召喚してはいけない聖女様
魔族が迫っているとある王国では、今まさに軍議が行われていた。
それは、異世界から聖女を召喚するか否かという、それだけと言われればそれだけの話し合いだ。
かつて世界の危機に瀕した際、王国の魔術師達により異世界から召喚された聖女達によって、幾度も救われてきた歴史がある。
けれど。
一番近い歴史の中で、百年余り昔。
召喚された聖女によって魔王が滅ぼされて、聖女は予見の力を授かったという。
その聖女が予言したのだ。
「二度と聖女を召喚してはならない」
「召喚すれば、この王国は亡ぶであろう」
何とも不穏な予言である。
ではどうすればいいのか、と聖女に問えば、自分達の力で対処できるようになりなさい、と当然の事を言われただけ。
困ったら召喚して何とかして貰えばいいと思っていた人々に、響かない言葉である。
だが、聖女の放った予言の恐ろしさに、出来るだけ自分達で対処しなくてはという姿勢が取られた。
取られた筈だったのだが、それも時代と共に廃れていく。
周囲の国に差をつける為、召喚魔法は秘事とされているので、王国にしかその技術は無い。
魔王が降臨して、魔族達の動きが活発になれば周囲の国からも早く召喚しろとせっつかれるのは当然の流れだ。
「しかし、聖女の予言がある以上、召喚する訳にはいかぬ」
国王は、苦々しい顔をして言うが、王子達は今まさに危機に瀕している為、必死で説得にかかっていた。
第一王子のウェルタースは言う。
「ですが、このままではどちらにしろ王国も他の国もいずれ亡んでしまいます。であれば、召喚した上で何らかの対処をする方がまだ生き残れる可能性が残ります」
次期王太子となり、王となる予定の立派な息子の顔を見て、国王はため息を吐く。
「そうですよ、父上。いつも我が国が他の国よりも豊かでいられるのは、聖女召喚を行えるからだと習っております。なのにその力を出し惜しんでは周囲の国に面目も立ちません」
第二王子のサンダースも強気な姿勢で言い募る。
けれど、水を差すように第一王女が沈んだ声で言った。
「ですが、聖女様が何故そんな予言をされたのか、意見も割れておりますし、危険である事には変わりありません」
兄であるウェルタースやサンダースは、妹のアリエスを苦虫を噛み潰したような顔で見る。
王女とはいえ、女の癖に出しゃばる妹が二人は好きではなかった。
「同じ危険であるならば、聖女を用いて戦うべきだと思うがな」
「戦うのでしたらお兄様が軍を率いて迎え撃てば良いのでは?」
サンダースの馬鹿にしたような言葉に、アリエスは冷たく返す。
ぐっと詰まったサンダースを宥めるように、ウェルタースが穏やかに言う。
「それはそれとして、もし戦いに敗れればいずれは召喚せねばならぬだろう。だったら犠牲を出す前に召喚するのが良いのではないか?」
それは一理ある、とアリエスは思うけれど、でも。
「いいえ。この世界の人間だけで対処するよう言われたと文献にございますれば、最後の一人になっても我々だけで戦うべきではないでしょうか」
そも、命をかけるために貴族も王もいるのだ。
なのに、真っ先に逃げ出す算段をしているのだから救えない。
しかも、いきなり別の世界から連れてこられた、たった一人の女性に重荷を背負わせるのだ。
アリエスの言葉に、兄達は息を呑む。
国王は静かに頷いた。
「明日、答えを出そう。今日は皆休め」
誰だって死にたくはない、けれど。
それは召喚された聖女だって同じことだ。
アリエスは部屋にある聖女の文献を再び読み耽った。
曰く、文明は此処よりも進んだ世界から無理やり召喚されて来た女性であり、この世界から帰還する事は出来ない。
だから、故郷を恋しがって協力を中々しない聖女もいたという。
聖女を傷つけて命を失わせたら召喚した意味もなく、続けての召喚は難しい。
召喚に適した魔力を有する人間がいるとは限らないからだ。
