第73話 そ、その夜の……くださいっ!
心地好い風は歩く人たちだけでなく、店の壁から伸びた鉄の棒にぶら下がっている木の看板にも等しく吹き優しく『ヘンゼルト』の文字を揺らす。
セシリアは大量の布が積み上げられ、新品の服の香りに包まれる作業場にある椅子に座って足をパタパタさせている。
「んー」
「何唸ってんの。セシリア忙しいんでしょ、ここにいていいわけ?」
仕立て屋のエノアが、服の型紙に線を引きながらチラッとセシリアを見て尋ねる。
「ちょっとエノアさんに話聞いて欲しかったんですぅー」
そう言ってセシリアはテーブルに顔を伏せる。
「だいぶお疲れじゃない。今年の王都武術大会一番の売りである、聖女セシリア様と一緒に過ごせる権利が手に入るって噂で持ち切りなのに、その聖女様がため息ばかりついちゃって」
「うー、世間では聖女だとか言われてますけどただの冒険者ですよ。それも実力も何もない初心者の」
伏せたまま答えるセシリアを見たエノアは作業の手を止めセシリアの横に椅子を持ってきて座る。
「普通の冒険者は聖剣持ってグワッチを連れて翼を生やしたりしないわよ」
セシリアが僅かに顔を上げて隣に来たエノアを覗き見る。
「セシリアが聖女だと思ってなくても、世間は聖女だと認めている。もちろん私もそう思ってるわけだけどね。それはセシリアが求めた生き方じゃないかもしれないけど、あなたがこれまで成し得た実績は普通ではいさせてくれないと思うけど違う?」
「……うん」
セシリアは小さく頷く。
「私も聖女セシリアの名前を利用させてもらってる身だから強くは言えないけど、今回の大会についてはそのメランダとかいう人にやられたわね。でも実際どうなの冒険者のなかでもトップ集団たちから好意を寄せられるってのは?」
「私は好きではないので、その……困ると言うか……」
「ふふっ、聖女様の心を掴むのは難しそうね。私がそっちの立場だったら浮かれてしまうと思うけど、セシリアは自分のやるべきことがハッキリしてるっててブレないってことね」
「ブレブレなんですけど。実際このままでいいのか悩んでますもの」
「セシリアは真面目過ぎるのよ。あなたが望まなくても周りは聖女様として崇める。それはあなたがそうなり得るに足るものを持っているから、なら流れに身をまかせそのまま進んでみたらどう? 聖女としての生き方って考えたって答えでないでしょうし、聞かれても誰も答えられないでしょ。だってだれも聖女なんてやったことないんだから」
顔を上げたセシリアの頭に手を置いたエノアが優しく撫でる。
「だったら今のセシリアの生き方そのものが、聖女として正しい生き方で答えそのものなんだって胸張ってればいいんじゃない。
好きでもない男どもに言い寄られても、セシリアが自分の気持ちに素直になってキッパリ断り続ければそれが聖女としての在り方でもあるんじゃないかな。批判上等って気持ちで周りの雑音含めて跳ね返してればいいのよ。だから今のままのセシリアでいればきっと大丈夫。それを批判するヤツがいて困るってんなら私が文句いってやるから」
そもそも男なんだけどなぁ。根本的なことを思いながらも冒険者だけでなく、メンデール王国の王子をはじめ権力者からの求婚多数。セラフィア教信者からの熱烈な信仰心に周囲の人たちからの期待、どれにも答えれないが今のまま進めばどうにかなるのかもしれないとエノアの言葉を聞いてセシリアは少し心が軽くなるのを感じる。
「私はただの仕立て屋だけど、聖女様の愚痴くらい聞いてあげるわよ」
少し恥ずかしそうにセシリアの頭を少し乱暴に撫でながらそう言うエノアの姿にセシリアは心が温かくなるのを感じる。
「ありがとうございます」
「私の方こそセシリアに出会ってなければ今の立場はないし感謝してるの。だから、そのありがとうは大切に受け取っておくわ」
目を合わせ微笑み合う二人の間にお店のドアについているベルが揺れ鳴る音が響く。
「お客さんみたいね、ちょっと行って来る」
エノアが立ち上がると表の方へと向かって行く。セシリアもなんとなく立ち上がって表の方へと向かって行く。
裏からこっそりセシリアがのぞくと二人の女性が何やら探している服があるらしくエノアに説明している。
そんななか店の扉がゆっくりと開き、僅かにできた隙間からそーと別の女性が入ってくる。
紅色を基調としたドレスには控えめながらも宝石の装飾がされており一目見ただけでも高価なものだと分かる。ただ、そんな紅色に合わない白い布を頭からかぶり顔を隠してキョロキョロしている様は不審感を際立たせている。
顔が見えにくいようにと被った布を口元で押えソワソワする人物は、エノアと二人の女性が会話しているのを見てどうしていいのか分からないのか、出入り口の前でうつむく。
