無職から傭兵?いいえ御貴族様へ
傭兵組合リオネスカ支部にある執務室、調度品の一つすら飾らない質素な部屋に、一組の男女が腰を落ち着かせていた。
男の名はレオン・ファルク、またの名をレオン・フィガロス・オブ・ヴェルセリス。フィガロス王家に連なる血統を持つ封建貴族にして、商業国家ヱビスの中央評議会における王国側の議員でもある。
向かい合って座っているのは傭兵団《疾風の足》の操舵士であり、主任技師を努める猫人族のダリルだ。厳密にいえばダリルは現在、疾風の足としてではなく、《イモータルノック商会》の一員としての顔でレオンと向き合っている。
「俄かには信じがたいな」
レオンの口を点いて出たのは、そんな感想だった。
「でも、少しは信じる気になったってことでしょ?」
ダリルは先刻、レオンにヴォミド化した竜種の報告をした際、救援に来てくれたシュウの実力を一顧だにしなかったように見えたが、今度はシュウの救援に向かったレオンが、恐ろしく丁重にシュウを扱い始めたのを見て、すぐにシュウの実力を認識できたのだと理解した。
「竜のヴォミドは証拠が不十分でしたからね、それでもある程度は信用していましたよ。唯の野良騎兵であれば、ロックフリンガーの群れに遭遇すれば救援に駆け付けたとしても間に合わないでしょうから」
「ふぅん、相変わらずズルい男ね、それを態々助けて、恩を売る気だったんだ」
実力不足ならどうあっても助からない。実力者なら、なんとか逃げながら耐えているのを助れば命の恩人になれる。
レオンの内心にそのような損得勘定が無かったかといえば噓になる、とはいえ胡散臭い人物なのは間違いない。どこぞの首輪が付いた間諜の線も一応確かめたくもあった。
ダリルを信用はしているが、これはこれである。
「ええまぁ、だからこそ急いだんですがね」
結局の所、レオンの目論見は外れた。
シュウは救援が間に合う間もなくロックフリンガーを殲滅していた。
部下が回収したロックフリンガーの魔核は、シュウが申告してきた数とピッタリ同じ81、更に言えば一つは特大サイズだ。等級でいえば災害級に匹敵する。
もし、仮にレオン達がその戦闘に間に合っていたとして、生き残れていたかは大いに疑問が残る。
「でも、ディナ・シーは破壊されて彼ってば生身で残りのロックフリンガーと戦ってたんでしょ?化け物すぎない?」
「ええ、客観的に見て、あなたの言う彼が持つ特級の機体と、私が見た彼自身の強さは異常です。あなた達に打ち明けた別世界などという与太話も、あながち嘘ではないかもしれませんよ」
「へぇ、なんでそう思ったのさ」
「辻褄が合わないからです。竜種のヴォミドを圧倒するほどの妖精機など、各国でも数えるほどしかありません。それを私が把握していないはずが無い。そして、彼のような人物の噂もまるで聞かない。そして話して見て分かります。彼の言動、所作、そのどれもが王国の騎兵や帝国の潮の騎士とも違う、ましてや教国の使徒達とも考えにくい。いっそ別の世界から来たというほうがしっくり来るのですよ」
故に、シュウの存在はこの男に最大限の興味と、最大限の警戒を抱かせた。
レオンは続ける。
「理解の埒外にある物事は、自分で推し量れる最悪を想定しておくもの。では彼の場合は?」
「本当に別世界から来た迷い人で、その力が私達に向くこと」
ダリルもその可能性を慮っていたからこそ、淀みなく応える。
「仰る通り、そしてその力の向き方も様々だということです」
「彼の技術を盗む輩とか?」
「それもありますが、彼が知らずの内に広めてしまう可能性とてあります。それらが国内の左派、或いは帝国の急進派、はたまたヱビスの武器商人達のお眼鏡に叶うものであれば情勢不安を飛び越えて突如として戦端が開かれることさえありえるでしょう。私は彼の情報を上手く不時着させたいのです」
不確定要素を減らし、情報を精査し、然るべき時、然るべき場所で公開する。
これを怠ればセンセーショナルな情報が、突然空から降ってきて人が大勢死ぬ。
笑えない冗談だが、レオンはそれが起きるとほぼ確信できていた。
「ふうん、その為のガーデンってことね。逆に情報が漏れたりしない?」
「漏れるでしょう。しかし漏れ方も制御できる都合の良さがありまして」
「相変わらずね、それで?あなたから見た彼の率直な印象って結局どうだったの」
ダリルの言葉に、レオンは先程まで浮かべていた微笑みを消し、スッと目を細めた。
「清々しい程の化け物です」
状況を整理しよう。
私は今、王都の高級住宅街にある――エルフの貴族がかつて住んでいたという、「ヴァルザー邸」の門前に立っている。
周囲には見事な石畳、庭師が定期的に整えているらしい立派な生垣、そして如何にも金の匂いが漂う白壁の邸宅。
私のような流れ者が足を踏み入れるには、些か場違いな光景だ。
皮肉なことに、今日からここが私の“家”らしい。
なぜこんなことになっているかといえば――話は、ひと月ほど前に遡る。