それ故、拷問や体罰で無理やり言う事を聞かせることは出来ない。
歴代の王達がどうしたかと言えば、聖女を篭絡する事にしたのである。
王族達も貴族も見目が麗しい為、聖女の周囲に侍らせて共に魔王討伐へ出かけ、望むなら結婚も許した。
余りに我儘が過ぎた聖女が、魔王討伐の後に捨て置かれたという話もある。
その後、放置された聖女がどうなったかは文献からは分からない。
逆に、心の清い聖女が降臨して自ら志願して魔王を討伐し、人々に癒しを与えたという話もある。
彼女はその清廉さと美しさ故に、王子の妻になったとも。
なのに、王族に聖女の血が流れていないのは、聖女と王子の間にも歴代の聖女達にも子が出来なかったからだ。
異なる世界から来たせいだという事になっており、今では王族が聖女を娶る事はない。
娶るとしても、王太子ではなく、第二王子以下の王族のみである。
「自分勝手よね……」
もし自分がその様な目に遭わされたのなら、故郷に帰りたいと願うだろう。
兄達は置いておくとしても、まだ幼い弟妹は守りたい。
そういう相手から引き離されてしまったとしたら、悲しいし帰りたいとより強く思うだろう。
文献を読みながらも、アリエスはうとうとと眠りに引き込まれていった。
第二王子サンダースは、苛々していた。
煮え切らない父王に、頼りない兄王子、生意気な妹姫には任せられない。
自分がやるしかない。
そう決意して、召喚を強行する事にしたのだ。
召喚を支持している貴族達と共に、魔術師達を連れて召喚の間へと急ぐ。
同じく支持している騎士達も連れて、警備に就かせた。
「やれ」
短い命令と共に、床に描かれた魔法陣に向けて、魔術師達が魔力を注ぐ。
段々と強くなる光の中、一際強く輝いたかと思うとそこには、美しい女が座って居た。
伝承では黒髪に黒目とあったが、召喚されたのは淡い茶色のうねる髪に、灰色の大きな瞳の女性だ。
「これは……成功、したのか?」
「……失敗する筈がございませぬ」
「えぇ?ここ何処ぉ?」
不安そうというより、興味深そうに女性は辺りを見回す。
「聖女様……どうか我々をお助け下さい」
「貴女は異世界より召喚された聖女様なのです」
魔術師達が説明を始める。
きょとんとした聖女は、不思議そうに首を傾げた。
「驚いたぁ。本当にあるんだぁ、そんな事ぉ」
間延びした声でゆっくりと、聖女は言う。
緊張感のない声に苛立ちを感じつつも、サンダースは前に出て言った。
「貴女には魔族を滅ぼす力がある。滅びよと念じるだけで相手を滅ぼす力が。その力を使って魔族どもを滅ぼすのだ」
突然命じられて、聖女は反対側に首を傾げる。
「貴方はだぁれ?」
「失礼した。俺はこの国の王子サンダースという」
礼儀正しくしたつもりだったが、聖女がくすくすと笑った。
「変な名前ぇ。あの人みたい、えーと、フライドチキンの…何だっけぇ、おじさん」
いきなり変な名前、おじさんと言われて、サンダースの頬がかっと赤くなる。
聖女とはいえ、平民であるただの女に笑われる筋合いはない。
「いいから貴様は我々の為に戦えばいいのだ!」
かっとして思わず怒鳴り、魔術師達に止められる。
だが、怒ったり泣いたりするかと思った聖女は、うーんと指を顎に当てて言った。
「戦うのなんて嫌だしぃ、元の世界に帰りたいんだけどぉ」
「それは出来ないのです。我らは召喚しか出来ず、それに魔王の脅威にさらされていて、このままだと人間が滅ぼされてしまうのです」
必死で説明する魔術師に、聖女はふうん、と言いながら部屋を見渡しつつ立ち上がった。
「貴方は何という名前なの。さっきから説明してくれる人」
「エドと申します」
「じゃあエド、魔法の使い方を教えてくれる?」
「は……魔術師の使う魔法と、聖女様の力は違いますが、お教えする事は出来ます。ですが今はお休み頂いた方がいいかと」
気遣う視線を向けられて、だが聖女は王子を指さした。
