19.令嬢は弟をかわいがる
ザマアします。一つ目まで長かった……。
ちょっと一部の方には居たたまれないかもしれません。心を抉る部分がありますので警告しておきます。
日差しが一番明るく差し込む、のどかな午後の時間。鉄格子を挟んで内と外にそれぞれ小さなテーブルが置かれ、鏡写しに二人の令嬢が座ってお茶を楽しんでいた。
「引っ越しパーティは大成功だったわ、アレキサンドラ。お膳立てを手伝ってくれてありがとう。凄い助かったわ」
嬉しそうなレイチェルと向かい合うのは、緩やかなウェーブの金髪とサファイヤのような澄んだ蒼の瞳が印象的な少女。彼女はレイチェルの謝辞に口角を吊り上げ、凄みを滲ませた微笑みで応えた。
アレキサンドラ・マウントバッテン侯爵令嬢。レイチェルが素を見せる友人であり、家族同然の付き合いをしている特別な仲間だ。
見た目地味な色合いで清楚な風貌のレイチェルに対し。アレキサンドラは色調が派手なだけではなく、顔つきも自信に溢れた華美な顔つきをしている。ドレスではなくパンツスタイルで剣でも佩いていれば、姐御と呼びたくなるような……レイチェルとはまた違うタイプの美女だ。
「対外的な事なら任せといて、レイチェル。それこそ私のできる事なんてそれぐらいだし」
父が外務の上級官僚のおかげで、アレキサンドラは外国公館の上層部に顔が広い。引っ越しパーティに多数の外国大使が参加したのも、またその後に王子の醜聞が広がらなかったのも彼女の水面下での根回しのおかげだ。
「しかし殿下を叩くのも面白そうね。こんな面白いことになっているなら、もっと早く帰ってくればよかった」
挑戦的な表情でニヤリと笑う様子が実にサマになっている。地下牢の殺風景な石壁が背景になっている事と相まって、まるで冒険物語の女主人公のようだ。
逆にレイチェルは柳眉をハの字にして、困ったように小さく微笑んだ。
「それもいいんだけど、あんまり叩きすぎるとねえ……向こうがストレスをため込んでおかしな爆発をしちゃっても困るのよね」
「なるほどねえ……で、どうするの? もう勘弁してあげる?」
そんなことはないと判った上で、アレキサンドラは空々しく尋ねた。一方のレイチェルは親友の質問に、気弱そうな笑みで肩を竦めた。
「うん、仕方ないよねえ……だから、あっちが破裂する前にさっさと潰すわ」
「ホントはのびのび楽しみたかったのにね」
「もったいないけどねー……殿下が理性を飛ばして後先考えない行動に出る前に、再起できないように叩かなくちゃ」
「じゃ、私も頑張って応援するね」
「ふふ、お願い」
二人の乙女は可愛らしく含み笑いをしながら、ティーカップを軽く打ち合わせた。
ジョージ・ファーガソンは馬車から飛び降りるように下車すると、迎えに出た執事にカバンを乱暴に渡して玄関をくぐった。
広い廊下に靴音を派手に立てて自室に向かう。
「くそっ、どいつもこいつも……」
不肖の姉を追い詰める計画は遅々として進まない。
軽い嫌がらせは効かない。派手なのになると危害を加えることになって正当性が怪しくなる。姉の神経を参らせて、なおかつ第三者からやり過ぎと判断されないボーダーラインを探さなくてはならない……そんなものが存在するのか、どうにも自信がないけど。
おまけに王宮の廷臣どもは関わり合いを恐れて弱腰だ。
裁定を王が下すまで無関係でいたいらしく、姉の周りに手を付けるのをなんだかんだと言って協力しない。せいぜい騎士団に牢の周りでスパイの侵入を警戒させるぐらいだ……しかも、姉は外部と連絡しないと不可能なパーティまで開いていると言うのに、警備は未だにネズミ一匹捕まえてこない。
公爵家からの支援も止めさせようとしているけど、これも効果のほどは判らない。
見た目邸内にそういう動きはないけれど、姉の元に支援物資が行っているのは確実なのだ。表立ってジョージに反対する者はいないけど、面従腹背の気配をひしひしと感じる。
正直に言えば手詰まりだった。ジョージ達の眩しい太陽、マーガレットに仇成す敵がはっきり見えない。
もう今日は寝てしまおうと思いながら、ジョージは自室の扉を開けた。
「!?」
自室に一歩入り、部屋の中を眺めた時のジョージの心象はとても言葉では言い表せないものだった。
ジョージは悲鳴を上げなかった自分を誉めてあげたいと思った。少なくとも、腰を抜かさなかっただけ立派だと思う。
彼の部屋の中ではリビングの机と椅子などを使って、お洒落な書店のように綺麗に本や絵などが飾られていた……ジョージが隠していたはずの物が。
官能小説に、セクシー女優のあられもない姿絵。
人に見せられない方の日記に、書きかけで渡すつもりもないファンレター。
その他にもエトセトラ、エトセトラ……。
