出会い2
今日、守山威風に睨まれた。
一瞬凄い形相だったから、驚いてしまった。
新学期早々席替えになった。一人一人がくじをひいて行き、浩人が引いた席は窓側の一番後ろだった。そして一番最後まで余った席が新しい威風の席に決まった。あの席を見て威風がどんな反応をするか、浩人には容易に想像がついた。今まで口を利いたことすらないけれど、きっと彼はあの席を見るなり帰ってしまうに違いない。
そんな勝手な予想は見事に的中した。そんなことより、浩人にとっては威風のほうから自分に近づいてきて、そして声をかけてきたことのほうが驚きだった。
声をかけられたことが嬉しくて、しかも彼を引き止めたら本当に立ち止まってくれたことに舞い上がってしまい、浩人は教師の許可も無く勝手に机を移動させ、しかも威風の手を掴んで席につれてきてしまった。
近くで見る彼の顔は、少し戸惑っているようで年相応に見えた。それがますます嬉しくて彼を引き寄せた。
けれども威風はそれ以上浩人と目を合わせなかった。浩人が自分の席の後ろに置いた机を教室の一番後ろまで自分で運びそこに座った。そして4時間目の終わり、給食前に、威風は担任教師と一悶着起こして帰っていった。
その時浩人は威風に睨まれた。何故だか原因はよく分からないが、とにかくにらまれてしまった。自分が机を運んだのが悪かったのか?それとも手を引いたのが悪かったのか?はたまたもっと別の理由?
けれどもとにかくあの時の威風の表情には凄いものがあった。
あんな目つき、見たことがない。本当に身体が震えてしまった。彼は本当に自分と同じ年なんだろうか。あの視線だけではとても信じられない。
睨まれたのは一瞬だった。
びっくりして威風を見つめていると、彼の表情が急に緩いものになった。彼の顔の筋肉から力が抜けていくのが分かった。
あれ、と思うと同時に威風は顔を背け教室から出て行った。
不思議だ。彼という人間がとても不思議だ。何一つ理解できない。浩人は威風にますます興味を持った。
せっかく今日初めて威風から話しかけてくれたのだ。もっとこれを次に繋げられないだろうか。そんなことを考えたが、これでまた威風が一ヶ月くらい学校に来ないのでは意味がなくなってしまう。
放課後の掃除時間、その日浩人は教室掃除の当番だった。一通り掃除を済ませた後、教室の一番後ろ、一番隅に置かれた威風の席が目に付いた。
何となく、それを自分の席の後ろに運ぶ。
何となく、威風がまた自分に声をかけてくれないかなあなんて思いながら。
「浩人ー、なにやってるんだよ」
その行動を目ざとく見つけられてしまって、何となく後ろめたい気分になる。
「何って?」
わざと惚けて見せた。
「守山の席なんて一番後ろでいいじゃん。なんでわざわざ運んでるんだよ」
「やー…別に、何となく」
曖昧な言葉で誤魔化すと、それ以上追求もされなかったし、わざわざ運んだ机を隅に戻されるようなことも無かった。
掃除が終わればもう帰るだけだ。じゃんけんでゴミを捨てに行く係を決める。今日は一回目で勝ってしまった。今日はついている。
上機嫌で帰ろうとしていると、不意に教室に入ってきた担任教師に呼び止められた。
「高村君、ちょっと」
ぎくっとする。
先生に呼ばれるということは良い予感がしない。最近自分がやったことが次々と頭の中に思い浮かぶ。絶対に褒められるわけが無い。叱られるに決まっている。自分は何をやっただろうか?夏休みの宿題だってちゃんとやったし、掃除だってサボっていない。係の仕事だって一応、やっている。もしかして、夏休みの日記が殆ど嘘だったことがばれたのだろうか?けれどもっとひどいのはいくらでも居るはず…。
「大丈夫、別に怒るわけじゃないから」
浩人の考えを見透かしたように彼女は言うと、にこりと笑って手招きした。その穏やかな表情にほっとして近づいていく。
