第52話 初めてはチキンの味か……
石畳が敷かれハイキングコースのような緩やかな道から外れ、草の覆い茂った木々の間をくぐり抜けた先には小さな小川が流れる。
少しひらかれた場所に布を広げ座ると、バスケットを置いてセシリアとアメリーは並んで座る。
「よくこんなところに来ようと思ったよね」
「小さい頃にね掃除が嫌で逃げ回ってたらたまたま見つけたの。私とっておきのおさぼりスポット」
いたずらっ子っぽい笑みを見せニシシと笑うアメリーの後ろに、ケッター牧師の呆れた顔が見えた気がしたセシリアはため息をつく。
「まあ、確かに綺麗なところだよね。でもなんでここだけあまり木が生えてないんだろ?」
「そう言えばそうよね。特に考えたことなかったけどここだけやけにひらけてるんだよね」
う~んと唸って考えたアメリーだがすぐにバスケットに手を掛ける。
「とりあえず食べましょうよ。せっかくデイジーが張り切って作ってくれたんだしさ。私お腹空いちゃった」
「まったく……じゃあ食べたらもう少しこの辺りを調べてみようね」
「うん、頑張って本いっぱい探そうね。もっと刺激的なやつ見つかるかもしれないし!」
「あ、いや。その本は別にいらないんだけど……」
「今は二人っきりだし恥ずかしがらなくてもいいのにぃ~」
隠さなくても私は知ってるよ~っとアメリーはセシリアの脇を肘で突っつく。もうどうでもいいやとセシリアは諦めて、バスケットを開けデイジーが作ってくれたサンドイッチを手に取る。
先にかぶりついたアメリーが幸せそうに食べているのを見て、セシリアもサンドイッチを口へ運ぶ。
「前に来たときも言ってたけど、セシリアが来てから教会も結構潤ってね、セシリアにはすごく感謝してる。ほら、サンドイッチに鶏肉なんて今まで入ってなかったんだから」
恥ずかしそうに笑みを浮かべながらアメリーはお礼を言うと、すぐに手に持ったサンドイッチにかぶりつく。
鶏肉の言葉に逃げ腰になるグランツの頭を撫でながらアメリーの言葉を思い出し、セシリアは嬉しくなり笑みをこぼしサンドイッチを口へ入れる。
「ねえセシリアってキスとかしたことある?」
「ヘ? キス?」
しんみりした流れから突然の質問になんのことか分からずセシリアは聞き返してしまうが、女子がよくやる恋愛話かと理解して首を横に振る。
「私もないんだよね。セシリアは憧れない? 恋愛してさ二人っきりになって見つめあって、キスしちゃうみたいなの」
「恋愛とかしたことないからしてみたいなぁとは思うけど、キスはどうだろう? あまり考えたことないなぁ」
アメリーが遠い目をして尋ねる内容に、セシリアも恋愛興味がないわけではないので素直に答える。もちろん今の聖女としての恋愛ではないと言うことだけは胸の中で強く誓いながらである。
「じゃあさ、練習とか……してみたり……とかしちゃったりしない?」
「練習?」
セシリアと目を合わせないまま呟くように言うアメリーの姿に、セシリアのなかで嫌な予感がフツフツと湧いてくる。
「セシリア」
アメリーから距離を取ろうと座ったまま後退るセシリアの肩がガッチリと掴まれる。
「な、なに……アメリー顔がちょっと怖いんだけど」
セシリアは自分の肩を掴むアメリーが真剣な表情で見ていることに恐れおののいてしまう。
「ほら、お互い本当にその時がきたときに失敗したら恥ずかしいじゃない」
「い、いやそんなことはないんじゃぁ……」
「ううん、なんでも準備は大事よ! ええ大事!」
気付けばセシリアは押し倒され、上に覆いかぶさるアメリーがゆっくりと顔を近付けてくる。
「ちょっ、ちょっと待って! 落ち着こうよアメリー」
「いいえ、待てない」
はぁはぁ、と息を荒くしたアメリーが頬を赤くし血走った目でセシリアを見るのは、押し倒したセシリアの姿に興奮しているからとかは今のセシリアにとってはどうでもいいことである。
セシリアは側においてある聖剣シャルルを見るが、私はただの剣ですと沈黙をつら抜いている。
その横では羽で顔を覆いながら、羽根の隙間から覗くグランツの姿がある。
──あいつらこの状況を楽しんでやがるぅ
役に立たない二人を怨みながら、目の前に迫ってくるアメリーの顔にもうどうにでもなれと諦めと覚悟を決める。
ぎゅっと目をつぶったセシリアを見て、さらに興奮したアメリーが唇を重ねようとしたとき、突如足が引っ張られ地面に顔面を強打させる。
「うぐぅっ!?」
顔を押えるアメリーから脱出したセシリアが影を見ると『セシリアにキスなどさせないのじゃ』と頭のなかでアトラの声が響く。
心でお礼を言うと通じたのかセシリアの影が手を振る。
「だ、大丈夫?」
「うっ、うううっ」
屈んで顔を押えて唸るアメリーの手を取り、顔を見ると唇に血をにじませながら泣く姿があった。
「ほら、唇切ってる。治してあげるからじっとしてて」