ジョージが掃除のメイドに見つからないように、あちこちへうまく隠していた(つもりだった)秘蔵の品々が一堂に会していた。
「な、な、な……」
慌ててかき集めて隠し場所を考える……飾られている以上無駄なのだけれど、持ち主としてそうせざるを得ない。
とにかく人目に触れないように、適当なカバンに詰めてベッドの下にでも一時退避させようとする。
「……くそっ、誰だ……!?」
自分の行動を気に入らない、姉のシンパの使用人の仕業だろう。
こんなことをしでかしそうな者は誰だ? 使用人たちの顔をいちいち思い浮かべながら机の上の本を焦って搔き集める。
と。
本に押さえられていたらしい見慣れぬ封筒が姿を現した。女物の、ピンクの封筒だ。
「……なんだ? 嫌な感じしかしないけど……」
でも、見なければ始まらない。
ジョージは封筒を開けた。中には便箋が一枚きり。
そしてそれを広げ……一瞥して、今度こそ絶叫した。
もう夜になった地下牢の前室。
鉄格子の前で、ジョージは牢に向かって土下座していた。
「姉上、すいませんでしたっ!」
ガタガタ震える弟の様子に、寝ようと思ってベッドを整えていたレイチェルが首を傾げた。
「あらジョージ、どうかなさったの?」
「マーガレットが虐められていたと言う事を姉上のせいと決めつけて、申し訳ありませんでした!」
「まあ。急にそんな事を言うなんて、なにかあったのかしら?」
なにを言われようと、ジョージは姉に頭を下げるしかできることが無い。
「……どうか、どうか姉上……手紙にあったことは内密に……」
必死に頼む弟に、レイチェルは何があったのかと尋ねた。
「どうしたの? ジョージったら、公爵家の跡取りが地面に膝をつくものではなくってよ? 手紙の事って言うと……」
レイチェルはいったん言葉を切って、傾げていた頭を逆側に倒した。
「五歳の九月におねしょしたパンツを私が洗ってあげた事? それとも七歳の二月に花火に怯えて立ったままお漏らしした事? でも、そんなの小さなころの“微笑ましい”エピソードよね」
レイチェルは怯える弟を見つめながらニコッと笑った。
「そういう小さい頃の事でないとすると……十三歳の五月に性に目覚めて姉のクローゼットで人目に付かないようにドレスを撫でまわしていた事? それとも十五歳の六月に誰もいないのを確認してから私のベッドに寝転んでシーツの臭いを嗅いでいた事? でないとすると……十六歳の七月、つまり去年にランドリーへ出す前の私の下着を盗んで宝物にしていた事?」
「すいませんでした! 姉上、すいませんでした! すいません、すいませんっ!」
怯えるジョージはとにかく謝り倒すしか、できることが無い。
ジョージが見つけたピンクの封筒。
そこには、ジョージの他人に知られたら生きていけないエピソードが断片的にいくつか列記してあった。
書いたのは間違いなく姉。見覚えのある綺麗な筆記体が淡々と、一つだって周囲に漏れれば身の破滅の出来事を年表のようにそっけなく書いてあった。
誰もいないのを確認してからの筈の出来事。
もはや自分自身でさえも、言われるまで覚えていなかった出来事。
姉どころか自分付きの使用人でさえ見ていなかったはずの事が、赤裸々に事務的に並べられている。
そしてそれだけ覚えているならば……。
ジョージだって記憶にある、書いてある内容の“間に入る”出来事を知らない筈がない。
つまり、ピンクの封筒の手紙は、ジョージの黒歴史の全部じゃない。
震えるジョージの様子に戸惑ったように、あくまで清純派を装った姉が困った様子を見せた。
「あらあらジョージ、そんなにおびえなくても。姉はただ、いつ殿下に処刑されるかわからないから取り留めない思い出をお手紙に出しただけなのですよ? “懐かしい”、”微笑ましい”思い出が色々あったなあと思いまして……その辺りをちょっと弟と分かち合おうかと思っただけですのに」
そしてとても華麗に……口元だけ優雅に、家庭内絶対強者はニタァッと笑った。
「ジョージももうお年頃ですもの。素敵なマーガレットさんと恋仲になったら、姉との細かい思い出なんて忘れてしまうでしょう。姉も獄中でいつ果てるかわからない身、もう独り立ちした立派な弟に、ちょっとでも覚えていてもらえれば……たとえこの身が露と消えても、貴方の心の中で姉は生き続けられますから」
「そ、それは……!」
この姉が絶対に、エリオットごときに黙って処刑される筈はない。それは判ってるけど、今この場で指摘できるほどジョージは己の立場が分からない馬鹿ではなかった。
とても処刑を心配していると思えない素敵な笑顔で、魅惑のお姉様は微笑んで見せる。
