第九話
上手くいかない事は続くのだろうか。幸恵の家から帰ってきた琴羽達だったが、教会の門や入り口、掲示板を見て唖然とした。生卵や生ごみを投げられた跡があり、硫黄のような匂いもする。翠は思わずハンカチを出し、鼻を押さえていた。
ちょうど父も教会から出てきた。掃除道具と共に。
「お父さん、これは一体何なの?」
「そうですよ、お父さん。何ですか、これは?」
隣でまた「お父さん」と呼ぶ翠にイラっとしつつも、今はそれどころではない。父と掃除を手伝いつつ、事情を聞くと、アンチの仕業らしい。蓮月との一件でアンチが増えたらしく、ついに今日、こんな行動に出たらしい。
「おそらく蓮月さんの熱心なファンだね。よく電話もきたから」
父はさらに深いため息。一応警察にも相談してきたらしいが、逆に変な宗教とか言われ、まともに取り合ってくれなかったという。
「何それ!」
思わず琴羽は頬を膨らませながら、掲示板についた生卵を雑巾でゴシゴシとふく。汚れは落ちてきたが、全く嬉しく無い。
琴羽にとっては、子供の頃からよくある事ではあったが。小中学生の時は、神社参拝や地震祭の強制、飲食店でバイトしていた時は神棚を拝む事も強制された。そんな時は、日本国憲法も引用しつつ、宗教の自由を訴えたが、なかなか理解してもらえない事が多かった。時には不寛容な一神教の宗教、西洋の宗教とも誤解も受けた事を思い出し、琴羽の眉間には皺ができていた。
「まあまあ、琴羽。そう怒るなよ。復讐は神様に任せよう」
父は呑気に口笛まで吹いていた。
「そうだって、琴羽さん。逆にこういうアンチがイエス様大好きになったら、最高に面白いじゃん? 使徒パウロだってアンチキリストだったんだ。それに幸恵さんみたいになりたい?」
翠の言葉にハッとした。さっきまで対面していた幸恵の顔や言葉を思い出す。蓮月へ復讐を企む彼女は、決して美しくなかった。怒りを持っている琴羽の表情もそう。琴羽は急いでカバンから手鏡を出して見たが、想像以上にブスだった。平凡な顔立ちだが、眉間に皺、口角は下がり、ほうれい線も。何より目も暗いような……。
「そうだよ、琴羽さん! 復讐は神様がするよ! 『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、乾いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積む事になる』。ローマ書の十二章に書いてあるじゃん!」
翠は自分の服が汚れずのも構わず、笑顔で教会の門を拭いてきた。
急に琴羽の頭も冷えてきた。同時に幸恵の門田も光が見えた。
幸恵に憑いているのは、憎しみと復讐の悪霊だろう。悪霊の正体が分かれば、あとはその名前を出し、聖書の言葉で縛って追い出す事は可能か? 憎しみと復讐の悪霊は、先程、翠が引用したローマ書十二章の言葉に弱い。琴羽はエクソシストをやっていた経験上、悪霊がより嫌がる聖書箇所を知っていた。例えば、反キリストの悪霊は特に黙示録の言葉を異様に嫌う。
「翠、ひらめいたわ。もう一度、幸恵さんの宇へ行きましょう!」
「え? 今から? また?」
「ええ」
翠の服を半ば無理矢理引っ張り、幸恵の家に舞い戻った。
「琴羽さん、今度は祓える?」
「ええ。ローマ書十二章の御言葉で戦いましょう! たぶん、幸恵さんに憑いている悪霊は、それが一番弱点!」
幸恵のタワーマンションの長いエレベーターを乗り終え、小走りに彼女の家へ。
「あんた達、何?」
玄関から出てきた幸恵は、琴羽達の姿を確認すると、明らかに不機嫌だった。
「また何の用? 宗教勧誘? これだから宗教なんて嫌だわ。日本人らしく寛容に、色んな宗教をつまみ食いするのが一番良いでしょう?」
幸恵の発言にいちいち反応などしていられない。玄関先ではあったが、タワーマンションらしく広い。琴羽の家の風呂とトイレぐらいの広さはある。
琴羽は再び幸恵の目を覗き込む。集中し、じっと見つめ、幸恵ではなく、その背後にいる悪霊に向かって静かに宣言した。
「あんた達、悪霊の正体がわかったわよ。憎しみと復讐の悪霊よね?」
