エピローグ
蓮月のエクソシスト対決から半月ほどが経った。街はお正月ムードなど消え失せ、恵方巻きやバレンタイン、ひな祭りのチラシで騒がしくなってきた。
あれからの琴羽の日常は静かだった。まず、なぜかアンチの嫌がらせが止まった。何の協力もしてくれない警察だったが、翠が教会に棲みつくようになり、あの教会には若い男もいると噂が流れたのも良かったらしい。確かの初老の牧師の父と琴羽だけでは、舐められていたのかもしれない。
一方、蓮月は退院をしたものの、原因不明の体調不良が続き、療養中との事だった。アシスタントのミサキは翠の事を気に入ってしまい、教会にも来るようになったが、蓮月の近況を耳にする事がで来た。
幸恵はあの後、蓮月への呪いや恨み心を持つ事を一切辞めたらしい。相変わらず夫は浮気しているが、今日、教会に訪ねに来た幸恵の表情は春の青空のようにスッキリとしている。もう昔話の雪女風の雰囲気は、どこかへ溶けて消えていた。
「へえ、プロテスタント教会って地味。何もないわ。あ、ピアノとギターはあるの」
幸恵を礼拝堂まで案内すると、熱心に観察し、メモまで取っていた。琴羽はすっかり忘れていたが、幸恵の本職は漫画家だった。これも何か作品のネタになれば面白いと思うが。
「今日は土曜日だけど、教会では何もやってないの?」
「ええ。本当は安息日の日でもあるんですが、礼拝は基本的に日曜日です」
「え、安息日と礼拝する日って違うの?」
「違うっていうか、礼拝はいつでも良いと思うんです。聖書にも礼拝する日のガッチリとした指定などないですから」
「ああ、そっか。自主制を重んじているのね?」
「幸恵さんの言うとおりです。誰にも強制されず自主的にやる事ですね。でも現代だと日曜日が一番集まりやすいですし、うちの教会は日曜日礼拝です。たまに水曜日や木曜日にも礼拝する時もありますけど」
こんな教会の風習を説明すると、幸恵はまたメモをとる。今度はオカルト風のラブファンタジーでも描いたら面白そうだと笑う。
笑っている幸恵を見ていたら、もう悪霊の影響は無さそうだが、一応琴羽は聞く。
「体調や心は大丈夫ですか? もう復讐心とかは?」
「いえ、不思議な事に、あの日以来、全くそういうい気持ちはなくて」
幸恵はここでメモを取るのをやめ、目を伏せた。
「不思議。その悪霊ってやつにのっとられていたというか、操られていたというか。憑き物が取れたというか」
琴羽は幸恵の言葉に深く頷く。
「それに、蓮月さんがいくら不幸になっても、夫が帰ってくるわけじゃない。他人がいくら不幸になっても私は幸せにはなれないのね……」
その幸恵の声は苦味が滲んでいた。幸恵の今の心情を想像すると、琴羽もあまり笑えない。それでも前を見て、幸恵に語った。
「でも、復讐は神様に任せましょう。知ってます? 不倫はキリスト教の神様が一番怒るから」
「本当? そういえば私、教会で結婚式挙げたわ」
「だったら尚更です! 不倫が理由なら聖書では離婚オッケーですし、大丈夫ですよ」
「え、ええ……」
幸恵はまた目を伏せたままだった。下唇を噛み、涙を堪えているようだったが、頭を下げ、礼拝堂から帰っていく。
一人残された琴羽は、礼拝堂の掃除をし、翠が帰って来るのを待った。最近はきっちり家事も分配し、土日は翠が夕食係だ。今はスーパーへ行っている。バレンタインも近いので、明日の礼拝では手作りチョコチップクッキーを作ってみんなに配るとも張り切っていたが。
「琴羽さん! 大変だよ!」
そんな事を思い出しつつ待っていたら、翠が血相を変えて帰って来た。今日は兄の古着を着ていたせで、全くイケメン御曹司風のルックスではなく、近所のお兄さん風だったが、右手に週刊誌があった。
「何これ、週刊誌?」
「本屋で早売り見せて貰ったんだけど、大変だよ、琴羽さん、この記事!」
「えー、何?」
翠に言われるがまま週刊誌を開くと、中には霊媒師・蓮月紀香のスキャンダルが報道されていた。
パワハラ、セクハラ、洗脳疑惑、不倫まで書かれている。被害者の一人としてアシスタントのMさんの証言もあった。どうやらこのアシスタントはミサキ。その上、週刊誌にタレコミをしたのもミサキらしい。
二人で記事を読みながら、琴羽も翠も言葉がない。週刊誌の報道が事実なら、警察も動くかもしれない。
確かな事は、蓮月のキャリアの打撃は確実だ。こんな報道が出てしまったら、客は来ないだろう。
なぜか翠は顔が真っ青だった。
「こ、これ、もはや、神様が復讐した?」
琴羽は頷く。単なる偶然とも言えたが、琴羽には似たような経験があった。小学生の時、神社参拝を強制されそうになった時は、大きな台風が来て神社の鳥居が壊れた。中学生の頃「イエス・キリストは架空キャラだから」と揶揄ってきたクラスメイトは、親の会社が倒産し、引越して行った。
逆に琴羽達に理解を示してくれた近所の人、バイト先のリーダーなどは昇進や結婚が決まったという知らせを聞いた事がある。日本が経済発展ができたのも、隠れキリシタンを助けていた日本人が多くいたからではないかと琴羽は仮説を立てていた。
「そうね。単なる偶然では無いかも知れないわ……」
琴羽はさらに深く頷き、週刊誌を見つめていた。
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのする事。わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。(新約聖書・ローマ人への手紙12章19節より引用)。




