第二話
「ねえ、この家、本当にウサギ小屋!? 高級タワーマンションでしょ!?」
琴羽の素っ頓狂な声が響く。
ここは翠の自宅のタワーマンションの前だった。会社からタクシーで十分ほどでついた。驚いた事に翠はタクシーで通勤している事も発覚し、庶民の琴羽はどう突っ込んで良いのかも不明。
本人は「実家に比べるとウサギ小屋」と称した家だったが、全くそんな事はない。マンションにはジム、サウナ、カフェ、ワーキングスペースだけでなく、コンシェルジュ付き。いかにもハイスペな会社経営者っぽい男やモデルのように美女ともすれ違い、琴羽は住む世界の違いを否定できなかった。
それでも、また翠は悪霊の攻撃があったらしい。原因を調査する必要があり、こうして会社の帰り、翠と共に自宅へ。翠によると、花岡の一件以来、女遊びも全部やめていると言う。また、女性へ何か期待を持たせるセリフも極力気をつけているというが。
「それでも花岡さんの件もあったしね。影で誰かが想いをぶつけている可能性はなくはないわ」
琴羽は翠の自宅に上がり、可能性を述べた。やたらと広いリビングからは、見事な風景は広がる。夕闇に染まる都心のビル群だけでなく、遠くの方に山も見え、確かにこの風景は素晴らしいが、翠の表情は曇りっぱなし。
「そんな、俺、また女性に勘違いさせちゃったりする?」
こんなセリフ、一般的な男性が吐いたら嫌味でしかないが、翠は実際、イケメンだった。
琴羽はリビングの様子も見た。シンプルなインテリアでまとめられ、絵や人形など偶像も全くおいていない。あとはテーブルの上に聖書とノートパソコンぐらいしかなく、偶像から入った悪霊の影響は無さそう。
「まあ、とりあえず、あなたはイケメン御曹司だしね。人々から色んな念をもらうのは否めない」
「そんなぁ」
鼻も高く、目も大きく綺麗な翠。今は涙目で怯えているので台無しだ。至近距離で琴羽は翠の顔を確認したが、もう何度も翠と行動を共にしている故、全く何も感じない。
「何怖がっているの? あなたもイエス様と一緒に生きているんでしょう?」
「そ、そうだけど」
「とりあえず一緒に祈りましょう。人からの念も祈りで断ち切れる」
「ほ、本当!?」
翠は藁をも掴むようだ。この話にかなり食いついてきた。
「俺自分で言うのもなんだけど、子供の頃から変態に誘拐されたり、おばさんにストーカーされてたら」
「そうなの……」
「最近は俺もアラサーだし、落ち着いて仕事できると思ったんだが。いや、イケメン御曹司は辛い」
今回ばかりは、いつもの自虐風自慢ではないらしい。翠は涙目。目の周りも赤くなり、心底困った様子だった。
「大丈夫。神様を信じましょう」
「う、おお」
いつもに増して弱々しくなっていた翠だが、一緒に祈り、讃美歌を歌っていると元気になってきた。
高級タワーマンションは防音もしっかりしていた。こればっかりは、琴羽もそれに安心し、二人で声を合わせた。
「あれ? 不思議だな。讃美歌歌っていると、恐れや不安が消えてきた」
「でしょう?」
翠の目のあたりを観察すると、だんだんと正気に戻ってきたらしい。赤くなっていた目も、充血が止まってきたよう。もちろん、涙もピタっと止まった。
聖書には讃美隊を最前線に送り、敵の思考を混乱させ、勝利に導いたシーンも描かれていた。聖書の言葉、神様の御名、祈りと同様、悪霊に対する強力な武器になる。
そのコアは神への信仰心。これがあれば、もそかしたら、武器はなんでも良いのかもしれない。もっとも、あの霊媒師が言っていた「聖書の言葉をわからないフリをする悪霊」もいる。そんな時は、讃美歌を歌うのが良いかもしれない。
「どう? 翠、少しは正気になった?」
「お、おお。さっきまでの怖や不安はなんだったんだ? すっきりしてきたよ。やっぱり神様すげぇ!」
無邪気に喜ぶ翠に一安心。
「そういえばお茶も出してなかったじゃん」
「いや、もう解決したし、帰ろうかと思うけど」
「いいじゃん、琴羽さん。こ素晴らしいタワーマンションの景色も楽しんで!」
「うーん、やっぱり嫌味っぽいかも?」
とはいえ、確かに景色はいい。琴羽の生活レベルでは絶対に見えない景色ではある。何枚か写真を撮ったところ、翠はコーヒーを持ってやってきた。
コーヒーはタンブラーに入っていた。某有名コーヒー店のタンブラーだったが、中央に大きなロゴ入り。これは一応、人形のロゴになっていたが、ダゴン神という悪霊を模したもの。
こういった起業ロゴは悪霊の足場となり、家に持ち込んだ場合、悪さをすることも珍しくない。もちろん、コーヒーやタンブラー自体には問題はない。普通に楽しんで飲む場合は全く問題はないが、毎日使うものに、そのロゴがあるのは?
「ちょっと、翠。このタンブラー、どこで買った? 自分で買った?」
「いや、たぶん、お歳暮か新年の挨拶で送られたもんだよ。毎年大量に届くから、処理するのも面倒で」
「このタンブラーが入っていた箱はある?」
琴羽は慌てていた。もしかしたら、このタンブラーを悪意を持って送りつけられた可能性があるからだ。
「たぶん、キッチンのゴミ箱にあるんじゃ? っていうか、琴羽さん、何を慌てているのさ」
呑気ば翠の言葉を無視し、キッチンに直行した。ゴミ箱を漁り、どうにもタンブラーの箱や送り状も見つけ出す。
「ちょ、琴羽さん。素手でゴミ箱漁るとか、どうした?」
翠は引いていたが、関係ない。生ゴミの匂いに悪戦苦闘しながらも、どうにか目的のものを見つける。
送り状は、なんとあの霊媒師・蓮月紀香から。蓮月のオフィスの住所もしっかり書いてあった。タンブラーの箱には、手紙も。翠のようなエクソシストへの挑発の言葉が並ぶ。しかも蓮月は、使い魔を使役し、翠の住所も割り出し、呪いをかけるという宣言もしていた。
「つ、使い魔?」
呑気だった翠も、この手紙に絶句していた。手紙には翠の元カノの名前や花岡との一件も記されている。これは翠にしか知らない情報……。
「霊媒師のような女は、雑魚悪霊を自分の都合よく使役しているケースもあるのよ。いわゆる契約で」
「ひっ!」
翠はそんなオカルト情報は全く知らないらしい。
「大丈夫よ。祈れば雑魚悪霊たちの侵入は防げる」
とは言っても、ここはタワーマンション。見た目は派手だが、ここはいわゆる社会的な成功者も集まる「いわくつき」の場所だ。翠一人ここで戦うのは、かなり霊的に強める必要があるだろう。
「または、いっそ教会に避難する?」
「え、いいの!?」
気弱になっていた翠だが、琴羽の提案に飛び上がった。
「ああいった雑魚悪霊は、さすがに教会には侵入できない。うち来る?」
「行く!」
即答だった。こうして翠がしばらく琴羽の教会に滞在する事になった。
琴羽の教会には、こういったトラブルに対処する為、簡易の寝袋なども一応用意してあった。服や下着は兄のものを使えばいいだろう。空いている部屋もあるので、場所も問題ない。父も事情を話すと、すぐに許可してくれた。
「しかし、あの蓮月って霊媒師何? 雑魚悪霊を使役してまで翠への執着って何?」
その事を考えると、琴羽は全く眠れなかった。




