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 街の中に設置された基地、大きなフェンスの壁に囲まれただだっ広い世界は街の中を生きる誰もが自分たちの為に使われているものだと信じていた。実際彼らの想像通りに働いている部分もあったのかも知れない。しかしながら鉄の扉を開いてみてはそこに広がるものはどこかの誰かが自身の欲望を満たすための研究に使っているに過ぎなかった。有刺鉄線の茨が絡められたフェンス、所々に何かしらの警報を知らせるために咲き続けているランプ。

 あまりにも無機質なバラの庭には二羽の蝶すら漂うことなく、人もまたその場所に威圧を感じて近づくことすらしない。

「着いたようだ」

 絵海の言葉を受けてガムテープで撒かれた少女たちは懸命に頷いていた。命が惜しい、失いたくない、そういった様子を態度に絡めて涙に滲んだ懸命な姿勢を見せていた。

「大丈夫、用済みだからって殺しはしない」

 絵海の声が流れてくると共に無理やり笑顔を作って必死に塗りつけていたものの、そこに立っている人々その全てが緊張感を走らせて乾いた空気に火花を散らしていたが為にこの笑顔はただただ浮ついて色合いと化すだけだった。

 鉄の扉、学校の校門などにも使われている背の低いドアをずらして事なきままに潜入を完了させる。

 絵海は少女ふたりのポケットを探ってカードを取り出し片方を楓に手渡した。

「これは」

 見つめながら疑問を口にする楓に向けて絵海の答えはすぐさま口で示された。

「アクセス権限証明証。データの世界だけじゃなくてこの建物のどこまで入り込むことが出来るのか、そこまで決められてるよ」

 つまりは等級の証明証なのだろう。それを首にかけて絵海は進み始める。

「アクセス権限二等級、初歩実験室や資料室を漁ることが限界ね、最低でもひとりが高等級を持っていればいいから取り合えず高い等級を、星の数が多いカードを見つけたら強奪か」

 公開データ、つまりはあの機械製の並行世界に忍び込むことの出来る人物、一応は生きている人物の全てがアクセス権限一等級に相当し、この建物に入ることを許可されるのは二等級以上、つまりは今の彼女らはその場所における最低等級でしかないのだという。

 建物へと入る際に灰色の長袖長ズボンでしっかりと身体を覆った男たち、警備員にアクセス権を提示して常に口を開けているガラスの扉をくぐって中を探索し始める。

 それは全てが灰色の壁、何ひとつ塗装を施していないのだろう。そんな味気ない施設の壁に打ち付けられた地図に目を向けて絵海は建物の資料室へと向かった。

「私は今ので全部覚えたけど、普通の人じゃまず無理。だからまずは建物自体の資料室で貸出自由のマップを手に入れる」

 この行動に失敗の要素などひとつもない、そう、それと言って難しい話などひとつも転がってはいなかった。

 ドアの向こうへと滑り込み、受付嬢に一礼をして地図をいただく。

「いいかな、次は休眠室へと向かう」

 そこは高等級の宝庫なのだという。泊まり込みで研究する者は多数存在しているのだという。その中には夜勤の者も多いのだという。

 様々な面、ほとんどは笑わせに来ているのかと錯覚してしまう程に面の崩れただらしない男ども、そんな惨めな存在と幾つもすれ違って、やがてはたどり着いた休眠室、そこに入り込むと共に楓は口を押えて目を見開いた。里香も同じように湧いて来る嫌悪感を抑え込む。研究者たち、ほぼほぼ男。そんな者どもが寝ているというだけでこの世の地獄は描けるというのだろうか。誰の目から見ても嫌悪感を発するような人物に溢れた阿鼻叫喚の生き地獄。

