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あいらぶゆーの訳し方

松山秀二には甥がいる。無愛想で朴念仁、何を言ったってにこりともしやしない男、と評される甥だ。名を省三という。秀二が省三に縁談を持ち込んだのは忘れもしない五年前の梅雨の頃だった。秀二の兄・修一は商会を経営するやり手だったが、肝心の息子である省三は輪にかけた人見知りで、どうにも人と会話するのは不得手なようだった。自分の跡継ぎのそんな様子を不安に思った修一はそこで、他でもない秀二を頼ったのだ。“どうすれば息子に安心して商会を任せられるだろうか”という問いに対する答えは、「人当たりがよく、話し上手なお嬢さんを省三のお嫁さんとして見つけてきましょう」ということだった。秀二が持てる限りの伝手を使って見つけてきたのは、小夜子という少女だった。年の頃は十九。彼女もまた商家の生まれで、話し上手だったが三女であった。そこで家を継ぐことはあるまいということになり、今回の縁談に持ってこいだった彼女に白羽の矢が立ったのだ。

「お初にお目にかかります、三島小夜子と申します。」

「…松山省三と申します。」

省三は相も変わらず不愛想で、纏う空気はけして良いものではない。並の女性なら怯んで涙ぐむこともあろう。しかし、そんな空気を物ともせずに微笑む彼女はこれまで目にしてきた女性たちのどれにも当てはまらなかった。この娘なら省三とも上手くやっていけるのではないか、といった一抹の希望が秀二の胸に去来する。自分の不愛想ぶりを自覚している省三もこれには驚いたようで目を瞠っていた。

「あの…私なんかでお役に立てるなら、私としてはぜひこの縁談をお受けしたいと思っているのですが…」

小夜子の言葉を受けて秀二が口を開きかけた刹那、省三が珍しくその口から言葉を紡ぐ。

「あなたは、こんな不愛想で口下手な男と結婚して…後悔しないか?」

小夜子は思いもよらなかったことを聞かれた、と言わんばかりにそのたれ目を大きく開いた後、花が綻ぶような笑みを浮かべた。

「ええ、私は後悔しません。…ふふ、省三さんはお優しい方なのですね」

“優しい”と。彼女はあの省三を優しいと評した。そうなのだ、省三は口下手でこそあれ心配りの出来ない人間ではない。それを知るのは省三と深く関わることが出来た限られた者たちであるが、彼は一度懐に入れた相手には気にしいと言ってもいいほどに気を配る人間なのだ。ただそれが表面に出にくいだけで。そして秀二たちは、そんな省三の内面を見抜いてくれる女性を探していた。

「小夜子さん、省三をよろしくお願いいたします。」

秀二の言葉に驚いた省三が、それを咎めるように視線を向けてくるが秀二は気にも留めない。秀二の瞳に真摯な熱が籠もっているのに気づいたらしい省三が口をつぐみ、小夜子を見遣る。

「はい!不束者ですが、よろしくお願いいたします」

「…こちらこそ不束者ですが、よろしくお願いします。」

秀二は覚悟を決めたようにこう言った省三の指先が握り込まれたのを尻目に、祝言はいつにするかなどと考えて口元を緩ませた。


あれから五年。省三はどれだけ経っても変わらず口下手で無愛想なままだ。小夜子と結婚した後は無事家業を継ぎ、店主として働いている。

「あら、叔父様!来て下さりありがとうございます!」

秀二は省三に教えを乞われ、たびたびこうして商会を訪れる。出迎えてくれるのは決まって小夜子で、秀二は苦笑する。

「ああ、ありがとう。省三は奥かな?」

「ええ、そうです。あの人ったらいつもお出迎えに上がらずすみません」

「いいんだよ、小夜子ちゃんが気にすることじゃない。省三のことだ、自分が出迎えるより小夜子ちゃんに出迎えてもらった方がいいだなんだと考えて変な気を利かせているんだろう」

「ふふ、流石叔父様ですね」

と、商会と居住区である母屋をつなぐ襖が開いて不機嫌そうな省三の顔が覗く。

「叔父さん、いらっしゃって早々俺の悪口ですか?」

「私たちがあなたの悪口なんかを言うわけないじゃないですか。省三さんの優しさについて語らっていただけです!ね、叔父様?」

小夜子の言葉を受けてたちまち頬を朱に染めた省三は、きまり悪そうに目を逸らして頬をかく。私たちはそんな省三の仕草が照れ隠しであることを知っている。

「…小夜子、叔父さんを奥に案内するから茶を入れてくれ」

ぶっきらぼうに言い放った省三の頬から耳にかけてが赤く染まっていて、小夜子が思わず、といった様子で笑い声を零す。

「…小夜子」

そんな小夜子に省三がじとっとした視線を向けるが不機嫌そうな顔をしていても耳の朱は未だに引いておらず、小夜子の笑みが引っ込むことはなかった。

「はいはい、すぐにお持ちしますから。省三さんは秀二さんを奥にお連れしてくださいな」

「…分かった」

不承不承といった様子で頷く省三に導かれ、秀二は母屋の方へと進んでいく。

「省三」

「何ですか?」

「小夜子ちゃんとは上手くやっていけているか?」

省三が不思議そうに首を傾げる。

「見ての通りだと思いますが?」

「ああ、いや。そうなんだがそうじゃない、と言うか」

「…どういう意味です?」

「お前は小夜子ちゃんと結婚したことに後悔はないか?」

省三は今の生活をどう思っているのか、本当は一度本人の口から答えを聞きたかった。なぜなら、この結婚を推し進めたのは自分だ、という自覚が秀二には少なからずあったから。

「俺はこの結婚に感謝したことこそあれ、後悔したことは一度もありませんよ」

思いのほか力強い声音で返ってきたことに驚いた秀二はゆるりと視線を持ち上げる。視線の先の省三の口元は珍しく美しい半月を象っていた。そんな甥の表情に秀二の眉が安堵でへにゃりと下がる。

「…そうか…そうか。なら、良かった」

「…まぁ、小夜子がどう思っているのかは分かりませんが」

そう皮肉っぽく言い放った省三はしかし、もう分かりきった顔をしていた。

「省三さん、叔父様。まだこんなところにいらっしゃったのですか?お茶をお持ちしましたよ」

後ろから聞き馴染んだ春鳥のような声がとんできて耳朶を打つ。二人分の視線を受け止めた彼女は話の流れを知らないために、不思議そうに目を瞬かせた。

「なんでもない。…小夜子と結婚できて良かったという話だ」

後半がどんどん尻すぼみになった省三の言葉は空色に溶けて消える。

「…今何とおっしゃいました?」

小夜子にしては間の抜けた声が空気を震わせるが省三は答えない。

「なんでもない、と言っただけだ」

着物の裾を翻し、再び歩みを進める省三を小夜子と共に追う。こっそり窺い見た小夜子の頬は朱を刷いたように仄かに染まっていて、幸せを噛みしめる口元がだらしなく緩んでいた。

不愛想で朴念仁な甥と穏やかで人懐っこい小夜子は他所から見れば不釣り合いに見える場合もあるようだ。が、小夜子も省三もお互いの気持ちを上手く訳せているらしい。

見る目のある叔父様から見た甥夫婦のお話でした!お読み下さりありがとうございました!またお会いできますように!

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