15.令嬢は少女と親交を深める
マーガレットが牢の入口まで来てみると、牢番はおらず監視は無かった。
「牢番さーん? 牢番さーん!」
呼んでもいない。
人が行き来する通路まで出て警備兵に確認したら、王宮の牢にはレイチェル一人しか入っていないので牢番がパートタイムとわかった。たまの巡回の時しか牢にはいないらしい。
「そうなんですかぁ」
教えてくれた衛兵に丁寧に礼を言い、マーガレットは牢まで戻った。
「んー、鍵はついてないですねえ」
特に鍵もついていない鉄扉をよっこいせと押し開きながら、マーガレットは幸先のいい成り行きに思わずほくそ笑んだ。
「あの間抜けな牢番も気が利くわね! ノーチェックでクソ女に嫌がらせし放題じゃない」
先日の初訪問でまさかの速攻を食らい、同席した牢番にはうっかり取り乱して地を見られてしまったけど……特に噂にもならないので、言いふらしはしなかったようだ。
「でもまあ、度重なれば牢を見に来たエリオット様やサイクスに喋るかもしれないし。いないに越したことは無いわよねえ」
ウキウキしながら地下牢へ降りる。
根性の女マーガレット、やられたらきっちりやり返します。
また執筆で夜更かしして寝坊したレイチェルは、ちょうどブランチでポテトのポタージュとビスケット、フルーツカクテルを賞味し終えた所だった。
階段を降りて来る来客がいるので牢番さんかと思ったら、先日一度来てくれたサンド・バッグさんだった。ずっと会いたいと思っていたので、訪ねて来てくれてとても嬉しい。
「まあ、いらっしゃいませミス・バッグ。いらして下さるのをお待ちしておりました!」
「はっ!? 歓迎されるのはいいけど……バッグって、誰?」
赤毛の少女は訝し気に眉をひそめ、一応他にも人がいるのか後ろを確認する。
まるで他人と間違えられたみたいな言動に、レイチェルもおかしいなと首を傾げた。
「え? 貴方ですよ、サンド・バッグさん」
「はぁっ!? 私のこと!? なんなの、その名前は!」
「え? だから貴方ですよ。世界一の殴られ系ボディの持ち主にして“美人過ぎるサンドバッグ”の呼び声も高いサンド・バッグさんでしょう?」
「あんたの妄想の中であたしどうなってんの!? 牢屋に閉じ込められて現実と空想の境が判んなくなったの!? 美人過ぎるサンドバッグっていったいどういう代物よ!?」
怒鳴りまくった可愛らしいツインテールの少女は、怒りの形相もものすごくレイチェルに向かってビシッと指さした。
「ちゃんと覚えなさいよ! 私はマーガレット・ポワソン、ポワソン男爵家の長女よ! あたしに嫌がらせを続けてエリオット様の寵愛を失ったあんたに代わり、次の王妃になる女よ! どう? わかった? 自分の立場を理解した? 悔しかったら喚いていいのよ? 吠え面かいてわんわん泣いて見せなさいよ!」
今のところどう見ても、自分が吠え面かいて喚いて見えるマーガレットさん。
レイチェルは瞳を閉じて、ふむと考えた。
ちょっと考えると目を開けて、憤る赤毛の少女ににっこり笑う。
「まあ、そんなどうでもいい事はいったん置いといて。とりあえず一発殴らせて下さる?」
「どうでもよくないわよ!? あたしの名前よ!? 王子様との婚約よ!?」
地団駄踏む令嬢に、どう説明しようかとレイチェルは迷い……ストレートに告げた。
「特に興味はないので」
「興味持てよ、このクソ貴族がよ!? だから育ちのいい奴は嫌いなのよ!」
「そんな事より、あなたの平手映えがするムッチリもち肌に興味津々なの! 顎に一発当てたらすごい勢いで回りそうな細い首とか、フックを食らわせたら音が鳴りそうな鳩尾とか、もう私は貴方にすっごい興味があるわ!」
