11.王子は議論に振り回される
「数日ぶりに様子を見に来たら……おい、レイチェル、これはどういうことだ!?」
もうお馴染みになったエリオット王子の怒声に、アイマスクをめくりながらレイチェルがちらりと見た。
「もう殿下……女性の寝室に来て怒鳴り散らすなんて、お里が知れますわよ?」
「俺はこの国の王子で、出身を隠すような田舎者ではないわ! だいたい貴様はここが寝室と主張するが、ならば居間はどこにあるというのだ!?」
「じゃあ牢を二部屋構造にして下さい」
レイチェルとやり合う王子の肩をジョージがつついた。
「殿下、議論がすり替わってます」
「そうだった……レイチェル、俺が訊きたいのはそこじゃない! この牢の中身はどうなっていると言っているんだ!」
「えー……前から一緒じゃないですか。もういいにして下さい。私眠いんですよ」
「全っ然同じじゃない! 貴様、牢を開けて出入りしているだろう!」
「私は出てませんよう」
眠そうに言いながら、レイチェルはアイマスクを付けなおして首まで羽毛布団に潜り込んだ。
牢の中では大量の木箱が乱雑に積み重なって山になっていたのが、綺麗に積み直されてスペースが改善されている。それはいい。レイチェルが暇にあかせて片付け直したのかもしれない。
だが。
「貴様、この間までクッションで寝ていたよな!? その天蓋付きのベッドはどこから出てきた!?」
「ん~……前からありましたよお」
「じゃあ起毛の絨毯とフットマン付きのリクライニングソファは!? 煮炊きもできる豆炭ストーブは!? なにより窓際のライティングデスクはそもそも扉から入るサイズじゃないだろう!? どうやって持ち込んだ!?」
「んん~……うるさいなあ……元からありましたってば」
「嘘つくんじゃないっ!!」
よほど眠いのかマスクの上から目をこするレイチェルが、ベッドの外にぶら下がる紐を引いた。シャーっと滑車が走る音がして、鉄格子の内側にスルスルと緞帳が下がる。
緞帳には一言大書されていた。
《営業時間外》
「……ええー…………」
エリオットの執務室に十人近い少年たちが集まっていた。
サイクスやジョージみたいな有力貴族の子弟が揃った彼らは、エリオットの取り巻き兼マーガレット嬢親衛隊だ。いつもサイクスやジョージばかり発言しているけれど、実は金魚の糞よろしく毎日何人かはエリオットについて廻っている。それが今日は用事の有る無し関係なく全員召集された。
イベントでもなければ全員集合は珍しいけれど、なにしろ今起きている事態は舞踏会どころじゃない。
上座でエリオットが苦虫を噛み潰したような顔で宣言した。
「断罪した筈のレイチェル・ファーガソンがやりたい放題だ。前より酷い。なんとかやり込める手段はないか、議論したい」
堂々と情けない事を言う王子様にツッコめる常識人はここにいない。
エリオットが厳しい顔で腹心を振り返った。
「そもそもジョージ。お前が公爵家を押さえると断言した筈ではなかったか!? あの牢内の有り様は何だ!」
「そ、それが……我が家の内部で、あのような準備をしていた様子が無かったのです、殿下。家の者も特に仕事ぶりのおかしい者はおりませんでしたし」
机の上の秀才は、街に拠点を持っているという発想が出てこない。
「牢番はなんて言っているんだ? アイツ職務怠慢だろう」
今日は同行していなかったサイクスがジョージに質問した。
「それがな……あの男は他にも仕事はあるので巡回の時ぐらいしか牢にいない。今日来てみたら室内が模様替えされていて驚いたそうだ」
「はん、間抜けな奴だ」
牢番も脳筋のコイツにだけは言われたく無いだろう。
「隙をつくのはあの女の得意とする所だからな! ……クソッ、レイチェルめ……!」
エリオットが鬼の形相で机を叩く。
「普通、貴族令嬢が牢屋にぶち込まれて居直るなんて考えられるか!? 二、三日放り込んでおけば泣き叫んで謝ってくると思ったのに……あの黙って従うだけが取り柄のつまらん女が、まさかこう豹変するとは!?」
「確かに変わり過ぎですよねー……」
ほとんどの人間が前のイメージしかない。馬脚を現したとか言うレベルじゃない令嬢の変わり具合に、中には女性不信気味の者もいる。
「俺は虐げられるマーガレットを救うために元凶のアイツを社交界から追放したのに! それがなんで寝ても覚めてもレイチェルレイチェル……今ではアイツが次は何をしでかすのかと思うと夜も寝られん! 四六時中アイツの顔が脳裏にこびりついて離れんのだ!」
幾分職業病っぽくなってきた王子に向かって、したり顔のサイクスがウィンクしながら指を鳴らしてキザなポーズをとる。
「殿下、ソイツは……恋ってヤツですよ」