「でもあの人は戦えってぇ」
「それは…」
「不敬だぞ!」
尚も怒りを隠さない王子に、やれやれといった様子で、聖女は思い返す。
「滅びよって念じれば相手が滅びるのよね?じゃあやってみていーい?」
「え……やってみる、とは…」
ぴたりと魔術師の一人に指をあて、にこりと微笑む。
途端に一人、指をあてられた魔術師が崩れ落ちた。
「……なっ!?」
驚いたのはサンダースだ。
何の前触れもなく、魔術師が命を失った。
「これってぇ、一人ずつしか出来ないのぉ?エド」
「いえ…いいえ、集団に対しても使えますが、制御は難しいかと……指ではなく掌を向ければ操作しやすいかもしれません」
「そう。じゃあ、そこをどいてぇ、エド」
言われるままエドはその場から壁際に退避すると、聖女は指ではなく掌を向け。
魔術師の一部と、見学していた貴族達の一部が肉塊となって転がった。
「あぁ~ほんとだぁ。出来たぁ。エドは教えるのが上手ねぇ」
「な……貴様、な、何をしている、王国の民を殺すなど……魔王に向けるべき力を」
「うるさぁい。何なのこの人ぉ」
ぐしゃ、と音を立てて、何かが潰れる音がして。
急に視界が下がったサンダースは、自らの足が半分無くなった事に気が付いた。
「あああああああああああ」
「あぁ、そっかぁ王子だったっけぇ。じゃあやり直さないとねぇ。リセット、しよ」
聖女が笑いながら言う言葉が理解出来ない。
薄れゆく意識の中で、サンダースの背にも温かい何かが広がり、床の血だまりもまた広がった。
「エドはぁ、私の味方、してくれるよねぇ?」
誰かの悲鳴が聞こえた気がして、アリエスはバッっと飛び起きた。
何か胸騒ぎがして、寝間着のまま寝台を滑り出る。
急いで向かった先は、召喚の間。
何故か、そちらに向かう通路の明かりが点いていたからだ。
召喚の間の前では、騎士が倒れている。
「まさか……」
両開きの扉を開ければ、血まみれの床に死体が折り重なるように倒れている。
その中心に、彼女も倒れていた。
「聖女、さま?……」
アリエスは震える声で呼ぶと、その傍らに座り込み、見慣れない服を着た女性を抱き起こす。
「聖女様、大丈夫ですか?聖女様……」
「うぅん……貴女は、だぁれ?」
「ああ、良かった、聖女様……お目覚めに……わたくしはこの国の王女のアリエスと申します。突然の召喚でしかも、こんな……何が起こったのかは分かりかねますが、お怪我はございませんか?」
うっすらと目を開けた聖女は、ほのかに微笑む。
「貴女は心配してくれるんだぁ」
「いたします。突然呼び出されただけでも心細いでしょうに……誰か、誰か呼ばないと……聖女様、お一人で座れますか?」
「うん。大丈夫」
「……すみません、我々が至らぬばかりに……魔力暴走が起きてしまったようです……」
血まみれの魔術師の一人が、そう言い難そうに言うのを聞いて、アリエスは一つ頷いた。
彼も、この場に居る全員の名前もアリエスは把握している。
「分かりました。サンダースお兄様の独断で行われた召喚なのですね。でしたらすぐに人を呼び、聖女様のお世話をさせます。不安でしょうから、エド、貴方も側に付いていて差し上げて。わたくしも処理が終わり次第伺います」
アリエスは、血まみれの召喚の間から急いで出て、国王夫妻の寝室へとまず急いだ。
騎士は姫の異様な風体に驚いて、緊急だと言われると道を開く。
そして、彼らはそのまま警備に数人残して人を呼びに走った。
「な……何という事を……」
アリエスに起こされて話を聞かされた国王と王妃は顔色を悪くした。
聖女と会する為に国王夫妻が支度を始めたので、アリエスも血まみれとなった寝間着を着替える事にする。
そして、聖女が身支度を整え待機している部屋へと急いだ。
動きやすいように乗馬服に長靴を履いたアリエスは廊下を歩きながら考える。
先程までの状況を思い出してみると、少しおかしい。