「だったら名前ぐらい覚えろやぁ!?」
頭に血が上ってレイチェルに詰め寄ろうとしたマーガレットが一歩踏み出し……次の瞬間横へ跳ね飛んだ。ギリッギリの一瞬差で、マーガレットの足があった所に投げてあった投げ縄が牢の中へ引っ張られる。
「チッ!」
「あぶなっ!? この野郎、サラッと罠仕掛けてやがる!」
「もうちょっとで捕まえられたのに……意外に勘がいいわね」
囚人が外の人間を捕まえようとする矛盾。
すっ転んだマーガレットがゆっくりと立ち上がり、膝のほこりを払った。
「ふ、ふふふふふ……そうね。あたしはあんたを甘く見ていたようね……おバカなサド女と見せかけて、あたしを捕まえて人質にするのを狙っていたってわけね?」
「いえ、そもそも叩いたりイイ声で啼かせてみたいので捕まえたいんですが」
無言の二人の間を、換気窓から吹き込んだつむじ風が通り過ぎて行った。
黙っていたマーガレットが肩を竦めてニヒルに笑う。
「……といいつつあたしを人質にして、交換条件にエリオット様に釈放や再婚約を要求するつもりなんでしょ? わかっているんだから」
「いえ、牢には好きで入ってますし殿下と再婚約なんて悪夢もいい所なので希望しません。でも……そうですね、貴方を解放する交換条件なら、貴方の身柄を要求しましょうか」
「は? え?」
「ですから。貴方も牢に入れてもらって私の好きにしていいんなら、捕まえた貴方を開放しようと言っているんです」
「……ちょっと待って。あんたの理屈が判らない」
頭を悩ませるマーガレットを前に、レイチェルが鉄格子の中でため息をつく。
「まあ、そもそも捕獲に失敗したので交渉ができないんですが」
「……だよねぇ! そうよ、そもそもあたしは捕まってないんじゃない! あー、焦ったぁ!」
とホッとするマーガレットが次の瞬間飛び込み前転で宙を飛び、石畳をゴロゴロ転がった。マーガレットが消えた空間で投げ縄が虚しく宙を掴む。
「チッ!」
「ああああんた! いい加減にしなさいよ!?」
レイチェルが、そう言えばとつぶやいた。
「サンドバッグさんは何か用があったのでは? 私も色々忙しい身なんで、そんなに付き合ってられないんですけど」
「あんたのせいで全部吹っ飛んだのよ! 言う暇なかったのよ!? ……だいたいあんた、牢屋の中で忙しいって何!? シラミつぶし? ネズミ捕り? 公爵家のお嬢様が虫やネズミに悩まされるとか……ハハハ、笑っちゃうわね! あたしもさんざん苦しんだのよ、イイとこのお嬢ちゃんがいい気味だわ!」
元平民、というか貧民出身で男爵家に庶子として拾われたマーガレットは、遥か高みにいる筈の公爵令嬢の零落がおかしくてたまらない。腹を抱えて爆笑していると、レイチェルがキョトンとしている。
「え? 別にここには虫もネズミも出ませんけど?」
「は?」
「というか、持参した荷物の中に除虫香があるから出ないだけなのかしら」
「……出ないの? こんな所で?」
レイチェルが凄い可哀想なものを見る目でマーガレットを眺めた。
「ポワソン男爵家は……お出でになるのね?」
「そんな目で見るなぁぁぁ! 昔の話よ!? 今のおうちじゃないの! 今はたまにしか出ないんだから!」
錯乱したように喚いたマーガレットが、ハッと重要な事に気が付いた。
「……あんた! あたしの家名覚えてんじゃない!? ふざけやがってぇ!」
「さすがに聞いたばっかりですしね」
レイチェルは悪びれず、誠実そうに微笑んだ。
「でもね、別に悪気はないんです。ほら、親しい友人はあだ名で呼びたくなるじゃないですか……」
「あんた……」
マーガレットは腰をかがめるとそこにあった牢番用の椅子を拾い……力いっぱいレイチェルに向かって投げつけた。当然鉄格子に阻まれて落ちるけど。
