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出雲旅を振り返って

 目が覚めました。朝の5時ごろ。薄っすらと明るくなり始めていることが、テント越しに分かりました。鳴り石の浜からは、ザザ~ン、ザザ~ンと打ち寄せる波の音が聞こえます。昨晩は、ビールも日本酒も飲みつくしました。酔っぱらってしまい、どのようにして寝たのか良く覚えていません。寝袋から這い出して、靴を履き、外に出ます。灰色の空でした。部分的には晴れていましたが、日本海や大山の上空には厚い雲が立ち込めているのです。何はともあれ、歯を磨きたい。歯ブラシを取り出して、歯を磨きます。


「ゲーー!」


 少し吐いてしまいました。口の中が酸っぱい。今日は300kmを走り切って、家に帰らなければなりません。食欲はありませんでしたが、エネルギーを充填する必要があります。早速、ラーメンの調理を始めました。調理といっても、湯を沸かすだけなんですが……。食事を終えると、テントや寝袋をパッキングしました。ゴミは全て袋にまとめてしまいます。僕が野宿した痕跡は残しません。いや、少し吐いたので海岸を汚してしまいました。御免なさい。


 スーパーカブに荷物を載せて梱包が終わると、再び日本海を眺めます。縄文時代と言えば狩猟採取、弥生時代と言えば水田稲作、そのような思い込みが強いですが、この日本海側で生活していた人々は海洋民族でした。須佐之男命も海原を治めた神とされます。考えてみると、海洋民はどちらの文化にも所属しない冒険家でした。小さな丸木舟で北海道に行ったり、朝鮮半島に行ったりしていたわけです。あまり深く考えていませんでしたが、ちょっと凄いんじゃないでしょうか。


 冒険と言えば、聖徳太子の時代では遣隋使で活躍した小野妹子が有名です。この小野妹子も主人公の一人として活躍させたいのですが、彼の物語を想像するのはこれまた難しい。彼の冒険譚は、言葉は違うし、船は原始的で沈没しかねないし、隋の皇帝である煬帝からは怒られるしで生きた心地がしなかったでしょう。面白い話ができると思いますが、リアルにそのディティールを浮かび上がらせるのは至難の業だと、今から臆しています。


 相棒に跨り、キックペダルを踏みこみました。エンジンが始動します。海岸から離れて国道9号線を走ります。途中、雨が降ってきました。今回は荷物になるので雨具を持ってきていません。仕方なく、営業が始まっていない道の駅で雨宿り。30分ほどで雨はやみました。


 朝の9時過ぎに鳥取市内に到着しました。鳥取県立博物館に立ち寄ります。良い博物館でしたが、全方位的で教科書を読んでいるよな博物館でした。分かりやすいのですが、ちょっと深みがない。小学生や中学生には良いと思いますが、僕には響かなかった。というか、少し疲れていたかも。それよりも、特別企画展が面白かった。テーマは「What’s ART?」とても分かりにくい現代美術を、体験的に感じることが出来る企画展でした。例えば、天井からぶら下がっているロープをただ引っ張るだけとか……う~ん、分からん。展示されていた作品から、アンディ・ウォーホルの言葉をご紹介します。


 ――捨てられたものや役に立たないと思われているものには、面白くなる可能性が十分にあるんじゃないかって、いつも思っていた。

   ーアンディ・ウォーホル


 今回の企画展で感じたのは、現代美術は、新しい価値を生み出そうとしている……ということです。写真技術の誕生が影響して印象派が生まれたように、それまでになかった価値が次の時代のスタンダードになる。これは繰り返されてきた歴史でした。アンディ・ウォーホル的には、そうした価値は新しく生み出すというよりも、既に誕生していて人々がそれに気づいていないだけ……と考えたようです。


 僕なりには、芸術とは人と人とが共感し合うための媒体、もしくはコミュニケーションの一形態と考えています。まあ、会話と一緒です。伝えたい思いを、音楽や絵画それに文字に託して人々に届ける。そうした手段に発信者の想いがのせられて結晶化していくと、それは芸術作品と呼ばれるのだと考えています。


 芸術家というのは、新しい価値を生み出すために悩みます。「価値」という目に見えないものに翻弄される姿は、コテンラジオの深井さんに言わせると、実にサピエンス的だな~と思ったりします。芸術を追い求める姿もまた、認知革命の産物だと僕は考えるからです。


 鳥取と言えば鳥取砂丘。少しだけ立ち寄って、写真だけを撮ってきました。僕しては珍しく観光になります。その後は一目散に国道9号線を走り続け大阪に帰ってきました。事故もなく無事に帰ってこれて良かった。今回の出雲の旅も、色々と考えさせられました。本を読むのとはまた違った気づきや発見があります。ただ、呪文のように「聖徳太子の物語を描く」と叫んでいますが、知れば知るほど、底なし沼に入り込んでいくような感覚に襲われます。先は長い。沼から抜け出せるのだろうか……。今回で出雲の旅は終了になります。僕の戯言にお付き合いいただきありがとうございました。では。

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