「何をどうしたらここまで気持ち悪い面ばかりになるんだ」

「整形、ここの研究者は外出も恋愛も、研究を妨げることをなにもかも禁止しているが為に意図的に男の顔を気持ち悪く作り変えてる。だからこそ生まれる生き地獄」

 世界の中の金持ち、その中でも見つめてすらいたくない面が並ぶこの世界は汚物の掃き溜めだろうか。

「女は……研究のトップたちの意向で見逃されてるみたい。やっぱり男は変態」

 語りながら研究者たちがベッドの脇の棚の上に置いているアクセス権限を記したカードを目に焼き付けながら、絵海はため息を吐いた。

「かわいそうに、利用されたことを知らずそれを知った時には既に醜い顔に、社会の中にに存在することすら難しい顔に変えられた後で一生をここで過ごすしかない人たち」

 つまりは彼らも逃げることは許されていないということだった。

 研究所を破壊してみたとしよう。楓の中に湧いてきたその妄想は愉快な心情をもたらして日差しに変えてみせていた。

「転職できる見た目ですらない無職が大量生産だな」

「えっ」

 里香の口から咄嗟に出てきた問いに楓は先ほどまでの妄想を仕舞い込んで現実的な言葉を選んで見せた。

「この研究の全てを終わらせること、それが私たちが救われる方法。じゃあもし研究が続かなくなったら」

「あっ」

 気が付いた、気が付いてしまった。事実を見つけてしまった。そんなやり取りが交わされる中、絵海はひとりカードをすり替えていた。

「アクセス権限四等級。トップシークレット含む全権限の開放。無防備にも程があるね」

 呟きながら絵海は里香の首に許可証をかけた。途端に一瞬肩を震わせたように見えたのは気のせいだろうか。

「首絞め殺さないでよ」

 大きなため息が零れ落ちる。里香の想像は既に人生一周分でも遅れているのだろうか。あまりにも厳しい目つきにあきれ返って肩を竦めた。

「私は目的のない殺しをやるほど落ちぶれてない」

 そんな言葉のひとつにどれだけの説得力があるものだろう。あまりにも里香を殺し過ぎた。そんな事実が服をも突き抜け肌を刺す。その事実は針のように鋭くて思わず目を背けてしまうものだった。

 そこからの展開はあまりにも早くてうまく進みすぎていた。

 権限の見せつけによって警備の目を誤魔化して中へと入り続いて通りかかる同じ顔をした醜い男たちに会釈しながら廊下を進み続ける。余裕に満ち溢れているためだろうか、絵海は廊下の壁を眺めて緊急用のシャッター開閉ボタンを指して頷きながら進んでいた。機械のある部屋へと入り込む。

「これを破壊すれば」

 絵海が実験備品室へと向かおうと足を進め始めたその瞬間に起こされた出来事だった。元気いっぱいだったはずの里香は突然気絶して楓は里香を抱える。

「もしかして」

「多分、一旦向こうに行ったね」

 機械の世界へと入り込んでいた。そう推測した。

「帰ってくるまでの我慢だよ」

 絵海は先ほど止めた足を再び進め始めた。

 残された楓、その腕にしっかりと包み込み、里香の顔を覗き込む。整った顔は少しふっくらとしていて長いまつげは時たま力の入るまぶたによって微かに動かされ、楓の中に眠るざわざわとした気持ちを撫でては揺り起こそうとしていた。

「果たしてどうなるかな、耐えてくれ、私」

 呟いた。静寂の中心地よい想いを抱きながらぽつりと柔らかな気持ちを込めた言葉を無機質な床に落として。

 ここに来て想いは激しい波を打ち始めた。そう、今のままでは里香という女の魅力に落とされてしまう。クマが刻み込まれた目を閉じ、灰色の髪を勢い任せに掻いて大きく息を吸う。こうでもしなければ正気を保っていられる自信がなかった。

 そんな雰囲気に浸っている間に周囲の世界では出来事が進んでいる。そう気づかされたのは声が届いたからこそのこと。

「貴様、いったい何故侵入出来た。誰の権限を奪った」

 目を開き、出入り口に目を向ける。そこに立つ人物は濃いひげを顎から伸ばしてやつれた身体に常に鞭を打って動いているようなみっともない男、顔にこびりついたような皺を見つめることは男の生きた年数を確かめているようで一瞬にして嫌気へと変わり果てる。

