9月~11月
九月になって新学期が始まり、わたしはまたごみ山に導かれながら学校へと向かった。ごみ山の朝には変化が起こっていて、それは前のような静かな朝ではなく、もうこの時間には大人たちが働き始め、ダンプカーやトラックが黄色の道を走っていたことだ。今では朝は昼のように騒々しくなっていた。
わたしが通学路を歩いていると、ごみ山で作業していた大人たちは奇妙そうにキョトンとした顔でわたしを見た。けれどそれも少しするとすぐ目をごみ山に移し、自分たちの仕事に専念しだした。わたしは大人たちの前を通る度に奇妙な目で注目されてしまい、少し恥ずかしくてうつむいて歩いてしまった。人からじろじろ見られることはわたしはあまり慣れていなかった。だんだんと誰にも見られてないはずなのに見られているような気がして落ち着かなくなってしまって、キョロキョロと首を何度も左右に動かして自分でも変だと思う挙動になってしまっていた。
学校の校舎に着いて、下駄箱でわたしは赤い靴を脱いで上履きに履き替えた。クラスメイトとは夏休みじゅう会っておらず、久しぶりに顔を合わせることになるので、初めてこの学校に登校した時のようにドキドキとした。けれど教室までの廊下を歩いていると、教室からヨウタたちがセイラをからかっている声が聞こえてきて、さっきまであったドキドキは一瞬で消えてしまった。わたしは新学期の初日から憂鬱な気持ちになってしまった。わたしは入ったらまた嫌な光景を見るのだろうと思い、少し沈んだ顔になりながら教室のドアを開けた。瞬間、窓際にいたヨウタたちの声が止まり、そしてクラスメイトのみんながわたしに視線を浴びせてきた。いつもなら人が入ってきても気にせず机に向かい続けるマダイでさえも、今は鉛筆を持ったまま呆気にとられたような顔をしている。唯一男子たちに囲まれているセイラだけは下を向き続きている。わたしは教室から席に着くわずかな間もなおクラスメイトの視線を感じていた。それは朝大人たちがわたしに向けた奇妙な眼差しと同じものであった。わたしはやはり恥ずかしさを感じて落ち着かなかったので、自分の席に着くと顔を赤くしてうつむいてしまった。
「なんでアンタがそれ着てるの?」
隣のミヤマエがわたしの肩を叩いて、なぜかひそひそとした声で尋ねてきた。不可解極まりないといったふうに顔をしかめていた。
「……夏休みの間におばあちゃんに教えてもらいながら作ったの」
わたしもミヤマエと同じようにひそひそ声になった。ミヤマエに調子を合わせたのと、恥ずかしさのためだった。
「えっ? ホントに? ウソッ」
ミヤマエがよくわからない驚き方をした。周囲の視線はやがてなくなり隣のマダイは勉強を再開して、セイラを囲んでいた男子たちは中央の自分たちの席に戻っていった。
わたしは始めは自分で着るつもりはなかった。自分で作ったものを誰かに着せてみようと考えていた。夏休みの間は小学校の友達に着せるつもりだったが、最後の最後まで時間がかかってしまい、その予定は中止となった。学校が始まってからという考えもあったが、夏休みに会いにいかなかったのに学校が始まってから友達に会いにいくというのは不自然だし何だかきまりが悪いのでそれも止めた。そうなると残りは今のクラスメイトであるが、セイラとはほとんど話したことがなくいきなり服を着てくれとも言いにくいし、そもそもこういうものに興味があるのかさえわからなかった。ミヤマエは多分着ても似合わなそうだから却下した。結局完成した時にどうしようか迷っていると、おばあちゃんが「自分で作ったものなんだから、自分で着ればいいじゃないか」とわたしに至極まっとうな意見を言った。当然わたしもそれを思いついてはいたが、自分がこんな変わった服を着るのは恥ずかしい気がして、着るのには抵抗があった。そもそもわたしはかわいい服を作ってみたかっただけだった。けれどおばあちゃんがわたしが着るのを期待してくれているみたいで、結局今朝着替えてみたのだった。わたしはいざ着てみたらやはり恥ずかしかったけれど、おばあちゃんが「似合う似合う」と褒めてくれて嬉しかったので、そのまま外に出てしまった。
「……靴もあるの。今下駄箱だけど。靴はちょうどいいのがごみ山にあったから拾ってきたの」
「ホントに? 完璧じゃん。中以外」
「……ひどい」
「冗談よ。50点くらい」
ミヤマエは予想はなんとなくしていたが、わたしをけなしてきた。けれどせっかく一生懸命作って恥を忍んで着てきたのに、こうもあっさりダメと言われるはさすがに傷つく。わたしはムッとして反撃した。
「でも、ミヤマエだって多分これ似合わない」
「そんなの自覚してるわよ。自分でもそんな可愛い子ぶった服着てるのなんて想像したくないし。だいたい女は最後になったら服じゃなくて中身よ」
ミヤマエはツンとした顔で、最後はわけのわからないことをいってわたしをいなした。結局わたしは上手く反撃できなくて、何だか釈然としなかった。わたしがしばらく不機嫌でいると、ホームルームの時間になり先生が教室のドアを開けた。中に入ってきた先生はわたしを見ると、急にドアの前で立ち止まり、呆然とした顔でわたしを見た。わたしは何度も同じ視線を受けてきたけれど、まだ慣れなかった。やがて先生は意識を仕事に戻し教卓の前まで行き、先生の視線はなくなった。けれどわたしはまだ視線を背中に感じていた。ミヤマエと話している時もそれは感じていてずっと気になっていた。わたしがそっと後ろのほうを見ると、ヨウタが慌てた様子で顔をうつむけていた。
先生の新学期の挨拶やら学校での変則事項やらの退屈な話を聞いて授業が終わると、わたしは真っ直ぐ一人で帰った。下校の時も周囲の大人たちの奇妙な目にさらせれて落ち着かなくて、だんだん嫌になってきていた。結局家に帰るとすぐ着替えてしまい、箪笥の中にしまい込んだ。おばあちゃんは「どうしたんだい?」と聞いてきたけれど、わたしはその時不機嫌になっていたので「もう明日からは着ない」とそっけなく答えてしまった。
次の日の朝からはもう大人たちから見られることはなくなったので安心して登校できた。新学期二日目はまだ正課の授業は始まっておらず、その代わり外に出て村の仕事や運営について学ぶ課外授業が行われた。またヨウタのお父さんが来て、みんなを学校から連れ出して現場見て回りながら授業をした。今回は得意分野だからかスラスラと話せていてわかりやすかったが、そもそも村の仕事のことなら見てればわかるし、村の形態も小さい時から大人に聞かされてきたことで、もう知っている話ばかりだった。わたしは退屈になり、後ろのみんなの様子をうかがうと、やはりみんな退屈そうで、マダイなどは口を大きく開けて欠伸をし、「これで三度目か……」と呟いていた。けれど最後尾のヨウタだけは退屈とは違って、顔を下に向けてずっと暗い表情をしていた。
村を一周して学校に戻る頃には夕方になっていた。学校に着くとそのまま校舎で解散ということになって、今日の授業は終わった。みんなは一斉に校舎を出て、マダイだけ学校の中に入っていった。
「んじゃ、帰ろうぜ」
わたしは授業中カンスケと秘密基地に行く約束をしたので、カンスケと一緒に帰ることにした。
埋め立て地に着いてカンスケの秘密基地を見ると、夏休みの前に見た時と変わっていなかった。夏休み中、結構大きな台風も来ていたはずだけれど、どうやら周りを囲むごみ山が秘密基地を守ったようで、どこか壊れたりしてるということはなかった。
「まあ上がれよ」
「うん」
カンスケはわたしに促し、わたしはそれに応じて中に入って座った。秘密基地まで行く時までは二人とも黙って歩いていたので、カンスケの校舎での「帰ろうぜ」から初めての会話ということになる。カンスケがわたしと話をしようと思う時は、落ち着いた所で話をしたいらしく、歩きながら話すというのはあまり好きではないようだった。
「……ごめん」
「なんで謝るんだよ?」
「カンスケから勝手に雑誌借りてたから」
「……ああ、そのことか。ミヤマエのやつから聞いた」
「……ミヤマエにはわたしが無理言って貸してもらっただけだから、ミヤマエのことは怒らないで」
わたしは夏休み前ミヤマエからカンスケの雑誌を借りて、自分からカンスケには後で言っておくと言っていたのに、服作りに夢中になってしまい、夏休みに入る前にカンスケに告げておくのを忘れてしまっていた。
「いや、もうキレちまった」
「えっ?」
「まあキレたのはまた貸しのことじゃねえけどな」
「どういうこと?」
「あの口軽女がオレが秘密にしとけって言ったことをバラしたからだよ。俺が〝るりっきょ〝のこと好きなことお前に話した」
「るりっきょ?」
「雑誌のアイドルのニックネームだよ。まだあいつがお前にしか話してなかったから良かったけど、他のやつに知られたら沽券に関わるからな」
カンスケは少し怒った口調で話した。
「お前も誰かに話したりしてねえよな?」
「……うん、カンスケが好きなことは誰にも話してないし、カンスケが隠しておいてほしいならわたしは秘密にする」
「……だったらいい」
それを聞くと、わたしは少し気づまりな雰囲気になっていることに気づき、慌ててアクションを起こそうとかばんから雑誌を取り出してカンスケに渡した。学校が始まったらすぐ返すつもりだった。
「……じゃあ、返すね」
カンスケは雑誌を受け取りページをめくり、それからニッと笑った。
「お前昨日これ着てきたんだろ? あの時は何が起こったのかと思ったぜ」
カンスケは女性を指差した。前にミヤマエに見せられた時と同じページだった。
「……うん、どうだった」
「だっせえ」
「……ひどい」
「当たり前だろ。お前がるりっきょに勝てるわけあるかよ」
