聞かれ、エリオットは見えてきた鉄扉を指さした。
「あの男の来た方向を考えろ! 絶対レイチェルのからみだ、これは!」
「あっ!」
息せき切って地下牢の前まで駆け降りた三人が見たものは……。
「……見ててもあげませんよ?」
そこにはホカホカと湯気を立てる皿を前に、食前の祈りを捧げ終わってナイフとフォークを手に取ったレイチェルがいた。
彼女の前には、明らかに地下牢の中で作れない手の込んだ料理が並んでいた。作りたてらしく、美味しそうな香りを室内に漂わせている。
「お、おまっ……なんだそれはっ!?」
裏返った叫びを上げる王子に言われ、レイチェルは食卓を見下ろした。
「なんだも何も……殿下だって、どれも食べたことあるでしょう? キドニーパイと、鳩の香草焼と、パンプキンのポタージュにミントのジュレ。ごく普通の昼食ですよ」
「メニューを聞いているんじゃない! 貴様、なに外で作った食事なんて取っているんだ!」
王子を気にせず食事を始めていたレイチェルは、鳩肉を飲み下してから口を開いた。
「何か問題でも?」
「問題だろ! 貴様に飯など出さないと宣言しただろうが!」
「ああ、腰を抜かしてサイクス様にお尻を押してもらっていた時ですね?」
「ぐっ……」
ナプキンで口を拭って、レイチェルは軽くグラスを傾けワインを飲んだ。
「確かに、食事など出さないから飢えてしまえとか言ってましたね」
「そうだ!」
「でも、それはそちらが出さないという話ですよね?」
「……え?」
レイチェルはナイフを取り、サクサクとパイを切り分け始めた。
「囚人食を出さないというお話は伺いましたが、別に自腹で出前を取ってはいけないとは言われておりません」
「なっ……!? ば、馬鹿を言うな! 囚人が外部から出前を取るなんて聞いたことが無い!」
「牢屋で囚人が出前を取ってはいけないと、刑法のどこの章のどの条項に入っていますか?」
「そ、そんなのは知らん! だがそもそも常識で言えば……!」
「王の決めた婚約を論拠の怪しい証拠で破棄した殿下が、常識とかどの口で言いますか」
「……」
「一般常識を言うのなら、囚人を収監しておいて食事を出さないというのはどうなんですかね?」
「くっ……貴様の今の態度を、不敬罪で告発して死刑にしてもいいんだぞ!?」
「それならまず、処刑場まで牢から出して引っ張っていきませんとねぇ」
「ぐううう……」
言葉に詰まる王子を尻目に、レイチェルは優雅にランチを続けた。
「ふう、出前を禁止されてしまったわ」
王子が牢番に命じていた。出前は入口ではねられてしまうらしい。法律の抜け穴を探すのが好きなレイチェルとしては、事後立法はずるいと思うのだけれど……まあ、それはともかく。
「にしても相変わらず殿下は抜けてますね。うちの愚弟もまったく……出前を禁止するとか言う前に、普通は真っ先に外部との連絡手段を吐かせるものじゃないですかねえ」
道理である。
「やっぱり出来立ての食事は美味しいなあ……またフレッシュなお肉食べたいなあ……」
レイチェルは先ほどのデリバリーされたランチを思い浮かべた。
「いけない、なんかワンクッション置かないと缶詰に戻れなさそう」
ぜいたくを言ってはいられないけど、作り置きでない食事はちょっと刺激が強すぎた。もう少しだけ味わいたいところだけども……。
「……そうだ。スローライフの基本は採集生活ですよ、ね?」
レイチェルは換気の為に設けられた細長い窓を眺めた。
あまり整備されているとは言えない荒れた裏庭を、豪華な服装の老人と壮年の男が歩いていた。
「しかしエリオットにも困ったものだのう……選りによって陛下たちが長期空けている時にこのような事件を起こすとは」
「王に委任されているとはいえ、王子が起こした事件となるとやはり陛下に裁可を仰がねばなりませんからなあ」
王の叔父にあたる王室顧問のヴィバルディ大公と、宰相のオーガスト侯爵はひと気のない所で今現在の懸案事項について相談……というか愚痴のこぼし合いをしていた。
オーガスト宰相は辺りを見回した。
「しかし大公。また珍しい所を散歩コースにしているのですな」
荒れ果てたと言ってもいい裏庭は、ただスペースがあるだけで貴族が見たがるような手入れした庭園などではない。
丸々と太って好々爺然とした大公は、悪戯を見つかったように首をすくめて顔をほころばした。
「なははは。ここはここで、綺麗に整備された庭とは違う趣があるのだよ」
大公はぷっくりした指で伸び放題の雑草をかき分け、そっと向こうを覗き込んだ。
「見たまえ宰相。より自然に近いこの庭には、表向きの庭園よりもたくさんの野鳥が来ていてな……ほれ、最近の儂のお気に入りは池のほとりに今降りた大きな鴨じゃ」
同じように草むらに身を隠して覗いた宰相も感心した。
「ほう……あれはなかなか大きいですね。毛並みも美しい」
「うむ。儂はアレに密かにエンリケという名をつけてかわいがっておってな……」
そうお気に入りの鳥について大公が解説を始めた時。
シタァンッ!