「はあ、おっさんね、それも何かに執着してる感じの」

 見るからにその目は左右異なる大きさをしていてその瞳の焦点は合っていない。顔を動かす度に白黒する目に尋常ではない人柄を見た。

「どうせ黒幕だろう」

「正解」

 そうした言葉をしわがれた声で伝えると共に白衣のポケットに右手を突っ込む。それから数字を数えるまでもない程度の時の経過とともに男はポケットから手を抜き取った。そこに握られていたものは黒々としていてこの研究所をも凌ぐ無機質を誇る武器、ドラマなどでしか見たことのないそれの実物を目にして楓の目はこれまでにない程大きく見開かれた。

「おやおやおやおや拳銃は初めてかな。若いなガキ。人生の経験が足りてないぞう」

「どんな人生歩んだらホンモノの拳銃なんか目にするんだ」

 その問いの答えなど楓の目の中に映されていた。そう、これまでの戦いの日々が答えのひとつなのだから。解答は案外無数に近い感覚で置かれているものの道を踏み外さなければたどり着くことは出来ない。それをしっかりと踏み抜いてしまった己をここで恨む。

――能力を使うなら、今だ

 チカラを開こうとするものの、そこに在る感覚は平常と変わりが見られない。

 戦いの始まりの合図を脳は出せないままでいた。

「何も対策していないと思うなよ。絵海といったか、今頃あの女も迷い込んでるかも知れないな」

「同じ施設で重要人物として扱われれた人の名前すら覚えていないのか」

 男は乾いた笑いを上げながら拳銃を構えた。

「何故実験動物の名前など覚えてなければならない。被験者名など書き留めている、実験の実行者はあのキモイ下僕が覚えているだろ」

 モルモットなど、続けてそう口にした途端、男の声は無理やり断ち切られた。

「ふざけるな、大切な里香のことをモルモット呼ばわりなんて……絶対に許さない」

「ほう、面白い、可聴領域を超えていてかつ異能を抑え込む音波が流れているここで何が出来よう」

 ケタケタと笑う様はあまりにも下品で思わず目を細めてしまう。顔が強張って溢れ出る嫌悪感に支配されていた。

「愛しの娘、すでに死した月夜が蘇るのなら他のものなど何もいらないのだ」

 家族愛というものを取り違えた者の末路のひとつ、男は完全に愛と名乗った別の情を崇拝し切っていた。歪み切ったそれは捻じれた宗教のようであまりにも愛とは相容れない。

「まあいいさ、コイツがいる限り時は繰り返される。機械にいる内にやるのがいいな」

「やめろ」

 言葉に重ねられて乾いた発砲音が耳を空気を身体を、そして命を無慈悲に叩いた。



  ☆



 そこは木とコンクリートで創り上げられた家が建ち並び、苔むした灰色の壁がそびえる街並み、つまりはいつも通りの街の光景。ただし、他と異なるところがひとつ、ふたつ、みっつ。実に派手で摩訶不思議なモノを放出しながら戦う人種、彼らがいくつもの特異点を感じさせた。