急いでいたから余計な……兄の死体なども詳しく見ていない、事は後回しで良いと思っていたのだが。
「魔力暴走にしては……」
死体の様子にバラつきがある、と思った。
二人が無事なのは良かったが、外で倒れていた騎士達は血を流していなかったのである。
扉も閉まっていて、中で暴発の様な事故が起こっていたとしては外の状況が静かすぎた。
中の死体も、人の形を留めていないものばかりではなく、無傷に近いものもあったし、サンダースに至っては足だけを失くした状態で事切れていた、のだと思う。
一目見て無理だと思ったので確認はしなかったのだが。
だが、その辺りは見る者が見れば、すぐに異変に気付く筈。
もし、中で何かあったのだとすれば。
考えたくはないが、聖女がやった可能性が高い。
予言の聖女は、聖女という物は聖なる女性ではないのだろうか。
アリエスが辿り着くと、国王と王妃、側近達が聖女と言葉を交わしていた。
第二王子のサンダースの独断で召喚を行った事、戦いを無理強いしないという事、だが世界の危機が訪れている中、帰還の魔法が存在しない事などを静かに説明する。
「……ふぅん、そぉ。あ、アリエス」
部屋に入ったアリエスを見て、聖女は嬉しそうに微笑む。
「聖女様、お加減は如何でしょうか」
「うん。着替えたし、怪我はないし、何ともないよぉ」
にこにこと笑う聖女に違和感を覚えつつも、アリエスは聖女の腰かける寝台の脇まで歩み寄った。
寝台の向こう側には言われた通り、魔術師のエドが新しい長衣を着て静かに佇んでいる。
「では陛下」
「ああ、聖女様もお疲れだろう。休んで頂かねばならぬ。アリエス、後は任せたぞ」
「はい」
王妃に促された国王が、重要な話だけを終えて部屋を遠ざかっていく。
アリエスは改めて聖女を見た。
「聖女様の目は灰色なのですね。どの文献にも黒髪黒目とあったので、そういうものかと」
「ああ、これぇ?カラコンだよぉ」
言いながら聖女は目から何か薄い膜を剥がして見せる。
その眼は伝承の通り、黒かった。
「……それは魔法の道具ですか?」
「やだぁ、ちがうよぉ。お洒落アイテム?みたいな」
そんな物を目に入れて痛くないのかとか、何で色が変わるのかとか気にはなったものの、本分はそこではない。
「兄上が、無礼を働いた事については、深く謝罪致します」
「………何で、そぅ思うのぉ?」
「ふふ。わたくしも、困らされてきたので分かります。女性は男性の思うように振るまうものだと、そう思っているような御方でしたので」
「……そ。じゃあ死んでも良かったんだねぇ」
にっこりと、その唇が弧を描く。
美しく濡れたような唇は、キラキラと明かりを反射するように光っていた。
「でも、死んでほしくない人達は沢山居ます。弟や妹はまだ幼いですし」
「王様ってさぁ、子沢山だよねぇ。でも、幼いって事は愛人?の子?」
「ええ。側妃様の御子達ですね」
「ふぅん……腹違いなのに、大事なんだぁ」
「はい。血の繋がりもございますが、赤ちゃんの頃から見ていたので」
不思議そうにアリエスを見る聖女は、猫のように目を細める。
「ねぇ、エドにも聞いたけどぉ、帰還の魔法って何でないのぉ?」
「わたくしなりに考えたのですが、……傲慢さからくる怠惰、とでも申しましょうか。用があるから呼びつける、でも用が済んだら帰り道は用意しない、する必要がないと考えていたのかと」
「うふふ、酷いねぇ、それぇ」
全く酷いと思っていないかのような笑顔で、言う。
アリエスはため息を零した。
「でも」
「でも?」
「魔王ならもしかしたら、知っているのではないかと思いまして」
「……ふぅん。戦わせたいんだぁ?」
「いいえ。戦ってしまったら、その知識を失うことにもなります。必要なのは対話ではないかと」
「話通じるのぉ?」
値踏みするような聖女の目を見て、アリエスはふるりと首を緩く振った。