セシリアは接客なんてしたこともないが出入り口に立っていてはみんな困るだろうし、もう少し中へ入ってもらおうと考え、熱心に話す女性たちの横を通り抜け不審な動きをする人物に声を掛ける。
「なにかお探しですか? 今店主が接客中ですのよろしければ椅子を用意しますのでお待ちしてもらってもいいですか?」
「え、ええあ、ありがとうございます」
頭に被った布を口元で握り、視線を下に向けたままオドオドとした人物はセシリアに連れられ用意された椅子に腰を掛ける。
「私は店員ではないので商品の案内はできませんけど、今日は服を探しに来たのですか?」
「え、ええ……その、服といいますか……その……」
下を向いてモジモジする人物が、指遊びをする腕には真珠のブレスレットが見える。
「その、あの、このお店にある……セシリア様がおススメする……」
なんとなくこの後の流れを察っしたセシリアは身構えると、ブツブツ言っていた人物はセシリアの方を向き頭から覆う布の隙間から目を覗かせたと同時に口を開く。
「よ、夜のセシリア様がほ、欲しいと、えっとはい、欲しいのです」
セシリアとその人物は見つめ合ったまま固まる。
「え? なんで……ってぇええっ!!?? セ、セシリア様!?」
「わぁっ!! 叫ばない! 声が大きいって!」
セシリアは慌てその人物の口を塞ぐが時すでに遅し、接客中の女性たちもセシリアに気づき黄色い声を上げて近付いてくる。
「あ、どうも……」
締まらない挨拶したセシリアは女性たちに囲まれ洋服選びに付き合うこととなり、エノアの店の売上に大きく貢献することになる。
「ありがとうございました。出来上がりの方は約一ヶ月後となります。完成致しましたらご連絡差し上げます」
セシリアに握手をされ喜ぶ二人の女性を迎えに来た付き人にエノアが仕上がり等を説明し見送ると、店内の奥で座って待っている人物へと目をやる。
「さて、お客様はどうやら我がお店の主力商品をお求めのようですが、セシリアのお知り合いのようですね」
エノアに尋ねられ、コクコクと無言で頷く度に金色の髪がふわふわと揺れる。
「カトリナ・メンドールと申しますわ。セシリア様とは以前お茶会でご一緒して、その……お友達に……」
少し自信なさげに言うカトリナがチラッとセシリアを見るので、セシリアは頷く。
「お友達だよ。次のお茶会も参加する?」
セシリアが友達だと断言してくれたことにカトリナは、表情をこれでもかと明るくしてセシリアの手を取る。
「ええ、もちろんですわ! 次もその次も是非!」
喜びに満ちあふれたカトリナはほんのり頬を赤く染め、心の底から嬉しそうな笑顔を見せる。
「メンドールって言えばかなり高貴なお家柄じゃないの。その娘と友達とはさすがセシリアね。それで、カトリナお嬢様は先ほど合言葉を仰っていましたが、下着を所望でしょうか?」
「え、あ、はい……そのセシリア様とお揃いがいいなと。お母様方もこちらのお店で買った下着を絶賛してましたし、わたくしも是非使ってみたいなと」
セシリアを横目でチラチラ見ながら恥ずかしそうに言うカトリナであるが、セシリアの方が恥ずかしがってたりする。
「も、もしよろしければセシリア様と同じものがいいのです。同じが嫌でしたら、せめて一緒に選んで……頂きたいなと」
恥ずかしがりながらも必死にお願いするカトリナに、どう断ればいいか悩む間もなくエノアが後ろからセシリアの肩をガッシと掴む。
「お友達のお願いなんだし、ここは選んであげないとね」
「うっ、うん……」
流れに逆らえず、拒否できずに頷くセシリアにカトリナは手を叩いて喜びをあらわにする。そんな姿を見てますます断れるわけもなく三人で専用の部屋へと向かうこととなる。
作業場へ入り、壁にある棚を横から押すとレールに乗っている棚は床を滑り、背中に隠していた扉があらわになる。
その扉を開け薄暗い廊下を抜けると小さな部屋に出る。実際は作業場の裏にある小さな小屋に出ただけなのだが、エノアいわく合言葉から秘密の通路を抜けるという工程が大事らしい。
前に連れて行かれたときそんなことを言ってたなと思いながらセシリアは、隣で目を輝かせるカトリナの姿にため息をつくのも躊躇してしまう。
小さな部屋には大きくショーツとブラのコーナーに分かれていて、壁に沿って配置されたチェストの上にあるサンプルを見てサイズと色別に分けられたチェストの引き出しを開ける使用になっている。
「ど、どれが使いやすいのかしら? セシリア様はどれをお使いになっているのです?」
やや興奮した様子でカトリナに尋ねられるが、セシリアはパットマシマシのブラとドロワーズしか履いていないので、ショーツの使い心地を聞かれても正直困るのである。
「これとか……」
適当に選んでみる。
