焰の遺言①
クレメンスの身柄は聖省に移送された。
重罪人としての扱いだったが、彼の正体――十年前の火刑から生還し、“火を守る者”となった背景――は、聖省上層部でさえ把握していなかった。
彼は“記録に残らぬ存在”だったのだ。
そして今。
アマーリエとレオンは、灰の聖女がかつて最後の夜を過ごした**“紅の房”**へ向かっていた。
そこは火刑前の隔離房。
聖女が最後の記録を遺したとされる、唯一の場所。
「この部屋……当時のままだわ」
アマーリエは部屋の中央、石造りの小さな机に触れる。
引き出しの底には、風化しかけた紙束が隠されていた。
レオンが手に取って広げると、インクの色はかすれ、文字は震えていたが、読み取れる。
> 『彼らは私を燃やす。
> だが私の声は、火には消せない。
> 誰かが語るならば、私はまた立ち上がる。
> 私が望むのは、復讐ではない。
> “赦し”という名の、新たな焰を。』
アマーリエは読み終えた後、しばらく黙っていた。
聖女は怒りでも、恨みでもなく、“赦し”を遺した。
「……こんなにも穏やかに、焰の中で生きようとしていたなんて」
レオンが静かに言った。
「“火を焚くこと”と、“火を渡すこと”は違う。
クレメンスは前者だった。
でも聖女は、あんたに“焰を渡す”つもりだったんだろうな」
アマーリエは、最後の一枚の紙を手に取った。
そこには、たった一行だけ、筆跡が違う文字でこう書かれていた。
> 『私の声を託す者――アマーリエ・グレイス。』
その瞬間、心の奥で何かが静かに崩れた。
聖女は、最初から彼女を選んでいた。
その声を継ぎ、過去を語り、未来に焰を渡す者として。
アマーリエは目を閉じて、そっと呟いた。
「……わたしが“火の継承者”。」
アマーリエは手にした書簡を胸にしまい、静かに立ち上がった。
焰の継承者として、彼女にはもう“沈黙”の選択肢は残されていなかった。
「……戻ろう。これを、記録室に提出する」
「本当にいいのか? これを公にすれば、お前自身が火に晒されるかもしれない」
レオンの声には、迷いがあった。
だが、アマーリエの瞳には、迷いがなかった。
「だからこそ、語らなきゃいけないの。
“声を封じられてきた人々”のために。私自身のために」
王都へ戻ったアマーリエは、すぐさま聖省改革派の筆頭神官――マグナス司教の元を訪ねた。
彼は聖省の中では異端とされる立場で、過去の火刑や異端審問の再検証を訴えてきた人物だった。
書簡を読み終えたマグナスは、深く長い沈黙の後、アマーリエを見た。
「……この手紙は、“聖女の赦し”であり、“聖省の罪”を暴く火種にもなる。
よろしいのですか? あなた自身が、その火を手にするということは、
かつて聖女が処刑された道を、再び歩むことでもある」
アマーリエは微笑んだ。
「私は、“火に焼かれる覚悟”ではなく、
“火を渡す覚悟”を選びました。
この声を、誰かが受け継いでくれるなら――それで、いいんです」
マグナスは目を閉じ、静かに言った。
「ならば、我らもその焰を守りましょう。
これは“声の再審”であり、“聖省の夜明け”になるかもしれません」
その夜。
レオンは屋上の塔に一人立っていた。
手には、アマーリエが書いた“公的供述書”の写し。
火刑の夜に燃やされた真実が、十年の歳月を超え、ようやく言葉になった。
彼は空を見上げ、静かに呟いた。
「……母さん。ようやく、火の向こうに“人の声”が聞こえたよ」