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甘い記憶  作者: 愛莉
3/8

《3》

「引越しの日まで、あと五日か」

 焼き魚をつつきながら、父は呟いた。


「まだまだ先だと思っていたけど、あっという間だな」

「やっぱり心配?」

 遠慮がちに訊ねる。父は曖昧に頷いた。


「心配してくれてるお父さんには悪いけど、私はワクワクしてるよ。夢に一歩、近付けるような気がして」

 中学生の頃から、私には夢がある。弁護士になることだ。悲しんでいる人、苦しんでいる人の手助けをしたい。そんな思いから、望むようになった職業。医師を目指そうと考えたこともあったが、理系分野は不得意であるため、文系の道へ進んできた。


「由美子一人だったら、もっと心配していたかもしれないけどね。晴香ちゃんが一緒なら安心だよ」

 晴香――私の親友で、父も何度か会っている子だ。小学校から高校まで、ずっと一緒だった。晴香も東京にある大学を目指しており、高校在学中から「東京でルームシェアしたいね」と話していたのだ。


 言葉どおり、私たちはそれぞれの志望大学に合格。一緒に東京へ行き、一緒に住むアパートを決め、まだ始まっていない生活を想像して胸を躍らせていた。


「とはいえ、夜に出歩いたりしちゃ駄目だからな。人通りが少ないところもだぞ。たとえ晴香ちゃんが一緒だとしても――」

「分かってるってば」

 父の言葉を遮り、里芋の煮物を口に運ぶ。


 土日の食事作りは、父の担当だった。昔は毎日のように作ってくれていたが、中学校を卒業する頃から、平日は私が担当するようになったのだ。私が作ると、自分の好きなもの――主に洋食に偏ってしまう。父はバランスをはかるかのように、和食中心で作るようになった。


 はじめは煮物や煮魚ばかり並ぶと残念な気持ちになったというのが本音であり、今でもすごく好きというわけではない。だが、父の作る食事を毎週末に食べられなくなると思うと、もっと食べたいと感じてしまうから不思議だ。実際、今日はいつも以上に食欲が沸いている。


「それに――」

 父は箸の動きを止め、視線を伏せた。


「目標があるのはいいことだと思うし、由美子の好きなように生きていけばいいと思うけど、仕事に固執する必要なんかないぞ。仕事に精を出し過ぎて――」

「いいの、そんな先の話は。まだ大学の入学式さえ終わってないんだから」

「……それもそうだな」


 小さく息を吐くと、父は食事を再開させた。心配しているのも事実なのだろうが、私と離れるのが寂しいという気持ちの方が強いのではないか。そう思うと嬉しくて、自然と笑みがこぼれてしまう。

「長期連休はこっちに帰ってくるし、大学の様子とかもちゃんと連絡するから。安心しててね」



 こうして私は、憧れの新生活へ飛び込んだ。新しい土地への引っ越し、新しい同居人、新しい大学への入学。何もかもが新鮮で、キラキラと輝いていた。慣れない生活環境の中で戸惑いが生まれることもあったが、それさえ興味深いものに思えた。


 日々は流れるように過ぎていく。自分が想像していた以上にめまぐるしいものだった。朝から夕方まで大学の講義、そのあとはアパート近くのレストランでウェイトレスの仕事。父からの仕送りだけでは生活していけないため、そこでアルバイトを始めたのだ。晴香の方も、大学の傍にある喫茶店でアルバイトをしている。


 家賃や光熱費は折半。家事は担当制だ。晴香は料理が苦手だったため、私が炊事と洗濯、晴香は掃除全般という役割分担。買い物はお互いの都合が付くとき、一緒に行くことにしていた。


 勉強、家事、アルバイトの繰り返しで、遊ぶ暇などほとんどない。そんな生活を心配した父は電話で「仕送り額を増やそうか」と言ってくれたが、遠慮しておいた。上京を望んだのは私なのだ。父に頼ってばかりでは情けないし、あまり迷惑をかけたくない。それに忙しくて大変な毎日ではあるが、充実感も強かった。

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