出雲の誇り
カンカン照りの暑かった一日でした。でも、日は段々と傾いていて、あと2時間もすれば夜の帳が降ります。その前に、すべきことは汗を流すことでした。顔面は脂ぎっているし、体中が汗でジットリと湿っています。汗を流さないことには、落ち着いて寝れません。江島大橋から東に向かって走っていくと、海岸線の近くに「なかやま温泉 ゆーゆー倶楽部naspal」がありました。鳥取県が誇る名峰大山のおひざ元になります。距離にして42km。そこそこの距離がありました。
途中、米子市周辺にある大手スーパーで、例のごとく地酒と干物を調達します。ビールは氷を詰めてキンキンに冷やしました。米子市から国道9号線を走り始めます。この道を走り続ければ、京都に行くことが出来ます。距離にしておよそ300km。まだまだ遠いですが、それでも旅の終わりを感じました。さようなら出雲。
9号線の平坦な道を黙々と走ります。スイスイと走れると思いきや、途中で渋滞に巻き込まれました。左手に日本海を望みながら、日没を気にしながら走っていると、目の前に大きな風車が見えてきました。今年の初めに紀伊半島を一周した時もそうでしたが、海岸線の風が多い地域では風車が多い。いや、風車だけではなくソーラーパネルを設置しているところも多い。現代は、電気無しではもう社会が成り立たなくなっています。産業や商業を縁の下から支えていますし、インターネットや仮想通貨といった僕たちに身近な事柄も電気無しでは使うことすら出来ません。如何に電気を生み出すのかということは、国家レベルで考えなければならない大切な事柄になります。ただ、電気にあまりにも依存しすぎる社会に対して、僕は一抹の不安を感じたり……。
温泉はとても良かった。露天風呂はないし、コンクリートできた公民館のような温泉でしたが、落ち着いた雰囲気が良い。汗を流して、ゆっくりと湯につかりました。今日一日の疲れがお湯に解けていくようです。服を着替えて外に出ると、辺りはもう薄暗くなっていました。慌ててスーパーカブのエンジンを掛けます。近くの海岸に向かって走りだしました。
大山を見上げるこの辺りの海岸は、「鳴り石の浜」と呼ばれていました。海岸と言えば、砂浜や岩場をイメージすることが多い。ところが、この辺りの海岸は丸く角が取れた石がゴロゴロと海岸に集積しているのです。風がなく、穏やかな黄昏でした。水平線の向こうからゆっくりと波が打ち寄せます。石と石がぶつかり、カラコロと音が鳴りました。
繰り返される鳴り石の音を聞きながら、テントを設置します。地面が固くてペグが打てません。風がないので、多分大丈夫でしょう。自立型のドームテントは、このような環境下でも最低限の使用が可能なので助かります。七輪をセットして炭を熾しました。キンキンに冷えたビールを取り出して、プルトップを起こします。限界まで喉が渇いていたので、一気に飲み干しました。
「プッハー!」
やっと落ち着きました。辺りはもう真っ暗です。今回のアテは「銀ひらすの西京漬け」。干物でも良かったんですが、味噌漬けを見つけた瞬間、もう手に取っていました。副菜として、冷奴とワサビ漬けをチョイス。肝心の地酒は「月山」の純米酒を選びました。
酒を飲みながら、今日一日の出来事を思い出します。出雲は本当に良いところでした。見るものすべてが美しいと思いました。出雲平野に広がる稲穂の波も良かったし、山間の段々畑も変化に富んで見飽きない。興味深く、出雲を感じさせていただきました。そうした気持ちを抱いたまま江島大橋を渡り鳥取県に入ってから、何か違和感を感じました。
境港市や米子市は、中海を挟んで松江市とは隣同士になります。地理的にはそれほど違いがありません。ところが、見える景色が全く違うのです。走っていると道路の左右には畑が広がっていました。広がっているのですが、耕作放棄地が一定数見受けられるのです。また、道路の整備が行き届いておらず、アスファルトやコンクリートの隙間から雑草が生えていました。出雲を走り回っているときは、そうした様子に気を取られることはなかった。この違いは、いったいどこから来ているのでしょうか? 大きな違いとして、観光地かそうでないかの違いがあげられます。観光庁が発表した中国地方の観光客数を見てみましょう。
2021年 県外からの観光入込客数(千人回)
宿泊 日帰り
鳥取県 集計中 集計中
島根県 769 4447
岡山県 617 2718
広島県 440 621
山口県 687 2797
各県からの宿泊される観光客の数は、それほど見るものがありません。注目すべきは日帰りの観光客数になります。島根県は他県に比べてダブルスコア。この原因は、明らかに出雲大社の存在が大きいと考えます。対して、鳥取県は集計中でした。この2021年だけでなく、鳥取県はどの年も集計中なのです。数字が見えないので憶測になりますが、観光客の数字を数えていないか、もしくはあえて発表していないと考えます。
出雲の美しさを、原始風景と僕は喜んでいました。しかし、実は税金を投下して努力して作られた美しさだったのです。僕は出雲の人間ではないので想像でしかないのですが、県政レベルで出雲を護ろうとする意識が強いのでしょう。いや、出雲の住民が出雲を誇りに思っているから、県政もそのような政策を打ち出す必要があったと考えます。そうした出雲という意識が、太古の昔から引き継がれて現代に至っているのだとしたら、それは本当に凄いことだと思います。
現代の日本は、資本主義社会になります。資本主義社会の特徴を端的に述べてみると、全てのものに価格という物差しを用意して取引ができる社会になります。林檎やボールペンに価格があることを不思議に思う方はいません。100円と表示されていたら、僕たちは100円を支払ってその対象を購入することが出来ます。売買できるものは現物に限りません。アルバイトは時給で計算して給料が支払われますが、これは時間という見えない概念に価格を付けています。見えない概念としては、知識もそうです。学校の授業や知識人のセミナーに一定の対価が支払われるのは、その知識に価値があるからです。
他にも、土地も不動産として売買されますが、考えてみればこれは不思議なことです。今も昔もずっと存在していた土地を誰に断って自分の所有物にしたのでしょうか。土地を所有するという概念は農耕文化と一緒に育ってきました。それ以前の狩猟採取時代には、土地を所有するという概念はありません。この世界に受容され生かされていると考えていたので、この土地に住まわせてもらっていることを神に感謝する世界観だったのです。
資本主義という世界観は、お金という価値によって物を所有できる思想です。所有は分断を招き、個人主義を加速させます。高度成長期の日本は、組織に対する忠誠心というものがありました。しかし、コロナ以降はそうした忠誠心が大きく低下して、組織をまとめることが難しくなってきました。トヨタ、ジャニーズ、宝塚、自民党といった大組織の不祥事が次々と暴露されたのも、個人主義の潮流と無関係ではありません。人と人との分断が強くなると、雇用者と従業員の雇用関係はドライに給与だけで判断されます。折り合いがつかなければ、人は去っていくのです。
そした現代社会において、出雲を誇りに思う気持ちは、お金で換算できるものではありません。出雲の美しさは税金を投入したから維持できるものではないからです。出雲で生活している一人一人の誇りこそが、出雲を出雲たらしめている動機だと考えます。全ては、僕の憶測でしかありませんが、人々の心が「出雲」という誇りで繋がっているとしたら、現代において稀有な現象だと考えます。
少し長くなったので、一旦ここで切ります。次回はお金について少し考えてみたい。出雲紀行から離れて、少し概念的な内容になりますが、お付き合いいただければと思います。
 




