第65話 闇に舞い降りる一つの光は僕の天使
異国ですらないどこか分からない世界に迷い込み、聞いたこともない言語で追いかけられ命の危機を感じた日々。食いつなぐために見たこともない魚や蛇、ときに虫を食べ食つなぐ日々。水はあったが、初めのころは飲むと腹を下し地獄の日々。
来たときはぶよぶよだった体は、ガリガリになってしまいそれでも生きている自分に驚きつつ、生きるために魚を取りにいったあの日僕は出会った。
背中に真っ白な翼を広げ舞い降りた彼女は僕に剣を向けたが、その紫の瞳は優しく敵意はなかったと後になって思う。
真っ暗だった牢屋に眩い光をまといやってきた彼女は僕に優しく微笑み、僕のためにこの世界の言葉を覚えるためのノートを探し届けてくれた。
彼女はこの絶望的世界の中で僕に光を与えてくれた天使だ。彼女の名は聞き間違いでなければセシリア。素敵な名前だ
薄暗い牢の中でナオトことニャオトは四角い木の板の上に水で濡らした指を走らせ日本語で言葉を綴る。木の上に水で書いた言葉は書いたそばから蒸発し消えてしまうが、文字を書くことで心が落ち着くのを感じる。
ニャオトが開いている本には日本語とこの大陸の言語、サトゥルノ語が書かれており言葉を覚えれるようになっているものになっている。
大昔にこの世界にきた日本人が残したものを天使であるセシリアが見つけ自分のために持ってきてくれたもの、直接は渡されてはいないがこんなことをしてくれるのは彼女しかいないと分かっている。
文字を練習するための板まで準備してくれてこれを天使と呼ばなくてなんというのだろう。
ニャオトは板を抱きしめると狭い牢の天井を見上げ、地上にいるであろう天使セシリアのことに思いを馳せる。
そんなニャオトを地下牢を見張る二人の兵が遠くから見ていた。
「なあ、あいつなにしてるんだ? 更衣室に捨ててあった板をあんなに大事そうに抱きかかえてさ?」
「さあ? 汗臭いのが好きなんじゃね? 遊戯人とかいう別の世界から来たんだろ。なら俺らと趣向も違うんだろうさ」
「はぁ~ん、そんなものなのかね。それよりもさ、お前セシリア様見たか?」
「いやまだ見てないんだよ。前回セシリア様が来たとき丁度非番で見れてないんだ」
「まじかよ、直接見たら間違いなく好きになるぜ」
「好きになる? 惚れるとかじゃなくて?」
「惚れるのはもちろんなんだけど、なんて言うかなそれを超えてセシリア様自体を好きになるって言えばいいのかな」
「なんだそれ。お前にしちゃあ曖昧な言い方するな」
無駄話をする二人のもとに別の兵が走ってくる。
「おい、今からセシリア様がここへ来られ、そこにいるのニャオトを視察される。周囲の警備を怠るなよ! それと粗相のないようにな!」
「「はっ!」」
二人が姿勢を正し敬礼をして一時間もしないうちにセシリアが数人の護衛を引き連れてやってくる。
「突然来て申し訳ありません」
地下牢の見張りをする二人の兵に頭を下げる聖女セシリアにどうしていいか分からず焦る二人の兵に、セシリアは微笑みを向けるとニャオトのもとに嬉しそうに足早に歩いて行く。
「遅くなってごめんなさい。もう少し早く出してあげれると思ったんですけど手間取ってしまって」
セシリアがニャオトに話し掛けながら、護衛の一人が牢のカギを開ける。開かれた牢の扉を見て戸惑うニャオトを見たセシリア自ら牢のなかへと入っていく。
慌てる周囲の護衛たちをおいてセシリアは手をの差し伸べると、オロオロしていたニャオトが恐る恐る手を伸ばしセシリアの手を握る。
「まずはここから出ましょうか。色々と話さないといけないこともありますし……」
セシリアは突然言葉を止めてニャオトを見ると顔を近付けスンスンと小さな鼻を動かす。セシリアに顔を近付けられたニャオトは顔を真っ赤にして身を反らし、護衛たちは慌てふためく。
「ニャオト、臭います。まずは身なりを整えましょう、えーっと申し訳ないですけどニャオトに湯浴みをさせて新しい服を着せて欲しいのですけど、どなたか準備をお願いしてもいいですか?」
すぐに一人の護衛が返事をするとセシリアの命に応えるべく立ち去る。
なにが起きているか分からずポカンとしているニャオトに気が付いたセシリアが少しの間考えた後、ニャオトの持っていた木の板を指さし受け取ると、牢の中にあった水に指をつけ文字を書き始める。
その行動に今度は地下牢の見張りの兵たちが慌てる。自分たちの更衣室から拾って来た木の板に触れ、飲み水とはいえ囚人に出す水に指をつける聖女セシリアを止めようとするが、セシリアは気にする様子もなく板の上に文字を書いていく。
お・ふ・ろ
き・が・え
「ニャオト、あなたの世界の言葉。これで意味分かりますか? あなたの体を綺麗にして服を着替えましょう」
文字を書いた板を不安そうな表情で見せたセシリアだが、文字を読んでニャオトが頷くとぱあっと明るい表情になり嬉しそうな笑顔を見せる。
そんなセシリアに周囲の護衛たちもセシリアの表情に合わせて、一緒に渋い顔から笑顔になってしまう。
もちろん地下牢を見張る二人の兵も同じように表情を変化させてしまっていたりする。
「それでは行きましょう。お騒がせして申し訳ありません」
再び見張りの兵のもとにやってきたセシリアが頭を下げると、なぜかセシリアの護衛の兵たちまで頭を下げてくるので、見張りの二人は慌てて全力でペコペコと頭を下げ返してしまう。
嬉しそうに地下牢を後にするセシリアを見送ったままの二人はまだセシリアが去った方を向いていた。
「お前の言ってた惚れるを超えて好きなるって意味、なんとなく分かったわ」
「だろ? それにしてもセシリア様が触った板欲しいな」
「あぁ~分かる。俺も欲しいわ」
聖女セシリアに対し共感を得た二人はその日の夜に酒を交わすことになり、明け方まで熱く語り合うことになる。
そんなことは知らずに確実に自分のファンを増やしていくセシリアは、ニャオトを無事に牢から出せたことが嬉しくてウキウキなのであった。