顔面に花瓶を投げつけられて呻くサイクスをほっておいて、エリオットは手下たちに向き直った。
「なんでもいい、何かヤツをギャフンと言わせる策はないか」
もう今の段階で失敗がきまってそうな王子の言葉に、少年たちは顔を見合わせた。
「煙でいぶしたら?」
「すでにやられた」
「臭い物を持ち込んでやるとか」
「すでにやられた」
「他人を巻き込んで嫌がらせをしてやるとか」
「すでにやられた」
「悪評を広げてやるとか」
「すでにやられた」
エリオットがギロリと少年たちをねめつけた。
「貴様ら……俺を馬鹿にしに来たのか!?」
「いいええっ!? まさか何でもかんでも失敗しているとは思わず……」
めっそうも無いと首を振る彼らは気が付かない。否定の言葉がエリオットに追い打ちをかけているなんて。
そんな彼らを一人の男がたしなめた。
「いいかおまえら、殿下が失敗したんじゃない」
傷心の王子様を守るように横に立ったジョージが、彼らの言葉を否定した。
「向こうにしてやられただけだ」
「いちいち訂正するなっ!」
尻を蹴られたジョージが顔面から床に突っこんで転げまわった。
「しかし、そもそもの話ですが」
伯爵令息が手を上げた。
「ファーガソン様、牢に入ってずいぶん性格が変わったように思います。事前の予測が外れているのも致し方ないのでは?」
「あっ、それは言えてる」
王子の斜め後ろを黙ってついてくるお人形さんみたいな令嬢だったのが、牢内だけとはいえはっちゃけ過ぎなイカレた女になっている。
会議の場が一気に賑やかになった。提案より分析の方が楽だ。
「実は替え玉で、本物はすでに王子に殺されているとか」
「それだったら、なんで今俺たちがこうして会議をしているんだ!?」
「実は影武者で、本物は高飛びしているとか」
「偽者の方がイかれててキャラが濃いってなんだよ……」
話が作戦会議から令嬢の真贋に移りそうになって来た中で。子爵家の跡取り息子が手を上げた。
「本物かどうかは置いといてさ。それより気になるのが……なんていうか、レイチェル嬢がなんだか前より色っぽくなってきてないか?」
「言えてるっ!」
下っ端たちが一斉に頷いた。
「!」
呆れて脱線する会議を見ていたエリオットも、実は前からそんな気がしていた。
髪型も前と変わらず、メイクもほとんどしてないと特に変化はないのに……表情がよく変わり、いつでもラフな室内着を着ているだけでグッと妖艶な雰囲気が増していた。
少年たちが興奮ぎみに話し合う。
「なんというか、ちょっとしたしぐさに色気が滲むというか……」
「そうそう! 表情が豊かになったせいかな? こう、白黒のスケッチ画に色が付いたような華やかさというか……」
思春期男子らしい会話が続く……のだけれど。
「だけどあんなに変わるってことは……よっぽど殿下の婚約者が辛かったのかな」
「ああ……婚約が破棄になった途端に明るくなったもんな……」
「許嫁の縛りが無くなったら活き活きしているよなあ……」
話がまた変な方向へ曲がり始めた。気の毒そうに囁き合い、チラッと眉をひそめて上司を伺う手下たち。
「貴様ら、どっちの味方なんだ!?」
額に血管を浮かべたエリオットが怒鳴り付けると、一同言葉もなく首をすくめる。
「アイツの変身は明るくなったとかいうレベルじゃないだろうが! むしろ蛇のような正体を今まで巧妙に隠していたとみるべきだ」
エリオットが左右を見回した。
「まったく貴様ら、今さらレイチェルの何にたぶらかされているんだ」
「はっ、すいません……」
「アイツが明るくなったとか言うのはどうでもいい! レイチェルを見ていて何か気づいたことは無いのか?」
一番接触しているのはアンタだろ、なんていうツッコミは王子様には入れられない。皆が思い思いに考え込んでいると、侯爵家の令息が手を上げた。
「一つ気になることが」
「なんだ? 言ってみろ!」
「はっ」
少年は皆の顔を確認するように眺めまわした。
「レイチェル嬢……実は結構、スタイルが良くないか?」
一瞬黙り込む一同。しかし対策会議の雰囲気は確実に、友人旅行の消灯後に切り替わった。
「……いやでも……ファーガソン嬢は元々あれぐらいのプロポーションじゃなかったか?」
沈黙に耐え切れなくなった一人がそっと言えば、問題提起した侯爵家令息が首を振る。
「淑女が公の場に出るときは、普通はコルセットをしているのは知っているであろう。レイチェル嬢も当然そうだが、今は牢屋をプライベート空間と見立てて室内着しか着ていない。つまり、今レイチェル嬢はコルセットを……していない」
