10.令嬢は暇をつぶす
良く晴れた空をレイチェルは格子の間から眺めていた。
「いい天気……雲雀があんなに空高く飛んで」
暗い牢屋に閉じ込められていると、たまに自由な外が恋しくなる。
「かといって外には出れませんしね……」
出れないというか出ないというか。
レイチェルはふと、紙飛行機など飛ばしてみるのも面白いかと考えた。外に出れない自分の代わりに、思いを込めて空高く飛んでくれたら……。
紙を探すと、適当にメモをした裏紙の束があった。どうせ要らない物だからこれを使おう。
「紙飛行機というのも……意外と奥が深くて面白いわね」
折り方、形で飛び方が全然違う。スマートに整形しても遠くまで飛ばなかったり、薄い紙でも風に乗って塀の彼方まで飛び去ったり。
折り方を変えて色々な紙飛行機を夢中で飛ばす。あちこちに白い紙が飛び去り、一度落ちた物が風に吹かれてまた地上を離れるのも興味深い。
用意した紙が無くなるまで、レイチェルは小さな窓から大空へ挑戦し続けた。
エリオット王子がふと空を見上げると、なにやら紙ゴミが舞っていた。
そんなものは別に彼が気にするようなものではないけれど、気になったのは立て続けに違う形の物が飛んできたこと。紙飛行機っぽい物から筒形に丸めただけの物まで、あきらかに誰かが折っている。
風に乗って近くに飛んできた物を拾うと、何やら文字が書かれているのが見えた。
「ん?」
開いてみると、流麗な筆跡で走り書きされていた。
『スクープ! 王子が長髪オールバックなのは頭頂部のハゲ隠しだった!?』
思わずメモを落としてしまった。また風に乗る前に急いで拾う。
「なんだ、これは!?」
慌てて他の紙も拾い集める。
『イケメン王子と白癬菌の十年戦争~水虫との絶望的な戦い~』
『城下の娼館に専用客室 来店挨拶は“お帰りなさい” 呆れた王子の爛れた私生活』
『宮殿騒然! 全教科赤点の衝撃 お勉強できない王子様に大臣絶句!』
一瞥して意識が飛びそうになったエリオットは、風に手元を攫われそうになって慌てて紙束を掴みなおす。
「なんだこの捏造ゴシップは!? これまさか、そこら中に飛び散っているのか!?」
見回せば白い物があちらにも、こちらにも。
「おいおいおいおいおいおい!」
さらに城壁の向こうから、城下の子供たちが適当な節回しで歌うのが聞こえた。
「馬に乗った王子様ぁ
一歩進んで滑り落ちぃ
二歩進んだら転げ落ちぃ
三歩進んで二歩下がるぅ
あ~あ~、そもそも乗り方判らないぃ~
だってエリちゃん馬鹿だからぁ~」
転がり落ちるように階段を駆け下りる足音が地下牢に響いた。
「レーイーチェールゥゥゥウウウウウ!?」
槍を構えたエリオットが鉄格子から牢の中へ槍を突き刺す。
「貴様ぁぁぁぁああ! 死ねぇ! 今すぐ死ねぇ! 直ちに死ねぇ!」
何度も打ち込まれる槍先を、奥の方でクッションにごろ寝したまま本を読んでいたレイチェルがちらりと眺めた。
「殿下、馬上槍は衝撃力はあっても攻撃範囲は狭いです。こんな事を女に教えてもらわないと判りませんか?」
「ちっとは怯えろ! くそふてぶてしい女だな!?」
「取柄が顔しかないのに、その言葉遣いもまずいと思いますけど」
「まずいと言ったら、貴様のやらかした事以上にまずいことがあるか!?」
エリオットはかき集めた紙切れを鉄格子へ叩きつけた。
「なんだこれは!? 俺を誹謗中傷したビラなど作ってバラマキおって! どこまでも汚い女だ、こんな嘘を並べ立てて俺を貶めようとはな!」
「片方の当事者の証言だけで人を断罪したお方がよく言いますね……」
レイチェルは突きつけられたメモの山に視線をやってから、エリオットを見た。
「別に私は殿下を誹謗中傷する意図などございません」
「じゃあこれは何なんだ!? こんな物を撒いて、どう弁解するつもりか聞かせてもらおうか!?」
レイチェルは身を起こすと座って本を閉じた。
「どこに殿下を誹謗中傷する内容が書いてあるのですか?」
「どこって……どれを読んだってそういう内容しか書いてないじゃないか!」
レイチェルは牢の中にまで舞い込んできた一枚を指し示した。
「よく読んで下さい。これ、『王子が』としか書いてないじゃないですか。王子は世界に何百人いると思います? これを自分のことだなんて、殿下は被害妄想気味なんじゃないですか? お医者様に診てもらいました?」
