第58話 牢獄を脱出するのじゃ
牢獄に快適性など必要ないので過ごしにくいのは当たり前なのだが、石の床はゴツゴツして裸足で歩くのも不愉快に感じる。
もちろんベッドなどあるはずもなく、横になるのもゴツゴツの床が迎えてくれるのでままならない。端に置いてある桶は簡易的なトイレと言ったところだろうか。
外から丸見えなうえ、鉄格子の前には常に武装した兵が立っており気も休まらない。
聖剣シャルルやグランツはもちろん、ガントレットや靴も没収されたセシリアは冷たくゴツゴツした床の上で人生初の牢獄生活に一時間ほどでうんざりしていた。服を取られなかったのは不幸中の幸いであり、全く抵抗しなかったのが功をそうしたのかとホッとする。
心に余裕があるのは、聖剣シャルルの『我々がどうにかする』の言葉があるのと、なにより影に潜むアトラの存在があるからである。
これが何の心の支えなく一人で投獄されたらと思うとセシリアはゾッとして震えてしまう。
胸に手を当て、ゆっくり息を吸って吐くとセシリアは鉄格子の向こうにいる兵の背中を見て頷く。
「あの、すいません。ちょっと喉が渇いてしまって、その……お水をいただけませんか?」
セシリアは牢の前に立つ兵に近付き声を掛けると、兵は顔だけ振り向きめんどくさそうな表情でセシリアを見る。
「食事はやるから、そのときまで待て。お前には何も渡すなと言われている。奇跡を呼ぶ聖女とやらにコップ一つ渡しても何をするか分らんからな」
冷たく言い放つ兵にセシリアは少しもじもじしながら、鉄格子を握り顔を近付け紫の瞳を潤ませじっとみつめる。
「あの……その……渡さなくてもいいんです。あ、あなたのお口からいただければ」
「口?」
「はい、あなたの口からお水をいただければ、何も手渡さなくてもお水がいただけますよね?」
潤んだ瞳でじっと見つめるセシリアの柔らかそうな唇を見て、兵はのど仏を大きく動かしながら生唾を飲みこむ。
さらにセシリアが自分の唇を指で触れ物欲しそうな瞳で見てきたら、兵は飛び上がりそうな気持を押え冷静であろうと必死になるだけである。
「な、なるほど。たしかにそれなら何も渡してないし命令違反にはならないな。よし待ってろ」
スキップでもしそうな勢いでその場から小走りで離れる兵の背中を見てセシリアは頭を抱えてしゃがみ込む。
「あぁ~必要とはいえ何を言ってるんだぁ〜っ。大切なものをどんどん失って、段々と引き返せなくなってる気がするぅ~。
って言うか男って本当にバカしかいないのかな……なんだか悲しくなってきた」
セシリアは色仕掛をする自分の恥ずかしさと、それに引っ掛かる男の浅はかさに虚しさを感じ涙が出そうになる。
僅かに潤んだ瞳を鉄格子の向こうに見える石の廊下に向けると、小さな声で呟く。
「アトラ頼むよ」
自分の影から兵士の影に飛び込んだアトラへ希望を託す。
***
セシリアへ水を運ぶため鼻息荒く小走りに走る兵の名はレオロールと言う。通称レオは休憩室にたどり着くと、常備してある水の入った桶からひしゃくで水を汲み口へ流し込む。
「あん? レオ休憩か? って時間まだじゃねえか、持ち場離れて勝手に休憩するな!」
休憩室にいた休憩中の兵が口に水を含むレオを叱ると、レオは頬の膨らんだ口を閉めたままコクコク頷き手を合わせてゴメンと謝る。
「お前なにしてんだ? ふざけてんのか?」
餌を蓄えたハムスターのごとく膨らんだ頬のまま頷くレオに不機嫌になる二人の兵たちを見て、慌てて立ち去ろうとするレオだが首筋にチクリと痛みが走り意識が飛んでしまい、せっかく口に入れた水をこぼしてしまう。
「うわっきたねっ! お前なにをっ……」
突然ダヴァ〜っと口から水をこぼしたと思えば、ガクッと首を垂らし立つレオの馬鹿にした態度にイラっとした二人の兵が詰め寄った瞬間、二人の兵たちも同じようにガクッと首を垂らし生気のない表情を見せる。
レオの影がポコポコと動き、顔を出したアトラがニョロリと這い出てレオの体に絡みつく。
「さてお主ら、聞きたいことがあるのじゃ。聖女セシリアの牢のカギはどこにあるのじゃ?」
「管理室にあると思います……」
一人の男がうつむいたまま答える。
「うむ、ではグワッチと聖剣も一緒に連れてきたはずじゃ。それらはどこにおるのじゃ?」
「聖剣は知りません……グワッチは調理場かと……」
「調理場かえ……グランツ先輩も災難じゃの。まあ今は急ぎゆえ、自分でどうにかしてもらうしかないのじゃ。そこの二人、騒ぎは起こさんようにして管理室まで行き鍵を取って来るのじゃ。お前はわらわに地下牢の道を教えるのじゃ」
アトラの指示に休憩室にいた二人の男はゆっくり頷くと、のそりのそりと部屋を出て行く。そしてアトラはレオの影に潜ると地下牢の道を覚えるため出向く。
***
レオの顔に生気はあまり感じられない。これはアトラが強制的に操っているときに見られる症状である。
生気はないが、急ぎ足で牢獄を歩きながらアトラに説明するためブツブツと誰もいない空間に向かって話す様は異質を放っている。だがそれは地上での話。