ポワソン男爵令嬢は天を仰いで絶叫する。
「悪気が無くってサンドバッグなんてあだ名をつけるかぁぁぁッ!!」
「まあ! 私の誠意が通じなくって残念ですわ……」
「あんた一回脳みそ洗って、破れている所を医者に繕ってもらえ!」
「斬新なご意見、いたみ入りますわ。前向きに検討のうえ、善処させていただきます」
「治す気全くないのね!?」
理性が振り切れる寸前で、カバンの重さにマーガレットは自分の目的を思い出した。
「そうだったわ! あんたのせいで、わざわざこんな所まで何しに来たんだったか忘れる所だったじゃない」
かわいい顔をニタリと歪め、マーガレットは担いできたカバンを下ろした。
「うふふふふ、今日はね……地下牢で寂しくひどい食生活をしているレイチェルさんへ、い~い物を差し入れに来たの」
マーガレットはカバンから出したタオルへミントの香り袋を挟み、顔の下半分を覆った。くぐもった声でレイチェルに笑いかける。
「エリオット様にお金をもらってね、市場で新鮮な果物を仕入れてきたのよ。とっても栄養価が高くって健康にいいんだって」
マスクに続いて分厚い手袋を装着し、カバンの中から厳重に密封された楕円形の物体を取り出す。
「特に熟したのを選んでもらったの。日の当たらない地下牢で保存食しか食べてないあんたの体にはきっと効くわよ~」
マーガレットが小刀で包装を切り裂き、中身を取り出した。強烈な腐敗臭が部屋一帯に素早く広がる。匂いに続いて、黄灰色の棘だらけの物体が現れた。
「南国の果物で、ドリアンって言うんだって。ちょーっと匂いが強いけど、強い香りは熟している証拠だから。うふふ、新鮮な果物をた~っぷり味わってね?」
マーガレットは持って来たドリアンを、レイチェルには手が届かない牢番の机に置いた。
「そのままだと固い殻に包まれているから、牢番さんに割ってもらってね? それまでどこか行かないように、ここに置いておくから」
そういうとマーガレットは、マスクの下でニヤニヤと嫌味な笑いを浮かべてレイチェルを見た。
エリオット様は屈服させようとするから、手ぬるい事をしてうまくいかないのだ。
とにかく徹底的な嫌がらせ。レイチェルが謝るかどうかなんて関係ない。
この女が苦しめばそれでいい。何も考えずに叩けば、結果的に降参するかもしれない。
そう考えながら目をやった公爵令嬢は、平然とドリアンを見ていた。
「うわー、懐かしいなあ。昔、海外視察に出た時に見ましたね」
興味深そうに腐臭のする果物を眺める様子に、怯む様子は見当たらない。
「……あんた、この臭い平気なの?」
「タマネギとか腐るとこういう臭いしますよね。まあ、現地の人はこれが良いそうですけど」
「……」
レイチェル、まさかの耐性有り。
悔しさのあまりマスクの下で歯ぎしりするマーガレットの前で、レイチェルが牢の奥の方で木箱を開けてゴソゴソと何かを探し始めた。
「えーっと、確かこの辺りに……あったあった」
レイチェルは大きめの缶詰を持って戻って来た。
「ポワソン様、お礼にこちらを差し上げます」
「ん? 何これ?」
レイチェルが差し出した缶詰は外国製の物のようだった。
「以前エリオット殿下と海外へ視察に出た時に、殿下が気に入られていたものです。まあ、缶に入った姿は見ていないかもしれないですけど。ちょうど持っていたんで差し上げますね」
「なんか珍しい物なの?」
「うちの国では滅多に見ないですねえ」
「へーえ……」
ものすごい貴重な物らしい。しかも国内では手に入らないエリオット様の好物。
マーガレットはずしりと重いそれを受け取った。
「さっそく開けてみるーっ!」
「喜んでいただけて何よりです」
