第218話 セシリア様のお・ね・が・いは知略を超える
オルダーによる攻撃は、聖女セシリアではなく、それを守るべき兵や冒険者に向けられる。
彼の使うスキル『虚空』は空間を切り裂き隙間を作り出すもの。その際に起きる空気の流れは強烈で、その暴風に巻き込まれた者たちが次々に倒れていく。
そんな中、オルダーの攻撃から難を逃れた兵が、必死に火打ち石を打って緊急用の薪に火を付け、薬剤の入った袋を投げ入れる。
薪と一緒に燃えた薬剤は、真っ赤な煙を天に向け上げる。
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空に向かって赤く伸びた煙を見たリュイが指をさす。
「セシリア様。危険を示す狼煙が上がってます」
「情報どおりトローだったわけだ。ここからは私が行くから、リュイは待機してラボーニトを休ませて。絶対に三天皇と接触するのだけは避けてね」
リュイに念を押して、翼を広げたセシリアがトローの方へ向かって飛び立つ。
あっという間に小さくなるセシリアを見送るリュイは、両手を組み無事を祈る。
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『セシリア様、オルダーと思わしき魔力の移動を確認しました。ここより西へ、位置的にキャトルだと思われます』
「ちょっと待ってよ。まだトローへ向かってる最中なのにもう移動って」
グランツの報告に慌てるセシリアが広げていた翼を、バタつかせ空中でブレーキをかける。
『ひとまずは魔力を溜めたい。こっちに伝令は行ってないのか?』
「各隊に伝令つきのペレグリンを飛ばしていたから、そろそろ伝わっていると思うんだけど」
聖剣シャルルの言葉に周囲を見渡すセシリアの下で影が動く。
『セシリア、とりあえず移動なのじゃ。魔力を集め、羽休めしている今は、わらわが運んで少しでも距離を縮めるのじゃ!』
影で滑って移動を始めてすぐ、セシリアの目に遠くから走ってくる馬が映る。それはこの度の戦いで集まった混合軍の者たち。
アトラに下から押してもらい高く跳ねたセシリアは、走って来る一人の兵が乗る馬の後ろへ飛び乗る。
「うわっ⁉ せ、聖女様!?」
突然自分の背中に乗ってきて、肩に手を置いたセシリアに兵は驚きの声を上げる。
「すいませんが、このままの向きで西へ走って、キャトルへと向かってください。残りの方々は、全員にヴェルグラの領土中に散って、私が羽休めをする際にも、領土の全方向へ向かって馬で移動ができるように伝えてください!」
セシリアの指示に混合軍の皆は切れのいい返事をするが、心の内は──(あいつだけズルい! なんで聖女様と二人乗りしてんだよ)である。
聖女セシリアに背中を掴まれ走り去る兵は、ドヤ顔で残った兵たちを順に見て、キャトルの方へと向かって走って行く。
「んだよあいつ! ムカつく!」
「見たかあの顔! 頭にくるよな」
「くそっ、隊列の位置失敗したぜ。もう一騎前に並ぶべきだった」
聖女セシリアを乗せて去って行く仲間に文句を言ったり悔しがったりするのは、残された兵たちだが、そんななかある一人の兵が呟く。
「聖女様は全方向へ向かって馬を配置しろといったよな。じゃあ、俺にも聖女様と二人乗りできるチャンスはあるってことだよな」
「「「それだ!!」」」
呟いた兵を周りの兵たちが指さして叫ぶ。
「こうしちゃいられねえ。皆には知らせず俺らだけで散開するか?」
「ばか、それは聖女様のお願いを無視してることになるから嫌われるぞ」
「あぁ、たしかに。嫌われるのはまずいな。ところでよ、聖女様のお願いって言い方……なんかいいな」
「だろ? あの優しい聖女様は俺たちに命令するんじゃなくて、『お願い』って感じだと俺は思うんだよな」
「言われてみればそうだよな。あの可愛らしい顔で命令! って感じしないもんな」
「いいなそれ。戦場で、命令されるんじゃなくてお願いって。しかも聖女様からだろ……ふへへ」
全員が上を見上げて、それぞれの聖女セシリア様からお願いをされる妄想を展開する。
『私が疲れたとき、あなたのお馬に乗せて欲しいの──お・ね・が・い……』
妄想のなかで勝手に色っぽくお願いしたセシリアに鼻の下を伸ばしてニヤニヤしていた兵たちは、頬を叩き鼻息荒く手綱を握る。
「よし、誰が聖女様の羽休めの場所になれるか競争だ!」
「負けねえぜ!」
「恨みっこなしだからな!」
そう言って四方に散っていく兵たちによって、『聖女様の羽休め』作戦は決行させれるわけだが、その二人乗りできるという内容と『聖女様のおねがい』というワードに全兵隊たちの士気が上がることになる。
***
「くちゅん」
「風邪ですか。温めましょうか?」
「あ、いえ大丈夫です……」
くしゃみをしたあと、心配してくれるのはいいが、馬に乗っている今の状態で続く言葉が「温めましょうか?」は変だろうと心でツッコミを入れるセシリアは、畳んだ翼を撫でる。
「グランツ大丈夫?」
『はい、まだまだやれます』
「無理させてごめんね。今回、グランツの負担がかなり大きいから」
『私はセシリア様のためならば、たとえ火の中! 水の中!』
『グワッチが自ら火と水に飛び込んだら、美味しそうな料理完成なのじゃ』
『人を勝手に料理しないでもらえますかね。今、私はセシリア様への愛の大きさを語っているのですから』
