6.令嬢はグルメを満喫する
エリオットは言ったとおり、レイチェルに食事が出されるように手配しなかった。
優位の筈なのに武器で脅され、逃げ出した悔しさからの嫌がらせももちろんある。
だが、一番の目的はそれじゃない。食事抜きに弱ったレイチェルが屈服して頭を下げるだろうと、持久戦に持ち込むことにしたのだ。
レイチェルに食事が与えられない代わりに、牢番が毎食牢屋の前で食事をする。本来与えられるはずだった囚人食を目の前で嫌味に美味しく食べて見せて、レイチェルの飢餓を煽る作戦だ。
いくら余裕綽々のレイチェルでも、食事さえもらえないとは思うまい。勝ったつもりの所へ食事抜きの恐怖。これで少しは懲りるが良い。そうエリオットは自信を見せた。
そんなわけで。
牢番は鉄格子の前に一つ置かれた机の前に座り、自分で運んできた食事を解説しながら自分で食べていた。
「いやあ、お貴族様用だと黒パンも味が違うなあ! 舌触りもなんだか滑らかだし、まだ新しいから酸味も臭いも少ないな!」
メニューもヒドイが牢番もグルメレポーターには成れそうもない棒読みゼリフだ。それでも牢の中の令嬢に効いたのか、レイチェルが自分の食事を嘆く声が聞こえてきた。
「オートミールを持ってきたのはいいんですが、ミルクが粉末から戻したものですとやっぱり一味足りませんね……レーズンがあったので、まだマシですけれど」
「こいつは鶏胸肉のつけ焼きか! 冷めてるとはいえ良く味が染みてるな、うん。いやいやこれは、囚人にはぜいたく過ぎるんじゃねえか?」
「私の方も味が染みてると言えば染みてるんですけれど……この鴨のロースト、ソースに漬けっぱなしだからお肉が固くなってしまっていますわね。まあ、缶詰の限界でしょうか」
「……デザートまでついてるたあ豪気だね! うん、このオレンジちょっと酸味がきついのがまた何ともいい!」
「あ、この白桃のシロップ漬けはなかなかいいですね。生のフレッシュな爽やかさは無いですけれど、くどいまでの甘さが別物のスイーツみたいです」
折り畳みの円卓と椅子を出して持参の缶詰で食事をしていたレイチェルは、無言で見つめる牢番と目が合うとニコッと笑った。
「やはり保存食だと味がいまいちになりますね。牢番さんは満足なお食事だったようで羨ましいですわ」
「はっはっは! どうだ、羨ましかったら早い所王子に謝って……て、ドチクショオオオオオッ!」
蹴り上げた机と一緒に飛び散った、金属の盆と食器がガシャンガシャンとけたたましい音を立てて石畳に転がる。ちょっと涙目で牢番は鉄格子の中に叫んだ。
「心にもないことを言うんじゃねえ!」
「あら、牢番さんがせっかく美味しそうに食べていらっしゃるので、話を合わせようと気を使ったつもりだったのですけれど」
「ホントに貴族てヤツは、人の神経逆なでする技術だけはスゲエな!?」
「あ、お昼はメニューなんですか? 牢番さんの献立に合わせて私も取り合わせを考えないとならないんでぇ」
「いいよ! 嫌がらせが効いてねえって口で言えよ!? 嫌がらせに嫌がらせで返す必要はねえんだよっ!」
「まあ、いけませんわ! 貴族たるもの、同じリングで戦いませんと」
「正々堂々に見せかけて、机の下で小突きあう様な陰険な戦いに巻き込むな……」
「それがあなたのお仕事でしょう?」
何を言っても堪えない令嬢に、牢番はちょっと切れ気味に指を突き付ける。
「いいか!? おまえ、このままで済むと思うなよ!?」
「まあ怖い」
「お前の持ち込んだ保存食はそのうち尽きる! そうなってから飢えて頭を下げたって、王子が取り合ってくれると思うなよ!?」
と叫びつつも……牢番の目は牢内にうずたかく積まれた木箱の山に吸い寄せられる。
……これ、何か月分あるんだろう……?