ポーチからポンポン草を取り出すとしくしくと泣くアメリーに使う。
「どう? もう痛くない?」
コクコクと頷くアメリーが、落ち着いていた涙を再びボロボロこぼし始める。
「ごめんね、ごめんね。私どうしてもキスの練習がしたくて、ドン引きだよね。幻滅だよね」
目を擦りながら泣くアメリーを見てセシリアは小さくため息をつきながらアメリーの肩をポンと叩く。
「そうだね、ドン引きだよ。幻滅だよ」
「ひっ!?」
ズバリ言われショックで顔を引きつらせるアメリーに、セシリア優しく語り掛ける。
「でもまあ、アメリーらしいって言えばらしいけどね。私も恋愛がどんなものか説明できないけど、その時がきたらちゃんとできると思う。というかその時のアメリーを好きになってくれた人なんだからキスが上手にできなくても問題ないと思うけどな」
「その時の私を好きに……」
「そう、今のアメリー好きだって言ってくれる人。アメリーだって好きになった人がキスが上手にできないからってすぐに嫌いになったリしないでしょ? だから大丈夫だよ」
アメリーが小さく頷くとセシリアをじっと見つめる。
「セシリアは私のこと好き?」
「う、うん。友達として好きだよ」
「友達から恋人へ、なんてこともあるよね」
セシリアは嫌な予感を全身に感じて、ジリジリと後ろへ下がって行くと、アメリーはジリジリと寄ってくる。
「私ね、友達といなかったから初めてセシリアが友達になってくれて嬉しくて舞い上がってたの。でもね一緒に何度か会って触れるとなんだかドキドキするの」
「あ、あぁ……そ、そうなんだ……」
「セシリアに抱きついたりするとね、すごくドキドキするの。今日だってここに来る途中私の手をとってくれたりしたとき、すごくドキドキして。もしかしてこれってセシリアを友達以上に好きなんじゃないかって思うの。この間一緒に読んだ本にも女の子同士でってのもあったし」
再びはぁはぁと荒い息で迫るアメリーだが、背後にニョロリと回り込んだ影がアメリーの首筋を手刀で打つ。
「はぎゅっ」
うめき声を上げ倒れるアメリーをセシリアが慌てて支える。
「これ以上は許さんのじゃ。わらわはセシリアの恋人なのじゃからな、嫉妬するのじゃ」
『アトラよ、もう少し我慢してくれてもよかったのだぞ。ここからがいいところであったのに』
倒れてセシリアに支えられるアメリーをアトラが睨む。その横でカタカタと聖剣シャルルが苦言を呈するとアトラは聖剣シャルルを睨む。
「シャルル先輩だって男が近づいたら弾くであろう? わらわだって同じじゃ。これでもわらわは我慢しておるのじゃからな。なんじゃったら近づくやつ片っ端から全員退けてもいいのじゃぞ」
『むぅ……』
腕を組んで怒るアトラに聖剣シャルルが押し黙ってしまう。
「二人とも言い争いしない!
気絶させるのはちょっとやり過ぎだけど、今回アトラに助けられたのは確かだし感謝してる。シャルルは自分の欲望に忠実になり過ぎないでね。あまり度が過ぎると怒るよ」
セシリアに怒られしょんぼりする聖剣シャルルと、ちょっぴり自慢気なアトラの横でセシリアの膝で寝ているアメリーが唸り始める。
「アメリーが起きそうだから、みんな戻って」
セシリアの一言でアトラは影に溶け込み、聖剣シャルルは剣へ、グランツはペタンと座ってグワグワ鳴きグワッチへと戻る。
「う、う~ん。なんだか頭痛い」
セシリアの膝の上で首筋を押え眉間にしわをよせて起きるアメリーをそっと撫でる。
「アメリーお腹いっぱいになったから眠たいなぁ~って言って、突然眠るからびっくりしたよ」
「え? 私寝てたの?」
「そう、しかも私の膝の上で眠るんだぁって勢いよく倒れ込んだから首を痛めたんじゃない?」
首をさすりながら不思議そうにするアメリーが、体を起こそうとするがセシリアが額に手を置きそれを制する。
「もうちょっとゆっくりしてから起きた方がいいよ。首痛めてるだろうから」
「え、ええ、ありがとう。セシリアは優しいね。あっ、そう言えば私さ寝てたとき夢を──」
「ねえアメリー。私たちって友達だよね?」
「え? 突然どうしたの? それはもちろん友達に決まってるじゃない」
セシリア額に置いた手でアメリーの目をそっと覆う。
「良かった。私たちずっと友達だよね」
「ええもちろんよ」
「うん、アメリーもう少し寝た方がいいよ。すごくうなされてたし」
「そ、そう。疲れてるのかな? じゃあお言葉に甘えてちょっとゆっくりするね」
そう言って目をつぶるアメリーを見てセシリアは静かに大きなため息をつく。
──なんとかなったかな? どうにも最近おかしい気がする……。まあ、おかしいことしか起きてないんだけど。
静かに目をつぶるアメリーを見た後、空を見上げ澄み切った青空を瞳に映したセシリアも目をつぶり少しの間だけウトウトする。