『愛の大きさなら、わらわだって負けておらんのじゃ』
「はいはい、そこまで」
頭の中で言い合う二人を納めたセシリアに、抱いていた聖剣シャルルが刀身を震わせる。
『セシリア、飛べる分だけの魔力は集めた。距離を詰めるためにも飛ぶぞ』
頷いたセシリアが、翼を撫でると大きく広げる。
「ありがとうございます。私はキャトルへ向かいますが、あなたは先ほど伝えた通り、皆さんにヴェルグラ中に散って移動を手伝ってくれるようにお願いして下さい」
そう言って、走る馬から飛び降りたセシリアは紫の軌跡を引き、大空へ飛んでいく。
残された兵は、名残り惜しそうに見送るが、背中に残った温もりを感じつつ聖女様のお願いを実行するために馬を走らせる。
***
キャトルへと着いたオルダーが、剣を振るい生み出した『虚空』により、攻めていた人間の兵たちに甚大な被害をもたらす。
倒れた人間の兵たちを連れていくゴーレムたちをあとにして、グラニーを走らせ移動するオルダーのもとに真っ黒な鳥が降りてくる。
「セイジョ チカイ! セイジョ チカイ!」
くちばしをカタカタ鳴らしながら、伝令鳥の喋った内容にオルダーの黄色く光る目が大きくなる。
「……近いだと? 聖女が待機していた場所はヴェルグラの北東。ここは南西だぞ……対角に位置するここへ来るのにこの時間で来れる……あの翼は、メッルウよりも速く飛べるというのか」
一瞬だけ思考を巡らしたオルダーは、手綱を引く。
「……グラニー急ぐぞ。私が考えていたよりも聖女自身の能力が高い可能性がある」
いなないて、応えたグラニーが走り出すと、オルダーはキャトルへの攻撃をほどほどに引き上げ北へあるユヌへと向かう。
「……なんだこの人間どもの配置は」
しばらく走っていたオルダーがヴェルグラ国内に騎乗して散らばる兵や冒険者たちを見て呟く。高速で走るオルダーの存在に気づく人間たちだが、警戒はするものの向かってくることなく数人が素早く火を焚き狼煙を上げるだけである。
「……私の位置を聖女に知らせるために散らばって配置させたというわけか。または、人間どもの相手をさせてわずかでも足止めをしようという魂胆。魔王様と違い、部下を雑に扱う聖女らしい作戦だ」
自分の一振りで多くの人間を失うかもしれないというのに、犠牲を厭わない作戦に、主である魔王との違いを改めて認識したオルダーは、聖女へ軽蔑の念を抱く。
「……前から聖女が魔族を倒し切らずに生かしておくことに疑念を持っていたが、自らは敵の命を奪わぬ聖人。だが私たちが人間の命を奪えば極悪非道の所業と罵る魂胆か。なるほど魔王様が無血にこだわる理由はここにあるというわけか!」
そしてこれまでの出来事と、興奮気味なのに飛びかかってこない人間たちを見て一つの結論に至ったオルダーは、黄色に光る目を大きくして、聖女の魔族を貶める陰謀と、それに早くから気づいていた魔王の聡明さに感激する。
「つまるところ、この人間どもの配置は、私が攻撃することで足止めしつつ、命を奪えば非道の魔族だと罵る口実を作るためのもの……その手には乗らんぞ! 聖女よ、一つも要塞都市を攻略できず、多くの人間が怪我をし苦しむのを見て、絶望の中でその命散らすといい」
聖女の思惑に気がついた……と思っているオルダーは、腹の底から湧いてきた怒りを持ってさらにグラニーを加速させる。
だが、オルダーは知らない。この散らばる者たちが犠牲の精神でいるのではないことを……
***
全速力で走る馬に乗っていたセシリアが、翼を広げると馬の背中から飛び立って超高速で飛んでいく。翼から発生する紫の魔力が、空に紫の軌跡を引きつつ向かうのは次の馬。
「聖女様だ!」
「来た来た!」
「俺のとこに来てくれぇ~‼」
遠くで光った紫の光を見た男たちが騒ぎ始める。そして皆が一斉に光が向かうであろう方向に馬を走らせ、思い思いの方向へ散らばる。
そしてある一頭の馬に向かって光が落ちると、一人の冒険者の男の背中にむぎゅっとぶつかりながらセシリアが乗り込む。
乗り込んだ馬に乗る冒険者の男の腰に手を置き、背中に頬をつけたセシリアが声をかける。
「このまま真っ直ぐ全速力でお願いします!」
「お任せをっ‼」
全力で飛んだことでやや疲れ気味のセシリアが、冒険者の男の背中に体を預けたまま去って行く様子を見て、残された男たちは走り去った男に向かって悪態をつきながら、悔しそうに叫び、再びこちらへ聖女セシリアが戻ってきてくれることを願いながら空を見上げる。
オルダーの乗るグラニーは通常の馬の二倍近くの速さで走る。さらに鎧でできた体を生し、疲れることなく走り続けられる。
対してセシリアが飛ぶスピードはグラニーの1.5倍近く。ただ飛行距離が短いため、休む間は馬を次々に乗り換え、一頭一頭を全速力で走らせ、離され過ぎないようにする。
徐々に狭まっていく距離。オルダーは計画どおりに進んでいるはずなのに、どこか言い知れぬ不安を感じながらグラニーを走らせる。
三天皇のなかでも思慮深い男オルダーは、この戦場において「聖女セシリア様と二人乗りしたい」「背中にむぎゅっとしてほしい」そんな男どもの愚かともいえる思いが渦巻いていること。そして、そんなことを戦場で思う奴らがいるなんてことを、思いもつかないオルダーは、それが自身の作戦を徐々に蝕み始めていることを、知る由もないのだ。