そこだけ声を潜めた侯爵家のボンボンの言葉は、最低音量にも関わらず最大の衝撃で列席者を揺さぶった。顔見知りの美人令嬢の下着事情とか……思春期男子の考えうる最大のリアルなエロスのツボである。
伯爵家の令息が鼻を押さえる。
「なにそれ、エロい……!」
「これぐらいで何を言っている、問題はそこからだ! レイチェル嬢は今、私室にいるつもりで最大限に油断した服装をしている。そこを前提条件として、いいな?」
自分たちしかいない部屋なのに思わず顔を寄せあった少年たちは、お互いの顔を見合わせあった後、こくりと頷いた。
「つまりなんのメークアップもしないで、あのスタイルなんだ! わかるか!? ウエストをコルセットで締め付けてもおらず、胸を寄せてあげてもいない。人に見せるつもりが無いんだからあの忌まわしき偽装パッドも入れてはいないだろう! 彼女はボディメイクをしないで、あのボンッ、キュッ、ボンのエス字ラインをキープしている!」
「なんてこった!?」
卓を囲む皆にどよめきが走る。世紀の大発見に再び顔色を無くす少年たち。今判明した衝撃の事実について、彼らは隣席の同志と早口に囁き合った。
いつの間にか引き込まれていたエリオットも呆然と呟いた。
「なんという明快な推理だ……さすが代々学者を輩出するボインスキー家の嫡男!」
「殿下、うちの家名はボランスキーです」
「いや、いやいや待て待て!」
この話題に一人乗り切れなかった男、ジョージ・ファーガソンが感動と興奮の渦に水を差した。
「貴公らまさか、スタイルがいいからとマーガレットから姉上に乗り換えるつもりではないだろうな!?」
一瞬で現実に引き戻されたエリオットその他は慌てて否定する。
「いや待て、それとこれとは別問題だ。俺は別にスタイルでマーガレットを支持するわけではない! もっとこう、精神的なつながりというか、癒しというか……」
サイクスも頷く。
「うむ、その通りだ。俺は別にマーガレット嬢にスタイルは求めていない。彼女のストレート、というか寸胴、というか、その、なんだ、スレンダー……ではないな……まあ、現実的な体型もそれはそれでありだと思う」
「いや、俺は身体じゃなくて心の問題をだな……」
どこか話の流れを曲解したサイクスの力強い「それじゃねえよ」理論に、エリオットがボソボソと文句をつけかけた時……。
「ファーガソン殿。確かに愛しのマーガレット殿は理想的な体型という点では貴殿の姉上には劣るだろう。しかしだな」
「おお、言ってやれボインスキー!」
「ボランスキーです」
さきほどあれだけレイチェルのボディを賛美したボランスキーが立ち上がった。
彼は拳に力を込めて力説する。
「元庶民だけあってマーガレット殿は確かに身体を“作って”いない。服の上からでも判るほどほど寸胴で目立たぬくびれ、無くはないけど大きくもない胸、太くもないけどスラリとは言えない手足」
「え? それ貶してんじゃねえの?」
「しっ、黙ってろサイクス」
「だがしかし! そこがいいのです! それがいいのです! 生まれついての貴族令嬢は美しく見せる為に時には身体をむりやり絞り上げ、時には見た目をごまかし形ばかり整える。私は言いたい。それでいいのでしょうか、と!?」
伯爵家令息が語気荒く反論する。
「しかし貴殿、さきほどあれほどレイチェル嬢を褒めていたではありませんか!」
侯爵家令息はその反論に、むしろ“我が意を得たり”と頷いた。
「レイチェル嬢とマーガレット殿に共通する点は何でしょうか?」
「共通点?」
高位貴族の令嬢で当たり前に王子の許嫁で、華はなかったがプロポーション抜群の美人。
庶民からたまたま貴族の末席に転がり込んだ、天真爛漫で天然の魅力にあふれた幼児体型な可愛らしい美少女。
見た目も性格も体型も違い過ぎる二人を比べて、見当たらない共通点に頭を悩ませる人々に。ボランスキーは神託の如く重々しく宣言した。
「二人とも自然であることです。例え全てを脱ぎ捨てても、彼女たちのスタイルは変わらないでしょう。神の与えたもうた人間の身体は、無理やり締め付けたり化粧でごまかしたりする物ではないのです! そう、私は言いたい。女性の美とはナチュラルであれ、と!」
「おおおおおおおおおおおおお!!」
エリオットの招集した対策会議は“ナチュラリスト宣言”を採択して盛況のうちに幕を閉じた。
参加した人々は口々に「コルセット廃止の流れを作るべきだ」「詐欺メイク禁止を上奏しよう」などと興奮しながらエリオットの執務室を後にした。
エリオットも胸のつかえが取れた思いで上機嫌に書類を整理する。
「うん、今日の会議は実に有意義であったな。これで問題は解決し……問題?」
ふとひっかかったエリオットは額に手を当て、考え込んだ。
「……今日の会議って、最初の議題なんだっけ?」