第59話 グワッチとてなめるなよ
天井から垂らされた鎖でぶら下がる鳥かごには、囚われたグランツがいてその目の前には包丁を研ぐ老婆の姿がある。
「ケヒヒヒッ、ゲンナディー様が聖女が連れているお前さんの血肉を欲しておるでな。調理方法は丸焼きを所望しとるでな。ならばまずはよぉーく血抜きをしないとなぁッキヒヒヒ」
包丁に向かって話し掛ける老婆の独り言にグランツは鳥肌を立て身震いする。
元バンパイアとして、血を抜かれるなどプライドが許さない。だが今はただのグワッチ、セシリアの翼にこそなれるが本人の戦闘能力は皆無である。
唯一優れているのは嗅覚と、魔力を感じる力。それは元々グランツのスキルである『吸血』を行うために発達していた能力だったが、嗅覚の優れるグワッチと融合したことによりさらに敏感になったのかもしれないとグランツは考えている。
「おお、そろそろ晩の下ごしらえをしないといけない時間かのぉ。料理長らが来る前に血抜きを始めないといけないねぇキヒッ」
老婆はブツブツ言いながら道具を取りにその場から立ち去る。
この好機を逃すまいとグランツは、狭い鳥かごの中で左右に動き鳥かごを揺らす。揺れ始めたのをきっかけに左右に反復横跳びすると揺れは段々と大きくなり鳥かごはやがて壁にぶつかる。
ぶつかった衝撃で開いた扉から飛び降りると素早く調理台の隙間に潜り込む。
「今の音はなんだい?」
別の場所へ行っていた老婆が鳥かごがぶつかる音を聞きつけ戻ってくるとすぐに、扉が開いたまま宙で揺れている空の鳥かごを見つける。驚きの表情から事情を察した老婆の顔が怒りで歪む。
「あの鳥めぇどこへ行ったんだい! 出てこないと酷いよ!!」
出てきたところで調理されるだけなのに出るわけがなかろうと、身を縮め隠れるグランツだがすぐに視界を黒い影が覆う。
「ここにいたのかい。ほらおいで、痛くなよう一思いにやってやるからのぉ」
グランツの隠れる隙間に手を入れて掴もうとする老婆の手を柔らかいくちばしで突っつく。
「このアホ鳥めっ! 一本一本毛をむしってやるから覚悟おしっ!」
くちばしは柔らかく、手は痛くなかったであろうが攻撃されたことに激怒する老婆の顔に向かってグランツは自分で産んだ新鮮な卵を投げつける。
「ぐわっ、コイツなんてことをするんだい!?」
鳥が自ら産んだ卵を投げつけてくるなど予想もしていない反撃に驚き、顔にまとわりつく卵の黄身と白身に苦しむ老婆の足元をグランツは駆け抜ける。
「コイツ! あいたぁっつ!?」
老婆が苦し紛れに蹴るが、テーブルを蹴ってしまい上に載っていた調理器具が派手に音を立て散乱する。
「あいたたぁっ~」
足を押え痛みに耐える老婆がグランツの姿を探すと、真上から頭目掛け真っ白な粉が降り注がれる。
「ぶはっ! ぺっ、小麦粉がっごほっつ!!」
顔に降ってきた小麦粉は先に卵で汚れた顔によく引っ付き、粉まみれになってしまった老婆はもがきふらつく。
「なんの音だ? 廊下まで聞こえてきたぞって、おい大丈夫か?」
もがく老婆がふらついてテーブルにぶつかり、派手に調理道具を散乱させる音を聞きつけやってきた、料理人の服装をした強面の男がドアを開け入ってくる。
入ってきてすぐに、粉まみれの老婆を見て驚く強面の男の顔面目掛け小麦粉が投げつけられる。
「ぐはっ、目が!?」
突然飛んできた小麦粉が目に入り、痛みで目を押える強面の男が叫んで大きく開いた口に忍び寄ったグランツが卵を押し込む。
「もがあっ!? あぐうっ!! ぐはぁっつ、おえっ~!!??」
視界が遮られた状態でいきなり口に飛び込んできた異物にパニックになり、飲み込みそうになってしまいむせて嗚咽する強面の男。
さらに足の下に生地を伸ばすために使う木の棒、麺棒がスッと置かれそれを踏んでしまった強面の男は派手にひっくり返って頭を打って気絶してしまう。
その横を走り抜け開きっぱなしになったドアからグランツは脱走する。
廊下を得意げな顔でペタペタと走るグランツに驚くのはすれ違う人たち。
「おい、鳥が廊下を走ってるぞ!」
「つ、捕まえろ!」
「こいつ、すばしっこいっ!?」
調理場の近くということもあり料理人を中心にグワッチを捕まえるために大騒ぎが始まる。
「どうした!?」
「なんの騒ぎだ!」
騒ぎに気付き、駆け付けた信者の人たちや兵により混乱はさらにカオスさを増していく。
天井からぶら下がっているなんだかよく分からないひらひらのカーテンをくちばしで引っ張り、走ってきて捕まえようとする信者の一人を包む。包まれた信者の人はカーテンに巻かれこけてしまい、天井のカーテンレールごと引きちぎりボーリングの玉のごとく転がって、走ってきた人たちに衝突し見事にストライクを取る。
グランツが羽をバサバサ羽ばたかせ体を僅かに浮かせると、捕まえようと手を伸ばし体制の低くなった兵の頭を踏み、さらに浮き上がって階段の手すりに飛び移る。
「こいつ、俺を踏み台に!?」
踏み台にされ頭を押え慌てる兵の目の前でグランツは手すりの上を足を滑らせながらも羽でしがみ付き上り始める。
階段の手すりを上り始めるグランツを捕まえようと信者やら兵たちも階段を駆け上がり追いかけるが、中腹辺りでグランツは水かきのある平べったい足を滑らせ羽を広げバランスを取って手すりを滑り下りる。
上がったと思ったら急に滑り下りるグランツを追う者、手を伸ばして捕まえようとする者、そもそも何が起きているか理解してない者などで入り乱れた結果、階段でぶつかりこけたり転がったりの大混乱が起こる。
団子状になってわたわたする人間どもの間を走り抜け振り向くと、羽をバサバサさせ一鳴きする。
「グワグウッグゥワグッググワゥグググッ! グワググッググッグゥグワワッ!!」
人間に向かって鳴くグランツが何を言っているか分からない人たちは、人間を見て羽をバサバサするその態度に馬鹿にされてる気がして、生意気なグワッチを捕まえるための混乱は範囲と人数を広げ加速するのである。