どうせ分からないのだから、もしカトリナが気に入らなくても気に入る別のやつを探せばいいのだとセシリアは割り切って考える。
「お花の刺繍が素敵ですわね! こ、これしようかしら。あ、あちらのはどうなのかしら?」
「う、うん。いいと思うよ」
カトリナがセシリアの手を引き気になった下着を見せては意見を求めてくる状況に、頭痛と戦いながら無難に答え乗り切るセシリアにさらなる試練が課せられる。
サイズ選ぶのが大事だと伺っています。セシリア様、アドバイスをお願い致しますわ」
「ア、アドバイス!? えっと、そうだね。こ、これとか締め付けが強くないからい、いいんじゃないかな、うん」
「ふーん、それを選ぶとはさすがセシリアね。それね、胸を包めるように硬めの布でカップを作ってみたのよ。胸を下から支えることができるから形を綺麗に整えれるってわけ」
適当に選んだものがとても凄いものだったらしく、エノアが感心しながら解説するのをカトリナはセシリアに尊敬する熱い視線を向ける。
「わたくし、これが欲しいですわ」
「カトリナお嬢様は初めてとのことですし、サイズの確認と使い方の説明も含め一度試着されてはどうでしょう?」
「え、ええそうですわね。お願いできるかしら」
カトリナはそう言って慣れたようにエノアに背を向けると、エノアがカトリナの長い髪を上げ止めると、背中のボタンをはずし始める。
「ちょっとセシリア、悪いけど手伝ってもらえる?」
「いっ!? わ、私が……ですか」
「聖女様を使うのは悪いと思うけど、お友達のカトリナお嬢様の着替えだし、手伝ってもらえない?」
服を脱ぎだしたカトリナの元からこっそり逃げようとしたセシリアは、エノアに呼ばれ立ちすくむ。
そんなセシリアにカトリナは恥ずかしそうにしながらも、期待に満ちた目でセシリアを見つめている。
「う……えっと、私着替えとか下手といいますか」
「いつも一人でやってるんでしょ。それだけ綺麗に着こなせてるんだから大丈夫よ。ほら、こっち持って」
実はアトラに手伝ってもらっていますとも言えず、カトリナの肩まではだけたドレスの端を持たされゆっくりと腕を通し脱がすのを手伝わされる。
ドレスを脱がせ胸に巻いていた布を解くと、カトリナの背中から細い腰回りがあらわになる。セシリアはなるべく見ないようにしながら、早くこの場から立ち去りたい一心でぎこちない手つきで必死にエノアの指示に従う。
「背中に止めるためのボタンがあります。ここで微調整も可能ですのでカトリナお嬢様がきつくない場所で止めてもらえれば大丈夫です。後日でも着付け係の方を寄越してもらえればお教えしますので、いつでもおっしゃって下さい」
エノアが説明するのをコクコク頷きながら聞いていたカトリナが、モジモジしながらセシリアを見つめる。
「あ、あの。セシリア様どうでしょうか?」
「う、うん。似合ってる!」
上を向きつつ顔を赤くして答えるセシリアの頭をエノアがガッシリと握りカトリナの方へと向ける。
「ほら、ちゃんと見て言ってあげないとカトリナお嬢様不安そうよ」
セシリアが視線を落とした先には恥ずかしそうに胸元を押さえるカトリナの姿があり、顔を真っ赤にしながらも答える。
「き、綺麗だから。その、カトリナはすごく綺麗だからとても似合ってる!」
「まあっ! セシリア様にそんなに褒めていただけるなんて嬉しいですわ!」
あふれる喜びを押さえきれずカトリナに抱きつかれたセシリアは気絶して口から抜けそうになる魂を必死に押さえる。
直視できずに恥ずかしさで瀕死の状態であまり記憶のないセシリアは、しばらくカトリナ付き合い下着選びをさせられる。
***
「またのお越しをお待ちしてます」
「ええ、また来ますわ」
嬉しそうに紙の袋を抱えるカトリナは見送りに来たセシリアを熱い眼差しで見つめる。
「セシリア様、今日はありがとうございました。わたくし大切にいたしますわ」
「う、うん。気に入ってもらえたならよかったよ」
弱々しく答えるセシリアを、自分との別れを悲しんでいるのだと捉えたカトリナは先程の素敵な時間を思い出し目を潤ませる。
「また一緒に選んでいただけますか?」
「う、うん……機会があればね」
「是非お願い致しますわ。その時を楽しみにしてますの」
もうそんな機会はなくていいと願うセシリアの頭に声が響く。
『良いものを見せもらった。礼を言うぞセシリア』
『女の子と男の娘が触れ合う瞬間。有意義な時間でした』
変態どもの声に疲れが増し肩を落とすセシリア影色が濃くなる。
『セシリアよ。わらわもぶらじゃーとやらを付けるのじゃ。今宵選んで付けるのを手伝ってもらうんじゃから!』
アトラの発言に『おおぉ〜』っと変態どものどよめきと、セシリアのため息が重なる。
この夜なかなか納得してくれないアトラに付き合い、セシリアは長い夜を過ごすこととなるのである。