当時の私は、壊れた愛機の修理先も無く、路銀を稼ぐべく日雇い労働の奴隷ともいうべき傭兵稼業に身を窶すため、登録の試験に邁進していた。
その結果、試験中に出会った一人の男の紹介によって、私の就職先が確定したというわけだ。
男の名はレオン・フィガロス・オブ・ヴェルセリス。
王国の軍監察長官にして、王族の血筋を持つ公爵。そして恐ろしく観察眼の鋭い、理性的な猛禽類である。
彼は、私の正体と来歴に薄々気づきながら、これを荒事にせず、むしろ“友誼”とやらを結ぼうとしてきた。
その理由は明快だ――彼の言葉を借りるならば、「私という戦力を、可能な限り味方として繋ぎ止めておきたい」とのことだった。
この時点で普通なら逃げ出すべきだろう。
しかし、あいにく私には資金が無い。更に言えば、フレイを直すには、この世界の知識も、技術も、設備も、全部不足していた。
レオンはそれを、場所ごと差し出すと提案してきたのだ。
――結果、私は「ヴァルザー子爵家の再興」という実に格調高いプロパガンダの主役となり、
その“後見人”である公爵閣下に導かれるまま、王都のど真ん中に用意された貴族邸へと到着したわけである。
ああ、なんと素晴らしい転落人生か。
孤高で気楽な旅人を気取るつもりが、気づけば名家の跡取りなどという、胡散臭さの詰め合わせセットに化けている。
しかもこの子爵家、使用人は居ないが領地も一切無し。あるのは歴史的な看板と、公爵閣下の依頼だけ。
胡散臭さで言えば大昔に流行ったという環境活動家の建前ぐらいには臭い。それを分かっていながら承諾した自分も大概だ。
余談だが、この話を聞いた疾風の足の皆々様からは諸手を挙げて祝福された。
どうもこの世界では教育機関で勉学を積むというのは非常に贅沢で、それをレオン公爵の後ろ盾を以て行えるのは将来を約束された最高のエリートコースに見えるのだとか、加えてレオン公爵は疾風の足が所属している商会長とも懇意らしく、また会える事を期待して送り出されてしまった。
また会える日を楽しみにしているとエア達は言ってくれた。別れる前日に送別会も開いてくれた。ハーピィ流の多少、いやかなり熱烈なスキンシップを繰り広げられてしまったが、全く以て余談である。
要するに私は、EL.F.という重要な機密を抱えた操縦士として、王国という組織に飼われる形で入り込んだわけだ。
この場合、使われる側に選ばれたのか、利用する側に踏み込んだのか――判断はまだ保留にしておこう。
さて、これが善手か悪手かを決めるのは、私の立ち回り次第。
せいぜい“子爵閣下”として、王国貴族の空気に馴染む努力でもしてみるとしよう、これは一種のロールプレイングだと思って楽しめばいい。
失敗してもどのみちトラブルで困るのは先方だ。
私は知らん。
「お待ちしておりました」
門の前から、こちらに一礼してくる人物がいた。
紺色の制服、左胸に控えめな徽章。背筋を伸ばし、無駄のない姿勢で立つその人物は、まるで古びた絵画から抜け出たように整っていた。
鈍色の髪は首元で一つに束ねられ、表情は冷静そのもの。だが、かすかに翡翠色の瞳がこちらの動きを読み取るように揺れる。
「セレス・ヴァルトと申します。シュウ殿の生活を支援し、様々な行政手続きを円滑に進められるよう公爵閣下より補佐官としての任を受け、馳せ参じました。如何様にもご活用下さい!」
「――シュウだ。一応聞くがこの屋敷には他に人は居るのか?」
「は、ヴェルセリス公爵家から信用のおける使用人を最低限配置し、家事を任せております」
――これは何の冗談だ。
セレスと名乗った美少年は、私の補佐官だという。
確かに貴族の屋敷ともなれば一人で管理するのは大変だろう。レオン公が人を寄越してくれたのも大変助かるし、助手が居てくれるのも助かる。
だが、男装した女を寄越してくるとは誰が予想しただろうか。
長いまつ毛と細い首に鈍い角度の甲状軟骨、撫で肩に、腰は少し布が張った骨盤周りの骨格、肩幅の割に胸板がやや厚く見えるのはサラシか、これで隠せているつもりなのだろうか。声は低めで中性的な男性と言えなくもないが骨格は典型的な女性のそれではないか。
「そうか、それでこの後の予定は?」
だが用もなく追及することは避けた。職務上必要に迫られてかもしれないが、或いは本人の精神的にデリケートな部分に触れてしまう可能性とてある。私は理解のある紳士だ。
「主だったものは屋敷の案内と使用人達の顔合わせになります。あとは機体搬入と伺っておりますが...シュウ殿の妖精機は今どちらに?」
〈裏手の別棟に格納スペースがありました。搬入口が開いていましたので、既に到着しております〉
アイリスが丁度着いたらしい。
「ああ、裏の棟だろう?もう入れてあるよ」
「えぇ!?」
セレスから喉がひっくり返ったような声が出ていた。
こいつは本当に変装する気があるんだろうか。




