川と海と砂の町リオネスカ到着
傭兵団、疾風の足に同行する事にして数日。
ついに砂漠地帯を抜け、海岸線を東進すると見えてきたのは、石造りの壁に囲まれた巨大な湾港を構える町だった。
「お、見えてきた。あれがリオネスカよ」
ブリッジで説明をしてくれているのは、操舵手であり技術責任者でもある猫人種のダリルだ。
茶黒の体毛、猫耳に洞毛、二股に分かれた尻尾が特徴で、聞けば二股の猫人種はかなりの長命で、強いんだぞ!とは本人の弁である。
「この空艇はどこに停めるんだ?」
「今日は結構込み合ってるわね、運が悪いと海側に回されちゃうかも」
聞けば空艇が止められる船渠は高所にある空中船渠がメインなのだが、
入渠数が多い時は通常の船舶が利用する船渠も利用するという。
空艇の発祥は帆船を空に浮かせる所から始まったようだが、今なお空にあって船の形を保っているのは、こういった利便性も兼ねてのことらしい。
そのため、巨大な交易都市は必然的に空港だけでなく湾港も備えている海岸沿いが多いのだとか。
「お!空港側に誘導来てる!今日は船底掃除が要らなくて助かる!」
ダリルがルンルンで誘導に従って空艇を進める。
ここまでの船旅は順調そのものだったといえる。
襲ってくる魔物は少なく、向かい風も無く、未知の空艇は目立ったトラブルも起こさず空の航路を突き進んだ。
敢えて一つ申し上げるならば、生理的な活動面においては印象的な初体験が多かった。
EL.F.の搭乗アバターには人体改造の制限がある。その中には著しく人体と異なるサイボーグ化のような内容が禁じられており、特に食事機能や生殖機能などが喪失しているアバターは失格だ。そのせいで腹も減れば当然排泄もする。だが折角それらを残すならばと味覚の鋭敏さを上げたり、性欲発散コンテンツも楽しめるよう無駄に絶倫体質に設計したのだが、終ぞ役に立つ機会は無かった。
仮想空間上ではあくまで設定上のパラメータでしかないのだ、機能があろうと無効化できる。なので結局制限上の単なるデッドウェイトのようなものとして甘んじていた。
分かるだろうか、今、それが全面的に有効化されているのだ。
放っておけば飢えてしまうし汚物は出る。何ならトイレは予想通りというか懸念通りというか、溜め込み式の便器と、超古代ローマのテルソリウムよろしくスポンジのついた棒があった。尻を旧文明の遺物のような代物で掃除せねばならない。控えめに言って地獄だった。
せめてもの救いは断片的な記憶に従って拵えたEL.F.のシート下トイレだ。とにかく凝るべしという強いニュアンスを何故だか感じてしまったので擬音装置まで付けた。他人が聞く事なんて無い?否、否である。最早1人格として認識できるアイリスが常に聞いているのだからこれは必須だ。
――クソ、何が最新式の船だ。フレイがあって本当に良かった。これが最新式の便所だというのなら、俺の旅はここで終わっていただろう。
だが、良い事もあった。
食事の素晴らしさだ。
自然食がこんなにも個性に溢れた奥深いものとは知らなかった。
料理を作ってくれたのはエア団長と同じくハーピィで炊事担当のケレーノさんだ。
これが実に腕前の良いコックさんだ。何なら乗組員の全員と比べても一番の凹凸具合でスタイルも大変良い。戦闘も頻繁にこなすというハーピィの中では珍しく、肩の下まで伸ばしたウェーブの茶髪も、そのおしとやかさに似合っていてとても良い。
あまりの旨さに「なんだこれは?飯に神が宿っている。旨すぎる。ケレーノさんは女神だったか」とブツクサ言っていたら照れ屋のケレーノさんは顔を真っ赤にして退散してしまった。旨すぎて子供みたいにはしゃいでしまったのだ。どうか許してほしい。
食事のおかげで、初めてこのアバターとして作成した人体モデルの憎たらしい制限に感謝した。
そもそも自然食など最早空想上の贅沢な食材だ。そんな虚構の料理を追い求める美食家というのも居たが、どこか鼻白んだ目で見ていた自分を今なら殴りつけれそうな気がする。
アイリスに聞いた所、美味しい食事を以て、料理人に胃袋を掴まれたという比喩表現が美食家の中ではあったという。