カンスケは楽しそうに笑い声をあげた。わたしはミヤマエの時のようにまたバカにされて少しムッとしたけれど、カンスケが機嫌を直してくれたようでホッとした。
「……まあ、今日はるりっきょの話しようと思って連れてきたわけじゃないけどな」
カンスケは急に笑うの止めて、近くの積みあげられた本の山に持っていた雑誌を置いた。
「今日の授業は何をしたか覚えてるか?」
「……鳥頭じゃないから覚えてるよ。ヨウタのお父さんが来て村の仕事のこととか村がどうやって運営されてるかってことでしょ?……まさかまた喋らすの?」
「もうそんなことしねえよ。わかりきった長話を一日に二度も聞ける体力はねえ」
やはりカンスケも授業は退屈だったようだ。村の方針は国からごみ処理地区として指定されてから変わっていない。都会から来たごみを村のほとんどの大人たちが処理するのが主な仕事で、その仕事は国からの支援を受けて村の経済は成り立っている。
「あのおっさんは美談っぽく『大人たちが大量のごみを処理することで村の経済が成り立っている』とか『過疎化で村がどんどんなくなっている地域もある中で、この村は国から支援されて生活が安定している』とか言ってたわけだよ。どうせならきれいごとじゃなくて、もうちょっと生徒が知らないこと言って関心引けばいいのにな」
カンスケはヨウタのお父さんの授業を批判した。わたしはなんとなく話の流れを掴んでいた。
「それで、カンスケがおじさんだったらどんな話をするの?」
カンスケはへっと笑った。やはりカンスケは自分の知識披露をしたいようだ。そもそもここにくればそれしかない。今日は村にまつわる話らしい。
「例えば、おっさんの身の上話だな」
「……でもそれじゃ個人的なことで授業と関係ないんじゃないの?」
「そうでもねえよ。だってこの村をごみ処理場にしたのはおっさんの父親、つまりヨウタのじいさんだからな」
「えっ? そうなの?」
カンスケはわたしの反応に満足したようだった。
「昔この村でごみ処理場にするかしないかでもめたって話はしたよな?」
「……うん」
カンスケが確認してきたのでわたしはうなずいた。覚えていたけれど、その話は蔑んでいるとか憎んでいるとかいう話で、わたしは気分が嫌になるのであまり思い出したくはなかく、何だか今日の話もいいものではないような気がした。
「その時最終的にごみ処理場にするって決定した村長がヨウタのじいさんだったってわけだよ」
「……そう」
「おいそんなつまらなそうな顔すんなよ。それでごみ処理場にするって決めて国に承諾したら、じいさんはああだこうだ国から口出しされたわけだよ。ごみ処理に関すること以外にも中学校作れとかインフラを整備しろだとか。もともと農村でほとんど外部とも接触がなかったわけだからそういうのとは無縁でじいさんはどうすればいいか全くわからなかった。だからじいさんは村のことを全部国任せにしたわけだな。まあこういうとじいさんはただ国の申請に従っただけだから、村をごみ処理地区にしたのは国だっていったほうが正しいかもな。で、国が人員を派遣して村の大改造が始まったわけだよ。田んぼが埋められたり道が舗装されたりしてな、本格的にごみ処理のための区域にされていったんだよ。ところが村が改造されていくうちに、国が家を取り壊しだしたり売り物にする森林の木なんかも刈り取ったりしていったんだ。それに加えて村の改造は村の人間の予想外の変貌をして、今までの自分の故郷の名残も全部なくなっていくものだった。とうとう地元の人間は耐え切れなくって一斉にじいさんに詰めかけて作業を中止するよう圧力をかけたんだそうだ。じいさんも村がここまで変わってしまうとは思っていなかったみたいで、結局地元の人間の声に応じて国に作業の中止を要請したんだ。ところが国も今さらやめられないとじいさんの要請を一蹴して作業は続けられた。まあ国も元々戦争のがれき処理のために村に目をつけていたわけだから、国の都合のいいよう変えていくつもりだったんだろうな。要するに経済支援だとかインフラ作って村を発展させるだとか大義名分を掲げてはいたが、村を巨大なごみ箱としか見てなっかってことだよ。後はじいさんたちが指をくわえて国が好き放題にやるのを見ているだけだ。なんでも村の変わり果てた姿を見て村のやつが『空爆にもあってないのに、どうしてこんなに土地が荒れてるんだ』って嘆いたらしい。それで晴れてごみ処理場の村が完璧にできあがると、国はそれまでもがれきをちょくちょく送っていたわけだが、本格的にがれきの山を村に送り込んでいったんだよ。その時にはもう田んぼも畑もないから村の連中もじいさんも国に従ってごみ処理の仕事をするしかなかった。じいさんは国に言われて村のあれこれとか行政との関わりかたとか、とにかく国が必要と考えるゴタゴタを一気に頭に詰め込まれたんだと。じいさんはもう国なしじゃやっていけなくなってたから必死こいて国に言われたように住人を動かして、自分は村長から村の役人に、つまり国の下っ端の役割を担うようになっていったんだとさ。まあそれでも一応村の運営は国も手を出してきたから上手くいったんだが、じいさんもそろそろ年を気にする頃になっていたから、村の役人の跡継ぎについて心配になってきたんだ。で、その跡継ぎに選ばれたのがお前も知ってのとおり、息子であるヨウタのおっさんだったわけだよ。今の村の役人でもあるわけだ。で、当時おっさんは中学校すらいってなかったから全く勉強とは無縁で、当然村とか国とかのゴタゴタした行事なんざ一寸も知らない。だからじいさんは相当苦労してたみたいだぜ。かつて自分が国から受けたノウハウの詰め込み学習を息子にもやったんだ。それもかなりのスパルタで。いきなり都会まで飛ばして役人の研修を受けさせたこともあったらしい。でもそんなもんいきなりやれと言われた息子は堪ったもんじゃないからな。本当に殺し合いになるほどのケンカもあったっていう。けどまあ、結果は今のとおり役人になったわけで、役人の継承はじいさんの願ったとおりになったわけだよ」
カンスケはそこで言葉を切り、話を終えたようだった。この村は不本意な形でこうなってしまったらしく、村を良くするつもりで国の申請を受けたのだろうと思われるヨウタのおじいさんがかわいそうになった。それからわたしはあのため息ばかりついているおじさんにもそんな経緯があったのだと初めて知った。今日の授業で話していたことの中にはまだ聞いたことがなかった国と村との関わり合いについても話していた。けれどその話はなんだか難しくてわたしの記憶にはあまり残っていない。そういったこともおじさんのお父さんに教えられたことなのだろうと改めて思った。けれどお父さんと殺し合いのようなことにもなったということは、おじさんにとって役人になる学習は相当苦痛で、おじさんもかなり嫌がったのだと思う。わたしは何となくマダイのことを思い浮かべた。マダイは自分の意志でやっているのだろうが、もし自分がマダイがやっているように一分も惜しんで勉強をさせられたら、頭がパンクしてしまう気がした。
「……なんだかおじさんもおじいさんもかわいそう。それにおじさんが親子同士で争いになるくらいに勉強させられてたとは思わなかった」
「まあ勉強だけじゃないだろうな。いろいろプレッシャーとかもあるしな」
カンスケはおじさんのことをまるで赤の他人のことを評するかのように言った。
「けど問題はここからだ。おっさんが何とか役人になって村を仕切っているから一見上手くいってるように見えるが、実は今大きな問題を抱えているんだ」
「えっ? どういうこと?」
「その問題こそ生徒たちの関心を引くトピックだよ。まあ全員とは限らないがな」
カンスケはニヤッと笑った。さっきの話が今日の話の本筋だと思っていたが、どうやら違うらしい。さっきの話は前座だったということだろうか。
「……お前、最近になって大人たちが朝にも仕事しだしたのはどうしてだと思う?」
わたしは少し考えた。八月の後半くらいから朝が騒がしくなったのだ。
「もっとお金を稼ぐため?」
「そうじゃねえな。この村は国から支援されてて金とか機材とか送られてくるから普通に仕事して生活していく分には困ってねえんだよ。問題なのはごみのことなんだ」
「ごみ?」
わたしは疑問に思った。
「確かに臭いとか病気の原因になることとかもあるとは思うけど、でもおじさんは村にごみが増えるほどこの村は潤うんだっていってたし」
「お前それをまさか信じてるのか? 問題はごみが送られてくる量なんだよ」
「量?」
「実を言えば、戦争から十年以上経ってるけどまだこの村は戦争でのがれきを処理しきれてないんだ」
「そうなの? そんなにがれきは多かったの?」
「その上人手不足で、村の人間だけじゃ処理しきれないんだ。人がいないから一向に仕事が進まないんだよ。だからああやって道端にがれきの山が積まれていてとりあえず置いとくわけだよ。そこにまた大量の都会のごみが来るわけだからごみ山は高くなるばっかりってわけだ」
わたしは小さな頃から見てきたごみ山にそんな事情があったのだと初めて知った。わたしが大きくなるにつれてごみ山も高くなるのを見て、わたしは単純に壮観だなあと思い感心していた。わたしはけれどまた疑問が浮かんでいた。
「でも、人手が足りないなら村の外からも人を雇えばいいんじゃないの? お金には困ってないんでしょ?」
「そりゃあおっさんでも考えたことだろうよ。でもごみが増えていく一番の問題はごみを処理する場所がなくなることなんだよ。いいか? この村はどうやって来たごみを処理してる?」
「……ごみを燃やしたり、埋めたりしてる」
