第86話 甘い目覚めと苦めのお手紙と
優しい日差しが雨戸から僅かに漏れ、小鳥のさえずりが朝の訪れを告げるいつもの朝、ゆっくりと目を開けたセシリアは小さな鼻をスンスンさせる。
(すごくいい匂いがする……)
段々と覚醒していく意識が、体に触れる柔らかい感触を鮮明にしていく。
右半身にある心地よい重みと柔らかさに加えて、頬に触れる柔らかさは暖かく心地よい。
鼻をくすぐるいい匂いは青い髪の毛の持ち主で……
「ちょっ! ちょっとアトラなんで!?」
セシリアに半分覆いかぶさり抱きついて寝ているアトラに驚き慌てるセシリアだが、騒いだことで中途半端に覚醒しそうになったアトラが体を擦り付けセシリアの頬に自分の頬を擦り寄せる。
「あわわっ」
助けを求めようとベッドの横を見ると、化粧台の上に座るグランツとその下に立てかけてある聖剣シャルルがこの様子を微笑ましく見守っている。
『てえてえだな』
『ええ、てえてえです』
全くこの二人は役に立たないことを悟ったセシリアは、自由の効く左手で自アトラを押しのけようと試みるが足にアトラのヘビの下半身が絡み付き身動きが取れないことに気づく。
それでも肩の辺りを押すがビクともしないアトラだったが、何度か押しているうちに居心地が悪くなったのか眉間にしわを寄せつつ小さく息をもらしながらセシリアの耳に口を寄せる。
「ん~」
セシリアは耳元で小さな声で唸るアトラをどうしていいか分からず、ただ硬直してじっとアトラが起きるのを待つことにする。
だがその選択は間違いであったとすぐに気づかさせられる。耳元に寄せた口を顔を振りながら擦りつけた後、口を開けるとセシリアの耳に噛みつく。
「はむっ」
「うひゃ!?」
「んー? うにゅ?」
セシリアの悲鳴で目を覚ましたアトラがゆっくり目を開くと、自分がセシリアに抱きつき耳を甘噛みしていることに気づき寝ぼけまなこだった目を一気に開き覚醒する。
なんでこの状況になっているのかは分からないが、なっているからにはこのチャンスを逃してはなるまいとセシリアに絡みつけた体に力を入れ拘束すると、体を押し付け耳をハムハムと噛み始める。
「ちょ、ちょっとアトラ!? 目を覚ましたなら離れて!」
「ひやなのじゃ、こにょしゃんしゅにょがしゅわけにゅわいきゃにゃいのじゃ!」
「耳を噛んだまましゃ、喋らないで、く、くすぐったい」
顔を真っ赤にしてもがくセシリアを見て、さらに興奮したアトラが勢いよくセシリアの肩を押え覆いかぶさるとハアハアと息を荒くしてゆっくりと顔を近付ける。
セシリアの唇とアトラの唇が後わずかで触れそうになった瞬間、化粧台に座っていたグランツが首を伸ばし扉の方を見ると羽を広げバサバサ羽ばたかせる。
『アトラ、人が近付いて来ます。残念ですがここは引くのです』
『むうううっ!! 悔しいのじゃ!』
本当に悔しそうにアトラが唇をきゅっと噛むと影に戻ってしまう。
そして、ドアがドンドンと勢いよくノックされる。
「セシリアさまぁ~、なんか声がしましたけど大丈夫ですか?」
ドアの向こうでラベリの声が響いてくる。今までドアをぶち破って入ってきていたラベリだったが、セシリアの警備を理由にドアや窓周りを頑丈にしカギをしっかり掛けれるようになったので、ラベリもぶち破って入れなくなってしまったのである。
頑丈になった扉に安心感を感じつつ、先ほどまでアトラに抱きつかれていたことの熱が抜けない顔を手で仰ぎながら鍵を開けラベリを向かい入れる。
「ん? なんだか顔赤くありません?」
「え? そ、そうかな? ちょっと寝苦しかったから」
「ふーん」
そう言いながらラベリがセシリアに近付きくんくんと鼻を動かし匂いを嗅ぎ始める。
「う~ん、なんとなく違う匂いがします。セシリア様と違うけど、セシリア様の匂いのような不思議な感じです」
首を傾げたラベリがセシリアをじっと見つめる。
「ね、寝起きだし。ちょっと汗かいたから……ってどうかした?」
いつもならもっと騒がしいラベリが黙ってじっとセシリアを見つめ続けていることに違和感を感じたセシリアが尋ねると、ラベリがゆっくりと手を伸ばしセシリアの腰を掴む。
「ど、どうかした?」
「セシリア様の汗ばんだ肌、少し乱れた服に……潤んだ瞳。セシリア様……」
ラベリがセシリアを引き寄せるとつま先を立て背伸びをすると目をつぶって自分の口をセシリアへと近付ける。
「ちょ、ちょっと! ラベリ」
静かに顔を近付けるラベリにいつもの騒がしさはなく、純粋にキスを求める姿に心臓が鼓動を激しく刻み始めるが、セシリアは理性を持ってラベリを押える。
「はっ!? あれ? あぁ」
セシリアに押えらたラベリが目を丸くして驚きの表情を見せる。そしてセシリアの顔が目の前にあることに気づき顔を真っ赤にする。
「ご、ごめんなさい。セシリア様を見たら我慢できなくなって。あぁ〜んでもそのまま勢いでいっちゃえばよかったかもぉ~。きゃっ、私ってだいたんっ!」
両頬を押さえくねくねするラベリがいつものラベリであることにホッとしつつも、朝から刺激の強い状態に二度も追い込まれ、まだまだドキドキ激しく鼓動を打つ胸をセシリアは押さえる。
「あ、そうでした。セシリア様宛にお手紙が来てたのです」
ポンと手を打ってラベリがメイド服のエプロンから手紙を取り出すとセシリアに手渡す。
手紙を受け取るときに触れたラベリの手に再び心臓が跳ね上がるのを悟られないようにセシリアは手紙の差出人の名前を見る。
『エクトル・ミルワード』
その名前を見て先ほどまでドキドキと跳ねていた心臓がドクドクと違う音色を立て動き始める。
(父さんの名前……実家から手紙だ)
恐る恐る封を開け中身を読み進めるセシリアの顔が青ざめていく。
『親愛なるセシリアへ
セシリア活躍はここメトネ村まで届いています。冒険者になるとミルコ君と飛び出して心配していましたが、今では立派にやっているようでお父さんも鼻が高いです。
噂だと聖剣を手に入れ王様にも気に入られて町の人気者らしいですね。
久しぶりに顔を見たいとお母さんやイランダたちも言っています。忙しいでしょうが、時間があれば顔を見せに帰って話を聞かせて欲しいです。
父より』
セシリアは村を出るまで両親から手紙をもらったことがなかったので、父親の書く丁寧な文面に一人の人間として接してくれているような嬉しさとくすぐったさを感じつつ、内容のところどころに含みを感じてしまう。
(これは聖女やってることがバレてる気がする。この状況で会うにはどうすれば……)
避けては通れないことだと分かってはいたが、両親と兄妹との対面のときがきたことにセシリア難問に頭を悩ませるのである。