窓の向こう :約1500文字
「ひ、ひいいい……!」
丘の上に建つとある施設。その一室でベッドに横たわっていた男が、突然喉を引き裂くような悲鳴を上げて跳ね起きた。シーツはぐしゃりと絡まり乱れ、勢い余って弾き飛ばされた枕が床に落ち、鈍い音を立てた。
男は心臓を掴まれたかのように胸を押さえ、必死に息を吸い込む。
少しして、廊下の奥からバタバタと慌ただしい足音が響いてきた。ノックもそこそこにドアが開き、白衣を着た職員が部屋に入ってきた。
「また怖い夢を見たんですね。大丈夫ですよ」
職員は落ち着いた声で言った。
男は歯の根を鳴らし、ぶるぶると震えながら青ざめた顔を職員に向けた。額には汗が浮かび、目だけが異様に見開かれている。
「せ、戦争だ……。戦争が起きている……」
男は皺だらけの手を持ち上げ、震える指先で窓の外を指さした。
そこには穏やかな午後の光が広がっていた。遠くに見える街並みは静まり返り、騒音一つない。風が草木を揺らし、わずかに開いた窓の隙間から柔らかな風がそっと入り込み、白いレースのカーテンをふわりと膨らませた。
ベージュ色の壁に、ワックスがけされた茶色いタイル調の床。どこか学校の教室を思わせるその部屋には、時間そのものがゆっくりと溶けて流れているようだった。
「もう、またそんなこと言って」
職員は困ったように微笑み、床に落ちた枕を拾い上げると、慣れた手つきで乱れたシーツを整え始めた。
「ほ、本当なんだ……。ほら、焼けたような匂いがするだろう……?」
「どこかのおうちでお魚でも焼いているんでしょう。少しずれてくださいね。はい、ありがとうございます」
「そ、それに悲鳴みたいな声も聞こえた……」
「今日は近くの小学校で運動会をやってますからね。その歓声ですよ」
職員はそう言いながら、カチリと窓を閉めた。
「い、いや……ほら、遠くで煙が上がっているのが見えるだろう?」
男は職員の肩越しに窓を覗き込んだ。レースのカーテンのわずかな隙間から、黒い筋のようなものが立ち上っているのが見えた気がした。
「あれは野焼きですよ」
職員はそう言って、カーテンをきっちり閉めた。
「戦争が……起きてるんだ……」
男は力なくうつむき、掛け布団の端をぎゅっと握りしめた。指先は白くなり、爪が布地に食い込んでいる。
「夢ですよ、夢。ほら、テレビでもつけましょうか」
「いい……どうせ、つまらないニュースしかやってないんだ……」
「そんなことありませんよ。それに平和でいいじゃないですか」
職員がテレビの電源スイッチを押すと、ニュース番組が映し出された。体操服姿の小学生たちが、泥だらけになりながら田んぼで田植えをしている。
声を上げて笑う子供たち。一方、それを見た男は苦々しい顔をした。
「爆撃を受けたとき、あんなふうに血と泥にまみれたんだ……」
「もう、なんでも怖い夢と結びつけちゃうんですから」
「違う……もう、そこまで来てるんだ……どうしてわからないんだ……」
男は袖で目元を拭った。滲んだ涙が布地を湿らせる。職員は何も言わず、男の背中にそっと手を当て、優しくさすった。
「戦争はあるんだ……だから……」
職員はそれ以上口を挟まず、男の肩をそっと押してベッドに寝かせた。首元まで布団を引き上げ、ポン、ポンと胸を優しく叩く。
「大丈夫、大丈夫」
「ああ……戦争……戦争が……」
男はまぶたを閉じながら、うわごとのように繰り返した。声は次第に細くなり、やがて完全に途切れた。深く、重たい眠りが訪れた。
職員はテレビの音量を下げ、男の寝顔を一瞥すると、静かに部屋を出た。ドアをそっと閉め、鍵をかけると小さく息を吐いた。
「さてと……あ、お疲れさまです」
「お疲れ。また――さん?」
「ええ、でも大丈夫です。もう寝かせましたから」
「困ったものよねえ。いつまでも戦争、戦争って。しかも来週また新しい人が来るらしいわよ」
「仕方ないですよ。みんなの平和のためですもの。ちゃんと隔離しておかないと、ですよね」
「そうね。ふふふっ」
陽射しは柔らかく、風はどこまでも優しい。
テレビの中では、いつまでもいつまでも、平和な光景が流れ続けていた。




