記録と翻訳 ― 鎖を解く夜
王立図書館で過ごした半日を、収穫という名に昇華する時が来た。
十数冊どころか、棚の辞書・技術書・魔科学書を端から端まで目を通した。
網膜に文字通り焼き付けたそれは、記憶用領域に保存。膨大な画像データとして、一時保存しておいた訳だ。
食事が終わり、屋敷の使用人達が業務を終えて寝静まった頃、倉庫という名の工房に戻ると愛機であるEL.F.のコクピットに身を沈める。
起動の唸りとともに、脊髄を走る神経接続の微電流が、現実と電子の境界を曖昧にしていく。
「お疲れ様でした我が指揮者、ご用件は?」
「記録データをインポートしてくれ。俺と話した司書とリシェルの会話ログを参照し、図書データと突合して言語モデルを再構築。出来上がったモデルを使って図書データと再度照合。文脈の違和感を補正。精度を上げて俺の視覚情報と同期」
「承知しました。少々お待ちください」
作業を指示すればあとは簡単だ。負荷をオフロードできないデメリットこそあるがローカルで完結できるよう基幹部分を機内設置にしておいて本当に助かった。アイリスの演算能力をほとんど損なわず運用できている。
彼女は静かに、しかし確実に文字と文脈を解体していく。
『言語パターン抽出完了。翻訳モデルを構築します。……コンパイル、成功。』
次の瞬間、私の視界に映る理解不能な文字群が“意味”を持ち始めた。
今まで単なる模様でしかなかった世界が、一斉に言葉として立ち上がる。
どうやら私はようやく、“この国の住人”として入り口に立てたといえよう。
正直な所分からない事だらけでうずうずしていたのだ。知らない虚憶に導かれ、どれだけ状況介入しても疑問は積もるばかり。いい加減、俯瞰した視点が欲しい所だった。
膨大な資料をアイリスが整理して要約していく。
魔法の定義から、妖精機技術の変遷、魔物学の分類に至るまで、データは秩序へと整列していく。
――魔法とは、魔素と呼ぶ粒子に干渉した現象全般を指す。
――魔科学とは、魔素を貯蔵する魔核を利用し、魔法を外部から発動させる技術体系。
――妖精機とは、魔科学の極致、魔核を動力として何重もの魔法陣によって練り上げた機構体。
――そして、ヴォミドとは、魔核の汚染により生じる黒泥の怪物。
歴史書からピックされた情報には興味深いものもあった。
【妖精機の記録】
――かつて、邪竜“黒き咆哮”が神々に討たれし時、地を覆う瘴気を吐きて森を呪い染めぬ。
その地、のちに“呪海の森”と呼ばれ、魔物の核は黒く腐り、無数のヴォミドを生じたり。
人の種、滅亡の瀬戸に立ち、妖精族の王ら、魔を封ずる核を供す。これをもとに、守護の器――妖精機、誕生す。
記録によれば妖精機はヴォミドを次々と駆逐していった。
また駆逐されたヴォミドからは極めて高密度な魔核が手に入った。これを使って、フィガロスは史上初めて、妖精機を量産に成功し、ヴォミドの大群を各国と連携して呪海の森に押し返す事に成功した。
人類は平和を取り戻した。だが皮肉にも、量産された妖精機を手に入れた他国はその力に増長し、技術を盗み、小国を併呑していった。その最も大きな勢力がオルキュリス帝国であり、現在は王国と大陸を二分する拮抗状態となっている。
随分と恣意的な記述だ。要するに帝国は仮想敵国として扱われているのか、このように悪しざまな書き方をされているのか。それとも純然たる事実なのか――その帝国とやらの歴史書の記述も大いに気になる所である。
「銀竜の言っていた、死竜に関する情報は?」
「ありません。ですが魔物の中に亜竜と呼ばれる翼竜がおり、これらのヴォミド体は相応に高い危険性を誇るという記述があるのみです」
「どの程度の強さか目安はあるか?」
「妖精機の小隊でなら難なく討伐可能で、生身での討伐記録もあるようです。該当者は1級傭兵のウォルテ・フーレイと、同じく1級傭兵で万能の二つ名を持つウィッツとあります」
1級傭兵とやらの実力は気になるが、量産機が討伐できるなら違うのだろう。
しかし、人類を守る為だった妖精機を作る為に、人類の敵たるヴォミドの魔核が必要とはなんとも皮肉な話だ。彼らは国防や利益の為に、ヴォミドを根絶する事が出来なくなっているのだろう。
とはいえ、人の歴史などそのようなものだ。後から見返せばおかしくて滑稽な事でも、時代の当事者からすればただ事ではないのだから。
「それで、コンデンサ修理の見込みはありそうか?」
「BaTiX-γの組成が壁です。特に電極板が課題ですが、魔科学の中に魔素制御信号という技術があります。もし応用できる技術なら信号の取り出しが可能かと」
機体制御は魔法のような無形ではなくスイッチやレバー類だったことを考えれば、信号制御はあって然るべきだから期待はできる。
これらの情報だけでも値千金、ギブアンドテイクの精神でレオン公爵の依頼を受けて良かったといえる。何より――
「情報収集しながら適当に若造達の相手をしているだけで美味い飯が食えるというのが最高だ」
判断基準が常々胃袋に振り回されている気もするがどうか許して欲しい。
それほどまでに、味覚を騙して食事していた以前の暮らしが文字通り味気無かった事に気付かされたのだ。
ただの味のデータに何の意味があるのだ。
昔はただの余分なパーツとしか思わなかったが、この身体に胃袋を実装していて本当に良かったと思う。
「心の声が漏れていますよ」
「おっと」
まったく人の欲求本能とは恐ろしいものだと実感させられる。
あれだけ拠り所だった闘争心をこうも引っ込めてしまう。
まさか本気の戦いができないフラストレーションが食欲に発露しているとでもいうのか。
「偶には本当のピンチを味わってみないと駄目になるかもな」
「なんですか、急に」
「何でもない、さあもう寝るぞ。明日はレオンの大事なお仕事の日だからな」
言霊、口は禍の元――
翌日、言葉通りのピンチが待っているとは夢にも思わずに。