「ギャアアアアアアアアア!」
「何ごと!?」
二人の目の前で、何かに気が付いて飛び立とうとした“エンリケ(仮称)”が急に大声で叫びを上げ、失速して地面に落ちた。周囲の鳥たちがパニックを起こして大わらわで飛び去る中、二人が開けた池のほとりへ転げ出てみると……。
ズリッ。
ズリッ。
瀕死で痙攣している“エンリケ”が、自力ではありえない方向へ少しずつ進んでいた。
よく見ればエンリケの胸を先端に返しの付いた矢が貫通していて、矢尻に結ばれた細い紐を誰かが引っ張っている。
無言で延々続く紐を追いかけ、近くの古ぼけた建物の壁にたどり着く。見えにくいが地面から十センチほど上に横長のスリットが開いていて、二人に遅れて到着した“エンリケ”がそこから中へ引きこまれていった。
無言で大公と宰相が顔を見合わせていると、穴の中から若い女のはしゃいだ声が響いてくる。
「わあ、結構な大物だわ! いいね、いいわね、食べでがありそう!」
声からなんとなく誰かを推定した宰相がしゃがみ込んで声をかけた。
「もし、ちょっといいかな? 君は一体何をしているんだ?」
「え? 私ですか?」
ちょっと戸惑ったような返答の後、少女は何をしていたのかを説明してくれた。
エリオットと側近たちが廊下を歩いていると、向こうからヴィバルディの大叔父が子供のように泣きながら走って来た。後ろからなだめるように宰相が追っている。
「ん?」
何が何だかわからないエリオットたちが立ち止まって眺めていると、エリオットに気が付いた大公が大泣きしながら胸倉をつかんできた。
「エリオット、貴様ああ!」
「え、俺? 俺が何か!?」
「貴様が……貴様のせいで……」
「何!? 大叔父上、俺、じゃなくて私が何かしましたか!?」
不摂生な老人など引っぺがすのは簡単だが、国王夫妻が不在の今、城代を任されている王族のトップを粗略に扱うわけにもいかない。サイクスもジョージも王の叔父に触るわけにいかず、どうしようかと顔を見合わせた。
「ううう……貴様のせいでエンリケが……エンリケが……」
「え、エンリ……誰!?」
「エンリケがレイチェル嬢に食われてしまったんじゃあ!!」
「レイチェルぅぅぅぅうう!!」
エリオットたちが地下牢に駆けつけた時、牢の入口で牢番が途方に暮れた顔で座り込んでいた。
王子たちを見て慌てて立ち上がる牢番の横から、もくもくと煙が立ち上っている。
「おいっ、これはいったい何なんだ!?」
「それが……」
牢番は煙を噴き出す戸口を情けない顔で振り返る。
「嬢ちゃんが焚火をしてまして」
「焚火!? 地下牢でか!?」
「火力は調整しているから酸欠にはならないそうです……」
「そんなことはどうでもいい! 牢屋の中で焚火って、何を考えているんだアイツは!?」
牢番が頭をかいた。
「新鮮な鴨肉が入ったから、バーベキューをするそうで」
「あんの野郎ォォオオオ!」
地下牢まで降りてみると煙は天井付近に滞留して階段上の戸口から抜けていくため、意外と地下空間自体は煙くなかった。
牢の中では石畳が復活し、中身を使って空になった木箱を叩き壊した薪でレイチェルが小さな焚火をしていた。鉄板が乗せられ、音を立てて肉が焼かれている。状況をわきまえないサイクスが、匂いにつられてよだれをたらしかけた。
エリオットは色々ツッコミたい環境を無視して、真剣に肉をひっくり返すレイチェルに指を突き付けた。
「レイチェル! 地下牢で焚火やバーベキューをするな!」
王子を見ようともせず、焼肉に集中するレイチェルの返事は短かった。
「そんな規則はありません」
「当たり前だろ!? どこの世界に牢屋でキャンプファイヤーをする馬鹿がいるんだ!」
地団駄踏んで怒鳴り散らすエリオットを、肉を見つめて頃合いを計るレイチェルがちらりと見やった。
「そうですねえ……こういうのはケース・バイ・ケースですから。食べ物が与えられなくて飢えたら、誰でもやるんじゃないでしょうか」
「そんな事があったとは、古今東西聞いたことも無いぞ」
「まあ、前段階の話で牢屋に弓があることが珍しいですからね」
「つまりおまえだけだ、こんな真似をするのは……!」
ものっすごい嫌そうな顔でエリオットが尋ねた。
「貴様、大叔父上に飯が与えられないから自分で獲ってると言ったらしいな」
「ええ、たしかそんなことを言いましたね」
「じゃあ、食事を出せば勝手な振る舞いをしないんだな!」
最大限の譲歩!
エリオットは少しでもこの性悪女の思い通りにするのは我慢がならなかったが……大叔父にメチャクチャ怒られて泣き喚かれて、再発を防ぐために断腸の思いで兵糧攻めの中断を決断した。
くそう、レイチェルめ……今のうちに好き勝手言っているがいい。だが、今の散々我がままを言い散らかしたのも含めて、父上が帰ってきたら貴様の罪業を全て告発してやる。
散々馬鹿にしてくれているレイチェルは、もはや死刑でもいいんじゃないかと思い始めたエリオットだった。彼はまだ、レイチェルが本腰でないのを知らない。
初めはとにかく追い詰めて屈服させるつもりだったが、そういうやり方ではレイチェルに好き勝手されるとこちらに甚大な被害が出る。主にエリオットの神経に。
もうとにかく隔離したことで良いにするしかない。コイツを黙らせられるんなら、古パンぐらい投げてやる。
寛大な提案をした偉大なエリオット王子に、ヒトの気も知らず美味しく食事を終えたレイチェルが初めて向き直った。
「殿下に食べ物をいただくなんて……なにが入ってるかわからないから要りません」