マーガレットが風のように去って、レイチェルは一人取り残された。
「どこかで見たような気がしたと思いましたが、夜会で殿下に張り付いていたコバンザメのご令嬢でしたか」
エリオットに興味が無い上に婚約破棄は推移しか気にしていなかったため、エリオットの相手が誰かを確認していなかった。今考えればとんでもない凡ミスだ。
正直エリオットが婚約の破棄を宣言、レイチェルを投獄するというストーリーだけが必要だったので……ボンクラ王子以外はモブだったのだ。
「ポワソン男爵家のマーガレット様……二回話した感触ですと、男と女で態度が変わる肉食性女子。興奮するとすぐに素が出てしまう単純な所がありますね。ターゲットにもらった物を真に受けて持ち帰るなど、考えが浅い所も」
レイチェルは顎に手を当て、ウンウンと頷き……。
「総括すると、肉食系アホの子ですわね」
暗くなり始めた牢の中でレイチェルが一人で考えていると、灯りが揺れて牢番がやって来た。
「なんだ!? おい嬢ちゃん、起きてるか? このヒデエ臭いはなんだよ!?」
お馴染みの口調の牢番に、レイチェルはちょっと笑って愁眉を開く。
「さきほど面会にいらっしゃったご令嬢がお土産に持ってきてくださったんですけど、腐っていたみたいで……」
近くまで来た牢番は、自分の当直机に問題のブツが置いてあるのを見て凄く嫌な顔をした。
「コイツはひでえ臭いだ……持ってくる前に気が付かなかったのかよ!? 誰だ、そんな間抜け野郎は」
「先日来て下さったサンドバッグさんです」
「ああ、あいつか……」
妙に納得した顔の牢番は、腐っている(と思っている)ドリアンをボロ布で包んで持って出て行った。
彼を見送ったレイチェルはできるだけ大きな板を探し、換気の為に一生懸命扇ぐ。
次期王妃として厳しい教育を受けていたレイチェル。ポーカーフェイスの出来は一級品である。
執務室で側近とお茶をしていたエリオット王子の所へ、大きな缶詰を抱えたマーガレット嬢がやって来た。
「エリオット様、これもらったんです。開けてみませんか!?」
「マーガレット! ん? それなんだい?」
最愛の少女の来訪に笑顔で立ち上がったエリオットは、彼女が抱えている珍品に目を止めた。
「エリオット様が外遊の時にお気に召していたって言ってました!」
「外国で食べた物か? うーん、なんだろう……」
何度か視察に出たことはあるけど、そんなに気にいるほど印象に残った食べ物はあっただろうか?
缶詰を手に取ったジョージがラベルを読んでみる。
「えーと……シュール・ストレミング? ストローミング? 絵を見る限り魚料理みたいだけど……」
説明書きはさっぱりわからない。ジョージから受け取ったサイクスがパンパンに膨れ上がった表面を軽く叩いた。
「缶詰ってのは見たことあるけど、こんなに膨れ上がるものもあるんだな」
彼らに発酵の知識はない。
「殿下、どんな料理ですか?」
「それが、さっぱり覚えていない……そもそも缶詰などまじまじ見るのはこれが初めてだ。どんなものだろう?」
首をひねるエリオットとジョージをサイクスが笑い飛ばす。
「そんなの開けてみればわかるじゃないか。これなら俺のナイフで蓋を切れそうだ」
「そうか。よし、開けてみてくれ」
エリオットとマーガレット、ジョージがのぞき込む中で、左手で缶を押さえたサイクスが右手で大きくナイフを振りかぶった。
ふと気になったエリオットが、横でウキウキと缶を見つめるマーガレットに尋ねた。
「これは誰にもらったんだ?」
「レイチェルさんです」
「サイクスッ! 待……」
エリオットが制止の叫びを上げかけるのと同時に、サイクスのナイフが缶詰に深く突き刺さった。