第一話
正月休みはあっという間に終わった。翠がもたらしたネットの対応に追われ、父とともに忙しかった。アンチや悪意のある噂を鎮めるだけでも骨が折れたが、どうにか少しはおさまった時、ちょうど仕事始めの日付になってしまう。
「お父さん、おはよう」
例年の通り、余ったお餅で雑煮を作り、食卓へもっていく。雑煮は各地によって多様性がありが、琴羽の家では味噌味のスープに、野菜と焼き餅というシンプルな一品だった。
年始からトラブルがあり、仕事始めなど全く楽しくはないが、食卓の雑煮を食べながら、親子共にゆるい空気に変わっていく。
「おお、琴羽。この雑煮は美味い」
「でしょう? いつも通りの雑煮だけど、美味しいよね」
「ところで翠くんは?」
「昨日バカンスから帰ってきたらしい。こんがり日焼けしていい気なもんよ」
琴羽は翠から自撮りを送られていた。海辺で日焼けした様子の写真だった。トラブルを引き起こした張本人だが、全く罪悪感はなく、ヘラヘラ笑っていた。かえって琴羽の毒気が抜ける。
「その上、向こうの教会で讃美歌も披露して、大人気だったそうよ。全くあの人、自由人だわ」
「まあ、そう呆れるな。翠くんの無邪気で奔放なところは、立派な個性さ」
「そうだけど」
琴羽はイマイチ納得はいかないが、綺麗に焼けたお餅を齧り、舌鼓をうつ。仕事始めとはいえ、ようやく正月らしさを味わえた気分だ。
「まあ、テレビでも見るか」
「そうね。お父さん、適当につけて」
父がリモコンを操作し、テレビのニュースがつく。天気予報によると、今日は晴れ。このところ天気はよく、一月中は滅多に雨は降らないという。
「さて次は星占いのコーナーです!」
天気予報のお姉さんが笑顔で言うのが聞こえたが、父は無言でチャンネルを変えた。
琴羽たちのようなクリスチャンは、占いは見ない。参考にもしない。占いの背後は悪霊がいるから。現実的には占いの結果にコントロールされ、自由に未来が選べない弊害もある。
「全く日本だけだよ。コこんな占いやっているのは」
父はあきらかに不満そう。
「まあまあ、私たちは無視すればいいわ。って……」
占いからテレビのチャンネルを変えたはずだが、そこでの番組も、変な内容を送っていた。
人気霊媒師の蓮月紀香がコンメンテーターンゲストだった。毒舌なおばさんキャラとして色々と意見していた蓮月だが、話題がなんとエクソシストや聖書へ。しかも翠のSNSの発信内容も取り上げられ、蓮月が好き勝手にコメントをしていた。
「何このおばさん」
普段、温厚な父も眉間に皺ができていた。琴羽もそう。もう雑煮には手をつけず、蓮月の顔を凝視した。
確かにメイクも濃く、髪色も銀色。派手で怪しい雰囲気のおばさんだが、肌色もよく、目も大きい。ちょっと年齢不詳でもあり、ブスでもない。テレビ映えは確実にしていた。テレビでの魅せ方は心得ているようで、わざと強いワードを使う。
「聖書でエクソシストなんてできませんわ。インキュバスという悪魔は、頭が悪くて聖書の言葉なんてわからないから」
「はー? この霊媒師、一体何言ってるの!?」
テレビに叫んでも仕方がないが、琴羽はついついツッコミを入れる。
「聖書の言葉がわからない悪霊なんていないわ。あいつら嘘つきよ。聞こえないフリしてるし、そういうケースでは讃美歌、祈り、思考なんかが悪霊たちへの武器になる。もちろん、イエス様の御名前も」
父が引くぐらい熱っぽく反論してしまったが、番組はつつなく進行し、蓮月こそが「私こそ全ての悪霊祓いができるわ」などと挑発されて終わった。
案の定、この放送直後、またアンチたちの電話が入り、父はその対応に追われた。
食卓の上は食べかけの雑煮が二つ。おそらく、食べる時間はないだろう。餅もドロドロとしてしまってる。琴羽はその中身を全部捨て、鍋に残った雑煮スープもタッパーにつめ、冷蔵庫に入れた。
その表情は暗めだ。やはり蓮月に挑発された事は楽しくない。むしろ不快だ。
「あー、でもこんな時間だわ。さっさと行かなくちゃ」
そしていつものように、仕事の準備をおわら、慌ただしく、駅へ。満員電車に揺られ、どうにか遅刻してせず会社についた。
会社はいつも通りに仕事が始まる。琴羽も仕事に集中し、嫌な事も忘れられ、むしろありがたいぐらいだった。
昼休みには上司たちから休暇中のお土産を貰ったり、実に平和だ。花岡からも手作りクッキー貰い、一つ食べてみたが美味しい。
「すごい、花岡さん。こんな特技があったなんて」
「へへ、今年は過去のことを全部忘れて、新しい事もやってみようと思うわ」
そう笑顔で語る花岡は、琴羽たちにエクソシストされた過去を全く感じないほどだった。
そんな花岡を見ていたら、琴羽もニンマリしてしまった。午後も仕事を頑張り、年末に溜まっていた各種雑務もバリバリと終わらせ、上司にも褒められるほど。
すっかり蓮月のことなどは忘れていた。定時になり、帰る前にトイレに寄ったところ。
「琴羽さん!」
翠がいた。なるべく会社では関わりたくないが、こんがりと日焼けし、髪もいつも以上に綺麗にセットしていたが、なぜか涙目だった。
「琴羽さん! 大変な事になったよ!」
トイレの蕎麦の廊下は誰もいない。それをいい事に、翠は壁ドンしてきた。
「ちょ、何? どうしたのよ?」
「困った! 何か昨日家に帰ってから身体が変、重い! 金縛も! 悪霊の仕業か!?」
至近距離の翠の目をよく確認した。確かにバカンス疲れはありそうだが……。
翠の香水やシャンプーの匂いも感じ、鼻もつまむ。何より、「会社のイケメン御曹司に壁ドン」という状況は、全く意味不明。これが誰かに見られてしまったら、ややこしい事になる。間違いない。
「とにかく壁ドンやめて! 詳しく事情を全部話して!」
琴羽がそう訴えるのが限界だった。
「うぅ……」
翠はポロポロ泣き始めてしまう。実に面倒な事だ。
どうやら年始も厄介事から逃げられないらしい。