「知性のある魔族と言葉を交わした話はあれど、会話が出来るかどうかは分かりません」
「そっかぁ、教えてくれた代わりにぃ、お願い聞いてあげよっかなぁ?……命乞いにきたんでしょ?」
ずばりと言い当てられて、アリエスは目線を伏せた。
間抜けそうな喋り方とは別に、冷たい底知れなさのある聖女。
不興を買えば、すぐにでも召喚の間で転がっていた死体に並ぶだろう。
「子供達の命はお救い下さいませ。罪が無いとは申しませんが、大人達よりは罪が軽いと存じます」
「……自分の命乞いはしないの?」
「願いを叶えて頂けるのであれば、それで良いのです」
「……そ。じゃあ、出来るだけ叶えてあげるかぁ」
でも予言は、亡国。
予言した聖女が見たのはどんな風景だったのだろう。
兄が殺され無残に死ぬ場面だけなら、まだ救いはあるのだけれど、とアリエスは静かに思い返す。
変えられない未来ならば、足掻いてみても良いと思う。
けれど、力ずくでは魔王にも聖女にも敵わない。
その気まぐれに縋るしかないのが現状だ。
「結局さぁ。私の魔法って便利じゃないから、歩いて行かなきゃだよねぇ?」
伸びをしながら言う聖女に、エドが口添えする。
「転移魔法陣がございますれば、北の国の辺境までなら転移可能です。でもそこから先の魔族がいる場所……魔国から魔王城までは転移出来ません」
「えーいいよいいよぉ。そこまでショートカット出来るなら、考えてたのより楽ぅ。エドとアリエスはぁ、一緒に来てよね」
「はい、参ります」
アリエスは素直にこくりと頷いた。
エドも静かに頷く。
それを見て、聖女はにんまりと満足そうに笑みを浮かべた。
翌日、この世界の服に身を包んでめかし込んだ聖女は王と第一王子と貴族達の前に姿を現した。
そこで、弱々しげに振る舞う。
「私には戦いなんて無理です……」
国王は頷くが、ウェルタースは引き下がらない。
「それでは困るのです……!聖女様に救って頂けないと、皆が…皆の命が護れないのですよ!」
「ヒッ……怖いっアリエス……」
名を呼ばれたアリエスは庇うようにその前に立つ。
「彼女はこの世界で聖女と言われていても、異世界では平民の女性の一人に過ぎません。その様な者に突然戦えなどと強要するのはお止め下さい。それならば、お兄様、貴方が先頭に立ち戦わせよという貴族達と共に軍を率いて戦えばいいではないですか!」
「私は!……私に力があれば、そうするが…」
「彼女にその力が宿っているのかどうか、分かりません。使い方だって。ですから言ったのです。我々の世界の事は我々で対処すべきだと」
「しかし……!」
「もう止めよ。聖女殿とて急に見知らぬ世界に呼ばれたのだ。休養する期間も必要であろう」
「しかし、その間にも民が…!民の命が危険に晒されるのですぞ」
ウェルタースは尚も食い下がり、その後ろ盾の家門もそうだそうだと頷き同調する意見を口にする。
「分かった。では、其方らが自ら軍を率いて民を守る為に戦う事を許そう。今賛成した者達は全員、戦支度をせよ」
「は……?何を、父上……っ」
「民を思うお前の言葉に心打たれたぞ。速やかに行くがいい。これは王命である」
「………っっ」
アリエスと庇われる聖女を睨み、王を睨み、ウェルタースは足音も荒く、その場を後にした。
共に戦へ行けと言われた貴族の当主たちの顔色も悪い。
今は言葉だけだが、書記官に言いつけて正式な令状を発行する手続きを進める王を見て、貴族達も渋々ながら下城していく。
「さあて、聖女様はお加減が悪いと引きこもりする間に、魔王城へ行ってみましょうかぁ」
「……はい」
「分かりました」
聖女の部屋にて、アリエスは信用できる侍女と騎士に、誰も通さぬよう言いつけて偽装の手伝いをさせる。
そして、大して困難もなく転移した北の辺境から魔王城まで辿り着いたのである。
普通の人間なら困難を極めただろうが、聖女の圧倒的な力を見て、魔王と話したいだけだと言われた魔族が退いたせいだ。