「誰のせいでストレスを貯めこんでいると……!? 城外の子供たちが『エリちゃん』などと著しく敬意の無い歌を歌っていたぞ!? 人名が入っているじゃないか!」
「『エリちゃん』が殿下を指すと? エリスだってエリントンだってエリツィンだっているじゃないですか。まったく殿下は自意識過剰なんだから」
「この場で! 王子で! エリだぞ!? 条件が合うのは俺しかいないだろ! ふざけるな!」
レイチェルが眉をしかめた。
「最近知恵がついて来たわね……かわいくない」
「貴様、なんだその上から目線は!? すでに不敬とか言うレベルを通り越しているぞ、貴様の言動は!」
「私はすでにやらかしているそうですから、ちょっと増えたくらいでは罪状は変わりません」
エリオットが牢の中を睨みつける。
「じゃあ認めるわけだな、俺を侮辱したと!?」
レイチェルは檻の外から威嚇して来るチンパン王子を無視して、本を開いた。
「だから、別に誹謗中傷したわけじゃないですってば。確かに暇つぶしで、紙飛行機は作って飛ばしました。でも、そこらにあった反故紙を使っただけです」
「反故紙!? あの内容で!? 何を書いたらあんなメモが出るというのだ、貴様!」
「たまたまアングラ系の出版業者で、コピーライターの内職をやっていたものですから。あれはゴシップ紙のタイトルの候補ですよ」
「公爵令嬢がどこで何のバイトをしているんだよ!?」
「殿下のバカっぷりもここまで来ると頭が痛くなりますねえ……牢の中で内職しているって部分にはツッコまないんだもの……」
王子はレイチェルに一矢報いた!
レイチェルはぶつぶつ言いながら、木箱の中にあった本を全部取り出していた。
「うーん……やっぱり持ち込んだのは全部読んじゃいましたか」
面白そうな小説とかを片っ端から用意したのだけれど、自由時間が多すぎて全部読んでしまった。読書は二巡目も味があるけれども、取り掛かるにはまだ早すぎる。
「刺繍もちょうど終わっちゃったし」
(勝手に)持って来たジョージの一張羅に、カッコよく(無許可で)刺繍を入れてあげたのだ。
黒のハーフマントに金糸銀糸で、フェニックスとドラゴンの戦いを精細に縫い上げた。これを羽織ればジョージのインテリぶった不機嫌眼鏡ヅラと相まって、もうズバピタで似合うだろう。きっと周りの人々も「うっわ、全能感に酔ってる痛いヤツ」とか「幾つだよアイツ……まだ『俺は神に選ばれた』とか思ってるワケ?」とか囁いて褒め称えてくれるだろう。
「これでジョージは人気者ですね。弟の為に姉は頑張りました」
きっと泣いて喚いて感謝してくれるに違いない。後で誰かにこっそりクローゼットへ戻しておいてもらおう。
というわけで、趣味がどれも一段落してしまったので暇な夜を過ごす手段がない。
「楽器も狩猟も禁止されちゃったし……」
敢えて破るのも面白いけど、今王子がうっとおしいので夜中に押しかけて来られるのは勘弁だ。
「まったく、年頃の娘の寝室に深夜に騒ぎに来るなんて。殿下は慎みが足りません」
原因がレイチェルでなければもっともな事をつぶやくと、何をしようかとぐるりと見まわした。
ふと、レイチェルの目に便箋が飛び込んできた。反故紙は紙飛行機にして飛ばしてしまったけど、白紙はまだまだ積んである。
「そうだわ……小説が無いのなら、書く方に挑戦してみましょう」
自慢じゃないけどレイチェルは創作は得意な方だ。前にちょっと本を作ったこともある。長文は書いたことが無いけれども、幸い題材と時間は今たっぷりある。
「うーんと、主人公は小国の王子でベルモット王子。バカで欲望に忠実で難しいことを考えるのが苦手です……と。落とし穴に嵌まり、馬には馬鹿にされ、女の子を見ると追いかけたくなります」
キャラ設定を書き連ねていくと、ストーリーもサブキャラも次々湧いてくる。箇条書きにまとめていくだけで、なかなかの大作の予感がした。
「うん、いいですね! 小説が無ければ書いちゃえばいいんですよ!」
レイチェルはあるだけの紙とインクを用意すると、手元に照明を引き寄せペンを握った。
数日後の夜。
闇に紛れ鉄格子の前に湧いて出た女は、机に向かってペンを走らせるレイチェルにそっと声をかけた。
「お嬢様、緊急ということで急ぎ持ってまいりましたが……こんな物、なんに使うのでしょうか?」