 そこを進みながら里香は心の中で確認しながら納得する。

――もしかしてここがこの前絵海が言ってた、楓が行ってた世界

 楓の話によれば里香のアクセスは弾かれているとのことだったが、流石に四等級の許可証の方が強いのだろう。里香は今ここに立っていた。間違いなくこの場にいた。

 さらに進んで道路へと出る。車道の真ん中に設置された安楽椅子を見つめて里香が聞かされた話は本当のことなのだと確認していた。

 近付いて、安楽椅子に腰かけている少女の顔を見つめる。わざとらしい程に整った顔はこの世の中の類い稀なる美貌という言葉がよく似合っていた。

「ようこそ、被験体里香」

 美しい声、艶のある低くてよく響く声を耳にして里香が思ったのはそのようなこと。生身の身体は敵地にあるというにもかかわらずあまりにも呑気なものだった。

「綺麗な声ですね」

 持つべき緊張感など何処にも見当たらず、持たなくていい緊張感を持ち合わせる。そんな有り様だった。

「さあ、アクセス権限四等級ね、里香ちゃん」

 その声は心の底にまで響き渡る甘みをもっていた。この少女の目は、里香を掴んで離さなかった。

「黄泉ノ帰リ道のからくりについて話してあげる」

 ブレザーとカッターシャツ。同じくらいの年齢のはずの少女も着飾るものによってここまで変わって来るものだろうか。里香の目にはしっかりと大人として映っていた。

 その心情は置いてけぼりにされて行く。この景色の中で浮いた雰囲気全開の少女、月夜は里香の心に構わず里香に構う。

「それはね、この機械を通して行われるの。この世界には様々な情報が保存されている。例えば被検体が見てきた景色、戦いの日々、そういったものを繋ぎ合わせてこの世界自体をアップデートしていく」

 つまり、里香や絵海、その他様々な人物が見てきた物や事を拾い上げることで構成した世界。それこそがこの世界の実態なのだという。

「言っとくけど、この世界にはあなたの記憶もそのまま入る。黄泉ノ帰リ道を使った履歴や使う前の記憶さえも」

 情報の世界、それはこの世界をも凌駕する時間軸を持った電気と光の世界だった。

「絵海の能力なんて本来ただ高めな記憶能力に加えてこの世界にアクセスして保存されている自身の視点にある記憶の全てを読み込む精巧な読み込み権限によって作られた紛い物だよ」

 つまるところ、絵海の能力は絶対記憶能力などではない。そもそもがただの機会頼りだということ。

「パーフェクトリーディング、自己記憶領域を完璧に読み込みダウンロードするだけのシステムだよ、あと能力者が外に出す脳波によって生じる歪みを見る眼もオプションで」

 更に月夜の話は続けられる。この情報世界に保存している月夜はかつて闘病生活を送っていた月夜、今は亡き少女の脳波による思考パターンから記憶、動きの癖まで完全に読み込んで創り上げられたものなのだという。父が黒幕で、目的は今ここにいる月夜を現実に呼び起こすこと。

「私のそっくりさんを整形で完全に私にして機械で脳波の流動パターンを書き換え記憶を完全に流し込む。おまけに死なないように時間遡行の防衛機能付き、呆れるね」

 あの研究者の群れ、全てが一定の醜い顔に揃えてあるということを思い出し、目を見開いた。

 完全再現の為の実験台、やがてはどこかの女を捕まえて月夜の顔に作り替えるつもりだろう。

「そう、つまりそういうこと。今も絶えずに保存している記憶を覗けば思考なんて丸裸だよ」

 里香の頬は突然熱を帯びた。全て何もかもがこの美女に知られてしまっているという事実。恥ずかしくありながらも心の奥に妙に弾む熱を感じさせられた。

「恥ずかしい、そうだね、でもその奥の感情は何? 妙だね」

「そ、その、月夜ちゃんみたいな美人ならいいかなって。恥ずかしいけど……快感」

 それについては月夜は何も答えることなく、頬を掻きながら空を眺め、里香に視線を戻した。

「そろそろ外が危ないね、じゃあ最後にとっておきの秘術、科学の法則の全てから外れた固有の法則で動く技を授けて終わりとしよう」

 そうして何かを流し込まれ、里香の身体は景色に溶けて問答無用で消し去られてしまった。



  ☆



 眼は開かれた。見える景色は相変わらず無機質の壁紙のようで、あまりにも味気ない。この世界の中にこれまでと違う生きた証。何故だか楓に抱えられていた。赤い染みが汚すその顔はそれでもなお鋭い視線を崩すことなく。