「そうだぞ! 今から追い出しに来たからな!」
「ちょっと、あんた達何? 帰ってったら!」
幸恵はまた琴羽達を無理矢理追い出そうとしたが、急に意識を失い、その場所で倒れた。
「幸恵さん!」
翠の叫び声と共に、悪霊が姿を見せてきた。幸恵と瓜二つの悪霊だ。化て見せているのだろうが、正体はわかっている。
『そうよ。私は憎しみと復讐の悪霊さ。この女をのっとり、神が嫌いな罪をやらせようと思ってねぇ』
姿を現した悪霊は全く悪びれず、倒れた幸恵の耳元で囁く。
『私が毎日、この女に悪い思考や言葉を植え付けて行ったからね。そう簡単にエクソシストのお嬢さんの好きにはさせないねぇ』
悪霊は蛇のように舌を出していた。
『あんただって、何度もキリシタンという理由で嫌な目にあう事が多かっただろ? 西洋の宗教だってバカにされ、日本人は寛容な宗教観だとマウントされ、憎しみを持ったよね?』
悪霊は琴羽にまとわりつき、誘惑を始めた。翠ではなく女の琴羽に誘惑をして来るのは、悪霊の典型的なパターンだ。琴羽は全く驚かず、冷静に、翠と共にローマ書十二章の御言葉を宣言し、誘惑をはねた。
『うるさい! 神の言葉などこっちに言ってくるな!』
案の定、悪霊は動揺し始め、耳も塞ぐ。
『でも、こんな幸恵なんて助けても、どうせ西洋の宗教とか言って感謝なんてしなわぁ。どうせまた神社行くよ? 占い師や霊媒師のところに行くよ? それに、神様が復讐してくれるって本当? ねえ、本当!?』
神様の言葉を疑わせるような誘惑をして来るのも、典型的な誘惑だ。その上、悪霊は耳を塞ぎ、琴羽や翠が口にする聖書の言葉を無視し始めた。
『私、バカだから聖書の言葉なんてわかんなーい!』
幸恵の姿でぶりっ子までし始める悪霊に、琴羽と翠は目を見合わせる。二人とも聖書の言葉を大声で宣言している為、声が掠れ、汗もだくだくだったが、ここで負けるわけには行かない。
『そうよ、神様の言葉なんてわかんなーい! 私、バカだからぁ。ふふふ!』
耳も塞ぎ、ヘラヘラと笑い始めた。
「どうする? 琴羽さん」
「まだ武器はあるわ、落ち着いて。こんな時は、讃美歌で行きましょう!」
耳を塞いでいた悪霊だったが、讃美歌を歌い始めると、再び動揺し始めた。
『ちょ、何、こんな歌、歌ってんだよ!』
ぜいぜいと息を切らしながら、反抗する悪霊だったが、明らかに思考が乱されていた。
「翠、歌いながら、聖霊の炎が悪霊を焼いてるイメージもしましょう!」
「オッケー!」
人間の思考、イメージする力も武器になる。讃美歌を歌いながらも、悪霊が聖霊の火で焼かれているイメージを続けた。
『ちょ、何、そんなイメージまでしてるんだよ! やめろおおお!』
この攻撃には、悪霊もかなり弱まっていた。
「翠、気を抜かないで! 最後の仕上げ!」
「おお!」
蓮月の時は、この最後の仕上げで失敗したが、最後まで翠と力を合わせて悪霊を追い出した。
『ふざけるなよ!』
最後まで暴言を吐いていた悪霊だったが、姿は手の平サイズほどに小さくなり、琴羽の命令通りに出て行った。
琴羽も翠も汗だくだ。今が冬であるのが信じらない程だったが、とりあえず二人とも安堵し、倒れている幸恵の側に駆け寄った。
意識は朦朧としていたが、家のソファまで運び、水を飲ませると、回復してきた。命には別状は無いだろう。
目覚めた幸恵の目は憑き物が取れたように、さっぱりとしていた。
「あれ? 私、一体、何をしていたの……?」
ソファから起き上がり、壁に貼ってある蓮月のポスターや藁人形を確認すると、顔を真っ赤にしているぐらいだった。
「あぁ、私、なんて事してたの。恥ずかしい。こんな呪いなんてしても、夫はこの家に帰って来ないのに」
驚いた事に、幸恵は壁の写真や藁人形を全部片付け始めていた。
「蓮月さん、ごめんなさい。恨んでしまってごめんなさい……」
幸恵の変わりようには、琴羽も翠も言葉を失ってしまう程だった。
「琴羽さん、これで解決?」
「そうね! あ、私達も掃除、手伝おう!」
「そうだな!」
琴羽も翠も笑顔で頷くと、幸恵と一緒に掃除を初めていた。年明けの一月にする大掃除も悪くないだろう。