魔王城では、今代の魔王が玉座に座っていた。
黒々とした長い髪に、捻じれた角が額から二本、黄金の瞳を持つ悪魔だ。
「ようこそ、聖女殿。俺に話があるとか?」
「そうなのぉ。いきなり異世界から召喚されてぇ、戻る魔法があれば教えてほしくてぇ」
いつものようにのんびりと話す彼女に、勝てると思ったからか強そうな魔族が突然切りかかろうとして。
アリエスやエドが声を上げる前に、音もなくその魔族は塵となって無に帰した。
「人間はぐちゃぐちゃになるのにぃ、魔族は何も残らないのねぇ、不思議ぃ」
視線だけで魔族を殺して見せた聖女に、他の魔族は同様に首級を上げようとしていた手を下ろす。
同じ速度で放たれていた魔法も、聖女の障壁に阻まれて傷一つついていなかったからだ。
「まだこの世界に不慣れなのね、だから魔法を使った子は見逃してあげる」
猫が獲物をいたぶる時の様な目をして、聖女は微笑んだ。
一連のやり取りを見て、魔王はくつくつと笑い出す。
「お前、本当に聖女か?我々よりも悪辣に見えるぞ」
「さあ?勝手にそう呼ばれているだけだものぉ。それに、身体の特徴以外で悪魔と人間を分ける明確な違いは何ぃ?悪魔みたいな人間なんて、ごろごろいるじゃなぁい」
「ふむ、それも一理あるな」
愉しそうに眼を細めた魔王は、だが静かに言った。
「残念ながら異世界に還す魔法は無い。そんな物があれば、聖女に対しての切り札になるんだがな」
「そっかぁ、それもそうよねぇ」
さして残念そうでもなく聖女は言い、アリエスはしょんぼりと目を伏せた。
「アリエスは……私を異世界に還したかったのぉ?」
「……元々呼び出すつもりもなかったのです、わたくしは……だって。こちらの都合で誰かの一生を台無しにしていいなんて思えないし、命をかけさせるなんて以ての外ではないですか」
この世界を滅ぼすという予言以前に、あってはならない方法なのだ。
「ふむ。だが、人間の使う魔法と魔族の使う魔法を知れば創り出せぬ事もないかもしれん」
「それなら、私も協力出来ます、聖女様」
後ろに控えていたエドが静かに言う。
ふんふん、と機嫌よく頷いて、それから聖女は首を傾げた。
「ていうかぁ、何で魔族は人間を殺すのぉ?」
のほほんとしているのに核心を突いた問いに、魔王はくっと笑った。
「逆だ、逆。襲ってきているのは人間の方だ」
「「え」」
その言葉にはアリエスもエドも驚きの声を上げた。
「獣人にしろ亜人にしろ人間達の見た目とは異質だ。そもそも魔族とは人間達が勝手に付けた名で、彼らが迫害している民に過ぎない。あれらは繁殖能力が高いだけで、寿命も能力も我らの方が上、なのに何故こうして荒れ果てた地に押し込められているかと言えば、単純に数の力と聖女の力だな」
「そんな……そんな、ことって……」
アリエスは、力なく床にへたり込んだ。
確かに、心が美しい人間もいるが、悪魔よりも酷い人間もいる。
迫害をしていないなどと、信じられるかどうかと言えば……信じたい、けれど分からない。
「共生が可能ならしないことも無いが、無理だろう。……今までに何度もその道は閉ざされてきた」
「……本当に……?無理なのでしょうか?」
「私も無理だと思うなぁ。いい人ばかりじゃないでしょ、お互いにねぇ」
魔族の中にも人間の中にも、善人も悪人もいる。
でもそれならば、わざわざ殺し合うことも無い。
「………試しても良いでしょうか?聖女様の力に頼り切って強さを磨く事を忘れた人間達は、最早貴方がたの敵ではないでしょう。でも、わたくしの父は人の言葉に耳を傾ける事が出来ます。それに、無垢な子供達であれば、皆様を迫害する事もないと存じます」
膝を揃えて祈るような姿勢で、真摯に訴えかけるアリエスに魔王は哄笑した。