 里香の思考は突然奪われた。わき腹に走るものは恐ろしいまでに強烈。それが痛みなのだと分かるまでにどれだけの時間を経ただろう。

 一瞬、永遠にも感じられるほどにゆっくりと流れるその時、瞬く間という言葉の並びを忘れてしまいそうなほどに長い一瞬だった。

 痛みは里香を襲う。思考も何もかも奪ってしまうほどの痛み、痛みの根源から湧いて来る生温かい水はあまりにも生々しい湧き水。無機を生きた感覚で充たし続ける。

 やがてその痛みの中で、消えることのない痛みを抱える中で男が構える拳銃に目を当ててひとつの事実にようやく思考が追いついた。

――そっか、撃たれたんだ

 それは消えることのないこと。消えるかも知れないのはある意味で自身の命だった。



  ☆



 無機質な壁に挟まれて絵海は駆け続けていた。後ろを振り向いては目を見開いて心だけは更に速度を上げ続ける。果たして彼女は何から逃げているのだろう。

 そこに広がる光景はあまりにも奇怪なものだった。同じ顔をした男たちが手を伸ばしながら追いかけ続ける様、それぞれ異なった仕草や足取りがどれもこれも運動不足から来ていると主張している姿。異なっていても同じ意味合いで足並みをそろえているこの光景。絵海の心に大きな傷を残すようないじめなのだろうか。

 それは紛れもない阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

――やめてくれ

 絵海は急いで走り続け、距離をどうにか開いて行く。どれだけでも、出来る限り長い距離が欲しかった。

 やがて目に見えた。無機質の中の赤、非常用のシャッター開閉ボタンを睨むように見つめて勢いよく押してみせた。必要以上の、無駄にしかならない力を気持ちと共に叩きつけるようにボタンへと向けていた。

 シャッターは行くりと降りていく。

 軍勢は未だに迫って来る。

 シャッターは順調に降りていく。

 軍勢は慌てた顔をしつつもベースを上げられない。

 シャッターはあの醜い顔は見せられませんという勢いで顔を隠すほどの所まで降りていた。

 軍勢は何もなす術がないまま駆けるのみ。

 シャッターはほぼほぼ閉まっていた。

 軍勢はもう、幕の外へと追放された。

 やがて視界に蔓延る醜い喧騒は消え去って聴覚に醜い喧騒が蔓延り始めた。シャッターを叩く音は響くものの、それがどうしたものだというのだろう、全くもって突破できる気配さえ持ち合わせていなかった。そうした荒々しさに充ちた調を壁越しの安全圏から聞き取った絵海は安堵の想いを授かる。

 それから研究室へと足を向けた。



  ☆



 里香の目にはなにが映されているだろう。男の背後に影が、死神の微笑み、鉄の棒を構えた影、少女の姿がそこにはあった。

――絵海、だめ

 絵海には殺させない、その一心で里香は脳裏に宿る謎の秘術を解き放つ。途端、絵海の姿は止まった。鉄パイプを構えたその姿がハッキリとその場にあった。迫力が鮮明なまま保たれて残されていた。石のようというべきか、それよりは凍り付いているように思えた。

 男は今更のように気配に気が付き振り返り拳銃を構えて引き金に力を込めた。

――やらせない

 震える指が銃弾に暴れる許可を与えると共に乾いた音が鳴り響き、そのまま拳銃自体が爆散した。

「ああ、あああああ、がああああああ」

 男は叫びながらその手を押さえていた。手によって隠された事実はきっと覗かない方がいいだろう。その方が身のため心のため。

「傷口よ、凍り付け」

 凍り付いた傷口、赤い氷、それを確認して一度頷き、駆けだした。冷気の線を描きながら、走るために必要な『時間』さえ凍り付かせながら。

「瞬間移動か、お、おかしいぞ。異能は……封じ」

「今の私の戦い方は異能じゃないわ。秘術」

「まさか、科学の法則から外れた……魔法」

 駆けて残された冷気が漂いながら残り続け、それがひとつの図形を描く。続けてわき腹の氷を溶かしては指をわき腹に当てて湿らせて、魔法の発動に必要な術式を書き込み始めた。