「あ、でもジョージはマーガレットさんに夢中で姉の事なんて覚えているスペースは無いですよね? では、私の覚えている限りのことを書いたこの冊子を……そうね、お父様かお母様にお渡ししておこうかしら? お二人の結婚式の時にでも、成長記録の一環でエピソードを幾つか紹介してもらうのはどうかしらね? そうすれば草葉の陰から姉も、良い事をしたと安心してジョージの行く末を見守れます」
「お願いします姉上! どうか、どうかそこにある事は父上や母上には言わないで下さい!」
「姉上ぇ? 昔はジョージも、“お姉ちゃま”と呼んでくれてかわいかったのに……」
「お、お姉さま!」
「サマ?」
「お、お姉ちゃま……どうか、どうか私の恥ずかしい事を父上や母上には言わないで下さい!」
「えー? でも、先の無い姉にはジョージをこれ以上見守ることはできませんし……」
「殿下が間違っても姉う……お姉ちゃまを手にかけることが無いように、私が間に入ります!」
「でも、ジョージも私がマーガレットさんに色々……良く知らないけど、酷いことをしたと信じてるんでしょう?」
「いえ、絶対そんな事はありません!」
姉のわざとらしい問いかけを、ジョージは必死に否定する。
マーガレットの持ち物が壊されたり、階段から突き落とされたり。
つい半日前までジョージも姉の仕業と信じて疑わなかったけれど、今は違うと言い切れる。
……ジョージをいたぶるだけで牢内からこれだけのことをできる人が、恋敵を虐めるのにあんな生ぬるい事をするはずがない。
というか、ホントに恋敵だったら虐める程度で済むはずがない。
そして姉が本気になったのなら……マーガレットは今頃姿かたちもない筈だ。
「お姉ちゃまはマーガレットに手を出していないと信じてます! 誓約書も書きます! ……だから、だから姉う……お姉ちゃま、そこに書いてあることを父や母に渡すのだけはやめてください! お願いします!」
「あら、そう? ……教えないのは、お父様やお母様だけでいいの?」
「は、はい!」
「ホントに? 他には誰かいない?」
「え……?」
姉が変な念押しをしてきてジョージは戸惑った。
黙っていてくれそうな雰囲気はありがたいけど……その他って?
姉の事だから、“面白そう”で引っ掻き回すかもしれない。
「で、では……メイド長にも……」
「他には?」
「え? えーと……殿下やマーガレットにも……」
「他には?」
「え? ほ、他に……? では、サイクスとか他の仲間も……」
「そうですか」
ホッとするジョージの前でレイチェルが鉄格子に近寄り、全然別の方向へ格子の間からノートを外へ突き出した。
「わかりました。ジョージの意思を尊重しましょう」
「あ、ありがとうございま……」
「じつはもうこの場で聞かせてしまっていたので、今さらダメと言われてもどうしようかと思いました」
「はっ?」
姉のおかしなセリフに首を傾げる暇もなく……ジョージの後ろからコツコツと靴音がした。
「えっ!?」
石段脇の暗がりから。
豪奢な見た目の少女が姿を現した。
タイプは違うけど姉に匹敵できるだけの美しさを持つ女王然とした少女は、微笑みながら牢に近寄ってレイチェルからノートを受け取った。
ジョージは驚愕と恐怖で声も出ない。
「あ、あ、あ、あ……」
腰を抜かしたジョージに向かって、相変わらず不敵な笑みを浮かべたままの少女が典雅な淑女の礼をした。
「お久しぶりでございますわ、ジョージ様。私が父の諸国歴訪に同行して以来ですので、一年ちょっとぶりでございますか……」
表情は淑女らしく……ただし目元だけ猛禽類のそれを浮かべた美少女が満面の笑みを浮かべた。
「幼馴染なのに一年離れただけで存在も忘れられた、不肖の許嫁、寝取られ女のアレキサンドラ・マウントバッテンですわ。お久しゅう……というよりお見知りおきくださいませ、でしょうかね? それともお初にお目にかかります?」
「ひ……ひぃぃぃ!?」
「まあジョージ様。いくらどうでもいい女でも、レディに暗がりで化け物に会ったかのような反応は傷つきますわ……そう言えば、ここも暗がりでしたわねえ?」
素敵な婚約者同士の再会に、レイチェルも微笑んだ。
「ジョージのいろいろな“懐かしい思い出”は、やはり生涯を共にする伴侶が持つのが良いでしょう。アレキサンドラ、ジョージをお願いしますね?」
「はい、お義姉さま」
「ジョージも、アレキサンドラの言う事をよく聞くんですわよ」
「ひぃぃぃ!?」
「なにか返事が気になりますが……久しぶりの婚約者の再会ですもの、姉は引っ込みますから後はお二人で。積もる話もありますわよね。例えば……教育的指導とか」
レイチェルは鉄格子の外から響く悲鳴や罵声や詫びる涙声やを無視して、お茶を入れて楽しそうにすすった。
「さて、と……翼はもう片方ももぎ取りませんと、バランスが悪いですよね」




