第七話
蓮月とのエクソシスト対決騒ぎから数日がたった。
あの後、蓮月は救急車で運ばれ、今も入院中という。アシスタントのミサキによると、命には全く別状はないが、夜中にうなされたり、金縛りにあったり、精神的なショックが大きく、テレビの仕事も全部キャンセルしているらしい。
結局、エクソシスト対決の決着はこうしては有耶無耶となり、どっちが勝ったのかは不明だった。もとより、琴羽も勝ち負けには興味はなかったが、仕事を終え、再び、翠と廃神社周辺の聞き込みをすると、霊的な現象はなぜか消えているという。しかも廃神社の取り壊しも急に決まり、近隣住民は安心しているようだ。
それでも琴羽達は、再び廃神社に向かい、境内や参道を祈りや讃美歌で清めていた。あの時の悪霊は、典型的な土地につく悪霊だ。一般的にはいわゆる地縛霊とも呼ばれているものだが、こうして清め、取り壊され、人々の恐怖心も消え去れば、もうここに戻って来る可能性は低いだろう。
「っていうか、土地にも悪霊がいるんだな。知らなかったよ」
廃神社から出ると、翠はしみじみと呟く。
「本当はクリスチャンは土地に対して祈ったり、悪霊を祓う必要もあるのよね。だから、地域教会も大事なのよ。ちゃんと祈っている地域教会は、こういう事ってないから」
「そっか。ネットでは地域教会の教義が間違っているとか批判している人が多いけどね」
翠は禿げかけた廃神社の鳥居を見上げながら、聞く。
「確かに聖書通りの教義を守る事も大事よ。聖書からズレるのは異端だからね。でも、それ以上に祈る事の方がもっと大事だよ。いくら正しい教義を守って清く正しくしていても、地域への祈りをサボってたらニートみたいなもんよ」
琴羽はそう言うと、スマホを取り出し、この近くの教会を調べた。すると、コロナ渦の影響で数年前に閉鎖された事にも気づく。あとは異端かカルトしかなく、この地域の霊的状況は琴羽の目からは良く見えない。
「マジか。やっぱり地域大事じゃん……」
その事実を知ると、翠の表情は青くなっていた。現に翠はまだ教会で寝泊まりしているが、精神的な調子はかなり良いという。
「もちろん、教会に通ったから救われるとか、偉いなんて事はない。もしかしたら、本当に聖書通りに完璧に教義を守るのなら、個人で信仰したほうがいいのかもしれない。でも牧師だって人間。教会も完璧じゃない。神様じゃないからね」
「でも敵の悪霊どもは、そこまで甘くないよな。やっぱりちゃんと祈ってないと勝てないよな。ぬるい事言ってられないというか、教義とか正しさよりも大事なもんもありそうだ」
翠の顔はまだ蒼い。琴羽もそうだ。この件で悪霊どもの狡猾さは身をもって実感した。今まで一人でエクソシストやっていた事も甘かった。舐めていたかもしれない。琴羽は思わず下を向くが。
「でも、そんな後ろ向きでもしゃーないよ。翠、とりあえず、蓮月さんところにお見舞い行かないか?」
「そうね。彼女の体調も心配だわ」
今は翠の無邪気さや明るさが救いだ。一人でエクソシストをやって失敗したら、もっと落ち込んでいた事だろう。
という事で廃神社を出ると、あのパン屋でお見舞いのドーナツやシナモンロールなどを購入すると、すぐに蓮月が入院している総合病院へ向かった。
ミサキからは聞いていたが、一応蓮月は著名人という事で個室に入院していた。
一人では少々広い個室だったが、蓮月は全くリラックスできていないようだった。目の周りは真っ黒になり、髪も肌も荒れていた。すっぴんの蓮月は意外と童顔で、いつもよりかなり頼りない。いつもの派手なメイクも仮面というか、彼女なりの武装だったのだろう。
「あんた達、何しに来たのよ」
蓮月は翠や琴羽を睨む。言葉もキツいが、顔は全く弱々しく、琴羽は呆れるほど。翠が渡したドーナツもムシャムシャと食べ始め、身体は元気そうだ。
「大丈夫です? 夜は眠れてます?」
琴羽は身体より魂のダメージが気になった。案の定、眠れていないらしく、睡眠薬を処方されても、悪夢や金縛が酷いそう。
「悪夢ってどんな感じです?」
翠は無邪気に聞く。悪魔の内容を語りたい人なんていないだろう。琴羽はこんな翠を慌てて止めようとしたが、案外、蓮月は素直だった。悪夢の内容を教えてくれた。
「実は昔のクライアントの幸恵って人から追いかけられたり、呪いをかけられるような夢で。夢の中だけど、藁人形で打たれたり! 何これ、どういう事!?」
語りながらも夢の内容を思い出したらしい。蓮月は小動物のように震え始めた。
「じ、実は幸恵の旦那と不倫もしていたのよ……。その報い?」
琴羽と翠は目を見合わせた。さもありあん。罪の当然の結果だ。おそらくあの時、悪霊からの攻撃でダメージを負い、過去の罪の刈り取りが始まったのかもしれない。ものすごく簡単に言えば「呪い返し」というものだ。
「藁人形なんて何の力も無いわ。でも人のそういう念や想いは時空を超えて、相手の魂や脳に届く時があるからね。人間は神様の似姿として霊的に創造されているから、思考とか念とか想像以上に力がある。その念が聖書でいう悪霊と結びついた時、余計に大変な事に。蓮月さん、大丈夫? 心当たり多いんでは?」
「きゃああ。琴羽さん、どうしよう!」
涙目になり、琴羽に縋りついてきた蓮月。正直、自業自得。霊媒師のような仕事をしていて、人に恨まれないのは難しい。その上、悪霊からの攻撃も避けられない。聖書が霊媒や占いを禁止している理由も、神様からの愛だ。こんな事では決して幸せになれないと警告しているのだろう。
それでも蓮月の腕を払いのけられない。本当はこんな女性は敵だ。見捨てるのが良いはずなのに、「敵を愛しなさい」という聖書の言葉は琴羽の頭から離れない。この蓮月も本当は神様の似姿に創造された愛すべき存在だからだろう。それにこの様子なら、少しは反省もしている。このまま見捨てるのは、琴羽も翠も出来そうに無かった。
「わかったわ。たぶん、これも悪霊の仕業ね。その幸恵って人が何らかの霊的な攻撃をしていると思う」
「え、どうにかしてくれるの!?」
蓮月は涙目で叫ぶ。
「うん、俺らエクソシストだし。俺もその幸恵って人、何か霊的にやってると思うわ」
いつになく翠の声も優しい。
「とりあえず、幸恵って人に会うわ。ミサキさんは幸恵さんの連絡先、知ってるよね?」
そう言うと蓮月はこくこくと頷き、ようやく琴羽に縋り着くのを辞めた。
最後に蓮月に祈り、小声だが讃美も歌い、病院を後にする。なぜか蓮月の表情はすっかり落ち着き、こんな言葉も残してくるぐらい。
「あれ? 祈って貰ったら、心がスッキリしてきた。落ち着いてきた。え!? 西洋の宗教じゃ無かったの!?」
これには琴羽も翠も苦笑する他ない。翌日、幸恵に会いに行くことになり、蓮月には迷惑をかけられているわけだが、もう笑うしか無かった。
「そうよ、西洋の宗教じゃないわ。全能の神様なんだから、国境なんて関係ない」
そう言う琴羽は、このエクソシスト対決に負けた気はしなかった。