成程恐ろしい力である、まさか現実世界における組織のヒエラルキーの頂点がコックだったとは。
「ケレーノさんの料理は本当に素晴らしかった。だがリオネスカにも旨い食事処があると聞いたぞ。身体が疼いてしまうな!」
そんな事を考えていたからか、ダリルが着岸操作をしている脇でまた食い物の話をしてしまう。
「まさかあんなにご飯に食らいつくとは私も思わなかったわよ。でもアンタ分かってる?普通のヒトってのは、飯食うなら働いて稼がないと駄目なんだからね」
「ああ、今身に染みて感じている。俺は自由に食事を行う為、今とてつもない労働意欲に満ち溢れている!」
「じゃあまぁ、キリキリ働くことね、あでも頼むから私達の評判が落ちないようにしてよね」
〈フレイの修理の事も忘れないでくださいね〉
「もちろんだ!」
割り込んできたアイリスの無線とダリルに同時に答える。
リオネスカに到着するまでに、ダリルから大陸の貨幣制度や傭兵の仕組みについて説明を受けた。
どうもこの世界は貨幣制度が浸透しているらしい。ただ活版印刷は存在するが金属本位制で大型取引などを信票発行しているのだという。
ヴァルミル貨幣と呼ばれるそれは、価値の大きいものから1ヴァル、1ディル、1ミルと分けられ、
鋳造した金属の配合率と特殊な刻印魔法で価値を保証されている。
驚いた事に貨幣製造は敵対国同士であるというフィガロス王国とオルキュリス帝国の合同資本で建てられたヴァルミル造幣局が中立の商業国家ヱビスにあり、管理は貨幣評議会が、運用は国家に帰属しない商業ギルドが行うのだという。同じく傭兵ギルドもヱビスに本部があり、各国の支部はそれぞれのギルド規定に従い組合によって運用され、登録や依頼の斡旋、報酬管理や信票発行などを行うのだそうだ。
つまり傭兵登録して依頼をバンバンこなせば、組合で食費をガンガン稼げる。そういう話だろう、あまりに重要な話だ。
周辺国家も含めて、共通通貨と空艇によって経済の流動性が高まり、周辺国も含めて大いに発展したとのことだが、長いこと戦争は起きていないのだそうだ。何故起きていないのかといえば、帝国が敵視しているのは王国の国教であるルイン教および総本山であるルイン教国なのだそうで、王国自体は宗教戦争を吹っ掛けるつもりがさらさらなく、貧民の拠り所として体よく宗教を使っている王国の二枚舌を帝国側も察している。そんな話もついでに聞いた。
これは実にどうでもよい話だった。
リオネスカの空港は、全高のある時計塔のような建屋がいくつも立ち並んでいるエリアで、その塔には空中に浮かぶ巨大な桟橋が四方十字に伸びており、桟橋には既にいくつかの空艇が係留されていた。
空港職員は色のついた信号を放つ誘導灯を使い分けて空艇に合図を出し、ダリルはその誘導に従って空いている桟橋に接近していく。
『他船ありにつき侵入角60!甲板員は緩衝材!微速前進!』
船長席からエアが伝声管で指示を出すと、オキペテとケレーノが甲板で格納していた緩衝材を側面に出し、更に係留用のロープを船首に括りつけて桟橋へ向かって飛び上がった。
『こちら空艇アエーローク、逆噴射にて回頭す、付近の諸兄は防風姿勢にてヨーソロー!』
エアの声に併せて警告音がアエーロークから発せられる。それを聞いた桟橋に居た男達が、直ちに対ブラスト姿勢よろしく身体を屈める。
アエーロークが桟橋に接近するとダリルは舵を回してスロットルを逆進に倒す。推進用ブースターが風圧を前方向へと向け速度がゼロになると、同時に慣性でゆっくりと船尾がスライドして桟橋に近づいていく。
桟橋と船体の間に緩衝材が挟まり、ギュウ!っと音が鳴ると、オキペテとケレーノがその位置で船体の前後を係留ロープで手際よく固定する。
「ハーピィは空艇の離着岸がやりやすそうだな」
率直な感想だった。高所作業になるうえ、突風で桟橋から落下する際のリスクは海岸の桟橋の比では無いだろう。だが宜しく候などという言葉があるのはどういう事だろうか。
