エピローグ
暁人の一件から数週間。もう季節は三月に入り、風み少しずつ暖かくなってきた。翠はホワイトデーに手作りクッキーを作ると練習中だった。連日、キッチンから甘い匂いが漂ってきているが、琴羽はそんなイベントは関係なく、落ち着いた生活だった。
今日は土曜日。会社も休みだ。ダラダラと食卓でテレビを見ていた。
もうすっかり暁人の話題は忘れていた。今は俳優の性加害疑惑で大騒ぎし、脚本家やテレビ局の経営陣にも飛び火していた。スポンサーを降りる企業も多いと、かなり俳優が叩かれていたが、琴羽には全く関係ない事だろう。
琴羽はテレビのチャンネルを変え、映画専門チャンネルをつけた。キリスト教系の女子校が舞台の恋愛ものだ。主人公は失恋してしまうが、同級生に励まされているシーンが暖かく描かれていた。
「佐知子、私達は弱い時こそ強いわ。失恋ぐらい何よ。大丈夫よ。主がついているわ。主が佐知子を本当に大切にする人を連れくるから」
そんな同級生のセリフと共に、ヒロインが笑顔を取り戻す。琴羽はゴシップ系のテレビを見るより、映画を見た方が楽しくなった。珍しく、この映画は教会や聖書引用もしっかりとしその辺りも普通に面白がっている時だった。
教会の方にチャイムが鳴り、琴羽が対応した。父は買い物、翠はクッキー作りで手が離せないからだったが。
尋ねてきた客は全く知らない人物だった。パンツスーツ姿のアラサーぐらいの女性だ。細身でメガネをかけ、いかにもバリキャリ、賢そうな雰囲気の女だ。メガネの奥にある目は切れ長で、ハサミのような鋭さがある。
礼拝堂に案内したが、地味なプロテスタント教会の雰囲気にも全く動じず、自己紹介をしてくれた。
名前は野山繭香だという。職業は刑事。驚いた事にオカルトや不思議現象事件を専門に扱う部署にいるらしい。表には出ていない秘密の部署と言っていたが。
琴羽は目が丸くなるばかり。確かオカルトや不思議現象を専門に調査する部署がある噂は聞いていたが、噂や都市伝説だと思っていた。
「で、今回の奥村暁人のことも調査していたら、あなた達の噂も聞いたの。ね、この件はどういう事かな?」
繭香の目がギラリと光り、嘘は言えそうにない。琴羽は口籠もりながらも、暁人の事件の事情やエクソシスト、霊的な背景も全部話した。
意外な事に繭香は全く動じない。非科学的な話題にも、とりあえず飲み込んでくれたようだ。
「信じるんですか、こんなオカルト話」
「仕事ですから。まあ、一応筋は通ってる。ところで……」
繭香はなぜかすぐに話題を変え、とある未解決事件について話してきた。調査も行き詰まり、お手上げ状態なのだという。
「何か知らない? あなたは未解決事件解決できない?」
その繭香の目は焦りが隠せない。よっぽど藁を掴む思いなのかもしれないが、琴羽は首を振る。
「無理です。神様は私達に都合のいい占い師とかじゃないですから。本当は今も一緒に生きてる大事なお方というか、都合よく利用なんて絶対にできないです」
「そっかぁ。そうだよな」
気が抜けている繭香は普通のアラサー女性に見えた。
「でも悪事は必ず表に出ますから。大丈夫だと思います。祈ります?」
「ええ。そう思えば、少しは救われるかも?」
意外と繭香は祈りを受け入れてくれ、スッキリとした表情で帰って行った。
「大丈夫です。私達が弱い時こそ、神様が動いてくださいますから」
「そうかな? まあ、私は仕事頑張るかー」
笑顔の繭香を見送ったのとすれ違ったに、今度は暁人がやって来た。
あれ以来、暁人は引越し、母親と二人で田舎で暮らしているという。母親の香澄はすこぶる元気で毎日農作業に楽しんでいるとか。
「暁人くん、良かったね」
「うん。なんか田舎暮らしが合っているみたいで、毎日面白い」
日焼けした肌で笑う暁人は、もう暗い目をしていない。
「僕はもう親を選んで生まれて来たとか、宇宙人とかどうでもいいかなって思う」
「すごい手の平返しだな!」
いつの間にやって来た翠はゲラゲラと大笑い。焼きたてのクッキーを三人で食べながら、暁人もずっと笑っていた。
翠の焼いたクッキーは美味しく、気が抜けてくる。こうして笑っているのが一雄幸せじゃないかと思った時、ふと、暁人が粒いた。
「あんな炎上騒ぎ起こしたのに、こんな弱い僕なのに、田舎の人達、みんな優しいんだ。野菜や卵くれたり、井戸までくれた人もいた。ねえ、これってどういう事?」
思わず琴羽と翠は顔を見合わせた。
「まるで神様が助けてくれているみたいだ。普通、あんな騒ぎ起こした僕に冷たくするよね?」
暁人の困惑した声を聞きながら、琴羽は苦笑するしかない。
「それは暁人くん、僕らは弱い時こそ強いからだよ!」
翠は無邪気に笑い、クッキーもあっという間に全部空になっていた。
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。(新訳聖書・第二コリント12章より)。