「良いだろう人間の姫。其方の願いがあまねく世界に轟けば、我が権限に於いて魔国から出ずに共生と交流をしてやろう。だが、それが叶わなかった時は、其方は我が妻となり、我々が世界を手に入れる」
「……分かりました。その場合は子供達だけでもお救い頂けるなら……それに聖女様を元の世界に帰すお手伝いをしてくださるのなら」
ふふ、と聖女が嗤う。
「負ける賭けだって、分かってるよね?」
「……最後に一度だけ、信じてみたいのです」
「いいよ。その徹底した甘さは嫌いじゃないもの」
二人を交互に見て、魔王は再びくっと笑った。
「どちらが聖女なのだか、分からんな」
何度も王子や貴族の訪問を跳ね付けていた侍女と騎士は、きちんと言われた通りに聖女の部屋を守っていた。
アリエスは早速王の元へと向かい、全ての事情を打ち明ける。
「共生……そんな事が実現可能に思えるか……?」
「難しいとは、思います。今までの戦いの歴史もあり、根本がもし歪められているのなら」
「ふむ……少し猶予を貰おう。突然何の脈絡もなく、言い出して良い事とは思えぬからな。裏付ける証拠がないか、文献を当たらせよう」
「ありがとう存じます、お父様」
少し。
少しだけ前進した。
何か、手掛かりがあれば、きっと。
だが、その甘い予感はその日の内に打ち砕かれることになったのである。
魔王討伐を命じられたウェルタースが貴族達と手を取り合い、王城を急襲した。
ドカドカと踏み鳴らす靴音と悲鳴。
異変を察知して起こしに来た侍女に隠れているよう言いつけてから、アリエスは聖女の部屋へと向かう。
「聖女様、ご無事ですか?」
「うん、私は大丈夫っていうか、心配しなきゃいけないのは貴女の方でしょ」
そうだ、父上、と部屋から出ようとすれば、ウェルタースが部屋に押し入って来た。
慌ててアリエスは聖女を背に庇う。
「乱心されたのですか、兄上」
「いいや、乱心していたのは父だ。だが、その父ももう眠りに就かれた。私が新しい王だ」
剣を見れば、血に濡れている。
「まさか、陛下を、実の父親を、手に掛けたのですかっ?」
「先に私の命を軽んじたのは陛下だ。いいから、そこをどけ、聖女には魔王を討伐して貰う」
「いいえ、退きません!」
必死なアリエスと対照的に、後ろにいる聖女は微笑みを絶やさぬまま。
ウェルタースは不気味に思いつつも、アリエスにもう一度だけ言い捨てた。
「退かねば切る事になる」
「それでも……がひゅっ……」
胸に深々と突き刺さった剣を見て、アリエスは聖女を遠ざけるように手で後ろへ押した。
「せいじょさ、ま、逃げ……て」
「本当に、庇うのね、本当に本当に。貴女って救いようがない馬鹿ね」
剣で刺された胸からどくどくと血が溢れ出して衣装を真っ赤に染めあげる。
何とか逃げて貰おうとするけれど、手も動かずにアリエスは崩れ落ちたまま。
けれど、温かい光がアリエスを包み込む。
「あら。やっぱり聖女だから出来るのね、回復」
「……あ、……わた、し……」
灼け付くような痛みを感じていた胸から、痛みが消えていく。
その光景を見ていたウェルタースと貴族達は喜色を浮かべた。
「おお、流石聖女だ、これで我々も安泰…」
嬉しそうに語っていた貴族が肉塊に変わる。
「アリエス。もういいわね?貴女は賭けに負けたのだから」
「はい……」
どちゃりと音を立てて赤黒い塊になって転がった貴族を、笑顔のまま訳も分からず貴族達とウェルタース王子は見下ろした。
「な、何が起こった……!」
「私が殺したの。近づいたらお前達も殺すから」
聖女の聖女らしからぬ言葉に、ウェルタースも貴族達も瞠目した。
その聖女の足元に座るアリエスは、涙を流している。
「折角……皆が生き延びられる道を見つけたのに……」
「は?……何、を言っている」
訳が分からないというように、ウェルタースは顔を引きつらせて問うた。
アリエスの代わりに、面倒臭そうに聖女が答える。
