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何度も愛を囁いて  作者: 林田一樹
~本編~
6/11

(6)思いの行方

お気に入り登録520件超えました。

ありがとうございます!

たくさんの方々に目を通していただき、嬉しい限りです。

 空を仰ぎ見ると、ポツポツと雨が降り始めていた。朝と比べると気温が下がっていて、すこし肌寒い。



 ――本降りになる前に早く帰らないと。



 鞄の中から折り畳み傘を出し、広げる。桜色の無地のこの傘は私のお気に入りだ。

「遠野?」

 唐突に声をかけられて、振り向いた。

「柴崎。今、帰りなの?」

「ああ。遠野もか」

「うん」

 そこにいたのは、私の同僚でもある柴崎卓しばさきすぐるだった。

 がっしりとした体格で外見がいかついので、近寄りがたい雰囲気がある。だけど、本当の彼は人見知りで小心者なのだ。私も最初は怖かったけれど、徐々に彼の意外な内面が分かってきた。

「あー、駅まで一緒にいいか?」

「うん、いいよ」

 私と柴崎は並んで駅へと向かって歩き出した。



 +++



 しばらく柴崎と他愛ない話をしていたら、急に彼が黙り込んだ。

 雨の滴が地面に当たる音が耳元に大きく聞こえた。さらに雨が強くなったらしい。



 ――今日の夜はどしゃぶりになりそう。



 居心地の悪い沈黙が張りつめているうちに、駅に着いてしまった。

 私の家と彼の家の最寄駅は反対方向だから、必然的にここで別れることになる。

 じゃあね――と言おうとした私を遮って、意を決したように彼が口を開いた。

「あー、遠野ってさ。婚約して幸せ?」

「え……?」

「あー、えーっとこれは……」

 柴崎は目をそらした。これは小心者の彼が言いたいことを言い出せないときの癖だ。

「うん、まあね」

 彼は私が婚約した事実しか知らない。相手とかも教えていない。ただの同期に余計なことを言うのが嫌だった。だから、適当にお茶を濁す。

「……そうか。いや、ちょっと気になっただけだから気にするな。忘れてくれ」

 彼の顔が傘で隠れて、どんな表情をしているか分からなかった。

「じゃあな、遠野」

「うん、じゃあね」

 そして私は彼と別れた。

 電車に揺られている間、彼が言いかけたことを考えてみたけれど分からなかった。

 ただ彼の言った言葉が胸の中で木霊こだましていた。



 +++





 鍵を開け、部屋の中に入った。

 玄関で溜息をついてから、靴を脱いだ。そのままリビングに向かい、灯りを点ける。

 誰もいない変わらない部屋。

「………………」

 携帯を確認して、脱衣所に向かう。

 雨の音に紛れて落雷の音が聞こえてきて、思わず服を持つ手が震えた。

 シャワーの栓を捻り、温水を頭から被る。火照っていた熱や汗が音と共に流れていって、気持ちいい。

 頭を冷やして、考える。彼――真之さんのことを。



『結婚してくれないか』

 彼が初めて私に向けて言った言葉。

 馬鹿だね、私。その時点で逃げてでも断っていれば、こうなることはなかったのに。でも私は受け入れた。



『迎えに来た。待ってる』

 たったこれだけの素っ気ないメール。

 だけど、彼らしいと思ってしまった。



『――乃、雪乃』

 深いバリトンで囁かれた、私の名前。

 名前を呼ばれると、私の存在が認められているって思えるの。身体を求められると、私の存在が必要なんだって思えるの。



『………………雪乃』

 いつもと違う、ドスの利いたような声。

 彼の中にある得体のしれない恐怖が込みあがってきて、怖かった。そして私は拒絶した。



 もうあれから連絡がない。

 身勝手な話だ。私は身代わりのくせに、形だけのくせに。彼を縛る権利なんてない。彼が女性のところ(どこか)に行くことや彼が帰ってこなくなることくらい私の思惑通りだ。理解しているし、分かっていた。

 それなのに。

 どうしてこんなにもつらくて虚しいなんて。



 ――いや、違う。



 辛いとか虚しいとかじゃない。もっと具体的に。知らない場所に一人取り残されたような。胸の中にある埋めることができない隙間のような。絶望? 虚無感? 焦燥感? ――違う、違う違うんだ。そんな安い薄っぺらな言葉で表せない。悲しい? 似てるけど全然違う。

 私は顔を上げ、鏡の中の自分の胸元を見つめた。まだうっすらと残るキスマークを指で一つずつなぞる。



『婚約して幸せ?』



 視界がかすんできた。これはきっとシャワーの水が目に入ったせいだろう。

「……し、あわせなんかじゃ」



 ――本当に?



 鏡の中の自分がわらっているような気がした。



 ――じゃあ、真之さんの傍が嫌だった?



 嫌じゃなかった。苦痛だったときはたくさんあった。だけど形だけでも私を必要としてくれて少なからず――嬉しいと思った自分がいるんだ。金とか地位とかそんな単純な物じゃなくて、彼の鉄仮面とか直球の言葉とか素っ気ないメールとか呆れるほどの執着とか――同棲しているうちに分かってきた内面に惹かれていった。

 どうなってでもいいから、傍にいたいと思った。

 でも今、彼はここにいない。

 その事実があまりにも胸に深く突き刺さる。

 悲しさを絞り出したように、涙をぐっと堪えるように、苦しくて苦してつらくてつらくてたまらない。

 つらくて、虚しくて、苦しくて、悲しくて、



 ――寂しい。



 あなたがいなくて、



 ――寂しい。



 一人ぼっちで、



 ――寂しい。



 あなたのことを思っているのに伝わらなくて、



 ――切ない。



 寂しくて切ない。

 あなたがいないだけで、私は弱くなった。

「……あははっ」

 やっと気づいたよ。やっぱり私には無理なんだ、このごっご遊びを続けるのは。

 だって気づいてしまったんだ。

 私は、あなたのことが、彼のことが、真之さんのことが、



 ――好き。



 もしかしたら最初から気づいていたのかもしれない。だけど分からないふりをして、蓋をして鍵を掛けた。彼の言葉をほしがったのも好きだったから。彼に必要以上優しく抱かれるのが嫌だったのは、好きだからこそ勘違いしそうになるから。

 自覚をしたら気持ちが一気に溢れ出てきた。



 ――真之さん。私はあなたのことが好きなんです。だけど、あなたには本命の女性がいるんでしょう?



 ついに零れ落ちてきた涙を誤魔化すようにシャワーの水量を増やした。

 そして声を押し殺して泣いた。



 +++



 ちゃんと真之さんに伝えよう。



 ――「……×××××××××」って。



 そう思いながら、私は瞼を閉じて睡魔に身をゆだねた。

 遠くで携帯の音が鳴ったような気がした。

今までの中で一番大苦戦した6話です。

次回からは真之視点にする予定です。



誤字・脱字・表現がおかしい等がありましたら、すみませんがご指摘お願いします。

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