格子に近寄り、持参した荷物を牢の中へ差し込む。茶色の油紙にきっちり包まれた便箋を四つ五つ、ボール紙の箱にダースで収まったインク瓶を二つ三つ。二、三千枚もの便箋と十分な量のインク。普通は個人で使う様な量じゃない。
「公爵家の物じゃないでしょうね?」
「はい、街で既製品を買い求めました。誰に渡しても出所は判りません」
レイチェルの確認に首を振った女に、レイチェルが大量の紙の束を渡した。すでに書き終わったものだ。読みやすい流麗な字が几帳面に綴られている……けれど、とにかく量が多い。
目の下にクマを作ったレイチェルは中身を確認している部下に笑いかけた。
「アングラで正体を隠しながら頒布するのが上手い出版業者があったわよね?」
「はっ、心当たりはありますが……?」
「そこに原稿を流して、さっそく市内にバラまいて。こっちの取り分もあげるから、価格を抑えてとにかく部数を刷らせて王都中に売り込みをかけさせるの」
レイチェルはちょうど書き終えたエンディングまでを追加で部下に渡し、目の付け根を揉んだ。さすがに今日はもう寝よう。
「はーっ……これだけ根を詰めると久しぶりにクタクタですね……」
中身を確認していた部下が首を傾げた。
「お嬢様……正直、無理をして今仕上げる物と思えないのですが……」
「貴方は創作を判っていませんね。閃いた瞬間の情熱を冷めないうちにぶつけたくなるのがクリエイターというものなのよ……ふ、ふふ……ついつい筆がノッて『間抜けな王子の大冒険』シリーズ三冊にスピンオフの『殿下が僕を狙ってる』二冊も仕上げてしまったわ」
ベルモット王子が恥を晒しまくる本編は創作するまでもなくだいぶ実体験を入れてしまったけれど、まあ“この物語はフィクションです”と入れてあるから良いだろう。
スピンオフの方はおバカで無垢な少年ハンクスが、騎士を目指していたら望外に王子に腕を認められる出世物語。親切な王子に王子付き騎士に取りたてられるけど、実はソノ気のある王子はハンクスを狙っていて……というドタバタコメディだ。
いま市内は識字者が増えて小説人気で活気がある。面白い物語なら読んでくれるだろう。
「せっかく書いたんだもの。是非とも不特定多数の人に読んでもらいたいわ……続きもまだまだ書くから、頼んだわよ?」
「はっ」
一度頭を下げた部下は、しかし退出しないで原稿をめくった。
「お嬢様」
「なに?」
「ノンブルの振り間違いが二か所あります。それと『殿僕』の方ですが、決めシーンでエリオットが無理やり迫ってきてサイクスの『あ~ッ!』から『穢されちゃった……』まで続くシーン、三回連続は読者に飽きられるのでは? それと個人的な感想ですが、サイクスがヘタレ責めする方が好みです」
「……貴方に編集まで求めてないわ。いいわ、変な所は適当に直しといて」
持ち込みの小説を闇ルートで出版してほしいと訪ねてきた正体不明の女を相手にして、マウス&ラット商会の代表ロビンソンはハンカチですだれハゲの頭を拭きながらにこやかに笑いかけた。
「では、出版の条件は承知しました。ええ、うちは何しろ表向きは印刷屋と全く関係ない商売をしていますからな、出所を隠すのはお任せ下さい。うちが関与しているのさえ判らないようにばらまいて見せますよ……ところで」
ロビンソンは原稿の二ヶ所をめくるとそれぞれ同じ意味の箇所を指さした。
「一作目の最初の方だと王子はベルモット、騎士はハンクスになっていますが、後の方になるとエリオット王子に騎士サイクスになっています。書いた方は当て書きをされていたんですかな? 多分どちらかはモデルの名前だと思うのですが、どちらに統一しましょう?」
ザ・庶民のロビンソン氏は自国の王族とはいえ雲上人の名を知らなかった。そして使いに来たメイドはレイチェルに染まり過ぎていた。
「たぶんエリオットにサイクスで良いと思います」
エリオットは最近サイクスがよそよそしいのに気が付いた。いつでも微妙な距離を取っている気がする。
「サイクス、どうかしたか?」
「いいえ殿下、お気になさらず」
曖昧な笑顔でお尻を押さえて距離を取るサイクスに、エリオットは首を傾げた。
「紙飛行機」という言葉は多分日本語訳です。歴史的には飛行機の出現以前はペーパーダーツとか言われていたようです。
サイクス意外に読書もしてる。