「そう、見ての通り空港は落下事故の危険が高く、その原因の中には離着岸時の噴射に巻き込まれるものがあるんです。でも私達なら巻き込まれても帰ってこれるので空艇の船員としては重用されるんですよ」
『ちょっとエア!さっさと出てきて手続き!今回は色々やる事あるから忙しいでしょ!』
船長席でエアが自慢げに話していると、伝声管からダルジェの声が聞こえてくる。甲板を見れば既に荷下ろしの準備を始めていた。
『すぐいく!』
そう言ってエアも立ち上がる。
「すまない、そういうわけでシュウはゆっくりしていてくれ。終わったら呼ぼう」
「何を言う。俺を暇殺しにするつもりか?力仕事なら得意だ。手伝わせてくれ」
「いや、荷下ろしだぞ?大の男も嫌がるんだぞ?ありがたいんだが...シュウはその、ほっそりしているというか...」
力不足だろう。と言いにくそうな視線を向けてくる。
気を遣わせてしまったようだ。
「ああ、俺の身体は特別だからな、兎に角指示をくれるか?」
「――そこまで言うなら、お願いしてみようか」
エアに付き添って船倉に向かい、規格化されているであろう木箱の運び出しを開始する。
ひょいっと持ち上げると、心配そうに見ていたエアが呆けたような顔をしていた。
2個目の木箱を重ねて持ち上げたあたりで理性を取り戻したようだ。
「うそでしょ!?」
言うまでも無く素粒子エンジンの単発駆動による重力制御なのだが、説明は面倒なのでやめた。
振動制御だとか粒子スピンだとか難しい制御はできずとも、ベクトル調整だけなら単発でも可能なのだ。
「中々のもんだろ?いくぞ」
「いやちょっと!」
それなりに量が多い便だったらしく荷役は半日はかかると思われていたのだが、猛スピードで運ぶ荷役者の増援により半時も経たずに終わった。
時間が余ったうえに今なら傭兵組合が空いているはずとのことで、エア達に案内されてそのまま傭兵組合で登録作業を行うことになった。
「アリアさん!この人超強いんだから、もういきなり1級でも良いぐらいよ!」
「ふふ、ダルジェさんは相変わらず面白いですね。でも規則なので流石にそれは無理です」
朗らかに対応していたのは組合の受付職員であるアリアという女性だ。
扇情的な衣服のハーピィ達やダリルのような獣人種に慣れてしまっていたが、アリアさんは人間種という文字通りの人種で、職員共通の制服を纏い、髪を後ろに束ねたオフィスレディだ。
色々あったが初めての人間で何だか少し感慨深い。
「う~ん、まあ外の国の人だからこっちで暮らせるように身分証明できれば十分なんだけどさ、一応私達の命の恩人だからそれなりの実力は前提で見て欲しいなって」
「まあ、実力で2級まで上り詰めたあなた達がですか?うう~ん、だとしても正式な実績で評価する以上、対人護衛が必要な3級は厳しいでしょう。良くて4級からだと考えて下さい」
「そんなぁ、頼むよアリアさん。シュウは私達が認めたイイヒトなんだよ?」
ダルジェが横から放ったその一言に、組合の空気が一瞬で固まった。
「おい、聞いたか」「まじかよクソ」「俺達の女神が」「取られた!」「いやお前のでもねえよ」
主に男性陣の恨み節がボソボソと聞こえてくる。そして――
「おい、エア」
アリアさんの背後からぬぅっと出てきたのは熊のような巨躯の男だった。
「支部長!」
アリアの驚いた声には若干の恐怖が混じっていた。
「今の、本当か?」
今の、とはダルジェの話したイイヒト発言だろう。
「ちょ、ちょっと止めてくれよ、恥ずかしい!」
そういってエアが明確な否定をせず顔を赤らめてしまった事で、周りの男達は完全に事実だと確信してしまった。
「ゆ、許せねぇ」「殺せ!」「俺達の女神が!」「取られた!」「いやお前のじゃねえって」
やいのやいのと大騒ぎになってしまった。
イイヒトっていうのは、やはり男女の機微でいう話だろうか。いや、そんな脈は、あったか――?
喧騒の中、はてと首を傾げていたが、プルプルと震えていた支部長の熊男は、周りの音を掻き消す勢いで叫んだ。
「アリア!訓練場開けろ!若造、おめぇは俺が実力を見てやるよ!」
青筋を浮かべて笑みを向けてくる熊男に連れられて、その場を後にした。