第十話
そして翌日。この日は琴羽もホテルでシフトが入り、派遣の仕事が終わると、すぐにホテルへ向かった。
支配人の斉藤は相変わらずだった。琴羽だけでなく、伊織にもパワハラ三昧で、客がいない時は、カウンター周辺に怒号が響く。
琴羽としては、こんなパワハラよりもミユキの方が気がかりなわけだが、今日の斉藤はいつもより不機嫌だった。何でも昼間に本部から取締役が来たらしく、色々と詰められ、さらに下にいる社員の伊織やパートの琴羽に八つ当たりしているようだった。
「ったく、こんな英語もできない無能な女が」
琴羽はそう言われても、全く傷つかない。心の中で聖書の言葉をつぶたき、相手の言葉のエネルギーを消せば良いだけだが、伊織はまともにダメージをくらっていた。
「大丈夫だって、伊織さん。もうあの男の背後にいる悪霊は、そう悪さはできないから」
琴羽も励ましてはいたが、伊織は今にも泣きそうだった。
支配人が退勤し、深夜帯になっても、伊織はグズグズと目鼻を濡らしている。
「ダメだ、私なんて」
「伊織さん、そんな事ないわ。あなた絵が上手いし、何より霊が見える。神様が特別に与えてくれた力だわ」
「そ、そう?」
「だからもうパワハラ斉藤のことは忘れましょう」
「パワハラ斉藤って。琴羽さんって面白い」
ようやく伊織も元気を取り戻して来た時だった。
突然、ホテルが揺れた。
「地震?」
急いでスマホを見たが、地震のニュースはない。しかも電気が落ちた。停電?
「な、なにこれ?」
「伊織さん、落ち着いて。とりあえず懐中電灯を」
伊織と共に事務所に向かい、防災用のカバンから懐中電灯を出す。電池も入っているので、問題なく明かりはついたが、真っ暗なホテルは別世界のようだ。
「え、どういう事? 私のスマホの時計が止まってる。腕時計も。なにこれ?」
「ちょっと、伊織さん、待って」
琴羽もあわててスマホを取り出す。琴羽のスマホの時計も腕時計も止まっていた。
地震か停電。この二つが起きた割には妙に静か。館内は鎮まり、客の声も聞こえない。物音すら無い。
「な、なにこれ?」
伊織はパニックになりかけていたが、琴羽は冷静だった。
エクソシスト案件だ。悪霊のイタズラだろう。停電や時を止めるような悪霊もいる。琴羽は遭遇した事はないが、タイムループやタイムスリップができる神社もあるらしい。それも悪霊のイタズラで、見せかけの奇跡を見せて、人を惑わせているだけだが……。
もしかしたら、このホテルにいる悪霊を祓っていたら、向こう側が報復しに来たのかもしれない。斉藤やミユキの背後にいる悪霊も縛っている。この状況は悪霊側の挑発か?
電気も消え、時も止まったホテル。こんなケースは知らない。初めてだが、翠も一階の事務所まで降りてきた。本来なら一般客の翠が入れない場所だが、今はどうでもいい。
「琴羽さん、どういう事? 電気も止まって時も止まってる。俺のスマホは時計だけでなく、ネットも見られない。動画サイトの生配信も全然止まってる」
翠はこの状況、若干興奮気味だった。目の奥の好奇心は隠しきれない模様だが、エクソシスト案件だと分かっている。今すぐホテルの悪霊祓いに行きたいと大騒ぎだが。
「伊織さんも行く? 別に未信者でもイエス様の御名前で悪霊祓いできる」
明らかにビビり、腰を抜かしそうなほど震えている伊織にも、翠は呑気に提案。
「俺たちの悪霊祓いは、特定の天才がヒロインやヒーローだけじゃないよ」
「そう。私みたいな派遣OLでもできるし。それに二人よりも三人で行った方が悪霊ビビるからね」
「そ、そう? 私もパワハラ被害者なんかじゃなくて、ヒロインになれる?」
おずおずと伊織が言う。その目は案外、翠と似てる。好奇心が抑えきれなくなったらしい。懐中電灯の薄暗い中でも、はっきりそう見えた。
「なれるよ、伊織もヒロインになれるよ」
「琴羽さんの言う通りだ。一緒に悪霊を祓おう。大丈夫。イエス様がいる。恐る事はないから!」
伊織は深く頷く。
まずは三人で手を繋ぎ、祈る。祈りの言葉は翠が代表した。伊織はその言葉の意味自体は分かってなさそうだったが、好奇心が抑えきれないようだった。
「どんな悪霊? 幽霊みたいのがいるの? 散々今まで私を苦しめたんだから、ボコボコにして祓ってもいい?」
そんな事を言う伊織。この中で一番やる気があるかもしれない。




