番外編 私が語りたかったのは
沈黙は、私にとって習慣だった。
記録官として、神殿の片隅で文字を書き写していたあの頃。
声を出すよりも、言葉を残すことのほうが大切だと、そう思っていた。
でも――あの火の夜だけは、違った。
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焰の向こうにいた“彼”の目を、私は今も忘れられない。
まだ幼かった。
名前も知らなかった。
ただ、泣きそうな声を押し殺して、石の陰で震えていた少年。
あのとき、私がかけた言葉が、何かを救えたのかはわからない。
でも、私自身は――彼の存在に救われていたのかもしれない。
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それから何年も経って、再び彼と出会ったとき。
私はすぐには気づけなかった。
でも、一緒に焰を見て、共に声を追い、
幾度となく“沈黙の影”を越えていくうちに――
彼の中にあの夜の少年を見つけた。
そして、自分の中に、あの夜の少女を見つけた。
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私は語る者として選ばれたけれど、
彼がいてくれなければ、言葉にはならなかったと思う。
焔の記憶は、ひとりじゃ重すぎる。
でも、隣に誰かがいれば――燃え尽きるのではなく、灯りになる。
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私は今、言葉を綴ることに迷いはない。
なぜなら、それを“受け取ってくれる人”がそばにいるから。
誰にも届かないかもしれない声も、
彼だけは、ちゃんと聞いてくれるって、知っているから。
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「私が語りたかったのは、真実じゃない。
焰の向こうに、あなたがいたということ。」




