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100の言葉より

作者: 宇奈月 香


 文庫本から顔を上げて窓の外を見ると、普段より2割増しできつい目をした女がした。

 硬く結んだ唇には貯め込んだ悔しさが詰まっている。


(――こんな事で泣くんか)


「バカ野郎!!お前、どんな教育してたんだっ!!これくらい常識だろうがっ!!」


 新人のやらかした失敗は世話役の責任。

 飛んできた罵声に身を竦める新人の隣で、あたしはぎゅっと奥歯を噛みしめて頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」

「謝る暇があるなら、何とかしろ!!今すぐ現地に飛んで片付けてこい!!」


 口の悪さは社内一、営業一課鬼課長の恫喝にあたしはその足で現地へ飛んだ。

 この二日で一生分の謝罪をしたんじゃないかな。下げすぎてすっからかんになった頭は、暇つぶしで買ったこれを一文字も受け入れてはくれない。

 体はどろりとした重い疲労感でくたくただった。


(なんであたしが)


 課長の言い分は分かる。

 新人のミスを見逃し発注をかけさせたのは、あたしだ。

 だから頭を下げるのは仕方のないことだと思っている。

 けれど、だからって何を言われても傷つかないわけじゃない。営業マンはサンドバックじゃないのよ。

 過酷だった時間を思い出すと、じわりと目尻が熱を帯びた。ツンと痛くなった鼻を啜って、また文庫本に目を落とす。

 ちっとも頭に入ってこないけど、何かしていないと思い出してしまうから。

 現場で言われた嫌みの数々。

 親会社はいい気なものだとか、現場を分かってないだとか、あんたは可愛げがないとか。

 可愛げって、何。泣けばいいの?

 そんな事をして場が納まるわけがないじゃない。必要なのは涙じゃなくて、今後の対策でしょう。

 それは鬼課長に叩きこまれた彼の持論であり、いつしかあたしの中にも育っていた。


 『泣く暇があるなら、次の一手を考えろ』


 口をすっぱくして言われたっけ。

 いつだって仏頂面だし、口を開けば罵声しかないし、口は悪いし、態度も悪い。

 良いとこなしの鬼課長。彼の下についてもうすぐ5年が経とうとしていた。

 どれくらい涙を呑んだだろう、いくつ悔しさを噛みしめた?

 楽しいことより、ずっと辛い思い出の方が多いはずなのに。

 でも……。

 マナーモードに設定してある携帯がメールの受信を知らせた。画面をタップして開くと、


『もう着く頃か?牛丼、奢ってやる』


 鬼課長からの色気も糞もないCメール。

 流行りにはからきしの鬼は、未だにEメールすら使いこなせない。用件はいつだってCメールだ。

 新幹線に乗る前に事態の収束を伝える電話を入れたから、帰る時間は分かるとしても、

 

 なんで牛丼??

 

 随分、お安く見積もられたものだ。

 この悔しさを牛丼いっぱいで水に流させようとでもいうのだろうか。

 眉間に皺が寄るのが分かるくらいイラっと来て、速攻で断わりのメールを打ちこんだ。


『結構です』


 数分後、また携帯が震える。


『駅前にいる』


 くそ、断わったのに。

 あたしは疲れているの、こんな時間からお説教なんて聞きたくないし、上司面するあなたの顔も見たくもない。

 求めてるのは癒し、抱きしめてくれる優しい腕なの。わかる??


 空気を読まない無神経さに苛々して、今度こそはっきり断わってやろうとメールを打っていた時だ。着信が鳴り、勢いで通話ボタンを押してしまった。

 しぶしぶ耳に当てると、


『抱きしめてやるよ』

 

 ひと言だけ告げて、切れた。通話時間わずか5秒。

 

 ――なんて男、どれだけ乱暴なの。

 

 鼓膜に残した低音ひとつで、こんなにも呆気なくあたしを心変わりさせてしまった。

 暴言と罵声しか言わないくせに、こんな時だけ……ずるい。

 

『会いたくな』


 そこで止まったままのメールを後ろ二文字を消して、一文字付け足した。


『会いたい』


 この返事は会ってから聞いてやるわ。





※電車内での通話はご遠慮下さい。

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