牢番の報告で、食事の見せびらかし作戦は中止された。
「くそっ! くそっ! くぅそぉぉおおおっ!」
美形の王子様が、絶対しちゃいけない醜態を晒して怒り狂う。そんな居たたまれない現場で、取り巻きである騎士団長令息のサイクスと公爵家嫡男のジョージは傍らで息をひそめて眺めていた。ついでに巻き込まれた侍従が数人、壁際で気配を消している。
今のところ、どう見てもレイチェルの方が上手だ。
地団太を踏むエリオット王子だが、ありえない事態の連続に無能でない筈の彼も次の手が思いつかない。牢屋の中でハンガーストライキをされるならともかく、兵糧攻めが効かないほど備蓄食料が有り余っているなんて非常識もいいところ過ぎる。
「レイチェルめ……ひもじいと泣くどころか、むしろ嫌がらせをスパイスに食事を美味しくしてやがる!」
「牢番の報告ですと、メニューを寄せて来るほど余裕があるそうで……」
「水は止められんのか!? さすがに飲み水が自由に使えなければあいつも好き勝手できまい!」
「止めるには上水道の流れる経路を破壊する必要があります。下手にさわれば王宮の半分は水が止まります」
「クソがァァァァアアッ!」
初手からカウンターを食らって発狂しそうな王子様。ちょっと耐久力が弱い。
「どうします?」
サイクスの問いに、エリオットが吐き捨てた。
「もういい、たまの巡回以外は放っておけ! 下手に構うとヤツを楽しませるだけだ!」
王子にしては珍しく考えてるな、とジョージは思ったが……口には出さなかった。そんなジョージへ王子がこめかみに血管を浮かせて向き直る。
「ジョージ、ファーガソン公爵家をお前が押さえられんのか!?」
とばっちりが回ってきて、ジョージは内心首をすくめた。まあ姉がこれだけ王子の神経を逆撫でしているからには予測はしていたけど。
「これからはともかく、運び込まれた物資を今から運び出させる方法はありません。まあ、父が何と言おうと公爵家からこれ以上支援はさせませんが」
「うむ。レイチェルがこれだけの準備をできたのも、公爵家の財力と人数が桁違いだからこそだからな。公爵家をお前が押さえて敵に回ったと知れば、さすがのレイチェルも気力を失うに違いない。確実にやれよ」
「はっ!」
これだけの準備をレイチェルは公爵家本体の力を使わず、自分の手駒だけで行ったなどとは二人の想像の範囲外にある。
おまけにエリオットもジョージも、この時予想もしていなかった。公爵夫妻がすでに、嫡男ジョージの方を見限っていたなどとは。
それから、何日かして。
昼過ぎに牢番が巡回で降りていくと、地下牢の中のレイチェルが珍しく自分から声をかけてきた。
「牢番さん」
「おっ? なんだ。少しは頭が冷えたか」
「頭を冷やすべきは殿下の方だと思いますが」
「……なんだよ?」
全然堪えてない様子のレイチェルを見れば、彼女は甘い香りのする缶詰を開けてスプーンをくわえていた。今デザートを食べていたらしい。
「牢番さんは、三食ここでご飯を食べるんではなかったんですの?」
「ああ、それなら取りやめになった。お前にダメージを与えるどころか、こっちがバカみてえだって話になってな」
「それなんですよ」
レイチェルが可愛らしく困り顔で小首を傾げた。
「一人でご飯を食べるのも味気なくって」
「ほう……図太いわりに、かわいいことを言うじゃねえか」
「やっぱり牢番さんの吠え面を見ながらでないと、勝った実感がしなくてご飯が美味しくないですね」
「やかましいッ! おとなしく本でも読んでろ!」
「そう、それ!」
「うるせえよッ!?」