「そうだ。けど全部のごみが燃やせるわけじゃねえからな。だからこの村のほとんどのごみは埋められて処理されているわけだよ。けど埋めるっつっても必ず埋める場所は必要だろ? だからこの村のどこかの土地を大きなごみ箱として使うわけだ。でも埋めたところでごみが消えるわけじゃないからな、一度ごみを埋めた場所にはもうごみを埋められねえ。そうなると新しいごみ箱が必要になってまた別の土地を使うことになるが、そうやってどんどん土地を使っていくと最終的にどこも埋める場所がなくなっちまう。そうなったらこの村はどうなると思う?」
「……埋めた地面の上にごみを置き出す」
「まあそうするしかないだろうな。実際今もそうしててごみ山がどんどん増えていくってことだ。でもそれだって限界があるんだからな。そんなことしてたら最終的に村がごみで埋め尽くされて人間が住めなくなる。そして村は今その方向に向かっている」
わたしはカンスケの話に不安になっていた。村がそうなった時のことを考え出すと胸が苦しくなる。わたしは胸のわだかまりを取ろうとカンスケの話に反論した。
「でも、そうなるのってまだ先なんじゃないの? そうなる前に国の人とかに言ってどうにかしてもらうとかできないの?」
「国は最初から村をごみ箱としかみてないからどうもしねえよ。それにこの村は昔規模を大きくしたとはいえそんなに広くねえから、埋め立て地がなくなるのもずっと先の話ともいえねえな」
「……そんな」
「それに、この村の危険はもう間近にせまってるんだよ」
カンスケはわたしの不安を煽った。自分の村のことなのに話しているカンスケはどこか嬉しそうで、まるで自分には関係ないかのようだった。
「どういうこと?」
「そういう話が村の外にも伝わってるってことだ。お前がさっきいった外から人雇うっていうのだって、そんな将来なくなるかもしれない村なら仕事の安定が保証されてねえから働きたいとは思わねえだろ。ましてや居住ならなおさらしねえ。それに国のやつだって埋め立て地がなくなってきてることくらい知ってるだろう。だから今のうちに新しいごみ処理地区を探してるだろうし、もし見つかったらそっちに都会のごみをシフトさせるかもしれない。そうなるとこの村に価値がなくなるから経済支援が打ち切られることになる。結果、国の保護の下で運営できてた村は成り立たなくなるってわけだ。そういう可能性もあることが外の連中も知れ渡ってて、村に雇用を引っ張り込めないことに拍車をかけている。人を雇えないとなると、ごみを埋められないからまたごみ山が増えるわけだ。で、それが続けば最後には埋め立て地を使いきる前にこの村がごみに埋もれることになる。今の話をまとめれば、人手もいないし、いつ支援を打ち切られるかもわからねえからこの村はずっと危険と隣合わせってことだよ」
「…………」
カンスケは最後にそう結論した。カンスケの話にわたしはただ黙っていることしかできなくなっていた。胸の締められるような苦痛はますます大きくなってきている。それでも話を認めたくなくてカンスケに当たってしまった。
「……そんなのウソ」
「えっ?」
「……カンスケのウソつき」
「……なんだよ嘘じゃねえよ。ちゃんと調べたことなんだぜ」
「だったら大人たちはそのこと知ってるの? 知ってるなら子どもにも話すんじゃないの? カンスケだけがそういったってわたしは信じられない」
わたしはとにかくカンスケの話を否定したくて躍起になっていた。
「……知ってるだろうよ。まあ知らなくても大人なら誰でも薄々感じてるだろうが」
「えっ? でもそれだったら子どもにも教えるんじゃないの? そんな大事なこと」
「逆だよ。今人手不足って話したろ? だからできるかぎり子どもを外には行かせたくないんだ、村で働かせるために。もし村の本当の状況なんて話したら子どもは出ていきたいって思うだろ」
カンスケはフッと笑った。わたしはもう何も言い返せなくなっていた。
「それに大人だけじゃねえよ。俺以外の子どもでもそういうのに勘づいてるやつはごまんといるだろうよ」
カンスケはまた笑い、そこで言葉を止めた。
カンスケは話を終えると「暗くなってきたからそろそろ帰るか」と言い、今日の会話を切り上げた。わたしはまだ何かいいたい気持ちが残っていたが、結局わたしもカンスケの言うことに従って帰った。帰り路はカンスケの話で不安が胸に積ったままで速足になり、家に着くとすぐにおばあちゃんに抱きついて甘えた。おばあちゃんは「どうしたんだい?」と聞いたけれどわたしは何も答えず、ただ不安を消そうと顔をおばあちゃんの体にうずめていた。そうしていると、おばあちゃんはただ黙って優しく頭を撫でてくれた。
次の日からは正課の授業が始まり、その後もずっと正課ばかりの授業が続いた。新学期になると勉強も難しくなってきていて、特に苦手だった数学の授業はわからないことが増えてきていた。わたしは苦戦しながらも何とか授業についていけるように努力した。
九月のある日、わたしは昼休みにまたカンスケの秘密基地に行く約束をした。わたしは前のカンスケの話の不安がまだ残っていたので最初はためらっていたが、カンスケが強引に何度も誘てきたので、結局頷いてしまった。
カンスケは昼休みに少し片づけるから後から来るようにとわたしに言っていて、終わりのホームルームをフライングして先に秘密基地に行った。わたしは放課後、あまり気は進まなかったがカンスケの秘密基地に向かうことにした。校舎を出ようとしていると、突然後ろからこっちに向かって小走りに走ってくる音がしたのでわたしは振り向いた。ヨウタが走っていた足をピタッと止めてわたしを見ていた。顔を見てみると、うつむきながら何か言おうとして口をもごもご小さく動かしていた。けれどわたしはセイラのこともあり、あまりヨウタとは関わりたくなかったので、また前を向いて逃げるように歩きだした。
「おい待てよ!」
ヨウタは慌てた様子で追いかけてきた。正直疎ましく思えていたので足を速めた。それでもヨウタはわたしのところまで走ってきた。
「おい待てって、逃げなくてもいいだろ」
追いつかれて肩まで掴まれた。わたしはとっさに体を半回転させて手を振り払った。するとヨウタは少し傷ついたような顔をした。
「……何?」
わたしは相手をしないとまた追いかけられそうな気がして仕方なく無愛想に尋ねた。
「ちょっとオレの秘密基地に来ないか?」
「……どうして?」
「……別に理由なんてねえけどよ」
「…………」
わたしはまた前を向いて歩きだした。
「お、おい待てって。話はまだ終わってねえよ」
「……悪いけど今日はカンスケと約束があるから」
わたしは振り向かずに答えた。
「……なんだよ。カンスケだったら行くのかよ……」
ヨウタは暗い声を出した。
「……どういうこと?」
わたしはヨウタの言葉が気になってヨウタのほうを見た。ヨウタは暗い顔をしてうつむいていた。
「……カンスケならいじめててもいいって言うのかよ……」
「…………」
わたしは少し沈黙した。確かにヨウタのことが好きではないのはいじめをしているからだった。けれどいじめをしているのはカンスケも同じだった。いじめが嫌いならカンスケも好きではなくなるはずだけれど、わたしはカンスケを友達だと思っている。わたしは自分が矛盾を抱えていることに気づき、何だか気持ちがもやもやとしてむず痒く感じた。
「……でも、カンスケと約束があるし……」
「……カンスケには明日またオレから言っとくから」
「…………」
「……いいだろ?」
ヨウタがわたしの前を歩きだし、何度もチラチラとこっちを見た。わたしは少しためらったが、黙ってヨウタの後を付いていっていた。
本当はヨウタの後をついていった理由は、自分が矛盾を抱えていたからではなかった。わたしはまたカンスケがあの話をするのではないかと怖がっていて、それを避けるためにヨウタについていったのだった。自分が言い逃れのためにヨウタを利用しているのはわかっていて、自分が卑怯なことをしているともわかっていた。けれど自分の不安はどうしようもないことだし、ヨウタも来てほしがっているからと心の中で自己弁護をしてそれに気づかないふりをした。
秘密基地までの道では二人とも黙っていて、ヨウタが前を歩き、わたしがその後ろをついていった。カンスケと秘密基地に行く時とは違う沈黙で、いつになったら会話されるのかわからず気づまりな雰囲気だった。ヨウタも何度も後ろをチラチラとみて、わたしとの会話の糸口を探っているようだった。秘密基地は学校からずっと離れたところにあって、わたしが家に帰る道のりよりも長いように感じた。やっと目的地に着くとそこもまた埋め立て地で、秘密基地はカンスケのものよりひどく不格好で、木材や鉄パイプで作られた柱はガタガタして今にも壊れてしまいそうに見えた。
「……台風でやられちゃったんだよ」
わたしがじっと不安げに秘密基地を見ていたのにヨウタが気づき、ヨウタが話しかけてきた。それが下校での道のりから見て、初めてのヨウタの声だった。
「……でも、いろいろ補強とかもやったし、今まで倒れてきたりしてないから大丈夫だよ」
ヨウタが秘密基地に入っていき、そして中からヨウタが遠慮がちに手招きをした。わたしは不安を持っていたが恐る恐る秘密基地に入ってブルーのシートの上に座った。中を見渡すとお菓子の開いてある袋やまだ封をされた袋が大量に転がっており、そして漫画の本がそこかしこに積み上がっていた。
「ま、まあお菓子でも食えよ」
ヨウタは妙に上擦った声でお菓子の小さな袋を渡してきた。わたしはお菓子をあまり食べたことがなかった。村の雑貨店にも少ないながらも売っていたが、高価なので買っていなかった。やはり村のリーダーの息子だからお菓子も買えるのだろうかと想像した。けれどわたしはお菓子は体によくないと聞いていたので警戒していた。ためらっていると、ヨウタがじっとわたしのほうをうかがって食べてほしそうにしていたため、わたしは袋を開けて恐る恐る食べてみた。