「な、なにを」

 走り出そうとしたものの、その足がつかんだものは空気。もう片方の足は地を掴んだまま、人に掴まれていた。

「私に殺すな、そう言うとしてもサポートは許せ」

 絵海の手はしっかりと足首を掴み、男の身体は進まない。顔は地面にこんにちはと言わんばかりの勢いでぶつかっていた。

「何を書いている、何語だ……答えろ」

 里香はしっかりと男を睨み付けて、答えをはっきりと返してみせた。

「あなたはおしまい、そう書いたの」

 大嘘だった。そこに書かれたものは魔法に必要な言語。しかしながらその言葉を書き終えた先に待つ出来事はまさに彼のおしまい。確かに真実が書かれていた。

 描かれた陣は青白い光を薄っすらと放ち男の足元を凍り付かせ始めた。

 白い息吹が渦巻きながらこの無機質な空間の中に恐ろしくありながらも不思議でひんやりとした光景を与え始める。きっとこのままこの小さな世界は凍り付いてしまうのだろう。ここから始まるものは科学の法則から大きく外れた摩訶不思議の世界。優劣の有無はともかくとして思考が思想が科学に寄り添いながら立っている限りは防ぐことさえできない代物だった。

 男を凍り付かせる脅威の手は脛にまで迫っていた。

「ひえっ、やめてくれ、死にたくない、生かしてくれ」

「いやだ、そう言って何人殺して来たのかあなた、覚えてる? 人をモルモットとしか思ってないアナタはこう答えるんでしょ、必要な犠牲って」

 里香の目はどこまでも冷たくて見ているだけで凍り付いてしまいそう。そんな里香だったものの視線を一瞬だけ逸らし、わき腹を押さえ始めた。苦しみの表情に身を包む里香。楓はそんな彼女の所へと寄ってみせてしっかりと抱き締め支えとなる。

「ごめんなさい、もうしませんからやめて、なあ、人殺し、俺のことを殺したら人殺しだ、永遠に償えない罪に震えて夜も眠れない罪悪感の奴隷に成り果てるんだぞ」

 相変わらず男は喚き散らしては謝罪と罵倒が混ざり合った独特な命乞いを続けていた。

「もうやめよう、争いは何も生まない」

 ありふれたセリフで生き永らえようとする男に向けて見せた里香の目には色素が宿っていなかった。無感情、まっさらなそれは男に対して何も必要ない、形あることも命残すことも求めていないと語っていた。

「争いは何も生まない? いつも私を殺そうと異能力者を雇っていたアナタが言う? アナタを消せば平和を脅かす人が減るの」

 男の身体を凍り付かせる冷気は少しずつ進んで行く。やがて膝へ到達。徐々に生の気配を奪われて行く感覚とは如何なるものだろう。男の奥に沸き立つものは鋭くとげとげとした恐怖心。それが体の内側を這い回り続けては想いをも冷やし続ける。

 寒気と恐怖は共に男の身体を大きく震わせ共鳴していた。

 やがて太ももへと進もうと言う時、里香は大きく咳き込み痛みに集中を奪われた。その結果など既に見えていただろう。里香の操る術式は解け、凍り付かせる魔の手は溶けてなくなってしまった。

「ははっ、これで殺せば俺の勝ちだ、魔法だか科学から外れたチカラだか言っても大したことはなかったな」

 立ち上がり拳銃を構えて引き金に指を運ぶ。引いてしまえば慈悲など持たない黒光りする無機物は標的の命を作業的に消し去ってくれるだろう。引き金を引こうとしたその時だった。

「私を忘れたか」

 男の隣から響いてきた枯れ声と向き合うように振り返る。背の低い茶髪の女が鉄パイプを構えて立っていた。それを認識した時には既に鉄パイプは大きく振るわれていて、次の感触にまでたどり着いた時には既に拳銃が激しく宙を舞っていた。

