17.侍女は招かれざる客に応対する
「さて、どうしましょうか……?」
ソフィアは布団をかぶったまま呟いた。
レイチェルと交替して地下牢に入ったソフィアは、昨夜は遠慮なくお嬢様のベッドを使わせてもらった。仮住まいの簡易ベッドとはいえ公爵令嬢が満足するよう設計・製造された逸品だ。
掛け敷き布団は広げておけば寝ていた間に含んだ汗など水分を自然に放出してくれる高級ダウン。
プライベートに配慮して天蓋や紗のカーテンもついており、床からマット底面までを広くとって湿気を放出しやすくした牢屋での使用に優しい親切設計。はっきり言ってソフィアたちが普段寝ている上級使用人個室の備え付けより、このベッドは遥かに快適睡眠を約束してくれる。
つまり何が言いたいかというと。
お嬢様に近侍して十一年。
ソフィアは初めて寝坊しました。
てへっ、と言ってみるけど……口に出すとバカっぽいわね、これ。
まあ何もなければ、ただのんびりレイチェルの振りをしてダラダラ時間を潰すだけだったので問題ない筈でした。
レイチェルが持ち込んだ本は大量にあるし、お茶葉もクッキーも補充したばっかりだし。稀な来客に神経を使う以外は休暇みたいな二日間……の筈だったのでした。
その筈だったのに。
寝坊して熟睡している間に、エリオット王子たちが来てしまうとは。
エリオットたちが来てから目が覚めたというより、エリオットたちに叩き起こされ……ソフィアは途方に暮れていた。
(念のためにカーテンを降ろしてあったから良いものの……化粧を落として寝てしまったのは失策でした……)
シルエットはかなり似ているレイチェルとソフィアではあるけれど、さすがに明るい所で至近距離で間違われるほど顔が似ているわけではない。
だから“お嬢様に似て見える一見ナチュラルメイク”を開発したのだけれど……そもそもメイクする前に来られてしまっては役に立つはずもない。
直接見られるわけにいかないので、ベッドを出ずになんとかこの状態で追い返さなければならない。
カーテン越しに透けて見えるシルエットが偉そうにほざく。
「なんだレイチェルめ、姿も見せんとは今日は一段と態度が悪いな」
お前のせいだボンクラ王子め。ハゲろ。
ソフィアは内心悪態をついたけど、王子の悪口を言いいまくる前にやらねばならない事がある。
この状況を何とかしなくてはならない。
いつもと違うと思われては、影武者を置いた意味が無くなる。
「乙女の寝室に押し入ってきて大した言い草ですね。おハゲになったらいかがですか?」
お嬢様に日夜ついているのだ。素が出ている時の喋り方も完璧だ。
悪意と嘲弄が余裕に乗っかったニュアンスで、ソフィアの喉からレイチェルの声が転がり出てくる。うん、完璧。
半分透けて見えるカーテンの向こうで、なんとなく王子に見える物体が身じろぎした。
「な、なんだ……? 今日はえらい直接的だな?」
戸惑った様子を見るに、ちょっとお嬢様と違ったようだ。まずい、修正しなくては。
「私は今機嫌が悪いのです。朝からいきなり叩き起こされて、気が立っているのです」
「朝って……もう午後もいい時間だぞ? 貴様何時から寝てるんだ」
しまった。こっちが社会常識を疑われる発言になってしまった。
「私が寝た時間から逆算すれば、今は朝です」
「貴様、とうとう世界の基準が自分になったか……?」
余計にこじらせた人間になってしまった。どうしよう。
カーテンの向こうで王子? が首を振る。
「ええい、そんな事は今どうでもいい! レイチェル、貴様この間はよくも何も知らぬマーガレットを騙してくれたな!?」
「……マーガレット?」
聞いた気がする名前だけど、焦ったソフィアの頭では名前と顔が一致しない。確かに最近王子関係で見る名前なんだけど……誰だったでしょうか?
思わず呟いたソフィアの声が聞こえていたらしい。王子らしい人影が目に見えて怒り始める。
「貴様……俺やマーガレットをあんな目に合わせておいて、なんだその心当たりがないみたいな言い方は!? あの腐った缶詰をまともに浴びたおかげで、ジョージやマーガレットはまだ寝込んでいるんだぞ!? 俺も昨日やっと起きて来たんだ! 弟やか弱いマーガレットをあんな目に合わせて、貴様は良心が傷まないのか!?」
あんな目……腐った缶詰……缶詰? ……あっ!