「……おいしい」
「……そうか、そりゃ良かったよ」
ヨウタはホッとしたような顔をした。
「あ、あのさ」
「……何?」
「この前服着てたじゃん。何か村では見かけない服」
「……うん」
「あれ、結構似合ってたよ」
わたしはヨウタの言葉にキョトンとした。予想外の言葉だったからだ。服を着ると大人たちからは奇異な目で見られ、クラスメイトの二人からはけなされていたので、服にはせっかく作ったものとはいえいい感情を抱いていなかった。だから服のことを聞かれるのは嫌だったのだが、ヨウタは褒めてくれたので少し嬉しく感じた。
「……ありがと」
けれどその後の会話は続かず、秘密基地の中は沈黙だけが漂った。ヨウタもわたしをチラチラと見て何か喋ろうとしているようだが、結局またうつむいて黙ってしまうことを繰り返していた。気を紛らわすために少しずつ食べていた手の中のお菓子もなくなってしまい、わたしはとうとうしびれを切らしてヨウタに尋ねた。
「……どうしてわたしを呼んだの?」
「えっ?」
ヨウタが顔をすっと上げてわたしを見た。ヨウタは顔を赤くしていた。
「だって、理由もなくいきなり人を呼んだりしないんじゃないの?」
「えっと、その……」
ヨウタは顔を真っ赤にして慌てだした。うつむいたまま考え込んでいるようで、何か無理をして言おうとしているようだった。わたしはヨウタが何をしたがっているのかまるでわからなかった。
「あ、あのさ」
「……何?」
「お前、親のことどう思ってんの?」
「……わたしの親は今都会にいるからいないの」
「あっ!」
ヨウタはまた慌てだした。さっきとは違う慌て方で、何か言おうとして慌てているのでなく、言ってしまったことを撤回しようとして慌てているのだった。前に役所でヨウタのお父さんがわたしにしていた慌て方で、何だかそれが妙にやはり二人は親子なのだと感じさせた。
「……ごめん」
「気にしなくていいよ。わたしは代わりにおばあちゃんがいるから」
「……あっ、そうなのか。ばあちゃんのことは、どう思ってんの?」
「うん」
わたしは語り始めた。やっと会話らしい会話ができたように感じた。
「わたしのことすごく優しくしてくれるよ。普段から毎日ご飯も作ってくれるし、あの服だって夏休みにおばあちゃんがいろいろ熱心に教えてくれたり、手伝ってくれたりしたからできたんだよ。わたしがわがままいっても何でも聞いてくれるの」
「……そうなのかよ」
わたしが話すとヨウタは突然暗い顔になった。わたしはどうしてそうなったのか理解できず、自分が何かまずいことでも言ったのかと疑った。わたしはまた気づまりな雰囲気になってしまうような気がして言葉を繋げた。
「……ヨウタはどうなの?」
「オレは……別に」
ヨウタは自分から振った話なのに一言で終わらせてまた黙り込んでしまい、そして一段と暗い顔になった。わたしはそれでも言葉を続けた。
「……家族のことを話したかったんじゃないの?」
「えっ?」
「だって家族についての質問をわたしにしたんだから、自分の家族について何か関心があるんじゃないの?」
「……うん」
ヨウタは曖昧に返事をしてまた沈黙した。わたしがヨウタの様子をうかがうようにしていると、ヨウタが目を合わせて、やっと口を開いた。
「……オレ、親父と上手くいってないんだ」
「……そうなの?」
「昨日もケンカとかしたしさ」
「……それが話したかったこと」
「う、うん、まあ……」
ヨウタは言葉を濁した。
「……どうしてわたしなの? 友達とかには話そうと思わなかったの?」
「……あんなやつら友達でも何でもねえよ」
ヨウタは突然吐き捨てるようにいった。
「いっつもオレとつるんでるくせに、陰じゃオレのこと親の七光りとか言ってバカにしてるんだ。どうせオレが話したらまた陰でバカにするだけだ」
「……カンスケやユウジのこと?」
「……あいつらとは別のやつだよ。あいつらもどうせオレのことバカにしてるだろうけど……」
ヨウタはまた下を向いた。わたしは後に引けなくなっていたので、話を続けようとまた質問した。
「……お父さんと何かあったの?」
「跡継ぎのことだよ」
「跡継ぎ?」
「オレ、父ちゃんの跡継ぐために勉強させられてるんだ。でもオレそういう村のリーダーとか興味ねえし、運営とか国とかよくわかんねえから全然勉強できてないんだ。それでも父ちゃんは跡継ぎがいなかったら村が困るからって無理言ってオレに勉強させてくるんだよ。オレもそういうの嫌だから、昨日は勉強中に鉛筆とか本をムカついてきて思いっきり床に投げつけたんだ。そしたら近くで見てた父ちゃんはオレを黙って見下ろしてため息ついてきて、そのまま鉛筆と本を拾い上げて机に何も言わねえで置いてきたんだ。あんな目して、父ちゃんもオレをバカにしてんだ。お前はどうせバカな人間で親の期待にも応えられないんだって。オレはいっつも父ちゃんにそんな目で見られてるんだ。それが嫌だったから今度は父ちゃんに向かって置いた本を投げつけたんだ。それでも父ちゃんは何も言わねえでまた本を拾ってオレを見下ろしたんだ。結局今日の分の勉強が終わるまで机に座らせて、徹夜になってやっと終わったんだ。よくあることだけど。どうせなら口でお前はバカなんだって言ってくれたほうが楽なのにさ、それならオレだって自分はどうせバカなんだって開き直って勉強投げることもできるのに。でも父ちゃんは何も言わないで圧力だけかけてくるから、オレも何も言えねえんだ。母ちゃんだってオレに何も言ってくれねえし、父ちゃんの言ってることにいっつも黙って頷いてるだけで。オレのことなんか全然考えてねえんだ」
ヨウタは言葉をわたしにぶつけ、それは留まることがなかった。やっと今吐き出せた、泥のように濁って上手くどろどろとして流れた言葉だった。わたしもただ黙って聞いてるだけだった。ヨウタの話は長く続いた。
「――父ちゃんもさ、昔はじいちゃんに勉強やらされて大ゲンカになったっていってたクセにさ、今では自分だってオレに無理矢理勉強させてるんだ。おかしいだろ、自分が嫌がってたクセに自分がリーダーになったらオレに勉強させてさ。自分が嫌がること他人にやらせるなんて意味わかんねえよ」
わたしはヨウタの話を聞くうちに憐憫の念が生まれていた。前にカンスケからヨウタのお父さんがリーダーになるまでの経緯を聞いていて、やはりリーダーになるためにわたしが想像もつかないほどの猛勉強をすることはとても辛いことなのだと思い、それが今のヨウタにも当てはまっているのだった。けれどわたしはヨウタにわだかまりを持っていて、一方で冷たい気持ちにもなっていた。教室でいつもセイラをいじめていて、それ以外でも外でいじめているようで、わたしのわだかまりの原因となっていた。わたしはヨウタから間接的に嫌な思いをさせられてきていたので、どうしても完全にかわいそうだとは思えなく、ただ自分の不満だけ口にしているヨウタに憤りも感じていた。長々と自分の話をしていたヨウタにわたしはそこで口をはさんだ。
「でも、ヨウタにもそれってあてはまるんじゃないの?」
「えっ?」
突然話を妨げられたヨウタはうろたえた。
「自分が嫌がることを他人にするのはおかしいって、だったらヨウタがセイラちゃんにしてることは何なの?」
「……なんだよ、お前までオレの敵になるのかよ」
「そういうわけじゃない。ヨウタは教室で座ってるところ大人数で囲まれてからかわれても嫌じゃないの? さっきからヨウタがいってるバカにしてるってことだよ」
ヨウタはまた意気消沈して黙ってしまった。少し時間が経ち、ヨウタが口を開いた。
「……オレだって別にやりてえわけじゃねえよ」
小さな声だった。
「じゃあどうしてやるの?」
「ユ、ユウジが言い出したんだよ。あいつの父ちゃんがきちがいで、おかしいやつなんだって。だからオレも、その……乗っかったんだ」
「ユウジが?」
わたしは少し意外に思った。ユウジはいつも二人の後をついていってるだけだと思っていたが、セイラのいじめはユウジがきっかけだったらしい。それでもヨウタが率先していじめてることに変わりはなかった。
「でも、ヨウタがいじめてることに変わりないでしょ?」
「…………」
ヨウタは口をつぐんでしまい、また秘密基地の中は沈黙した。やがて空は暗くなってきて、夜が来るのだと告げていた。わたしは夜の気配を感じると、すっと立ち上がって靴を履いた。
「……じゃあ、遅くなったから帰るね」
「ちょ、ちょっと待てよ、おい」
「……何?」
もう遅いのに止めてくるヨウタに疎ましく思い、わたしは苛立ちを顕わにした。
「また、ここに来てくれるのか?」
ヨウタは不安げで、泣き出しそうな顔つきだった。わたしが来ることを懇願した眼差しで、わたしがまた来るように必死になっているようだった。確かにヨウタの話ではわたし以外に自分の不満を話せていないらしく、唯一のはけ口が今のところわたしだけだった。だからこのまま断るのはヨウタを見放すことになりかわいそうに思えもした。じっと怯えたように見つめてくるヨウタを見ながらわたしは考えた。
「じゃあ一つ約束してくれる?」
「……何?」
「いじめをするのはやめて」
「……わかったよ今後はセイラをいじめるのはやめるよ」
「セイラちゃんだけじゃなく誰でも」
「わ、わかったよ誰もいじめたりしねえよ……」
まだわたしに話したがって物足りなさそうにしているヨウタを置いてわたしはスタスタと歩いていった。
明日になって登校して下駄箱で上履きに履き替えていると、突然カンスケが表れて下駄箱の隅から表れてわたしの肩を強く突いた。かばんは持っていないのでもう教室には入っているようだった。
「おい」