この牢獄で勤務するなかで精神的に病む者は多く珍しいことではない、それゆえレオの姿を見たところでそこまで気に止める者はいなかった。
レオを操り管理室まで来たところで、先に行かせていた二人がゆらりと部屋から出て来てレオに鍵を渡してくれる。
鍵を受け取ったレオを通してアトラが管理室を覗くと、一人の男が机に伏せて伸びているのが見えた。影から出てきたアトラが自分の鱗を一枚剥ぐと伏せている男の首にプスリと突き刺す。
すぐに男はムクリと起き上がりゆらゆらと生気のない顔で座ったまま揺れ始める。
「これでヨシなのじゃ。そこのお前、セシリアの装備品はここで預かってないのかえ?」
座っていた男がゆらりと立ち上がると鍵が沢山掛かっている戸棚から一本の鍵を取り出し、奥の部屋に向かい箱に入ったセシリアの装備一式を持ってくる。
「よき働きなのじゃ。これならセシリアも喜んでくれるはずなのじゃ。セシリアが喜ぶと、わらわも喜ぶというものじゃ! 誉めてくれるかもしれんのじゃ!」
嬉しさから紅く染まる両頬を押え、体をくねくねさせたアトラが四人の兵たちを順に見る。
「うむぅ、なんだか前よりも『魅了』のスキルの力が強くなっている気がするのじゃ。これもひとえにセシリアとの愛を育んでいるからに違いないのじゃ」
うんうんと嬉しそうに納得の頷きを何度かするとアトラはレオを引き連れ、うきうきでセシリアのもとへと向かうのだった。
***
一方セシリアは牢の中でポツンと立っていた。今現在牢獄に一人しかいないと考えると不安で押しつぶされそうになるのでここ最近のこと、これからどうするべきなのかを考えるように必死に頑張っていた。
目をつぶって考える……
──いつも抱きかかえている聖剣も、隣を歩く鳥も、影に潜むヘビもいない。うるさいからいなくならないかと思うことも多々あったが、いなくなると寂しさが込み上げてくる。セシリアはいつの間にか自分が目を開けていて、勝手に動かない自分の影を眺めていることに気付きハッとした顔をする。
「あぁっ〜逆効果だこれは、なにも考えない方がいいのかも」
寂しさを振り払うように首を激しく横に振ると牢獄の天井を見る。
「グランツはあっちかな? シャルルは結構離れてるような……なんとなく方向が分かるのは契約してるからなのかな」
自分の手のひらを見て軽く握ると、なんとなく三人との繋がりを感じて少しだけ気持ちが落ち着き自然と笑みがこぼれる。鉄格子の向こうにある暗闇を見てアトラの無事を祈り鉄格子をぎゅっと握った瞬間だった。
「セシリア、戻ってきたのじゃぁ~!!」
アトラの声に合わせて、先ほどまで監視のためにいた兵が鉄格子を握りガタガタ揺らしてくる。
「うひゃああああっ!!??」
思わず叫んでしまうセシリアを、兵が生気のない表情のまま首を傾げ不思議そうに見るのが余計に不気味だったりする。
「アトラ! びっくりするからやめてよ、もぉ~」
「ごめんなのじゃ。嬉しくてつい操ったまま叫んでしまったのじゃ」
影から出て来たアトラにセシリアは文句を言いながらも嬉しさから笑みをこぼしてしまう。アトラが兵に鍵を使って牢の扉を開けさせると、ニョロリとセシリアに近付き両手を大きく広げ満面の笑みを見せる。
すると後ろにいた兵が生気のない顔で笑顔を作り、手に持った箱をセシリアの前に差し出す。
正直兵の見せる笑顔は気持ち悪いが、それよりも中にある見覚えのある装備にセシリアは驚き目を丸くすると、その表情を見たアトラは得意げな表情をする。
「じゃーん、なのじゃ! セシリアの装備を取り戻したのじゃぞ。すごいじゃろ? すごいじゃろ? 褒めてもいいのじゃぞ」
頬をほんのり赤くし、褒めてくれと期待で満ちあふれた目で見つめてくるアトラに思わず笑ってしまったセシリアは、アトラの手を取るとまっすぐ見つめる。
「ありがとう、アトラ。感謝してる」
ポンっと頭の上から音が聞こえてきそうなほど煙を上げ顔を真っ赤にするアトラが天を見上げる。
「こ、これは思った以上に破壊力が大きいのじゃ……のじゃぁ」
喜びを噛みしめたアトラはくねくねしながら、なぜか照れている兵の背中をバシバシと叩き喜びを暴力に変換しながらセシリアを見ると、そのままセシリアの手を取る。
「セシリア、ここから脱出するのじゃ。上へ行くルートは押えておるから任せるのじゃ」
そう言ってセシリアの影に戻ると、セシリアの頭の中でいつも以上に明るい声を響かせる。
『わらわの言う通りについてくるのじゃ』
「うん、頼りにしてる」
『くはぁっ! ま、任せるのじゃ』
テンション高く興奮した声で案内を始めるアトラに微笑ましさを感じながらセシリアは防具を装備すると牢の外へ出る。
──それにしても、アトラって実はかなりすごいんじゃ……
セシリアが牢から出たことがバレないようにと、牢の前で見張りを続けるよう言いつけられる兵といい、セシリアが脱走していると言うのに目が合うと会釈をしてくれる兵たちを見てそんなことを思いながら地上を目指し歩くのだった。