第51話 意思疎通を試みる聖女もまた魅力的
普段何気なく生活していて華やかに見える王都でも、裏ではしっかりと法が作用し人々の治安を守るために働いている人たちがいるのだと認識させられる。
地下へと向う階段は暗くどこかジメッとした空気を含んでいて、非日常へと向う入口のように見える。
セシリアは兵士の案内のもと地下へと降りて行き、たどり着いたのはアイガイオン城の地下に広がる地下牢である。
民間で起きた犯罪者を捕らえるいわゆる刑務所とは違い、王国に不利益をもたらす者や王国に深い関係のある者が捕らえられる牢は奥へ行けば行くほど厳重になり闇も深くなるのだが、セシリアが向う先は今後の行き先がまだ決まっていない者が投獄される場所であり一番手前にある。
物々しい警備のなか、薄暗い場所においても眩い輝きを見せる聖女セシリアが微笑みながら「ごくろうさまです」と声をかけられれば警備兵たちの顔も思わず緩みそうになり、ぎこちない敬礼を返してしまう。
「こちらが先日捕らえた者になります。何度か尋問はしたのですが、言葉が分からずほとほと困っておりました。聖女セシリア様が聖剣を通せば会話が可能かもしれないと聞いて感謝しかございません」
地下牢を担当するキルトと言う名の中年の男性が、何度も頭を下げ嬉しそうにセシリアに話し掛ける。
「まだ会話できると確定したわけではありませんけど、できる限りやってみます」
「おぉっ、ありがたいお言葉! こんなへんぴな場所にまで気を使って下さりありがとうございます」
手を組みセシリアを拝み始めるキルトにちょっと居心地の悪さを感じながら先へ進む。
先日のピクニックで突如現れた男が、遊戯人であるかもしれないと知ったセシリアは、アイガイオン王に聖剣が接触したがっていると、聖剣通せば言葉が通じるかもしれないと申し出、面会を許してもらい今に至るわけである。
キルトの案内でセシリアは一つの牢屋の前に案内される。
鉄格子の向こうには通ってきた道よりも一層ジメジメするカビ臭い部屋が広がり、その角にうずくまる男の姿があった。
「面会だ! って言っても通じないだろうが」
キルトが鉄格子を金属の棒で数回叩き、男を振り向かせる。大きな音に男は酷く怯えた様子で身を守るように体を丸めてしまう。
セシリアが右手を広げ小さく頷くと、キルトは意図を察し手に持っていた棒をしまう。
「えっと、言葉は分からないんですよね? なにもしませんから声を聞かせてもらえませんか?」
できる限り優しく語り掛けると、言葉は分からなくても雰囲気は伝わったのか男は恐る恐るセシリアの方を見る。だがその顔は恐怖で満ちてゆがんでいる。
「キルトさん、彼の持ち物で眼鏡がありませんでした?」
「眼鏡ですか? それならこちらで預かってますが、必要ですか?」
「おそらく彼はとても目が悪いのだと思われます。ぼやけた視界では私たちを怖がって話してくれないかもしれません。少しの間でいいので彼に返してあげてもらえませんか?」
そもそも近眼というものがあまりメジャーでない世でセシリアにはその人が見る視界がどういうものかは想像つかないが、聖剣シャルルの助言を参考にキルトへお願いする。セシリアのお願いは了承され直ぐに眼鏡が運ばれてくる。
「眼鏡自体珍しいものですが、作られている素材が何とも不思議で弾力があるのに硬いのです。えっ、触られますか……何もないと思いますがお気をつけて」
セシリアが手を差し出すとキルトは慌てて眼鏡を渡す。分厚いレンズから見える遠近の歪んだ地面と、そのレンズを支えるフレームを爪で軽く叩くと軽い音が鳴る。
耳に掛ける部分テンプルと呼ばれる部品と本体を繋ぐ部分、それに鼻パッドの部分に小さな金属の棒状の部品があるのが見える。
物作りの知識はないセシリアでも小さな部品を見て、この眼鏡が凄い技術で作られていることは何となく分かった。
「本当に不思議な素材でできていますね。それと、彼と話しをするのに字を書きたいのですが書くものはありませんか?」
「書くものですか? 伝達用の蝋板でよろしければすぐに用意できますが」
セシリアが頷くとすぐに兵によって蝋板が運ばれてきて、セシリアはそれを手に取ると鉄格子の前に立ち自身に聖剣シャルルを立て掛け、胸元を押さえゆっくりと深呼吸をする。
「これはあなたのものですよね? お返ししますからこちらへ来てもらえませんか?」
男は優しく声を掛けるセシリアをじっと見ていたが、手に持っていた眼鏡を見るとゆっくりと立ち上がり恐る恐るすり足で寄ってくる。
「これがないと目があまり見えないんですよね。遊戯人は極度の近眼の人が多いと聞いてます」
セシリアが鉄格子の隙間に眼鏡を入れ近づいてきた男に取るように促すと、男はゆっくりと手を伸ばしたと思ったら勢いよく奪い取って急いで後ろに下がると眼鏡をかける。