カンスケは見るからに不機嫌そうで、わたしに怒りを顕わにしていた。わたしはただうつむいて黙っているしかなかった。
「なんで昨日来なかったんだよ」
昨日はカンスケの約束を塗り替えてヨウタの秘密基地にいっていたのだった。
「……ごめん、ヨウタの秘密基地に誘われたからいっちゃったの」
「あいつの?」
カンスケは驚き、そしてバカにしたような顔をした。この様子だと教室にいるはずのヨウタはまだカンスケにわたしの約束のことをいっていないらしい。カンスケには言っておくと昨日言ったはずなのに言っていなかったことにわたしは腹を立てたが、わたしも前にミヤマエのまた貸しをカンスケに言うのを忘れていたため、ヨウタを責めるに責められなかった。
「なんであんな奴のとこになんか行ったんだよ」
「……どうしてもって言われて……ごめん」
「それで行ったのかお前? お前どうしてもって言われたら約束破っていいとでも思ってんのか」
カンスケの怒りは収まらなかった。それももっとものことだと思う。わたしはただ謝ることしかできなかった。
「……ごめん」
「……ふん」
やがてカンスケは怒るのを止めて、カンスケはわたしに背を向けて不機嫌そうに歩きだした。
「今度裏切ったらてめえ絶交だからな」
カンスケは背中を怒らせながら教室へと戻っていった。けれどわたしはそれを見てなんとなく安心していた。
下駄箱での出来事を契機にカンスケと話すことが少なくなってしまった。けれどそれはカンスケのせいではなく、わたしが主な原因だった。カンスケはその時怒っていたが、それでもこれまでと変わらずにまた秘密基地に誘ってくれていた。けれどわたしはあれこれ理由をつけて断るようになって、教室でもなんとなく目を合わせづらくなっていた。下駄箱で怒られたことを気にしているのではなく、また村の実情のことを話すのではないかと不安になっていたからだった。わたしは代わりにたまにではあるけれどヨウタの秘密基地に誘われて行くようになっていた。秘密基地に行っても相変わらず会話は弾まず、話しても愚痴ばかりで正直つまらなかった。けれどカンスケを断ってばかりの罪悪感を埋め合わせるために、ヨウタの愚痴を聞くことで自分はヨウタの助けをしているから仕方ないんだと納得させていた。当のヨウタはわたしが一緒に帰ることを承諾すると嬉しそうにしていて、わたしの卑怯な考えには気づいていなかった。ヨウタはわたしと約束して以来セイラをいじめなくなっていたが、教室では最近男子三人で話し合うことも少なくなっていて、いじめてたころよりも元気がなかった。けれどいじめをしていないのはセイラだけのようで、ヨウタはごみ山で相変わらずわたしが知らない男の子を複数の男子でいじめていた。下校中にわたしがいじめを目撃すると、ヨウタは済まなさそうな顔をして少しうつむいて、それでもいじめは続けるのだった。
十月に入って来ると、だんだん授業でわからないことが増えてきて、特に数学は授業に追いつけなくなってきていた。前までならわたしは授業でわからないことがあるとカンスケに聞いていたが、最近はなんとなくカンスケに話しかけづらくて聞けずにいた。
「……あの先生、わからないところがあるんですけど」
今日は何とか授業を理解しようと思い、決心して数学の先生に質問することにした。けれど先生の答えは冷淡だった。
「それは君がちゃんと授業中聞いていなかったから悪いんです」
先生は後ろにいるわたしを見向きもせず職員室に向かっていた。
「……すみません。でも今度はちゃんと聞いていますので、教えてください」
「わからないんだったら教科書をしっかり読んでください。教科書を読めばちゃんとわかりますから」
先生はまるで手応えがなかった。それでもなおわたしは諦められずに食い下がった。
「さっき教科書もじっくり読んだんです。でもどうしてもわからない箇所があって、そこだけ教えてほしいんです」
わたしが何度も頼んでいるとそこでやっと先生は歩みを止めてこちらに体を向けた。
「だったら金字路くんに聞いてみてください。金字路くんだったら君の先輩で成績も優秀ですからきっと君の質問にも答えられるでしょう」
それだけいうと、先生はまた職員室に向かって歩きだした。わたしはとうとう諦めざるを得なくなってしまった。先生に話を聞いてもらえないとなると、もう誰も教えてくれる相手がいなかった。先生はマダイに聞けと言っていたが、マダイは今も受験勉強の真っ最中でわたしの相手なんてするはずがないことは目に見えていた。わたしが頼んでも邪険に断って無視されるのがオチだった。わたしは教室に戻りながらやはりカンスケに聞いたほうがいいと思った。けれどそれも抵抗があってどうしてもできず、どうしようか迷っているうちに教室についてしまった。わたしが中に入ると、相変わらずマダイは机に向かってノートに鉛筆を走らせていて、誰も相手にしない、バリアのようなものを張っていた。けれどわたしは出来心が表れて駄目元ではあったがマダイに頼んでみる気になってしまった。
「……あの、マダイ」
わたしは遠慮がちに声をかけた。けれど予想通りこちらを見向きもしないで鉛筆を走らせていた。それでも引っ込みがつかなくなっていたわたしは続けた。
「……わからないところがあるから、教えてほしいんだけど」
そこでピタッと鉛筆を止めてわたしのほうを見て、ふんと鼻を鳴らして冷たい視線を送ってきた。わたしはやっぱり駄目かと思った。
「……別にいいけど」
マダイは予想外の返事をして、わたしは拍子抜けをした。
マダイは放課後にみんなが帰った後で勉強を教えると約束した。わたしはわざわざ放課後を使うほど聞くつもりはなかったけれど、そういうとマダイの気を損ねてしまうような気がしたので黙って頷いてしまった。マダイはわたしたち一年生とは違って三年生の授業を受けるのだが、わたしたちの学校では同じ教室で同じ先生から同じ時限に別々の授業をするスタイルだった。けれどマダイに対してはほとんどプリントを渡して課題をやらせるものばかりで、授業はほとんど一年生のためのものだった。マダイも授業中でも別の勉強をしていたいらしく、いつも渡されたプリントをすぐ仕上げて自分の勉強に取りかかっていた。放課後になってみんなが帰ると、わたしはマダイに教科書を開いて緊張しながらわからない箇所を指差した。マダイは黙ってじっと教科書を見た。
「机を寄せろ」
わたしは言われたとおりマダイの席に自分の席をつけた。わたしはほんの二、三分で終わると思っていたのに、マダイは腰を入れて教えるつもりのようだった。教えてもらう立場ではあるけれど、本当は勉強が嫌いなのでなるべく早く終わらせてほしいと思っていた。わたしは少しげんなりした気持ちになりながら座った。ところがマダイが説明を始めると、解説が丁寧でとてもわかりやすく、わたしは真剣になって話を聞くことができた。今まで教えてもらっていたカンスケの教え方は面倒くさそうでぞんざいで、いろいろと端折っていてわかりにくかった。先生たちの教え方もカンスケほどひどくはないし、ちゃんと一つ一つ説明してはいるのだが、やる気がなく面倒くさそうにしてやるのでこちらの気分も退屈になってしまっていた。けれどマダイは勉強を教えているときはどこか生き生きとしていて、わたしが理解していることを確認しながら話を進めていて先生たちよりも先生のようだった。唯一気になったのはわたしが指を指した箇所だけではなく、それに関連する分野まで一から説明しだして話が長くなってしまうことだった。やらなくていい公式の式の作り方まで教わった。それでもマダイの授業には感心した。
「――今日はありがとう」
「……どうして僕に聞いたんだ?」
「えっ?」
「お前いつもはカンスケに教えてもらってるだろ?」
「えっと……」
わたしは答えに窮してしまった。まさかマダイから勉強と関係のない話をしてくるとは思わなかったし、わたしはカンスケを最近避けているからとは言いにくかった。そもそも勉強一筋のマダイが周りの人間の関係性を知っていたのは意外だった。
「先生に教わろうとしたら、金字路くんに教えてもらいなさいって言われたから」
マダイがどうして今日はカンスケではなく自分に聞いたのかを質問しているのに、わたしはわざとカンスケの部分は答えなかった。
「ふん、そうか」
マダイはそっけない反応をした。聞いてみただけで答えにはそれほど興味がなかったようだった。
「あの左遷教師どもらしい対応だな。ここに飛ばされたのも頷ける」
「どういうこと?」
わたしは気になったはずみで聞いた。
「一応この学校も公立だから、地方行政が教員の配属する学校を決めるんだよ。それであいつらは成績不良の落ちこぼれだからこっちに来たわけだ」
わたしは先生の配属がどうやって決められるのかはよくわからなかったが、とりあえずこの学校は駄目なところだと言っているのはわかった。
「あんなやつらより、僕のほうがよっぽど教えるのが上手かっただろ?」
「うん」
マダイは自慢げに聞いてきて、それにわたしは素直に答えた。
「さっきの数学の授業だって、アレは何だ? 大事なところが抜けすぎていて、まるで意味のわからない授業だ!」
「……そうだったの?」
マダイは先生の授業を批判した。わたしとカンスケのことといい、勉強ばかりしているマダイは案外周囲のことをちゃんと見ているのだと気がついた。わたしはてっきり自分の関係ないことには全く関心がない人だと思っていた。
「だから学校に生徒なんてロクに増えないんだ。周りを見てみろ、空席だらけじゃないか!」
わたしは教室を見渡した。みんな帰ったのだから当然空席しかない。けれど確かに七人全員がそろっても空席だらけだった。
「学校も組織だからな。生徒を増やさないと学校が廃校になってあいつらは働くことができなくなるから生徒を増やすのに必死なんだ」