こっちにきて、といわれて教室の外へ出た。廊下の突き当たり、掃除道具などが仕舞われているロッカーの前で教師は立ち止まる。怒られるのではないらしいが、やはり何だか緊張してしまう。
「高村君は、守山君と仲が良いの?」
突然教師はそう切り出した。
いきなりそんなことを聞かれて、浩人はかなりどきりとした。
「え…何で…?」
威風と言葉を交わしたのは今日が初めてだ。浩人は威風に興味を持っているが、おそらく威風は全く浩人に興味を持っていないだろう。名前を知っているのかどうかもあやしいところだ。
「ほら、だって今日守山君を引き止めたじゃない…。手を引いても、先生だったらあんなに嫌がったのに高村君だったら何も言わなかったし」
そういえば。
浩人は思い出す。
威風は教師に引き止められて思い切りその手を振り払ったのだ。そして物凄い勢いで睨みつけ、その後で浩人を睨んだのだ。
「別に…仲良くないよ。今日初めて喋ったくらいだし…」
「本当?なら、どうしてなのかしら」
何だか目の前が見る見るうちに明るくなっていくような気分だった。
そうだ。今日威風の手を強引に握ったが、振り払われなかった。それどころか浩人が腕を引くまま歩き、席に着いたのだ。
今更ながら、手のひらに威風の手を握った感触が蘇ってくる。
「今は仲良くないけど、これから仲良くなってみたいなあとは思ってるよ」
いつの間にか、そんなことを口走っていた。教師は、少し驚いたような顔で浩人を見る。
「そう…」
短く呟くように言い、教師は何か考え込むように腕を組んだ。
胸がどきどきと鳴っている。もしかしたら威風と仲良くなれるのかもしれない。少なくとも、自分は嫌われてはいないようだ。
「高村君が守山君の友達になってくれたら、先生嬉しいな」
「オレも守山と友達になれたら嬉しい」
根拠は何も無いけれど、威風と友達になれるような気がしてきた。
きっと守山君だって一人で寂しくないわけ無いと思うのよ、と教師は独り言のように呟く。浩人もそう思う。この世で一人が寂しくない人間が居るなんて信じられない。けれども、威風のあの超然とした表情を見ていると、もしかして彼は本当に一人が寂しくないのだろうかと思えてしまう。
心の底から友人というような存在など要らないと思っているのだろうか。それとも要るとか要らないとかそんなことにすら興味が無いのか。ひょっとしたら、本当は友人が欲しいなんて思っているのか。
「おーい浩人、今日サッカーしようぜ」
少し離れた場所から、クラスメートに呼ばれる。
「高村君、もういいわよ」
教師がそう言うので、浩人は教師に軽く会釈してから呼びかけてくれた少年の所まで駆け足で近づく。
「おい、お前何怒られてるんだよ」
教師に一人で呼び出されたことで、誤解されているみたいだ。
「怒られてないよ」
「ウソつけ。じゃあなんで呼ばれたんだよ」
「オレが賢くて良い子だからだよ」
冗談めかした口調でいうと、ちょっと強めに肩を叩かれた。
「馬鹿!浩人が褒められるんなら、俺だって褒められるだろ!」
「そんなことねーよっ!オレの方がずっと良い子だよ」
走っていくと、そこには他にもサッカーに誘われたと思われるクラスメートや、違うクラスの人間も居た。
そのまままた走って校庭へと向かう。その途中で浩人はふと思い出した。
あ、そうだ。今晩は母さんが夜勤の日だった。ちょっと早めに帰って、母さんを見送らないと。いってらっしゃいって言うと、それだけで母さん凄く喜ぶんだ。
「浩人、お前なにニヤニヤしてんだよ!」
「してねえよ!」
「思い出し笑いする奴ってスケベなんだぜ」
「わー浩人のスケベ!」
「うるせー!」
楽しいなあ。
浩人は自分をからかう同級生たちを追いかけながら思った。
― 高村君が、守山君の友達になってくれたら
さっきの教師の言葉が自然と頭の中に浮かんでくる。
そうなれたら、どんな風なんだろう。自分と彼は、どんな会話をするんだろうか。そんなことを考えながら、浩人は仲間たちとサッカーに興じた。