「魔王と取引したのよ。魔王は魔国から出ずに、緩やかに共生と交流をすると。戦は起こさないと約束したの。けれど、今それを貴方が破った。ウェルタース第一王子。貴方は父親を手にかけ、魔王の花嫁を殺そうとした」
「魔王の花嫁?お前は聖女じゃないのかっ!」
激高する王子に、聖女が艶やかに嗤う。
「私じゃない、花嫁となって身を捧げる覚悟をしたのは王女アリエスよ。全ての人間が今まで通り安寧を貪れる世界を、今貴方が壊したと言ってるの。そして、私は魔王と同じ位強い聖女。アリエスを傷つけた貴方を、私も許さない」
「こ、殺せっ!」
言うに事欠いて、聖女を殺せと言う。
魔王に対する唯一の切り札を。
だから、誰も王子の声に従って動くことはなかった。
「私か魔王か、どちらでもいいけれど。……でも、まあ……そろそろ魔王も来るわ。転移門が出来上がる頃だものね」
「何故、何故だ!殺すならば魔族でいいではないか!」
「今、私を殺そうとしたのは貴方だけど」
至極当たり前のことを言って、こてん、と聖女は首を傾げる。
「そうね。力がある私はどちらでも選べるの。魔族を殺すか、敵対者を殺すか。別に人間だから殺すんじゃないのよ?お前達が気に入らないから殺すの。さあ、お逃げなさい?魔王はすぐ来るわよ」
制圧した筈の城内にけたたましい悲鳴が響き、貴族達の殿下、と促す声に従ってウェルタースは踵を返した。
そして、魔族の王が部屋へのんびりした歩調で辿り着く。
「我が花嫁は……血塗れだが大丈夫か?」
「癒したから大丈夫よ。賭けは貴方達の勝ち。大人は全て殺して構わない」
「おいおい。別にこっちは殺戮者じゃないんだが……まあいい。アリエス、お前は良いんだな?」
涙を零したアリエスは、静かに顔を上げた。
「力が彼我の差ほどあるのなら、死ぬよりつらい罰を与えてください」
「ふふ。それはそれは。良いだろう。出来る限り捕虜にして過酷な労役を科そう。女子供と戦えぬほど老いた者は捨て置いてやる」
「あらぁ、アリエスったら闇堕ちしちゃったの?」
揶揄う様な聖女の言葉に、魔王がくっと喉を鳴らして笑った。
「闇堕ちか、俺に相応しい妻じゃないか。よし、始めようか、聖女殿」
「始めましょう、魔王様」
その日、王国は魔族の手に落ちた。
父殺しの王子が、魔王の虜囚となり、残された唯一の王女が魔王の花嫁となったのである。
魔族達の圧倒的な戦力で圧倒し、殺されなかった者達は捕虜になって奴隷たちと肩を並べる事になった。
女子供や老人は殺されずに、王妃の下で健やかに暮らしている。
共生関係が始まると、他国からも戦を逃れたい人々が訪れて、新しい王国に住み始めた。
魔王と聖女は戦の手を緩めることなく、周囲の全ての国々に恭順か抵抗を選ばせていく。
抵抗した国の戦闘員達は徹底的に痛めつけ、生き残った者は奴隷として厳しく管理し働かされた。
恭順を選んだ国の者達は男女の別なく労働者として従順に飼いならされた。
いずれまた反乱や破綻が起こるとしても、まだ遠い未来の事である。
魔王と王女は子を育み、民を愛し幸せに暮らした。
聖女は、といえば魔術師のエドを伴って異世界に帰ったものの、すぐに舞い戻ったのである。
此方の世界の方が面白い、という理由で。
そして、エドと共に魔王や王女の側で幸せに暮らしている。
ダークでした。
一応補足ですが、魔族と人間の死体の違いは、体内の魔素の関係です。
種族の違いではなく、体質の違い。
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意外なエド人気にびっくりひよこ。
彼は聖女の尻に引かれて幸せに過ごしています(昔は王女が好きだったんじゃないかなぁ?)普段は自分勝手だけど、時々甘えてくるところが猫みたいで可愛いと思っているようです。
王子は過酷な労働に心身疲れ果てて、もし何もしなかったら今まで通り王子でいられたのに…と後悔しながら死ぬまで働く感じ。