マダイは学校の事情について語った。似たような話を前にカンスケから聞いていた。村に人手が必要でごみを減らさなければならないという話だ。マダイも村のことを知っているのかと想像したけれど、わたしは自分の口からそのことを言うのは怖くてマダイに確認しなかった。マダイは話を続けた。
「それで今校長はそれを打破しようと僕にかけている」
「……何をかけてるの?」
わたしが聞くと、マダイはフフンと鼻で笑い得意気な顔をした。何だかわざと曖昧に話すことで相手に質問させるように仕向けたようだった。マダイは椅子に座り直し姿勢を正した。
「僕が帝国附属高校に行くことさ。僕が都会のトップクラスの高校に行けば、この落ちこぼれ学校から帝国の生徒が出たって評判になるから生徒が増えるって算段なんだ。だから僕は学校の教師どもに気に入られて、そいつらにへコへコされてるんだ。成績がとても優秀な僕があいつら落ちこぼれの希望となっている。生徒が来ないのはお前ら教師が原因だというのに」
マダイは先生たちをバカにしつつ自分のことを褒めた。他人と比較してより自分がすごいのだと見せつけているような気がした。そして先生たちを嫌っているようだった。
「でも僕が勉強することがあいつらの希望になっているのだと思うと反吐が出るよ。そんなつもりはないのにな。村の連中だって同じだ。道で僕に『勉強はどうだ?』とか声をかけてくるけれど、所詮教師どもと同類で下心が透けて見えてくる。村のやつらも僕が帝国に合格したら外からも生徒が来て村の子どもが増えると考えている。全く凡人が優秀な僕にすがりたくのはわかるが、その期待するという行為が僕の邪魔になっているということにまるで気づいていない」
マダイはまた大人たちをバカにした。マダイが自分のことを話しているのは初めてのような気がした。少なくとも今までマダイが自分のことを話しているのは見たことがない。どうして今わたしに話しているのかわからなかったが、恐らくマダイはそれを誰かに話したかったのだと思う。マダイは多くの大人たちに期待を一身に背負っているようで、けれどマダイはそれを煙たがっていた。今話しているということは、それだけずっと嫌に思っていたことなのだろう。けれどマダイは下心が見えて嫌なのだと言っていたが、本当の理由は別にあるように感じた。
「期待なんてものは相手のことを全く慮らない身勝手な行為だ。自分の低能さから目を避けるために他人に視点をすり替えているだけに過ぎない」
「プレッシャーなの?」
「何がだ?」
マダイはとうとうと話していたのを遮られ、露骨に嫌そうな顔をした。マダイはわたしにただ黙って聞くことを望んでいるようだった。
「……さっきマダイが大人たちに期待されるのが嫌だって言ってたのは、それが受験勉強の重荷になるからで、マダイはそれだけ受験に合格することにプレッシャーがかかっているのかなって思って」
わたしは受験勉強のことがよくわかっていなかったが、受験勉強は確かほとんど一発勝負でとても努力をしないと合格できないものだという。マダイの口からも将来がかかっていると言っていたし、マダイにとって受験勉強がとても大事なものであり、合格をしたいと思っているはずだ。わたしが言い終わるとマダイは眉を歪ませた。
「当たり前じゃないか!」
マダイは憤慨してわたしに怒鳴った。
「お前も村の連中と同じ無神経なやつだ! だから僕は何も知らないくせに好き勝手に他人に口出しするやつが嫌なんだ! 全く勉強をしていないやつはこれだから。いいか! 勉強は大切なことで将来を左右することなのだからやらなければならないことだ! それをお前らは全くわかっていない!」
マダイはやはりひどく勉強にこだわっているようで、勉強していない人を嫌っているようだった。けれどわたしはどうしてそこまで勉強にこだわっているのか疑問に思った。マダイは将来のためにしていると言っているが、何だかそれは自分に言い聞かせているもののようで不自然な感じがした。わたしは改めてマダイが勉強していることについて尋ねてみた。
「マダイはずっと勉強ばかりしているようだけど、その学校にどうしても行きたいの? やっぱりすごいところだから?」
わたしが質問すると、マダイはバカにしたような目つきをした。そのまましばらくわたしを見て、マダイは仕方なさそうにわたしに話しだした。
「――母親にどうしても行かなければならないのだと、ずっと教えられてきたからだ」
マダイはそこで眼鏡を右手の中指でクイッとあげて、姿勢を正した。マダイが姿勢を正すのは長い話をする合図のようだった。
「母ちゃんは戦争中に都会から逃げてきて、この村に住み始めたんだ。父親は知らないが僕はこの村で生まれて、小さい頃からずっと母ちゃんから都会の――母親の故郷の素晴らしさについて聞いて育ってきたんだ。この村のようにただ同じ仕事をして空虚な日々を送ているのではなく、都会ではそこで活躍をして生き生きと生活する人が溢れていて、中には都会から世界にだって行く人もいるのだといつも聞かされていた。そんな人たちのようになれるよう母ちゃんはいつだって僕に立身出世をするのだと唱えてきたんだ。世の中で活躍して立派な人になれということだ。そのためには世間に認められる必要があって、社会的に広く知れ渡っている名門学校の帝国附属高校に行く必要があるんだ」
「じゃあ偉い人になるために受験勉強してるの?」
「そうだ。僕のような優秀な人間はこんな村にいるべきではなく、都会で活躍するべきなんだ。母ちゃんはいつだって帝国附属高校に合格できなければ立派な人物にはなれない、一生つまらない人間のまま終わってしまうのだと言ってきたんだ。だから僕が小さな頃からわざわざ隣町まで行って合格する英才を養うための教材を買って、僕に学ばせてきてくれたんだ。それに学校へ行くための学費や滞在費だって母ちゃんは今必死に稼いでくれているんだ。今まで母ちゃんがやってきたことは全て僕が帝国附属高校に進学するためのことだったんだ。母ちゃんはずっと僕が都会に出ることを望んでいて、だから僕は合格しなければならない」
マダイは最後にまじないのように合格しなければならないと言って話を終えた。マダイはお母さんから受験に合格できるよう育てられて、勉強してきたのだという。そしてマダイの話には何度もお母さんというワードが出ていた。マダイはお母さんのことが好きで、だからお母さんの都会の学校に行ってほしいという期待に応えたいという一心で今まで勉強してきたのだろうとわたしは考えた。他の大人たちの期待ではなく、唯一お母さんの期待に応えようとしているのだと思う。わたしのお母さんはお父さんと離婚してもうおらず、わたしが小さな時にはわたしを置いて出ていってしまい、わたしはお母さんというものを実感せずに育ってきた。だから小さい頃からずっとお母さんが自分のために尽くしてくれていて、そして自分もお母さんを思いながら育ってきたマダイが少し羨ましくも感じた。多分それが普通の家族なのだろうと思う。
「……マダイはお母さんのこと好きなんだね」
「…………」
一言漏らしたわたしに、マダイは何も答えなかった。
「――マダイは嫌がるかもしれないけど……受験頑張って」
「……ふん」
マダイは鼻を鳴らして立ちあがった。別段嫌がっているわけではないようだった。
「もうこんな時間だ。母ちゃんがそろそろ迎えに来る頃だ」
右手につけた腕時計を見てマダイは独り言のように言った。それから時計から目を離してわたしを見た。
「お前、またわからないところがあったら僕が教えてやる」
「えっ? いいの?」
マダイは突然意外なことを言い出した。
「僕は親切な男だ。下級生が勉強に困っていたら、先輩として教えてやるのは当然のことだ」
マダイはそれだけ言って教室を出ていった。
わたしがマダイに数学の勉強を教えてもらって以来、勉強を教えてもらう相手はカンスケからマダイにシフトしていった。教えてもらうのはいつも放課後で、誰も教室にいなくなってからマダイの授業が始められた。いつもよけいだとは思うけど、聞いたこと以外の内容についても教えられた。教えている時のマダイはやはり生き生きとしていて、何だかわたしに教えるのを楽しみにしているようだった。最近ではマダイが「今日の授業はわからなかっただろ?」と聞いてきて、放課後の約束を取り付けるようになっていた。実際マダイが指摘した授業はわかりにくいものだった。マダイの授業が終わった後は、マダイのお母さんが迎えに来るまでマダイがいろいろと話すことが恒例の事となっていた。マダイの話す内容は自分の学習の計画をどうするかということや自分が今苦戦している箇所などのわたしにはよくわからない勉強の悩み、それから村の大人たちに対する不満や自分の自慢などだった。そして自分の話だけでなく、マダイは案外わたしを気にかけてくれているようで、たまにお前も何か話したいことはないかと聞くことがあった。わたしはその時マダイに友達にはどんな人がいるのか聞いてみたことがあったが、小さい時からずっと勉強ばかりでいないのだという。それならずっとマダイは一人で、お母さんも仕事をしてばかりのようだから自分の言いたいことや悩みなどは誰かに話せていないのだろう。だから放課後わたしに勉強を教えようとするのはわたしにそういった話をするためで、受験勉強に対するプレッシャーをやわらげているのだろうと思った。わたしもマダイのことを応援したかったので、マダイが自分から放課後教えてやると言う日は少し勉強するのが嫌な時もあったけれどなるべく行くようにしていた。
