鷹の提案
世の中には「お茶会」という名の拷問が存在する。
フリル付きの椅子に沈み込み、焼き菓子と共に紅茶を啜る。とても優雅なひととき……のはずだが、目の前の紳士が口角を上げるたびに、こちらの警戒心もカフェインと共に湯気を立てる。
ここはリオネスカ傭兵組合の支部長室、現在は空き部屋。名前を忘れた熊支部長はどうも汚職がバレて捕まったらしい。レオン殿は本来その監査に来ていたのだという。
「どうぞ、紅茶です」
「ああ、ありがとう。うん、良い香りだ。実に良い茶葉が入ってきている。リオネスカの交易は順調のようだ」
受付をしていたアリアさんが紅茶を淹れてくれた。対面に座ったレオン殿が実に上機嫌で紅茶の香りを楽しんでいる。
紅茶の香りはとても良い。アリアという女性が丁寧に淹れてくれたものだ。彼女は一礼して退室し、部屋にはこの国の公爵と称される男と、私の二人だけが残された。
「これが、紅茶――」
「おや、紅茶は初めてかな」
「はい閣下、私の故郷は自然に作られた食物を食べるのが非常に困難で、栄養だけを含んだ、味や香りを再現したもので誤魔化しておりましたので」
「それは、作物が育たないような不毛の地だったということか?」
「そのようなものです」
「それでは民は増えず、飢えてしまわないか?」
「ええ、無用な人口の増加を抑える為に、一人ひとりの出生管理が徹底されておりました」
「なんと残酷な――」
「ええ、ですから滅ぶべくして滅びたのです」
少なくとも、自分から見た感覚ではだが。
作られた娯楽、作られた快楽、作られた熱狂。
生きているようで、あれは死んだ世界だった。
「閣下、それで話というのは?」
重い沈黙が続くので、さっさと話を促した。
「――聞きたい事が増えてしまったが、一旦置こう。君は妖精機を初めて乗り、大型のロックフリンガーを、しかもヴォミド化している個体を倒した。これは間違いないか?」
「はい、際どい戦いではありましたが」
「一般的な評価で言えば、傭兵なら2級でも上位に近い、我が国の騎士団で言えば特に武勲を立てた隊長でも中々居ない逸材だ」
「恐縮です」
随分持ち上げてくる。これは、敢えて下心を見せていると考えるべきか。
「それで、君は自分の機体を修理する技術、或いは環境を手に入れたいという事だったな」
「相違ありません」
「我が国には、国防軍として妖精機を運用する王国騎士団が存在している。その養成校である"ガーデン"に、入学してみないか」
「お断りします」
要するに戦力の抱き込みか、実に下らない。
「それは、私が君を国の戦力として囲い込もうとしているからか?」
「はい閣下、私は私の機体を、誰かの思惑で利用されるならば、その者を背後関係ごと破壊します」
「破損しているというのにか?」
「破損しているというのにです」
「――分かった。ただ勘違いして欲しくないのは、私があくまで求めているのは、君の機体ではなく、君自身だ」
「私の、何をでしょうか」
レオン殿は紅茶を一口含み、ややあって答える。
「騎士団を鍛えて欲しい。見返りとして整備場の提供と、君の機体の情報統制を手伝おう」
「閣下の意図が分かりかねます」
「フィガロスは妖精機によって帝国と肩を並べる大陸の覇者となったが、数十年に渡る平和によって現場の騎士達の力は随分と落ちた。キヴの村での一件でもそうだが、近頃ヴォミドの発生件数が増えている。これが何か大きな災いの前触れであれば、きっと今の騎士団では国を救えないだろう」
「だから外部の力を使って鍛えると?他の傭兵にもっと信用できる者が居るのでは」
「優秀な人材は今更引き抜けない。それに、君と個人的に友誼を結び、便宜を図る事が最終的に国益につながると私は確信している」
確信、確信と来たか。実に嫌いな言葉だ。
「煙に巻くのは止めて頂きたい。その確信の根拠とやらは?私は閣下と誠実な話し合いを求めます。それが出来ないのであれば話はここまでです」
「申し訳ない。順を追って説明しよう」