「ああ、サンド・バッグさん!」
「はっ!?」
「思い出しました! やだなあ殿下、本名で言ってくれないと誰かわからないじゃないですか」
「え? いや……俺、サンド・バッグなんてヤツ知らない……」
「自分の彼女の名前でしょう? 忘れちゃダメですよ。これだから殿下は」
「彼女……? ……って、マーガレットの事か!? 本名がマーガレットだ! サンド・バッグってなんだよ!?」
そう言えばそうだった。どうでもいい情報なので間違えていました。
ソフィアとしては和やかに話してやったつもりだったのに、どこか気に障る所があったらしい。王子がさらに怒り出した。
「ええい、かさねがさね貴様は……!? そもそもレイチェル、人が本気で怒っている時に布団に入って顔も見せんとは何事だ! 出てきて正座せんか!」
「ちっ」
バカ王子が正論を言ってくるとは……かといって、まさかソフィアが出ていくわけにもいかない。向こうの言い分を封じつつ、お嬢様が優位の状態で話を打ち切らないと……。
「舌打ちしたな!? 貴様、一国の王子に向かって、なんだその態度は!」
「……」
ソフィアは沈黙で応じる。こうした方がこの後に繋げられる。
「聞いているのかレイチェル! 俺が怒っているのだ、さっさと出て来い!」
予想通り激昂した王子が重ねて命じてくる……けど、怒った勢いで鉄格子を揺すってくるのはどうかと思います。お嬢様に聞いていたけど、ホントにサルみたいだわ。
ソフィアは布団を抱き寄せたまま上半身を起こした。向こうからはソフィアの身体が布団に隠れているのだけは判るだろう。
「……殿下」
「なんだ!?」
「ホントに女ごころが判らない方ですのね……」
「……なんだと!?」
ソフィアがわざとらしくため息をついて思わせぶりに言うと、怒りつつも気になるらしく……エリオットがおとなしくなる。
そこへお嬢様を真似て……甘い毒を流してやる。
「殿下がそこにおられて、ベッドを降りられる訳がないじゃないですか……私、寝る時はなにも身につけませんの……」
「!!」
エリオットが……いや、牢屋の前全体が震撼した。この部屋の騒めきぶりからすると、王子の後ろに空気みたいに取り巻きが控えていたらしい。
「で、殿下……!?」
「う、うろたえるな!? レ、レイチェルの策略かもしれんぞ……」
策略というのはあっているけど、残念、お嬢様ではない。
妙にかしこまって咳払いをしたエリオットが重々しい口調で確認してくる。
「はっはっは、私は騙されんぞレイチェル。そんな事はあるまい。な?」
平静を装っているけど、動転して一人称まで変わってますよ、殿下。
だから、さらに追加を投入してやる。
「あら、御存じないんですの殿下? 我が国の貴族女性ならば、一般的な習慣ですのよ?」
「!!」
もう隠しようもなくパニックになる、エリオットと愉快な仲間たち。
「で、殿下!? てことは、あの子もその子も……!?」
「ままままま待て、おおおおおお落ち着けけけけけけけ!」
「しししししし、しかし! 僕ら、こんなマル秘情報知ってしまったららららら……もう、もう宮廷で顔を上げられません!」
「いや待て落ち着け! 我らにやましいことは無いのだ、平常心で行こう! 平常心、OK? いいか、そこらのご令嬢を見ても想像してはいかんぞ!? いいな!?」
彼らのあまりに初心な反応に、コイツら意外と遊んでないなあ、などと思いながらソフィアは最後のトドメを刺した。
「まあ殿下、御疑いですか?」
「え? いや、別にそんな事も無いけどお!?」
「私の言う事が信用できないようでしたら、“マーガレット”様に“確認”されてはいかがですか?」
ソフィアが言い切る前に、無言の暴風が吹き荒れた。
彼らは言葉の持つセクシャルなイメージに吹き飛ばされ、思わず想像したヤツを他の者が叩き、だけどソイツも連想してしまい……エリオッツは言葉一つで空中分解し、彼らは停まらない妄想で悶絶し、みずから戦闘不能に陥った。
彼らが自らの妄想力に打ちのめされ、放心状態になったのを確認したソフィアが柔らかくエリオットを促した。
「あの、殿下? お話を伺う前に、私、服を着たいのですが……」
「あ? ああ、ああわかった! うむ、我らは外に出ているから終わったら呼ぶがよい!」
やましくないとか言いながら、想像しただけで後ろめたくなっている王子様。
壊れた首振り人形みたいにぶんぶんと頭を振ると、後ろの取り巻きたちを追い立てて自らも出ていく。
「換気窓から覗いても駄目ですよ~?」
「わかっている! わかっているぞ!?」
バタバタと石段を登っていく音が消えると、ソフィアはホッと息を吐いた。
「あー、緊張しました……なんとかバレずに済んでよかった」
当然ソフィアは寝巻を着ています。だって使用人だもの。
そしてお嬢様の朝の着替えは無数に手伝ってきましたが、裸だったことは一度も無いですね。と心の中で言ってみる。
うん、そんな習慣自体が我が国の貴族社会に無いし。
そしてソフィアはせっかく王子たちが着替えの為に出て行ってくれたので……二度寝した。
もちろんエリオットたちを呼び戻すつもりは毛頭ない。
翌日帰って来たレイチェルは楽しかったらしく、つやつやした顔をしていた。
「宿屋を取って良かったわ。積もる話をいつまでもお喋りできたの。家だとばあやにベッドへ放り込まれるもの」
「それはようございました」
「屋台で串焼きを買い込んで、ルームサービスでエールを持って来させて乾杯したの。あんな夕食初めて……楽しかったわ」
「お二人とも貴族として、それどうなんでしょう?」
今日は物資の搬入は無いので、レイチェルとソフィアは情報の申し送りという名のお茶会をしている。もちろん他の者に警戒させながらなので、ササっと手早く済ませるけれども。
「だけどソフィア、もうちょっと穏当に収められなかったの?」
「そうですか? 王子と喧嘩にもならず、静かに退散させられたと思ったのですが」
「それはそうだけど……私が裸で寝ているって殿下たちが思い込んじゃったじゃない。他人に喋られたら、ちょっとしたスキャンダルよ」
「ああ、それでしたら」
ポットを持ったソフィアが、普段に似合わぬイイ笑顔で答えた。
「醜聞が出るのは私じゃないので、いいにしました」
「貴方のその全方位に冷たいところ、嫌いじゃないわよ」
「あ~……久しぶりの外泊も街歩きも楽しかったけど……」
ややぬるくなったお茶をくーっと一息に飲み干したレイチェルは、満足したようにリクライニングチェアで大きく伸びをした。
「やっぱりくつろげる我が家が一番ね!」
「えっ!? ……お嬢様、ホントに?」