十月もそろそろ終わりが近づいてきてだんだん寒くなってきた。わたしは十月の下旬第四週目の土曜日に、おばあちゃんが作ってくれた毛糸の手袋やマフラーを付けて雑貨店に行って買い物をした。いつものように一週間分の食糧や足りなくなった生活用品を買ったが、今日は冬の準備のためいろいろと品を買ったので一段とかばんが重くなった。わたしが店を出ると、外は仕事のピークである昼間だったのでとても騒がしかった。大人たちはいつものように機械を忙しそうに動かしていて、気温はもうかなり下がってきたけれど、ごみ山で働く大人たちは大きな汗の粒を流していた。
わたしは帰り路、久しぶりにミャーちゃんのお墓参りをしようと考えていた。夏休みになってから服作りに夢中になっていたためずっと投げっ放しになっていて、そのままお墓参りのことを忘れてしまっていた。昨日の下校の時に猫が道を走っていくのを見てお墓参りのことを思い出したのだった。わたしはお墓参りの作法をあれこれ思い出しながら生ごみのエリアに向かった。水筒や造花などは事前に用意してあった。生ごみのエリアに近づくにつれ、だんだんとその臭気を感じ、以前よりもさらに臭いがきつくなったように思いわたしは少し鼻を覆った。――そこでうー、うー、という苦しそうな声が聞こえてきた。わたしはハッとなって、息を殺してゆっくりと歩きながら生ごみのエリアに向かった。少し生ごみのエリアから少し離れた位置で、近くのごみ山に身を隠すようにしてエリアをうかがってみると、浅黒い肌の男性と、そしてセイラがいた。男性はもう寒い時期になったというのに以前見たように何も衣服を身に着けておらず、生ごみの中にうつぶせに倒れ込んでいた。そしてその隣で以前と同様に肩と背中が少し出た上着と膝の見えるスカートという薄着のセイラが黙って見おろしていて、まるで寒さを全く感じていないかのようだった。倒れている男性は倒れたまま生ごみの入った袋を手で何度も叩き、体を左右に揺すっていた。わたしは二人が何をしているのか気になって見続けていた。どこか見てはならないもののように感じて、少し後ろめたい気持ちになって前に出ていくことはできなかった。しばらくすると、隣にいたセイラは男性にそっと近づいていった。瞬間、わたしは息を呑んだ。セイラが突然男性の腹部を蹴り飛ばしたのだった。男性はうー、うー、と苦しそうに唸り出してお腹を片手で抑えた。男性はそのまま生ごみの中で体を返して仰向けになり、腐ったごみを顔に垂らしながらセイラを見上げた。見上げた瞬間セイラは男性の顔を踏みつけた。
「――――」
男性はうー、うー、と呻きながらまた汚れた顔を生ごみの中へ埋めた。セイラは踏みつけた後で何か言ったようだが、とても小さな声だったのでよく聞き取れなかった。けれどその声はとても低く感情がないもので、わたしは少し肌がピリピリとした。男性はまだ生ごみの中で呻いているようで、体を震わせていた。寒さのためであるように思えたが、それとは別の震えのように感じた。
「――――」
セイラがまた何か呟き、今度は男性の胸元を蹴りつけた。そしてうー、と男性は今度は高く唸り、また仰向けになって足を広げた。そこでわたしはそれを見て気分が悪くなって口元を抑えた。男性の足と足の間にはグロテスクな物体が見えた。以前見た時は垂れ下がっていたが、今それは空に向かってピンと突き立って以前よりも一段と大きくなっていた。ビキビキと青い筋たちが浮き立って今にも破裂して中のものが飛び出てしまいそうだった。セイラはただ黙って仰向けになった男性を見ていた。その視線はとても冷たくてまるで周りの生ごみと同化したもののように見ていた。瞬間、今度は男性の足と足にあるそれを蹴り飛ばした。男性はさっきよりもとても大きな声でうー、と唸り、それを両手で抑えて体を丸くした。横向きになりまるで胎児のような格好になった男性の背中をまたセイラは蹴り飛ばした。
「――死ね」
その瞬間わたしの頭の中はピリピリと逆立ち、そして足の下から全身が肌寒くなり、おばあちゃんの防寒具も暖かさを感じなくなった。何度も呟いていたセイラの呟きをやっと聞きとったのだった。わたしはうろたえて足を思わず引いてしまい砂利を踏んだ。セイラはその音に気付きごみ山に半身を隠したわたしのほうを見た。セイラは一瞬だけ口を歪めチッという大人たちが使うライターのような音を出した。そしてすぐわたしから目を離しセイラはしゃがみこんで男性の背中を優しくさすり始めた。
「お父さん! 勝手に外に飛び出したりしたらダメだよぅ。ちゃんと家で寝てないといけないのにぃ。そんな格好じゃ風引いちゃうよ」
セイラは子どもをあやすような甘くて高い声を出した。セイラに背中をさすられている男性はうー、うー、と低く呻いていた。わたしは早くこの場から逃げだしたい気持ちであったが、隠れて覗いていた後ろめたさもあって自然と足がセイラのほうへ歩み寄っていた。セイラはわたしを見た。
「ユバエちゃん! どうしたのこんなところに?」
セイラはさっきわたしと目を合わせたはずなのに、びっくりしたような顔をして今初めてわたしを見たかのような素振りをした。セイラはわたしに笑顔を向けた。
「お父さんが家から突然いなくなっちゃったから大変だったよぅ。お父さんわたしに内緒で勝手にお出かけしちゃうから」
セイラはエへへと笑った。やはり前に見た時と同じようにどこか演技的でぎごちのない笑顔だった。
「さあお父さんも帰らないとねぇ。そんな格好じゃ風邪引いちゃうからあったかくしないとねぇ。お昼まだ食べてないから帰ったらセイラがおいしいの作ってあげるからねぇ」
セイラは横になっている男性のお腹辺りに両手を回して持ちあげた。男性もセイラに従って肩につかまって立ちあがった。変わらず男性はうー、うー、と唸っていた。
「お腹すいたね。帰ったらおいしいの食べようねぇ。じゃあねユバエちゃん」
セイラは男性の腕をヒシッと両手で掴み、そしてわたしに笑いかけながら別れのあいさつをした。
「――見てたよ、わたし」
男性を支えながら歩いていくセイラの背中に、わたしは口を走らせていた。そこでセイラは立ち止まって、ゆっくりと振り向いた。目はもうさっきのように笑っておらず、無表情で冷たかった。セイラがわたしと会う前に男性に向けていた表情と同じだった。
「――どうしてお父さんにそんなひどいことしてたの?」
わたしは怖々と声を発した。セイラは何も言わず冷たい目つきでわたしを見ていた。セイラに支えられていた男性は急にグラリと前のめりに倒れ込んだ。すぐセイラは倒れる男性のお腹に両手を回して抱きとめた。そのままの形でセイラは歯を剥き出してぎりぎりと噛みしめていた。
「――なんでお前がここにいるんだよ……」
セイラは低く小さい声でわたしに聞いてきた。セイラの声は震えていて、怒りをこもらせていた。わたしはセイラに答えた。
「……わたしはここにお墓参りに来たの。わたしが仲良くしてた猫がここで死んじゃってたから、だからここで以前からお墓参りしているの」
わたしは頭が落ち着いておらず、ちぐはぐな説明になってしまった。けれどセイラは全く聞いていないようで、ただ黙ってわたしを冷たい視線で見ていた。わたしはまたセイラに聞いた。
「……どうしてさっきお父さんを蹴飛ばしたりしてたの? お父さんなのにどうして暴力振るうの?」
「……うるせえよ」
セイラは小さな声でわたしに苛立った。それでもわたしは続けた。
「……その人さっきから苦しそうにしてたよ。唸り声とかあげたりしてて。それにさっきセイラちゃんその人に〝死ね〟って言ってなかった? 何でお父さんなのにそんな――」
「黙れっていってるだろお前!」
突然セイラが叫び声のような怒鳴り声を出し、わたしの話を塞いだ。わたしは驚いて体に電流でも走ったかのように硬直した。セイラがそんな大きな声を出すのだとは今まで考えもしなかった。
「ふざけんなお前! 何も知らないくせ偉そうにあたしに口出ししやがって! あたしがどんな思いをしてるか何も知らないくせに! 死ね! 死んじまえ!」
セイラが浴びせるようにわたしに叫んだ。わたしは圧倒されてただ叫ぶセイラを見ていることしかできなかった。大人しくしていた男性が再びうー、うー、と唸りだした。セイラは唸っている男性のお腹を殴った。
「お前もうるせえっていってるんだよ! 黙れよ!」
セイラが男性に叫びだすと、男性はますますうー、うー、高く唸った。わたしは見ていられなかった。
「セイラちゃん、お父さんにそんなことしたらダメだよ。お父さん苦しんでるよ」
「黙れって何度もいってるだろ!」
セイラはわたしに叫び、そして抱き止めていた男性をわたしに向かって突き飛ばした。突き飛ばされた男性は前のめりにヨタヨタとわたしに向かって突進してきた。咄嗟にわたしは男性を避けると、男性はそのまま生ごみの中へ倒れ込み、またうー、うー、と苦しそうな声を上げた。その途端セイラはハッとしたような顔をして男性に駆け寄って、頭を優しく撫でだした。
「ごめんねぇ、痛かったねぇ。セイラ反省してるからお父さんごめんねぇ。早く帰ろうねぇ」
セイラはまた男性のお腹を持ち上げて、男性はうー、うー、と苦しそうに唸りながら立ちあがった。そのままセイラは男性を引っ張るようにして歩いていった。隣にそれを見ているわたしには一瞥もくれず、まるで最初からいなかったかのような対応だった。わたしはその場で茫然と立ち尽くしてセイラと男性を見ていた。
セイラが見えなくなった後、結局わたしはミャーちゃんのお墓参りをする気にもなれず、そのまま家に帰ってしまった。おばあちゃんが「おかえり」というのも聞かず、わたしは中央の机にかばんだけ置いてそのまま寝台に倒れ込んだ。おばあちゃんは「どうしたんだい?」と尋ねてきたけれど、わたしは答える気にはなれず、そのままぼーっとしていた。何だかもやもやとして気持ちがすっきりとしなかった。
