第39話 羽ばたかない、でも飛ぶ
珍しく一人で草原を歩くセシリアは周囲を見渡し誰もいないことを確認すると、聖剣シャルルを手持にち、足もとにいるグランツを見る。
「じゃあ、もう一度羽を生やすことから始めてみようか」
グランツがグワァっと鳴きながら頷く。
「グランツ!」
セシリアの声に合わせグランツが翼を大きく広げると光の粒となって弾ける。光はセシリアを包むと、セシリアの背中から光の小さな羽が生え徐々に大きく広がり大きな翼となる。
真っ白な翼をバサバサさせながら具合を確かめるセシリアの頭の中でグランツの声が響く。
『やっぱり飛べないみたいですね』
「まあグワッチ自体飛べる鳥じゃないからね。ちょっと浮いたり、滑空できるぐらいだし」
申し訳なさそうに言うグランツに声を掛けるセシリアに頭にもう一つの声が響いくる。
『それでも高い場所からの滑空や、移動速度の上昇などが見込める。練習次第ではまだ可能性を秘めているはずだ』
『さすが先輩です! 勉強になります』
「先輩? いつからそんな関係になったの? 昨日までそんな感じじゃなかったよね」
二人の会話に違和感を感じたセシリアが尋ねると、なんとなく胸を張ったような感じをさせ聖剣シャルルが答える。
『セシリアと先に契約した先輩として、グランツに男の娘イロハを教えておるのだ。昨晩いかに男の娘が素晴らしいかを一晩中説いたらな、グランツのヤツなかなか筋がよくてな』
『うっす! 男の娘最高っす!』
「あぁ~もう! 変態枠は増やさないでいいから!」
声のする頭の上を手で払いながら文句を言うセシリアに対し、
『ほら可愛いだろ?』
『うっす!』
セシリアが手をパタパタさせるほど変態どもの嬉しそうな声が響く。
***
セシリアが小高い丘から飛び下りてゆっくりと落下していく。やがて地面に足をつけたセシリアは丘と自分の立つ位置を何度か見比べる。
「これって全然滑空出来てないよね」
『とりあえずは高所から落下したとき緊急用には使えるだろう。それだけでも大きな収穫だ。後は要練習だな』
「まさか翼を扱う練習をする日が来るとは思わなかったよ」
セシリアは自分の背中の翼をパタパタと動かして動作を確認する。
『ふむふむ、天使のような姿だな。そうは思わんかグランツ』
『ええ、美しいです』
「あのさ、人の頭の中で意味の分からない会話するのやめてくれる」
頬を膨らませ地団駄を踏むセシリアに、聖剣シャルルとグランツが口々に可愛いと褒め称える。
「それよりもグランツ、昨晩の話ちゃんと思い出してくれた?」
セシリアが話掛けると翼は光に変わりグワッチの姿に戻る。
「グワァ〜」
羽をパタパタさせグワグワ鳴き始めるグランツだが、セシリアにはちゃんと言葉が聞こえている。
『昨晩も話しましたが私は三百年ほど眠っていました。そんな私が目を覚ましたのはつい先日のこと「血を求める者よ喉に潤いを人に恐怖を」と頭に声が響き目を覚ましたわけです』
「結局誰の声かは分からないんだ?」
『申し訳ありませんが分かりません。おそらく女性であろうとしか言えません』
『では、セシリアのことをどこで知った? 初めて会ったときから聖女セシリアのことを知っていただろう』
聖剣シャルルの問にグランツが羽の隙間から綺麗に折り畳まれた紙を取り出す。
セシリアが受け取り広げ、そこに書かれていた文字を読んで固まる。
『聖女セシリア シルバー昇格記念パーティー開催 〜アイガイオン王国に降り立った聖剣を持つ美しき聖女に会えるチャンス!~』
「なにこの頭悪そうなポスターは……」
『美しき聖女セシリア、その言葉に引かれパーティーに来てみれば美しきセシリア様がいたわけです。最初はその美しき首に噛みつき血を吸いたいそれだけでしたが、今は真実の愛を知り──』
「あぁ~もういいよ! それ以上喋らなくていいから。グランツは誰かに起こされたってこと、それとここ最近の魔物の生態系が変化しているって話はなんとなく繋がっている気がするんだよね」
羽を広げ真実の愛について語りだすグランツを遮りセシリアが聖剣シャルルを地面に突き立て声を上げる。
『確証はないがな。まあ気になることではあるし、グランツを起こしたのが何者で何の目的があったかを調べるだけでも価値はありそうだな。後はこれをどう周りに周知させるかだが』
「分かったよ、どうせやれっていうんでしょ」
『うむ、理解が早くて助かる。信頼度抜群の聖女セシリアだから出来ることもあるだろう』
大きなため息をついて肩を落とすセシリアを見て「色っぽい」などと褒め称える変態どもにセシリアはもう一度大きなため息をつくのだった。
