《5》
何となく、母との思い出を避けるようにして生きてきた私。今は新たなステージに立っているのだから、もう囚われる必要もないだろう。ハチミツのチューブを手に取り、買い物かごに入れた。
「ハチミツ、買うの?」
「うん。ハチミツパン――ハニートーストを作ろうかな」
「おっ、いいね。トッピングにバニラアイスも買おうか」
晴香の提案に頷き、ジャムのコーナーから移動する。バニラ味のアイスクリームを買い物かごに入れると、レジへ向かった。
帰宅して少し遅めの昼食を済ませると、食後のデザートとしてハニートースト作りを始めた。食パンに十字の切り込みを入れ、表面にバターを塗る。オーブントースターで焼き色が付くまで焼いたあと、大きめのスプーンでくりぬいたバニラアイスを乗せる。その上からたっぷりとハチミツをかければ完成だ。
「カフェで売ってるやつみたい」
嬉しそうに言った晴香は、さらに雰囲気を出そうと、ナイフとフォークを用意した。コーヒーも淹れ、いかにもカフェらしいテーブルが出来上がる。
身体に溶け込むような、甘く瑞々しい香り。
優しく煌めいて見える、ハチミツの色。
ふんわりとしたパンの食感と、ハチミツの風味が口じゅうに広がった。幼い頃、私を夢中にさせた懐かしい味。胸をキュッと締め付けられるような感覚がする。ひたすら食べ進め、あっという間に最後のひとかけになった。それを口に入れ、フォークを置く。
「――っ」
鋭い痛み。
声にならない声を上げ、口元を押さえた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「……下唇、噛んじゃった」
ハチミツに混じって、血の味がする。不快感を掻き消そうと、慌ててコーヒーを流し込んだ。
毎日のように食べ、大好きだったハチミツパン。
やはり、苦い記憶として刻み込まれる運命なのかもしれない。
浮かない気持ちで自室に戻ったところで、ふと携帯電話の存在を思い出した。朝から充電器に繋げっぱなしの状態で、すっかり忘れてしまっていたのだ。
チェストの上で充電していた携帯電話を取る。メールが一件、着信が二件入っていた。着信はどちらも知らない番号で、二件目の番号からは伝言メモが入っている。再生してみると、相手は刑事を名乗る男だった。刑事の知り合いなどいないし、刑事から電話がかかってくるような覚えもない。何らかの詐欺かもしれないと不審に思いつつ、伝言メモの続きに耳を澄ませる。刑事は、父と母について話があると吹き込んでいた。
まさか、失踪中の母が見つかったのだろうか。だがそれなら、刑事ではなく父本人から連絡がくるのではないだろうか。
逡巡したところで、携帯電話が震えた。先ほどの履歴と同じ番号からの着信である。出てみると、やはり刑事を名乗る男だった。
『加藤由美子さんですね?』
「はい。あの、父と母の話ということでしたが――」
『すぐにご実家の方へ来てください』
そう切り出した刑事は、信じられない内容を口にした。
父が死んだ――と。