学校ではセイラは前と変わらず、自分の席でうつむいてただ黙っているだけだった。そうした姿を見ていると生ごみのエリアでセイラが叫び散らしていたことはウソのようだった。もうセイラはヨウタたちにいじめられることはなくなっていて、そしてヨウタたち三人も最近は全然話していないようで、教室の中はとても静かになっていた。唯一マダイが鉛筆を走らせる音だけが響いていた。
わたしは相変わらずカンスケの誘いを断っていた。何度も断っていて、とうとうカンスケはわたしにイライラしだして「どうしてだよ」と不満そうに口にしだした。わたしはただ「……ごめん」と謝るだけだった。カンスケはそれから「もしかしてまだあの時のこと怒ってんのか?」と言ってきたけれど、それにもわたしは答えずただ「……ごめん」といった。カンスケはわたしの答えを聞いてしばらく沈黙して、そしてチッと口から音を出して自分の席へと戻っていった。わたしはカンスケに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
カンスケと付き合うことの代わりにわたしは主に放課後はヨウタとマダイと付き合うようになっていた。ヨウタは相変わらず一緒にいてもつまらなくて、カンスケと一緒にいたほうが本当はずっと楽しかった。マダイも一緒にいても勉強があるし楽しいというわけではないのだが、わたしは応援をしたくて何となく一緒にいてあげたい気持ちだった。
季節は十一月になり、もうそろそろ冬の気配が混じり出してくる月日となった。クラスメイトたちはみんな冬用の服に変わってきて、唯一セイラだけ薄着のままだった。けれど外で仕事をする大人たちの衣服は変わらないままで、相変わらず汗を吸った作業服だった。景色は夕暮れを迎え、わたしは一人大人たちが機械の音を立てて帰っていく音を聞きながら帰り路を歩いていた。今日は中間テストがあって少し疲れていた。マダイから放課後数学だけでなく、他の教科の授業を受けるようにはなっているのだけれど、その甲斐があったのかいまいちわからず少し不安だった。疲れと不安が重なっていたためか、わたしの歩みは少し重くてうつむきがちだった。帰ったら早速おばあちゃんのご飯を食べようとぼんやりと考えていた。帰り路、ガラス置き場にさしかかった。ミヤマエと初めて一緒に帰ることになった日、ここを通った時にヨウタと男子たちがここで男の子をいじめていて、それにミヤマエが罵倒したのだった。そういえば最近ミヤマエに誘われなくなって一緒に帰っていない。それが少しさびしくも感じていた。しばらくガラス置き場の段差に沿って歩いていると、二つの人影がガラス置き場にあった。わたしは人影を見て少し珍しく感じた。ユウジとセイラが向かいあっていた。ユウジの隣には大きなバケツが置いてあり、中身は空っぽだった。一方でセイラは教室にいる時のようにうつむいて黙っているだけで、周りにガラスの破片が飛び散っていた。わたしは不審に思った。途端に、ユウジがセイラの胸倉を掴んで地面に叩きつけた。わたしは息を呑んだ。セイラは地面で横になってじっとしているだけで、全く反応しなかった。わたしは咄嗟に段差を飛び降りてユウジたちの下にかけていった。
「何してるの!」
わたしはユウジに声をはりあげた。ユウジは振り返り、興味無さそうな顔をしてわたしを見た。
「……何だ、お前か」
「何だじゃないでしょ! どうしてセイラちゃんにそんなひどいことしてるの!」
わたしはユウジの反応に腹を立ててまた声を出した。けれどユウジはそれでも興味なさそうにして、わたしから目を離しふうと息をふいた。
「……お前ヨウタの時は怒れなかったくせに、おれには怒れるんだな」
わたしはユウジの言葉に沈黙してしまった。自分が卑怯なことをしているのを指摘されて言い返せなくなった。
「……まあ、どうでもいいけど」
ユウジはそう言いながらセイラの腹を蹴った。わたしは咄嗟に怒った。
「ちょっと止めて!」
わたしはユウジの肩を掴んだ。ユウジはそれでもわたしを無視していた。
「痛いよぅ! ユバエちゃん助けて!」
さっきまで黙ってじっとしてたセイラが突然大声をあげた。それは演技的でわざとらしくて、聞いた途端もやもやとした気持ちになってしまい、ユウジの肩を掴む力も緩んでしまった。
「……お前、こいつの本性知らないのか?」
ユウジの言葉にわたしは固まってしまった。わたしはユウジの言ってることに心当たりがあった。わたしはユウジから手を離した。
「……やっぱりある程度は知ってるみたいだな」
「…………」
わたしは何も言えなくて黙っていた。ユウジは淡々と話しだした。
「こいつ、自分の父親に暴力振るってる」
ユウジはそこでまたセイラを蹴った。セイラは「痛いよぅ!」と大きな声を上げた。わたしは息を呑んだが、ユウジを制止することはできなかった。
「……だからって、ユウジがセイラちゃんに暴力振るっていいわけじゃないでしょ」
「それだけじゃない」
「えっ?」
「こいつ、父親が病気でひどい状態なのにわざと病気が悪くなるようなことをするんだ」
「病気?」
「ああ、隣町から医者を何度も呼ぶくらいにひどい」
わたしはセイラのお父さんが病気であると初めて知った。けれどこの前にセイラと一緒にいた男性は奇妙な行動こそしても、外見から体が健康でないようには見えなかった。
「それなのに、こいつは父親をいつも丸裸にして病態を悪くしようとしているし、生ごみ食うの知ってるからわざわざ生ごみ捨て場に連れていくんだ。父親の浮浪癖を利用して村の人間にはバレないって踏んでる」
ユウジはまた蹴った。その顔はとてもつまらなそうで、蹴っていることさえ無意識にやっているもののようだった。
「……止めて」
わたしは小さな声で言った。けれどさっきほど、暴力を制止しようとする気持ちが強くないと、自分で感じていた。セイラと一緒にいた男性は自ら奇妙な行動をしているのではなく、ある程度セイラに仕組まれているというのだった。その仕向けられた行動は自身を傷つけるものでセイラが傷つけているのと同じということだった。少しずつセイラを助けようとする気持ちが薄らいでしまった。
「こいつも父親にひどいことしてるんだからおれがこいつを蹴ってても別に悪くないだろ」
「……それは間違ってると思うよ。誰かがひどいことをしてるから自分もやってもいいとはならないでしょ? ユウジはセイラと別に何かあったわけじゃないでしょ?」
わたしはそれでもユウジに反論したが、どんどん自分の声の威勢が弱まっていくのがわかった。
「……ないこともないよ。だってこいつおれが小三の頃おれが孤児だって周りにバラしたし。こいつめちゃくちゃ孤児院のことバカにしてた」
ユウジはわたしに面倒くさそうに説明した。確かユウジは孤児であることを理由にヨウタにいじめられたのだった。セイラがユウジのいじめの原因を作ったのだとユウジは言いたいようだった。
「だからおれも同じことしたし、今やってるのも、まあ仕返しじゃない?」
言いながらユウジは顔を蹴った。ユウジは自分の暴力の正当性について主張しているけれど、ユウジ自身が自分の主張に全く関心がなく本気で弁解しようとしてはいなかった。横に倒れていたセイラは顔を押さえうー、うー、とユウジに背中を向けて啜り泣き始めた。それもどこか演技のようだった。
「……もうセイラちゃん泣いてるよ。だからもう止めてあげて……」
わたしはセイラの涙を理由にユウジの肩をまた掴んだ。けれどわたし自身本当にセイラが悲しんでいるからなどとは思っておらず、ただそれにかこつけて止めようとしただけだった。ユウジを掴んでいる手はとても弱弱しかった。
「――最近、ヨウタのやつ全然いじめとかしなくなったなぁ」
ユウジは言いながらわたしの手を逃れ、またセイラの背中を蹴った。わたしの声など全く耳に入れていないようで、その行為は機械的だった。わたしもユウジの行為を見過ごしてしまった。
「……何言ってるの?」
「だってあいつが誰かいじめないと、おれも攻撃できないじゃん」
ユウジの言葉が本気で言ってると信じられなくて、わたしは呆然とした。けれどユウジの口からはごく自然にその言葉が出ていた。
「……どうしてそんなこと言うの? いじめなんてして楽しいの?」
「別に楽しくないよ。ただこんなとこいたってそれくらいしかやることないし」
「……こんなとこ?」
「別に何してたってどうでもいい」
わたしはユウジが言った「こんなとこ」というのがどういうことかわからなかった。最後にユウジが言った言葉は投げやりでまるで自分のことすら関心がないかのようだった。
「……ヨウタならもういじめなんてしないと思うよ」
わたしはユウジに反抗したくて言葉を出した。
「そうみたいだな。じゃあ今度から一人でやらないと」
ユウジがまたセイラを蹴った。わたしは今まで尻込みをしていたがとうとうユウジに怒った。さっきまでユウジのいじめに対しての怒りとは違い、ユウジ自身に対してのものだった。
「もう大人の人呼ぶよ!」
「…………」
そこでユウジはわたしを見て黙った。そして遠くのほうからブルドーザーがこちらに向かって走ってくる音が聞こえてきた。もう大人たちが帰る時間だった。
「……まあ今さらバレたところでどうでもいいけど」
ユウジはそれだけ言って歩き出し、ガラス置き場の段差を上っていった。
「セイラちゃん、大丈夫?」
わたしは倒れていたセイラに声をかけた。けれどセイラはすぐ立ち上がりわたしを無視して歩いていった。さっきまで泣いていたのに今は無表情でさっきまでのことが何もなかったかのような態度だった。
「早く帰ってお父さんにご飯作ってあげないと。きっとお腹すいてるよぅ」
ブルドーザーがちょうどセイラの前を通る時、セイラは大きな声を上げた。