***
一旦ギルドに戻ってメランダに話をしようかと考えながら歩いていたセシリアだったが、周囲を歩く人のなかに慌て走って行く人が数人いて歩みを進めるほど段々と騒がしくなってきたことに気づく。
「すいません、何かあったのですか?」
セシリアが急いで走る男性に尋ねる。
「セシリア様!? 実はこの先にあるコーマル地区の住宅で火事があったみたいで、底の火消しの応援に向かってる最中なんです」
「火事ですか。珍しいですね」
「ええ、あの地区は新しく開発中の場所で、木を使った住宅が多いんで燃えたんじゃないかと言う噂です。っと申し訳ございません、急がないといけないんでこの辺りで」
「引き止めてごめんなさい。気をつけてくださいね」
「いえ、お役に立てれば幸いです。お気遣いありがとうございます!」
男性はお礼を述べ急いて走って行ってしまう。走り去った方に黒い煙が空へ向かって伸びているのを見てセシリアの足は自然にそっちへ向かう。
『行くのか?』
「うん、とりあえず行くよ。何かできないか現場を見て考えてみる」
『さすがです。どこまでもついていきます』
セシリアは聖剣シャルルを抱え、グランツを引き連れ火事の現場へと向かう。
アイガイオン王国における建物は主にレンガで作られているが、最近の建築のトレンドで一階部分をレンガで作り二階を木と漆喰で作る住宅が多く作られ始めていた。
レンガよりも運送しやすくコストが安い、加工もしやすい木造建築は流行りに敏感な王都の住人たちに人気となった。
だがその一方で暖炉が料理や暖を取るのに欠かせない世において、安全技術も知識も乏しいゆえに起きてしまったのが今回の火事である。
黒い煙の合間に真っ赤な炎をチラつかせながら燃える一軒家の凄惨な状況を見てセシリアの表情は凍りつく。
黒い煙を背に窓際で助けを求める男の子を見て泣き崩れる母親となだめる父親。
一階から侵入できないか探す者たちに、二階へ上がれないかとハシゴを持って右往左往する者たち。火が燃え広がらないように火消しに躍起する人たちの様子を見て立ちすくんでいたセシリアだが、ふと我に返り周囲を見渡すと少し離れた位置にある時計台に目を向ける。
『あそこから飛び移るつもりか?』
時計台に向かって走り始めたセシリアに聖剣シャルルが声を掛けるとセシリアは頷く。
「時計台の上から飛べばあの子を救えるかもしれない」
『まだ上手く飛べないのに無茶だ』
「そうかもしれないけど、あのまま放っておけないよ。それに飛ぶというか窓に向かって滑空して飛び込むだけならいけると思う」
『私はセシリア様が飛ぶというのであれば翼を捧げるまで』
時計台に到着して、上の展望場へと向かって階段を上り始めたセシリアの隣でグランツが勇ましく声を上げると、セシリアは僅かに微笑む。
『むぅ~止めるよりは成功へ導くのが我の務めか。ならばセシリアよ窓に飛び込むのではなく、壁に向かって飛び我を刺して止まれ。建物の中に入るのは火の回り具合を見るに危険だ。壁に着地しそこから子供を抱え、下に向かって再び滑空だ』
「二人ともありがとう」
『キュンだな!』
『キュンです!』
「二人が何言ってるか分かんないけど、気持ち悪いのは分かる。グランツお願い」
グランツが光の粒になるとセシリアを包み、光が羽の形を作りやがて真っ白な翼になる。
階段を走りながら聖剣シャルルを腰に回すと、鞘に彫られた金色の蔦から蔦が伸びポシェットの上から腰に絡みつき腰に引っ付く形となる。
そのまま展望場に出ると石で出来た落下防止用の柵の上に飛び乗る。
「うぅっ、流石に高いなぁ……けどあの子の方がもっと怖いはず。羽ばたかない、でも飛ぶ!」
羽を大きく広げ勢いよく身を空中に投げ出すと、翼に風を受けセシリアは滑空する。
燃え上がり迫る炎と恐怖で泣き叫ぶ男の子にみなが絶望の色を顔に浮かべたとき、数人が空を見上げ指を差し声を上げる。
その声の意味を周囲が理解するよりも先にセシリアは腰にある聖剣シャルルを抜き、紫の光を空中に引きながら壁に剣先を突き立て壁に着地する。
「もう大丈夫。手を伸ばして」
涙と煙でぐちゃぐちゃになった顔でセシリアを見た男の子が震える手を伸ばすと、セシリアはその手を掴み力強く引き寄せ抱きしめる。
「シャルル、お願い」
壁に突き立てた剣先から魔力を放ち、壁から剣を抜くと同時にセシリアは壁を蹴り翼を広げ地上へと滑空し下りていく。
「うわっとっと」
着地時足がもつれそうになりながらもなんとか降り立ったセシリアを待っていたのは割れんばかりの歓声と、聖女セシリアの名を呼び称える声であった。




