第十一話
真っ黒な深夜のホテル。時も止まっているらしいが、懐中電灯の灯りが頼りだ。懐中電灯は琴羽が持ち、二階からエクソシストをする事にした。
「琴羽さん! あそこの廊下の隅っこにデブで汚いおじさんの幽霊がいる!」
伊織が指差す方に懐中電灯を向けるが、なにも見えない。
「どういう幽霊?」
翠も見えなかったらしいが、伊織に聞く。おそらくこの中では一番霊的に敏感なのは伊織だ。
「なんかいっぱい食べてる、気持ち悪い」
伊織はプルっと震えていたが、おそらく暴食の悪霊だ。さほど強くなく、雑魚だ。
「祓ってみる? イエス・キリストの御名前で出てけって命令するだけ」
「えー、琴羽さん、そんな簡単にでてく? 私、見えるけど追い出しなんて一度もできなかった」
「大丈夫。暴食の悪霊は雑魚だからね。たぶん大丈夫。翠も一緒に声を合わせて祓いましょう」
「おー!」
という事で三人で声を合わせて祓って行った。本来なら未信者の伊織がエクソシストをするには、微妙だ。もちろん、未信者でもできるが、返ってくるリスクが高い。結局、エクソシストも信仰と愛が必要。ただ、今は緊急辞退だ。それに琴羽と翠のガードもあれば大丈夫だと判断し、伊織と共に祓っていく。
勝手に客室に入るのも抵抗があったが仕方ない。大抵の客は寝ていた。時が止まっている事も気づいていないが、琴羽達はサクサクと部屋にいる悪霊達を祓っていく。
「うわ、このお客様。スマフォでポルノ見てる最中だよ」
翠の声が響く。
六階の客はちょうどポルノを見ていた最中だったらしい。部屋には姦淫の悪霊が攻撃してきたが、琴羽が聖書の言葉で追い出していった。
「わー、ポルノも幽霊っていうか、悪霊呼ぶの?」
側で見ていた伊織は引いていたが、いわゆる聖書で禁じている事は、悪霊の足場になると説明した。
「そっか。だから私もマイナス思考になったり、他人が許せないってなった時に幽霊がよく見えたりするんだ」
伊織は一人腑に落ちていたが、のんびりもしていられない。
その後、七階、八階、九階と順調にエクソシストしていく。
中には執念いものもいた。前、琴羽が祓い報復しに返って来た悪霊もいて、なかなか面倒だったが、見える伊織が悪霊の隠れている場所を見つけ、翠が聖書の言葉で祓い、最後に琴羽が賛美や祈りで清めていく。
「でも、何でイエス様の名前で出ていくの? 私、お寺さんでお祓いしてもらった事もあるけど、どういう事?」
九階から最上階まで階段で登っている時、伊織が首を傾げていた。
「確かに。俺もエクソシストやっているが、上手く説明できないね。感覚的にわかるけど」
翠も今更だけどと笑う。琴羽はここで咳払いをし、一応霊的なヒエラルキーについて説明した。
「悪魔や悪霊がいる場所は、人間界より、少し上の天なのよ。その上の天が天使がいるところ。一番上の天国に神様がいるわけ。だから一番偉い神様には霊的な存在は誰も逆らえない」
本当は絵を見せて説明したいぐらいだったが、琴羽は早口で説明した。
「悪魔と悪霊の世界にもヒエラルキーがあり、上の強いやつは雑魚の言う事は聞かない。逆に言えば雑魚は上のやつに従うしか無い。これが寺や一般的に言われているお祓い。いわばジャイアンがスネ夫をいじめて追い出しているようなもん。確かに一時は効果はあるけれど、強いジャイアンを縛らないといけない」
果たしてアニメキャラで霊的世界を説明するのが正しいとは思えないが、これが一番わかりやすい。
「だったら弱いのび太はどうしたらいいんの?」
「伊織さん、いい質問ね。だから一番強い方を味方になってもらうの。のび太だってドラえもんに頼るでしょう。人間は神様に頼るのが一番根本的解決になる。ジャイアンに頼ったらこの借りを返せってとんでもない事になるからね」
神様はドラえもんではないが、やはりこの例えがわかりやすい。伊織も翠も納得したところ、最上階の十階に到着。
今までと同じように、客室に入り、順調に祓っていくが、仕事はミユキの部屋だった。
ミユキはベッドの上で寝ていたが、机の上に遺書や睡眠薬もあり、全く笑えない状況だった。
「琴羽さん、このお客様に悪霊が! 胸の辺りに黒っぽいのが! 私もよく見えないけれど!」
伊織の叫び声が響く。姿はよく見えない?
『ふざけるなよ! こいつを宗教的な罪悪感で縛り、自殺未遂にまで持っていこいうとしていたんだ!』
姿は見えないは、琴羽の耳にもはっきりと声が聞こえた。
「お前、宗教の悪霊だろ!」
翠も叫び、その正体を指摘する。正体を指摘し、聖書の言葉で祓う。ここまでは順調だったが、なかなかしつこい。
『この女の罪悪感は相当なものだね。親がクリスチャンだから敬虔で清い。周りのみんなもそう。でも、そうなれない自分を責めてる。実に人間の罪悪感はご馳走だね!』
琴羽も翠も聖書の言葉で祓うおうとするが、想像以上にしつこい。二人とも汗だくで応戦しているが、急所をピンポイントで刺せない感じだ。
「琴羽さん、もしかしたら、結婚式でよく聞く聖書の言葉の方がいい気が?」
ずっと見ていた伊織だったが、彼女が一つだけ記憶しているという聖書の言葉を話していた。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」
『ちょ、何で未信者がこの言葉知ってるんだよ!』
悪霊は明らかに動揺し始めた。琴羽も翠はこの隙を逃さず、最後にもう一度追い払い、いなくなった。
「え? 本当いなくなった!?」
一番驚いているのは伊織だが、しつこい悪霊が消えて琴羽は肩の荷が落ちる。翠も机にある遺書や睡眠薬を回収した時、ミユキが目を覚ました。
「あれ? 私、何していたの?」
ミユキの目は憑き物が落ちたように綺麗だった。部屋に琴羽達がいるのは、怒っていたが。
「ミユキさん! 良かった!」
思わず琴羽はミユキを抱きしめてしまう。生きてて欲しい。宗教の悪霊なんかに負けないで欲しい、助かって欲しい。そんな熱い思いが溢れ、琴羽も涙目になっていた。
「ミユキさーん! 良かった、助かったよ!」
翠もそんな琴羽に感化されたかは不明だったが、ミユキの手をしっかりと握る。
「うざ、何この人達……」
ミユキは相変わらず悪態をついていたが、それでも琴羽は嬉しい。ようやくミユキを抱きしめられた。
「え? 聖書の言葉通りなの? 愛の言葉が悪霊を倒した……!?」
伊織は困惑し、この光景を見ながら呟いた。伊織も結婚式でよく聞く聖書の言葉をなぜ覚えていたのかも不明だ。あの時、咄嗟にその言葉が出たのも、自分でやった感覚がない。何かが背中を押した感覚だった。
「ど、どういう事……。まさか、まさかね。そんな事あるわけがないじゃん……」
伊織の呟きは、琴羽や翠の泣き声でかき消されてしまっていた。