「セシリア様!」
眼鏡を勢いよく取られ思わず後ずさったセシリアを心配し、キルトや近くにいた兵が集まってくるが首を横にふり制すると、ちょっぴり照れたように笑う。
「ちょっとビックリしました。でも大丈夫です」
聖女として気丈に振る舞い過ぎない姿勢、ビックリしたと言いながら照れて微笑むセシリアの姿は、キルトをはじめとした周囲の兵が親近感と守ってあげたいと思わせているのだとは知らず、セシリアは牢の中にいる男に話し掛ける。
「セシリア、それが私の名前です。あなたの名前が聞きたいです」
声に反応した男が眼鏡越しにセシリアをじっと見ると、目を大きく見開きセシリアをガン見する。
「発音が上手くできないんで私は喋れないんですけど、え~っと、心象に形を刻めるんだよね? なんとか書いてみる」
セシリアはキルトから受け取った、木の板を蝋でコーティングしその蝋を削って文字を書く蝋板と呼ばれる物に、聖剣シャルルが頭に浮かぶ見慣れない文字を刻んでいく。
書き終えた文字を見てこれでいいのか不安に思いながら、鉄格子越しに男に向かって文字板の方をかざし指をさす。
「これ読めますか?」
蝋板を指さして話し掛けるセシリアの意図が伝わったのか、男はゆっくりと近付き眼鏡のフレームを持ちながらセシリアの書いた文字を目で追う。
な・ま・え
三文字のひらがなを見た瞬間、目をまん丸にして驚いた男が自身を指さす。セシリアは頷き文字を指さし自分の胸に手を当てる。
「セシリア」
名前を名乗って男に向かって手を広げかざし名前を名乗るよう促す。すると男は喉を押え何度か咳ばらいをした後ゆっくり口を開く。
「ナ、オト……」
かすれた声で名前を名乗る男だが、セシリアは僅かに目を泳がせながら必死に言葉を復唱する。
「ニッ……ニャ、オ、ト?」
男はもう一度「ナ・オ・ト」とゆっくり言葉を口にするが、セシリアの口から出る言葉は「ニャオト」なので諦めたのか頷いて「ニャオト」を名乗る。
自分が上手に聞き取れていないことを感じ笑って誤魔化すセシリアだが、その微笑みを見たニャオトは顔を赤くした後、そのまま目から涙をポロポロこぼし始める。
「〇。✕、〇。✕……△◎●……。。」
崩れるようにして両膝をつき鉄格子を握り、嗚咽し泣きながら声を上げるニャオトをじっと見守るセシリアの頭のなかで声が響く。
『我も遊戯語は堪能ではないから完全に翻訳は出来ぬが、この世界に来て初めて意志の疎通ができたことが嬉しいと言ってる』
「そうなんだ……辛かったんだね」
ニャオトの立場になって意志の疎通ができない状況を想像したセシリアは苦しくなった胸を押える。
落ち着いたのかニャオトは眼鏡を上げて涙を拭うと握っていた鉄格子を支えにして立ち上がる。
セシリアは急いで蝋板に文字を刻むとニャオトへ見せる。
は・な・し・て
蝋板の文字を読んだニャオトを指さし蝋板の文字をなぞると、ニャオトも理解できたのか頷く。
始めはゆっくりだったが、途中感情がこもったのかせきを切ったように必死に話して早口になるニャオトを落ち着かせながら、聖剣シャルルが翻訳する言葉をセシリアがキルトに伝え調書を作成していく。
「別の世界から来た……にわかには信じられませんが押収した見たこともない素材の服や、聞いたこともない言葉を話すのを見るにそうなのだと言うしかありませんね。
とにかく名前と年齢も分かりましたし、こうして無事調書が完成しましたので助かりました」
「いえ、お役に立てたのなら私も嬉しいです」
身元も言葉も分からないニャオトの存在にほとほと困ったいたのだろう、キルトは安堵のため息をつき胸を撫でおろす。
それを見てセシリアも胸をなでおろし、そしてニャオトの方を見るとニャオトは表情を緩める。
「また来ますね」
言葉は通じないと理解しつつも声を掛けると、ニャオトは口をパクパクさせ必死に声を出そうとする。
「セ・シ……」
言葉に詰まるニャオトにセシリアは微笑み、ゆっくり自分の名前を口にする。
「セシリア」
「セ・シリ……ア」
「はいっ!」
言語の違いから言葉の伝わらない人と意志の疎通ができたことに、セシリアは嬉しくなって満面の笑みで返事するとニャオトは顔を真っ赤する。
異世界人の心も無意識で射止めたセシリアは、キルトをはじめとした兵士たちにも挨拶し牢獄を後にする。
得体のしれない男に対し優しく話し掛け、仕事を手伝ってくれた上に満面の笑みをみなにも向け帰って行く聖女セシリアは牢獄担当の兵たちの心を掴み、その魅力を確実に広げていくのである。
だがそんなことは知らないセシリアは、聖剣シャルルとニャオトを牢から出す方法を考えることでいっぱいだったりする。