 そこから地面へと叩きつけられてもなお回りながら滑る拳銃を追いかけて絵海は身体を滑らせた。そこから見事に手に取り異能力抑制音波の発生源を睨み付けて撃ち抜いて。

 拳銃は仕舞われた。役目はおしまい、もう何もない。続いて壁に掛けられた電話を手にしてある番号へと繋げた。

「はいもしもし、女の子がひとり倒れてしまいましたので救急車をお願いします。発電所の中です」

 それだけでは絵海の行動は終わらない。ずかずかと里香の方へと歩み寄り、ポケットから包帯を取り出して里香の腹に巻きつける。里香は苦しそうに声を上げるものの、絵海は作業をやめるつもりなど一切なかった。

「我慢して、絶対助かるから」

 その目にはどれだけの緊張感が揺らめいていたのか、楓にはしっかりと見えていた。絵海の気持ちはもはや止める必要もなかった。

「楓」

「なあに、里香」

 話に耳を傾け、顔を寄せ、瞳を覗き込む。

「その、やり直し効くからここまでふたりとも必死にならなくても」

「いやだ」

 楓は里香を抱き締める手に更に力を込める。

「これ以上里香が死ぬ姿なんて見たくない」

「一回も見てないくせに」

 声に力が無い。死は目前とでもいうのだろうか。呼吸は里香の身体を小刻みに揺らしていた。

「絶対に死なせたくない。死んだらおしまいなんだ。次里香が出会う私は私じゃないから。他の人なんだ、私と同じ姿をした……別人なんだよ」

 そう、里香にとって次があったとしても、その先の楓は記憶を継いだ者ではない。同じはずなのに異なる彼女、今ここにいる彼女はそれを受け入れようとはしなかった。

「私は絶対に里香のことを死なせないって決めたんだ」

 里香を背負って足を踏み出す。そこに流れる感情は静電気のような刺激と鋭い輝きを持っていながらもリボンの優しさを持っていた。

「確かに、全て覚えてる私にも分かる。里香が死んだ次に出会う私もまた、前の記憶を持った別の私だよ」

 絵海の言葉も里香を死なせないという意志をハッキリと述べていた。死と背中合わせ隣り合わせでこの世界に同乗している里香。周りの音や景色を感じている余裕などなくぽっかりと空いた虚ろ、空虚を成した心には彼女たちの言葉だけがハッキリと届いていた。

 夢見心地の朧気景色、目の上に薄っすらとした靄がかかったその景色はあまりにも不安定な命の証。

 そんな彼女が生き続けている証の苦しみを身の内に隠しながら身を預ける。豊満な身体を乗せる背はあまりにも小さな少女。肩で息をして消耗の激しさを全身で語っている少女。

 非常シャッターのボタンを押して開く。

 激しく乱暴な音の主を内側へと招き入れないように壁となっていたシャッターが上がると共に大量の足が目に映り、そこから伸びる脚の数は正真正銘の脅威だった。

「なるほど……サイコキネシス」

 楓の紫色の瞳の隅に蹲っていた濃い紫は瞳全体を覆い始め、覚悟を粘り気の強い意志へと変えていく。楓の足元には三つもの手が生え始める。透明な手の姿を持った歪みは里香の目にも微かに映され、絵海に至っては目を広げて震わせていた。

「念の手、そいつに放り投げられて行き着く先なんて物理法則に任せるだけ」

 シャッターが上がり切るその前に手は男の足を掴んでは他の男へと放り投げる。全ての人々が見事に同じように醜い顔をしていて表情を動かすことも叶わない。恐らく研究の中で余計な情報を入れない、事実のみを的確に伝えさせるように感情を排するために行なわれた施術だろう。

