第一話
平和だ。
今の琴羽の生活は、この一言につきる。今、派遣先の香料会社の経理部で、伝票整理の仕事をしていたが、忙しくもなく、上司の花岡はご機嫌で、とても平和。
あっという間に定時に近い。派遣社員の琴羽には残業はなく、十七時ピッタリに退社できるから嬉しい。派遣社員というとネガティブに言われがちだが、琴羽のように趣味でエクソシストをしているような人間には、定時に終わるし、残業も無いので悪くない制度だった。
琴羽はオフィスの窓から外をチラリと見ると、近くの公園の桜の木が見える。花びらは満開で美しい。
春だ。だから余計に平和を実感。少し前までは宇宙人少年のエクソシスト事件に巻き込まれていたが、無事に解決した。宇宙人少年の暁人も田舎で平和な生活をしているらしく、実に喜ばしい。暁人の事を思い出すと、琴羽の口元も綻ぶぐらい。
そして翠の事だ。
一時期翠は琴羽の教会で暮らし、父と共に半分同棲みたいな形になっていた。
そんな翠に土地に残った人の念や思いの情報、土地の呪いの話をしたら、なぜかホテルのエクソシストに乗り気になり、今はホテル暮らしをしていた。
また、仕事の方も多忙らしく、出張にも行っているらしい。おかげで最近は翠と顔を合わせていない。
最近はエクソシストの依頼も事件もないので、翠と会えないのは、別に困りしないが。
なぜか琴羽の口元は真面目になる。翠と会えない状況に違和感を持ってしまったという事か。
なぜそんな違和感を持ってしまったかは謎だったが、もうすぐイースターも近い。
イースターはキリスト教で大事な祭りだ。イエス・キリストが十字架の上で殺され、三日目に復活した事を祝う。近年、日本でも商業イベントとして扱われるようになったが、元々は宗教行事だ。
そういはいっても、イースターは元々異教徒の祭りだったいう説も根強い。陰謀論界隈でもよく話題にされ、イースターの象徴となるウサギや卵も特に聖書とは関係なかったりする。敬虔なクリスチャンや原理主義的、陰謀論界隈のクリスチャンはイースターに否定的な傾向だ。琴羽の教会でも父の方針で「復活祭」と言うようにしていた。子供向けにエッグハントのイベントもあるが、基本的にイースター礼拝はイエス・キリストの復活関係の説教、賛美が中心だ。
翠と初めてのイースターになるはず。父をはじめ教会のみんなも翠のイースター礼拝の参加を楽しみにしていたが、最近は日曜礼拝にも来ない。
それを思うとモヤモヤしてきたが、ちょうど定時になり、琴羽は仕事を終わらせて、変えることにした。
「おつかれさまでした。お先に失礼します」
そう笑顔で帰るはずだったが、トイレに行きたくなり、ささっと済ませた。
「お、トイレのハンドウォシュ、薔薇のいい匂いのに変わってるな。へー、これ自社製品の香料入ってるのか」
呑気に呟き、洗った手をハンカチで拭った時だった。
隣の男子トイレから物音がした。水を流す音ではない。ドスンという大きめの音で、誰か倒れた?
琴羽はすぐに男子トイレへ走った。以前、翠が男子トイレで倒れていた時がある。
あの時は悪霊に襲われ、翠は体調不良だった。あの時の事を思い出すと、嫌な予感しかない。またエクソシストする事になる?
でも翠はもう立派なクリスチャンになった。エクソシストも琴羽と共に何度も経験している。自分一人でも雑魚悪霊ぐらいは祓えると思うと、心配無用か。
エンタメのエクソシストもの、八百万の神関連の悪霊祓いを扱ったもの等は、一部の才能があるヒーローorヒロインが活躍するわけだが、本来ならエクソシストなんて誰にでもできる。特にイエス・キリストの御名の権威をもらったクリスチャンならば全員できる事だし、場合によっては未信者でもできる(ただし信仰心がない上のエクソシストは悪霊が帰ってくるリスクはあるが)。
琴羽のような普通っぽい派遣OLでもエクソシストできる。子供でも女性でもできる。牧師とか信徒とかも関係ない。神様はその点、平等なのだ。
「って翠。自分で雑魚悪霊ぐらい追い出しなよ」
案の定、男子トイレで倒れている翠を見つけたが、助けたいというよりは、呆れてきた。
イケメン御曹司らしく仕立ての良いスーツを着込み、高さそうな時計もつけているが、顔は真っ青で目の下は黒い。髪もぐちゃぐちゃ。いつもはキッチリと髪もセットしているが、見る影もない。
「翠、起きて。たぶん、雑魚悪霊が体調悪くさせているだけよ」
そう言い、琴羽が代わりに悪霊を追い出し、聖書の言葉を口にする。すると、倒れていた翠は目をパチリと開け、起き上がったのは良い。
「琴羽さーん! やばい、ホテルやばい! 悪霊がいっぱいいるよ!」
信じられない事に翠は涙目だった。その上、琴羽に泣きついてくるではないか。いつものイケメン御曹司の姿は蒸発中だ。
「やばい、ホテルはやばい!」
「えー、どういう事よ、翠!」
これは悪い予感がしてきた。ホテルがらみのエクソシストをする事になるそう。
一つ確実に言えるのは、もう平和では無いという事。
「琴羽さーん、マジで助けて!」
「そこはイエス様助けてって言ってくれない?」
琴羽の呆れた声が響いていた。




