第88話 聖女セシリア様の里帰り
自分の生まれ故郷へ帰る、よほど後ろめたいことがない限りは嬉しいものだろう。特別に成功していなくても元気でやってるよと顔を見せ他愛のない会話をする、それだけでも実家の有難さと家族の愛を感じ、自分は外へ出ても頑張れているんだと思えるかもしれない。
失敗続きで気持ちが落ち込んでいれば温かく迎えてくれるであろう家族に触れ、実家へ帰りたいと思うかもしれない。どちらがいいとかではなく、どちらも幸せなことだと思う。
「俺、王都へ出て冒険者としてもっと成功したいんだ!」
そう言って両親のやんわりとした反対を押し切り、半場強引に飛び出した少年は今、聖女として実家へ向かっている。
実績だけで言えば半年ちょっとで冒険者の高みへと到達し、多くの人や国、一教団をも救い魔族を退けたのだから胸を張って里帰りしてもいい。
だが、男の娘の胸の内は複雑である……。
「あのさ、勝手に人の頭のなかで実況するのやめてくれる」
豪華な馬車に揺られるセシリアは抱きかかえている聖剣シャルルに文句を言う。
『セシリアの心境を語ってみたのだが、間違いがあったか?』
「的を射過ぎてて聞いてて辛い……」
ガクッとセシリアは項垂れてしまう。
「ご気分がわるいのですか?」
「あ、いえ大丈夫です。久しぶりの実家なので緊張してるんです。両親も私がこのような形で帰ってくるとは思ってないでしょうし、きっと驚くだろうなと想像したら私もなんだか緊張してしまって」
馬車の中にいるセシリアのお世話役の女性が項垂れるセシリアを心配して話し掛けてくるが、セシリアの返事を聞いて満面の笑みを見せる。
「私にも娘がおりますが、親としては子供が帰って来てくれるのは嬉しいものです。ご両親もセシリア様のお帰りを今か今かとお待ちになっていると思います」
「そうだといいのですが。村から出た格好とまったく違いますし、出会ったらきっと驚かせてしまうんじゃないかなと思うとドキドキしてしまって」
セシリアは少し眉を下げ困ったような笑みを浮かべながら、いつも着ているワンピースではなく、この日のためにと仕立て屋のエノアが作ってくれたドレスの胸元に手を置く。
「本当にセシリア様は親しみやすいお方ですね。立派になってお帰りになるお姿にも、両親を驚かしてしまわないかお気遣いなさる姿に私は感銘を受けました。
前の闘技場での五大冒険者を従え勇ましく戦うお姿を拝見いたしました。それまでも多くの功績を上げられ、アイガイオン国内だけでなく隣国からも求婚を受られている、それでも庶民にも分け隔てなくお優しいそのお姿こそ聖女と呼ばれる所以なのでしょう。実力人柄ともに立派なセシリア様なのですから、胸を張ってお帰りになって大丈夫ですよ」
「え、ええ。おかげで少し気持ちが楽になりました」
「そんなもったいないお言葉。ですが、お役に立てたのでしたら私も嬉しいです」
お世話係の女性と笑顔を見せ合ったあと、聖剣シャルルをぎゅっと抱きしめるセシリアは窓の外を見て段々と見慣れた懐かしい風景になってきていることに小さくため息をついてしまう。
故郷であるメトネ村へは聖女セシリアではなく、冒険者セシリアとして一人で帰る算段だった。黙って帰ると騒ぎになりそうだったので正直に言ったら国を上げて生誕の地へ向かうことになってしまったわけだ。
(まさかアイガイオン王自ら来るなんて……王様の仕事は大丈夫なのかな? それにミルコのヤツも来てるけど不安しかないな。一応おばさん宛に手紙は送って説明はしておいたけど)
田舎の港町に王自ら訪問するなど前代未聞ではなかろうかと事が大きくなってしまったこと、そして里に帰るにあたって同郷であるミルコを連れて来たのだが記憶を失っていることをどう説明し、謝ろうかとセシリアの悩みは尽きることはない。
「もうすぐで到着いたします」
馬車の外を走る馬に乗る兵からの合図を受け、馬車のなかの兵がセシリアに告げる。セシリアは窓の外を見て地平線の向こうに故郷の懐かしい海を瞳に映すと静かに目をつぶる。
(ここまで来たら流れに身を任せるしかない。父さんたちは聖女であることを知ってるっぽいし、なんとか合わせてもらうしかないか……不安しかないけど)
悩んでいる間にも馬車は順調に進み、やがて馬車を揺らして止まると馬の荒い鼻息が室内まで響き到着を知らせてくれる。
「足元にお気を付けください」
「ええ、ありがとうございます」
馬車の外に設置された階段を確認したお世話係りの女性が先に出て、セシリアがスカートの裾を踏まないように先導する。
両脇に兵が並ぶ階段をスカートを摘まみ上げゆっくりと下りるセシリアがふと村の入り口を見て目を丸くする。
『お帰りなさい聖女セシリア様!』
『聖女セシリア様生誕の地メトネ村!!』
『聖女セシリア様を育てた美味しいお魚いっぱいのメトネ村!!』
手書きの垂れ幕がかかり村人全員がセシリアを見て手を叩いて歓迎している。
「なんだこれ……」
アイガイオン王が来るから村人全員で迎えるのは理解できる。だが、その王を差し置いて自分を歓迎する垂れ幕しかないではないか。王が訪問することは事前に伝わているはずなのにと慌ててアイガイオン王に視線をやると、うんうんと頷きながら目を細めて近付いて来る姿が目に入る。
「村には余が来るが、あくまでも今日の主役はセシリアであるから盛大に迎えて欲しいとお願いしておったのだ」
聖女セシリアの帰還を盛大に歓迎する村人を見て、満足そうにあごひげを擦りながら語るアイガイオン王の姿にセシリアは肩を落として項垂れる。
とんでもない里帰りになったと、頭が痛くなって額を押えるセシリアのもとに人混みから飛び出して来た三人の子供が駆け寄ってくる。
赤茶の長い髪を後ろで結んだ二人の男の子が紫の瞳を、キラキラと輝く銀色の髪を揺らしブラウンの瞳をくりくりさせた女の子がそれぞれセシリアを囲んで見つめてくる。三人の視線にセシリアは緊張して思わず喉を鳴らして唾を飲み込んでしまう。
「姉さんお帰り!」
「姉ちゃんお帰り!」
「セシリアねえねっ! お帰り!」
自分の兄弟たちの予想にしなかった第一声に、セシリアはなんて答えていいか分かず固まってしまう。