 見えない手が、異能力の磁場の揺らぎを見ることの出来る一部の者のみが不確実な目で捉える形無き手が、次から次へと人を掴んでは放り投げて振り回して人々を追い払う。

「荒々しくて悪かったな、テレポートは私個人対象限定最大重量私プラス一点五キログラムだからな」

 力を振われる者誰もが耳に入れていない言葉の後に続けてまたしても誰も聞いていないであろう言葉を加えて。

「道を強引に開く。覚悟しろ」

 そこからシャッターが上がり切って開かれた光景は倒れた男たちによって築き上げられたこの世の中でも類い稀なる汚さを誇った醜い絨毯だった。

「踏むしかないかな仕方ない」

 絵海が先陣を切って歩き始める。人々を踏みながら不安定な肉の床を進みながらただひとり枯れ声を靡かせていた。

「ゴメンよ靴さん変なもの踏ませちゃって」

――謝る対象誤ってるぞ

 言葉は楓の内に仕舞われた。男どもの伏した床が膨れ上がる様を目にしてサイコキネシスにて床に圧し付ける。そんな様を見て絵海は更けもしない口笛の真似事を、尖らせた口から空気だけを吹き出したのち、獲得した恥を誤魔化すように言葉を重ねて上塗りする。

「変な研究所に騙されて独身で隷属させられてるんだ。骨を埋める場所にキスをさせて」

――コイツ、小さい身体に毒舌収め切れていない

 声は枯れ切った喉からは出てこない。楓と絵海の身長はあまり変わらないのだと今ここで確認しつつも里香を研究所の外へと運び出して救急車のお迎えを無事に受けた。



  ☆



 日差しは涼しさに混ざって掠れていた。秋も既に深まり冬へと向かおうとしていた。そんな優しい気候の中の晴れ空は心地よくていつまでも見入ってしまう。

 身を乗り出して山の上から遠く広く紅く燃える木々の揺らめきを見つめていた。鮮明な紅に橙色から黄色まで色とりどりの木々の連なりは自由気ままなアートのよう。そんな景色をいつまでも見飽きることなく見つめ続ける紫色の瞳。そんな彼女の名前は今この景色の主役に最も相応しいものだった。

「ねえ楓、早くお弁当食べようよ」

 響きがよく空に溶け込む声は鈴のよう。空に舞う紅はそんな声の木霊と絡み合ってどこまでも気を引こうとしていた。

 紅に染められた絨毯の上に敷かれるものは白地にピンクのリボンが交差したデザインのビニールシート。カエルの手のような紅が散りばめられた派手な一面に現れた控えめな色が却って派手に映っていた。

 ふたり向かい合って座り、ひとつの大きめの弁当箱からおにぎりを手に取り頬張りながら景色を眺める。

「きれいだよね」

「里香にとても似合ってる」

「楓から里香に楓が似合ってるって言ってもらえたやったよ一生いっしょだよ」

 そんな量も質も薄っぺらな会話の中で里香は弁当を口にしながらひとつの疑問を口にした。

「そういえば楓の能力って五つなんだよね」

「そうだけど、どうしたの」

「この前使ったサイコキネシスに初めに使ったテレキネシスにテレポートにテレキネシス、あとひとつは?」

 そう、ここまでの戦いで使われた能力は四つ。里香はここで特に悪気のない隠し事をされているようで空を舞う楓の葉に寂しさを虚しさを乗せて目尻を下げていた。

「使う機会がなかったな」

 そう呟きながら楓と里香に挟まれるように置かれた空の弁当箱を片付けて紅茶を啜りながら里香を見つめる。

 一方で里香はペットボトル一本分の緑茶を飲み干して楓の膝へと頭を運び優しい笑みを見せていた。

「眠たくなってきちゃったから、楓の膝借りるね」

「ちょうどよかった、私の目をご覧になってごらん」

 里香の方は楓の膝枕でごろん。爽やかな青空を見ていたその目は果てのない紫色の深海へと引き込まれ、そこから自身の内側へと引き込まれていった。

「なに……これ」

 急激に襲って来る眠気に抗おうとしてはみたものの、止まることなく手を底へと引かれるように目は細められて行く。

「最後の能力は催眠術、ヒュプノスだよ」

 閉じようとしていた瞼の隙間に映り込む光景はこれまで見てきた楓の表情の中で最も優しい微笑みだった。落ち着きを持った声で、心にまで心地よく澄み渡る響きで、想いを届けていた。この上なく穏やかな快感に引きずり込まれる意識は楓の言葉と共に闇へと落ちて行った。

「おやすみ、ゆっくり休んでね」

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