意外にもレオンは素直に頭を下げた。
「実は君の事はダリルから聞いていてね、彼女は古い友人だ」
情報漏洩先はダリルだったらしい。
エアの気遣いを無駄にしやがったな。
「ああ、彼女を責めないでやって欲しい。君の情報の危険性が分かるからこそ、彼女は私に相談したのだ。君の秘密は早々に露呈し、事態を悪くすると考えたのだろうね」
「どういう事でしょう」
「私は王国側の人間で、一応王族の血縁ではあるが継承権争いからは外れた身でね、故に中立国ヱビスの中央評議会で王国と帝国から選任される、外部の監査官としても選ばれている。なのでギルドにも顔が効くし、王国側で諸々の調整が可能だ」
つまりこのレオン・ファルクという男は、ダリルが隠し事をするなら味方につけるべき権力者だと見ている人物、そういう事だろう。
「私の狙いは三つ」
レオンが指を3本上げる。
「一つは、君が王国の脅威とならないよう、出来うる限りの意思疎通と便宜を図り、協力関係を結ぶこと」
当然だろう。ダリルがどこまで話しているか分からないが、フレイの性能を見たままに話し、それを信じる関係性の相手であるならば、まともな人間ならばそうするはずだ。
「二つ目は、先も話したように騎士達へ学びと刺激の機会を与える。これは本心だが、その過程において君の突出した才能・強さを王国の重鎮達に浸透させ、且つ下手な気を起こさせないよう根回しをしていくことだ。幸いにも、私にはそれができる立場にある」
新たな火種を生まない為の工夫をしたいという事ならば理解できる。まともな為政者であるならばそうするはずだ。
「三つ目は、やや個人的な願いではある。もし私が死んでも、ヴォミドから民達を守って欲しい。その為の恩を売りたい」
なんだこの男は。
およそ交渉相手の目の前で相手に言うような言葉ではない。
「もうじきお亡くなりになるご予定でも?」
「はは、政敵に殺されるような間抜けでは無いよ。だがヴォミドは違う。あれは話し合いの通じない獣、呪いの災害だ。人々の事情など考えずに突如として命を脅かす存在だ。騎士団達は命を賭して戦ってくれるが、彼らとて大切な王国の民。君が圧倒的な力を持ち、アレを打ち払い、僅かでも犠牲者を減らせるというのなら、私は私の差し出せるものはなんでも差し出そう」
随分と公爵様は吹くではないか。それほどまでにヴォミドとやらを重く見ているということか。
確かに、死竜クラスを相手にするならば超電磁加速砲の修復が必要だが、それ以下であれば十分対応可能だ。それを引き換えに公爵とのコネクションが出来るのは旨味が勝る。
「では、具体的に何を差し出すおつもりで?」
「まずは召し上げたヴァルザー子爵の名跡を継承させ、王都にある邸宅を譲ろう」
「私が貴族の義務で縛られるのでは?」
「ヴァルザー卿は元々エルフで、かつて妖精機の開発に関わった方だ。功績でいえばもっと高い貴族位でもおかしくないのだが、研究者に領地運営を任せないで済む爵位として子爵位を賜った。種族柄、お世継ぎに恵まれなかった上に世襲にも拘らなかった為に断絶していたのだが、君は新たな妖精機、新機軸の技術研究者として見出された人材で、ヴェルセリス家が後見人となり、ヴァルザー家の正統後継者として擁立する。そんな筋書きだ。ガーデンへの入学は、君が素晴らしい才能で新技術を開発したが、既存の機体と技術体系が異なり過ぎていて応用が出来ない。その為、将来的に現行機体の改修にも活かすべく、既存の技術体系を基礎から学んでもらう為とする予定だ」
「――閣下は、ダリルからどこまで話を聞いたのですか」
「君が、我々の誰も知らないような遠い地からやってきた旅人だと聞いている」
「――それで良いのですね?」
「ああ、構わない。出来れば、私と良き友人になって欲しいと願うよ」
差し出して来たレオンの手を、一拍置いて握り返した。
「分かりました。そこまで言われては是非もありません。お世話になります」
握ったその手は、ほのかな湿り気を感じた。




